第132話
「……あれ?」
二週間ほど医療室に通い詰めだったユーリがエレノアの研究室に行くと、鍵が閉まっていた。
エレノアは外出中だろうかと思いカギを取り出して差し込むも、回らない。
鍵が変わったのだろうか。疑問に思って研究等の管理室にいるおばさんに聞きに行く。
「エレノアかい? 数日前に引っ越して行ったよ。いやまったく、いつもいつも怪しげな研究をしているし時々異臭はするし、いつ出ていくのかと心待ちにしていたんだが、いなくなると寂しいもんだねぇ。あの子もついに卒業だなんて、時がたつのは早いもんだねぇ」
「卒業……?」
「そうだよ。研究院の四回生だったからね、エレノアは」
そうなのだ。ユーリが入学したときにエレノアは高等部を卒業して研究院に入っていた。この春からユーリは中等部2年。四年の時が流れたのだ。
つまり、エレノアは去年で卒業ということになる。
「それは、そう、なんだけど……」
聞いていない。一言も。
医療室でナターシャのお見舞いをしている時にも何度か会っていたが、そんな話は一度も聞いたことが無かった。
どこに行ってしまったのだろうか、エレノアは。
しばらくの間、エレノアの研究室の前で、いや、元エレノアの研究室の前で立ち尽くすユーリであった。
◇
意気消沈していたユーリであったが、エレノアとはすぐに会う事となった。
中等部二学年の最初の錬金術の授業。金クラスから鉛クラスまでで合わせて5人しかいない授業で、フィリップが挨拶をする。
「はい、あの。皆さん、進学おめでとうございます。中等部二学年からは、錬金術の授業は全クラス合同で行います、はい。といっても、参加者は五人なのですが。ち、ちなみに学年末試験では、錬金術の試験はありません。ハハハ、本当に、趣味みたいなものですね、はい」
しょっぱなから悲しい現実から入る錬金術の授業であった。
「はい、今年からは、教官が、もう一人、増えます。といっても、研究が主ですが……。ハフスタッター教官、おねがいします、はい」
「し、失礼します!」
ガラリと扉を開けて入って来たのは、紛れもなくエレノアである。
ガチガチに緊張しており、右手と右足、左手と左足が同時に動いている。絵にかいたような緊張の仕方だ。
思いがけないエレノアの姿にユーリが目を丸くした。
「こ、今年から、教官として指導させていただきます、エレノア・ハフスタッターと申します。よ、よろしくお願いいたします!」
「はい、皆さん、拍手」
ぱらぱらと拍手がなる。これ以上コミュ障の教官を増やしてどうしようというのか。
二学年になったと言っても、錬金術の授業にあまり変わりは無い。通力が出来るようになった次は魔力飽和。やることはほとんど変わりない。
挨拶が終わってからすぐにユーリはエレノアに駆け寄った。
「エレノア! 教官になったの!?」
「あ、ユーリ君。えへへ、実はそうなんですよ」
「もう! 研究室に行ってもいないからどこに行ったのかと思ったよ!」
「最近ユーリ君が落ち込んでいましたから、驚かせようかと思って。ふふ、ごめんなさい」
話しながらエレノアがナターシャを見る。通力は上手くなったがまだ魔力飽和は安定しないらしく、時折腹立たし気に頭を掻きむしっているが、元気なようだ。
「ナターシャさんも元気になりましたね」
「うん!」
ユーリが花の咲いたような笑顔になったので、つられてエレノアも笑みがこぼれる。
「そういえばエレノアの研究室って、なくなっちゃったの? 鍵も変わっちゃってたし」
「はい。研究棟から研究棟に移動しました。私の教官室も兼ねてます。前より広くなりましたよ。あ、ちゃんとユーリ君の荷物も移動しておいたので安心してください」
「ほんとに!? じゃあまた一緒に研究できる?」
「もちろんです!」
「よかったー!」
安心して喜ぶユーリ。エレノアの研究室はもはやユーリの第二の実家のようなものだったのだ。なくなってしまっては悲しいではすまない。
「授業が終わったら来てみますか?」
「いくいく! 絶対行く!」
新しい研究室に胸を躍らせるユーリであった。
◇
「すごい! 広ーい!」
エレノアの教官室兼研究室に来たユーリ。その広さに感動する。
入り口から入って一つ目の部屋は研究室となっており、大きな錬金台や魔法素材の棚などが置かれている。
そして奥にも扉が一つ。
「向こうの部屋には何があるの?」
「向こうが私の教官室ですね。教官になると寮ではなくなるので、奥の部屋で生活することになります」
「すごい! 起きてすぐに研究できるね!」
「まぁ、以前も研究室で寝泊まりしていたのであまり変わらないですけど……」
苦笑しながらエレノアが言う。
「見てみますか?」
「うん! 見てみたい!」
奥の扉を開けるエレノアと、ついていくユーリ。中にはベッド、衣装棚、机、あとは炊事場がある。
完全なプライベート空間だ。
「普通の部屋だね」
「まぁ、ただの部屋なので面白味は無いですね」
仮にも未婚の乙女の私室を見ていると言うのに味気ない感想である。
「これ、合鍵です。これからもいつでも研究できますよ!」
「やった、ありがとうエレノア! あれ、そっちの鍵は?」
エレノアが持っているもう一つの鍵。意匠の施された見覚えのあるその鍵は、
「ふっふっふ、気が付いてしまいましたか。これは何と、学園の用具室の鍵なのです!」
じゃじゃーんと頭上に掲げるエレノア。
「え、え。ということは?」
「そう! 鑑定水晶がいつでも借りられます! そのほかの魔道具だって使いたい放題です! これぞハフスタッター教官の力なのです!」
「すごいすごい! ハフスタッター教官すごーい!」
きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐ二人。果たして分かっているのだろうか。
研究部屋と教官部屋を隔てる扉に鍵はない。
つまり、入り口の合鍵を貰うという事は、エレノアのプライベートスペースにいつでも入れるという事なのだ。
そんなこと微塵も考えていなさそうな二人は、さっそく錬金術の研究を始めるのであった。




