第160話
ガタゴトと揺れる馬車。揺られているのはアンナ、ユーリ、エレノア、ナターシャ、セリィの5人である。
向かう先は王都マドリード。その西にあるパーシヴァルの地下室だ。
今回は強い魔物が出る場所に行くわけでもないため、戦闘能力は低めのメンバーである。
珍しくエレノアが外出しているのは、魔力箱の原理で作成された扉、その奥に隠されているものに興味を持ったからだ。
食事を取るための外出すら渋るエレノアだが、どうやら研究欲には負けたようだ。
ちなみにユーリとナターシャは、アンナが強引に学園の休暇手続きをしてきたらしい。
仲良し組のいつものメンバーであれば魔力適性のバランスが良いが、今回はアンナが闇、ナターシャが光、エレノアが木、そしてユーリとセリィは適性無しという非常にバランスの悪いメンバーである。
火と水と土、特に水属性の魔法使いがいないとなると、長期遠征の快適度はぐっと下がる。きれいな水を確保することはなかなかに難しいのである。
季節は初夏。酷暑とは言わないが、日の当たる道を行けば当然熱い。
ユーリは汗ばむ首を布で拭き、水筒の水を躊躇うことなく飲み始める。
「ユーリ君」
そのユーリの手をアンナが止めた。
「どうしたの?」
「長期遠征において水は貴重です。確かに今回は魔物と戦うような旅ではありませんが、それでも長時間を外で過ごします。あまり水を使いすぎないようにした方が良いです。水魔法を使える人もいないのですから」
アンナのいう事は至極真っ当である。常識的に考えれば、出発のすぐ後に水をがぶ飲みするバカなどいるはずがない。
しかしその常識を覆すのがユーリである。
「それは大丈夫だよ。見てて」
ユーリは荷物から取っ手のない金属製のコップを取り出す。見た目はただのコップである。
次に右手をポケットに突っ込み、触媒を付着させる。
粉の付いた手でコップを握ると……
「……え?」
コップの下の方から、少しずつ水が溜まっていくではないか。アンナの目が見開かれる。
「え……と。これは、どういうことですか……?」
「この前作った魔道具だよ。これがあれば水がなくなってもへっちゃらです! 一度に大量に作ることはできないんだけどね」
言っている間にコップの八割ほどまで水がたまった。馬車の揺れで少しこぼれる。
「これ、飲めるんですか?」
「うん、もちろん」
そのままコップの水を口にするユーリ。ただの水である。
「私にも一口、貰っていいですか?」
「もちろん。はいどうぞ」
躊躇う事なくコップを手渡すユーリ。隣に座るナターシャがちらりとコップに目を向けた。
「ありがとうございます。……普通の水です。これは、一体何なのですか?」
「だから魔道具だってば」
「錬金術に疎い私でも知っています。水を生み出す魔道具を作ることはほぼ不可能。現存するのは砂漠の国にある命の盃という魔道具だけのはずです」
「この魔道具はね、錬金術師にしか使えない魔道具なんだ。触媒を使って、錬金術を行う時みたいに通力することで水を作り出してるの。だから普通の人には使えないし、一度に大量の水を作ることもできない。こういう水魔法の使える人がいない遠征の時は便利だけどね」
「いえ、それでもすごいことなのでは……」
言いかけて口を紡ぐ。そういえばつい最近、この少年はものすごい魔道具を発明していたではないか。可愛らしい外見に騙されていたが、とんでもない錬金術師の様だ。
パーシヴァルの地下室を開けられると聞いた時は、半信半疑であったが、今では『信』の方に大分よりつつあった。
「……」
セリィが無言でアンナの方に手を伸ばす。ユーリの作ったコップを使いたいのだろう。
「あ、はい。どうぞ」
コップを受け取ったセリィは、残っている半分ほどの水を飲み干したあと、ユーリのポケットに手を入れて触媒を付ける。
しばらくすると水が溜まった。
「こ、この子も錬金術が使えるのですね」
「うん。セリィはすごいんだよ! セリィのお陰でオリハルコンが作れるようになったんだから!」
「オリ……」
なんだかすごい単語が聞こえたような気がしたが、聞かなかった事にしたアンナである。
「ナターシャも通力は出来たよね? やってみる?」
「やってみたいわ」
今度はナターシャがセリィからコップを受け取り試してみる。ユーリやセリィほどスムーズでは無いが、少しずつ水が溜まってきた。
「難しいわね、これ」
「慣れれば簡単だよ!」
「ユーリ君に言われても説得力がありませんね……。実際、通力よりは少し難易度が高いですから」
すでに研究室でお試し済みのエレノアが苦笑する。イの一番から通力の出来たユーリにとっては、それは簡単なことなのだろう。
「私も試してみて良いですか?」
「もちろん!」
アンナは学生時代に、錬金術を最初から諦めた口だ。ポーションなど買えば良いという派である。
そのため錬金どころか通力さえ出来たことはないし、できる必要も無いと考えていた。
しかし、目の前でこんな便利なモノを見せられたら話は変わる。長旅で水の心配をしなくて済むのだ。こんなに素晴らしいことはない。
意気揚々といった様子で触媒を手にまぶすアンナ。しかし。
「……出来ません」
「あはは、通力ができない人には出来ないよー」
「……」
笑いながら言うユーリを無視し、再度挑戦する。しかし、出来ない。
自分以外の全員が出来るのに。自分はできない。悔しい。悔しいし、この便利な道具を諦めたくない。
その後、目的地に到着するまでの間、アンナはずっとそのコップを握りしめ続けていた。
◇
「お嬢さん方、着きましたよ」
御者の中年男性が馬車を止めて言う。どうやら目的地に着いたようだ。
「……」
しかし、アンナは何も答えない。未だにユーリの水の出るコップを握りしめている。
「アンナ、アンナ。到着したって。パーシヴァルの地下室行かなくていいの?」
「……っは! 申し訳ありません、集中していました。ユーリ君、この魔道具、帰りの馬車でも貸していただいて良いですか?」
「うん、いいよ」
「御者さん、ありがとうございました」
ようやく顔を上げたアンナが御者に挨拶をしながら馬車を降りる。他の面々も続いて降り、屈伸したり腰を曲げたり。長期間の移動で凝り固まった体を伸ばす。
「お、お尻が痛いですぅ……」
一番ダメージを受けているのはエレノアの様だ。|万年引きこもり研究オタク《エレノア・ハフスタッター》にとって、この長旅は辛すぎた。
「ナターシャ、エレノアを魔法で治してあげて」
「分かったわ」
ナターシャが唱え、柔らかい光がエレノアの体を包む。すぐに痛みは引いた。
「ありがとうございます、ナターシャさん」
「これくらい構わないわよ」
「やっぱりナターシャについて来てもらって正解だったなー」
「……え? 私、このために連れて来られたの?」
「え? うん、そうだよ? エレノアに長旅は辛いだろうなーって思って。ナターシャ、ありがとう!」
「……まぁいいのだけれど。どういたしまして」
そんなやり取りをしている間にアンナが御者と一言二言話して戻って来た。
「それではパーシヴァルの地下室に行きましょう。ユーリ君、お願いしますね」
「はーい」
足早に歩き出すアンナ。
長年待ち望んだ、魔法史のヒントは、もうすぐそこである。




