第142話
ユーリとセリィは一緒に釣りをしたり、料理をしたり、散歩をしたり、瞑想したり。とにかく毎日可能な限り一緒に過ごし、同じことをした。
最初はフィオレが難色を示したり、ナターシャが冷たい目で見たりしていたが、今では完全にスルーされている。
ユーリが完全に錬金術目的であると、ただ錬金術に必要だから一緒にいるだけだと分かったからだ。色恋沙汰のイの字も無いのだ。
日々を共に過ごしたユーリとセリィは互いのことをかなり理解してきた。
ユーリは言葉を聞かずともセリィの気持ちが分かるし、セリィはユーリの視線の動きだけで何をしたいかを察することが出来る。
ある冬の土の日の朝、今日も今日とて一緒のベッドで寝ていたユーリが体を起こす。
セリィはその目を見て思う。今日、再び挑戦しに行くのだろう。ミスリルの精錬に。
何も言われずとも、視線を向けられただけで分かった。
小さく一つ頷いて、二人は準備を始めた。
ボルグリンの鍛冶場に高い金属音が響く。
ユーリとセリィが作っているのは刃渡り20センチほどの短刀である。
流石に最初からショートソードを造りはしない。銀の保有量にも限りがあるのだ。
錬金は上手く行っている。銀は鍛造を行えば行うほど強くなって行く。着実にミスリルに近づいていっている確信がある。
しかし、錬金反応が終わらない。オリハルコンであればとっくに完成している時間、その倍の時間をかけても、まだ銀が魔力を吸収していく。
ユーリとセリィは集中力を切らさない。
セリィは触媒に一定の通力を行い続け、決して揺らぎを起こさない。ユーリの表情や魔力から伝わる機微を的確に読み取り、負荷をかけぬよう魔力を調整し、銀に送り込む橋渡しをする。
ユーリは銀の状態にのみ集中する。微調整はセリィに任せる。信頼しきり、自分は銀への錬金に全神経を向ける。
汗が目に入ろうとも、服が肌に張り付こうとも、気にしない。気にしている暇などない。
後ろでボルグリンとラウラが固唾を飲んで見守っている。
目の前で行われているのは果たして一体なんなのか。鍛冶や錬金術など、とうに超えた行為。まるで神にささげる儀式かのように思えた。
折り返し鍛錬の回数は20回を超え、かかった時間は、三時間。
ようやくその時が訪れた。
「……来た」
ユーリが小さくつぶやく。銀から魔力があふれ出した。
セリィの役割はここまでである。
ユーリが素早く刃を成型、一度強く熱し、間髪入れずに焼き入れ。
ジュンと激しい音がし、ナイフに命が吹き込まれる。
見なくとも分かる。まだ刃を研いでいないにもかかわらず圧倒的存在感を放つナイフ。とんでもない化け物が産まれようとしている。
まるで鞭の後に飴を与えるかのように、炉に戻して焼き戻しをし、最後に冷ましてひと段落。ユーリが額の汗をぬぐう。続けて、研磨。
丁寧に磨き上げられたその刀身は、青みがかった銀色でありながら、光を反射し虹色の光彩を放っている。
ミスリルのナイフの、完成だ。
「ほんに、成し遂げおったわ……オリハルコンに続いて、ミスリルまで……」
ミスリルの精錬には成功した。しかし、ナイフで三時間もかかった。セレスティアが使用するショートソードとなると、少なく見積もっても倍の六時間、ともすると十時間ほどかかる可能性もある。流石に今日は打てない。
残りの銀の量を鑑みても、一本打つのがせいぜいだろう。失敗はできない。
「ボルグリン、ラウラ。来週、ショートソードを打ちに来るね」
「……うむ。しっかり休養し、体調を万全にしてくるのじゃぞ」
おそらく十時間程の間、飲食はおろか用を足しに行くことすらできないだろう。
身体を万全の状態に整えておく必要がある。
「とりあえず、今日は帰って、お風呂に入って寝よう。いこ、セリィ」
コクリと頷きふらふらと立ち上がるセリィの手を握る。二人はおぼつかない足取りで学園へと帰って行った。
残されたのは、ミスリルのナイフ。その刀身だ。
「しっかし、ここまでの逸品を仕上げておきながら、喜びもせずに置いて行くとはの。狂人もいいところじゃ」
ため息を吐きながらミスリルのナイフを手に持つラウラ。鉄よりも軽いはずなのに、何故かずっしりとした重量感がある気がする。
「これすらも通過点なんじゃろうな、奴からしてみれば
「オリハルコンの時も思ったが、儂らの悲願が通過点とは、笑いしかでぬな。はっはっは。どれ、せっかくじゃから儂にも一枚かませてもらおうかの」
乾いた笑いを上げるラウラ。刀身のみではナイフとして使えない。柄に使う材料を物色し始めた。
「儂も炉の整備をしておくかのう。炉のせいでミスリルが台無しになったとなっては、顔を上げられんからの」
今日はまだまだ前座。本番は、来週である。
◇
「何やってるのよ……これは……」
毎週かかさず行っていたセレスティアの屋敷でのユーリとの手合わせ。それにユーリは二週連続で顔を出さなかった。
不思議に思ったオリヴィアが学園に顔を出すと、寮にもエレノアの教官室にもいないという。
冒険者ギルドでモニカに聞いてみるも、依頼を受けた様子もなさそうだ。
病気ではない、依頼でもないとなると、残りは鍛冶である。
そう思って来たボルグリンの店。店内に入り声をかけるも返事が無い。
しかし鍛冶場から音は聞こえる。
ボルグリンとは知らない仲ではない。特に気負いもせずに入っていったその先で、オリヴィアが驚愕で目を見開いた。
ユーリとセリィによって行われている、まるで儀式のような鍛冶。
オリヴィアが想像していた鍛冶とは、もっと大味なものだった。熱した鉄を、金づちで激しくたたき、成型する。どちらかと言えば力作業だと思っていた。
しかし、目の前で行われているものは、そんな大雑把なものではない。
鍛冶も錬金術も齧ったことのないオリヴィアには分からないが、まるで針に糸を通すがごとく集中力で何かをやっていることだけは分かった。
そしてそれを一体何時間やっているのか。
ユーリとセリィの足元は汗で水たまりの様になっている。顔は疲弊しているが、目だけがぎらぎらと光っている。
「い、いつからやってんのよ……」
「朝の六の刻からじゃ」
「ろっ……!?」
ラウラの返答に絶句する。今の時刻は、昼の二の刻と半。八刻と半もこれを続けているというのか。
止めなければ。二人ともまだ幼い。体に支障をきたす可能性がある。オリヴィアが反射的に動こうとするも、ボルグリンからの鋭い視線で止められた。
「手を出すな。無駄にする気か」
「で、でも!」
「黙っておれ」
おそらく鍛冶師にしかわからない何かがあるのだろう。
ボルグリンも手伝えないことが歯がゆいのか、強く手を握りしめ、歯を食いしばる。
ボルグリンに出来ることが無いのだ。オリヴィアに手伝えることがあろうはずもない。出来ることは、ただ見守ることだけだ。
「こ、これが鍛冶なの……? まるで、死合いじゃない……」
一太刀でも誤れば即座に首が飛ぶ。そんな死合いを行っているような張り詰めた空気。これが鍛冶とは思えない。
オリヴィアが来てから、さらに一時間。ついに錬金反応が終了した。それと同時にどちゃっと倒れ込むセリィ。意識を失っている。セリィの仕事は終わりだ。
ユーリも気を抜きそうになるが、まだ終わっていない。錬金反応は終わったが、鍛冶はまだ終わりではないのだ。
焼き入れと焼き戻し。そこまで行わなければすべてが水泡に帰す。
かすむ視界を気合で戻し、刃を成型。熱く熱く熱し、焼き入れ。
ズン
「なっ!?」
オリヴィアが驚愕する。何だ、今の感覚は。刀身を水に入れた際に、まるで神が降りたような、刀身に何かがとりついたような感覚が走った。
刃に命が吹き込まれたのだ。
再び炉に入れ、焼き戻し。
とりあえずの工程はひと段落である。
刀身を傷つけぬよう丁寧に置いたところで、ユーリも倒れた。
張り詰めた空気が消える。死合いは、終わった。
「ユーリ! セリィ!」
慌てて駆け付け、二人の頬をはたいて起こして無理やりに水を飲ませる。完全に脱水症状が発症している。
「もういいわよね!?」
「あぁ。終わったわい。オリヴィア、これも持っていけ。ユーリが起きたら渡してくれ」
訳が分からないままラウラから渡されたものを腰に差す。
オリヴィアは二人を抱きかかえ、学園に、エマの元へと走って行った。




