第131話
飛ぶように走って行ったユーリを追いかけて医療室に来たエマとエレノア。
視界に入ってきた光景にエマが驚愕する。
魔法を使う者であれば必ず教えられる禁忌、生体への錬金が行われようとしていた。
ユーリの手元から伸びる触媒の光。それが今まさにナターシャの身体へと今まさに到達しようとしている。
「ユーリ君! 何をしているの!?」
エマとて医療関係に身を置く立場だ。錬金術の禁忌を犯したものの悲惨な末路は知っている。だから以前、ユーリから禁忌を犯したという話を聞いたときに、彼を強く叱責した。
だというのに、彼はまた愚行を犯そうというのか。
「今すぐにやめなさいっ!!」
ユーリに近づくエマ。しかし、
「木の精霊様、蔦を伸ばし彼女を捉えて!」
木魔法。エマと一緒に来たエレノアが床に手をついて唱える。エレノアの手元から植物の蔦が伸びてエマを補足した。細身の女性の力では逃げられない。
「エレノア! 何をするの! 解きなさい!」
「ごめんなさい、エマ教官。だけど、させてあげてください」
「何をやっているか分かっているの!?」
「はい。分かった上で、やっています」
「あなたたち……」
エマが首を動かしてユーリを見る。
自分のことなど意に介さずに、彼は真剣な表情で錬金を続けている。
通力。触媒の光がナターシャへと届き、その体へと入っていく。
なんの抵抗も無い。ナターシャがユーリの全てを受け入れているからだろうか。
まるで蓄熱石を作るときのように、いとも簡単にユーリの魔力がナターシャを満たしていく。
魔力飽和。しばらくの後、ナターシャの身体全てがユーリの魔力でゆっくりと満ちていく。
そして最後に、錬金反応。
ナターシャの身体にイメージを送り込む。心を侵食している悪意を取り除くように。
「……クッ」
出来ない。
長期間に渡ってナターシャの身体に、心に染み付いた悪意を剥がすことができない。
作戦変更だ。
悪意が抜けないのなら、上書きするしかない。
ナターシャの心身を蝕む悪意の上に重ねがけする。夢を、希望を。
「ガッ……アッ!」
途端、ナターシャが苦しみ始めた。
心に根付いた希死念慮とユーリから送り込まれる希望。二つが反発し、細い身体に負担をかける。
ユーリが歯噛みする。
これではナターシャの身体が持たない。錬金が終わるまでに死んでしまう。何とかして身体への負担を和らげねば。
それが出来るのは……熟練の光魔法の使い手だけ。そしてそれは、この場にいる。
「エマぁ!!」
「……ああもう!! 分かったわよ!! エレノア!! 手伝うからこれほどいて!!」
エレノアが蔦を解くと、ナターシャに駆け寄ったエマが詠唱する。
錬金反応の光に、エマの魔法の柔らかな光が重なる。優しくナターシャを包み込む。
表情が少し和らいだ。
「ありがとう、エマ」
「……後で死ぬほど説教してあげる」
「うん」
ユーリは錬金を、エマは光魔法を。
深夜の医療室に柔らかい光が灯り続ける。
……どのくらいそうしていただろうか。
ユーリもエマも魔力が底をつきて来た。
それでも集中力を切らさない。いつ終わるか分からない作業を、全力の集中力を持って続ける。
汗だくのユーリに、歯を食いしばるエマ。
手伝えない事に歯噛みするエレノア。
永遠に続くかと思われた時間は、ついに終わりを迎えた。
ナターシャに送り込んでいた魔力が溢れ出す。錬金反応の終了のサインだ
ドチャッとユーリが床にへたり込む。エマも魔力が枯渇して床に倒れ込んだ。
エレノアが急いで第三級位キュアポーションを二人に飲ませた。消耗した身体が多少は癒えるはずだ。
息も絶え絶えにエマが問う。
「成功したってぇ……思っていいのよねぇ……?」
「ハァ……ハァ……。うん、多分……」
「二人とも、お疲れ様でした」
エレノアがナターシャの様子を伺う。
ナターシャは……生きていた。
光を失っていた瞳は輝き、金の双眸からしずくをこぼしながら窓の外を見つめている。
いつの間にか空は白み、太陽が頭をのぞかせていた。
ナターシャの心に希望が芽生える。
なんてことはない。普通の人が朝起きて、今日は何をしようか、誰に会おうか、どんな一日になるのかと思うだけの、些細な希望。
ここ数年、ナターシャの心に芽生えることのなかった希望という名の活力に、ナターシャが涙を流す。
朝日とは、こんなに美しいものだったか。
錬金術の禁忌は、成功した。
◇
一週間、ナターシャは医療室で過ごした。食事を食べてもあまり嘔吐かなくなり、すこしずつだが体も動かせるようになってきた。
今、ナターシャの中には呪いとユーリの付与した希望が拮抗している。健康な状態とはいいがたいが、それでも以前よりは多少マシになった。
クスリを飲むのをやめれば、呪いはこれ以上進行することは無いだろう。
それと、ナターシャの心身に起こった異変が2つ。
「……本当にごめんなさい」
「ハァ……だから謝らないでって何度も言ってるじゃない。バカなの?」
あの夜から毎日かかさず医療室に顔を出すユーリに、ナターシャがため息を吐いた。
ユーリが謝っているのはナターシャの瞳についてである。
以前は紫と翠のオッドアイだったが、今はその双眸は金色に変わっていた。生体への錬金術による弊害だろう。
魔力の波長も変わってしまったのか、以前は火、水、木、光のクアドラプルであったが、今は光のみのシングルである。それ以外の魔法は使えなくなってしまった。
「僕の錬金術のせいで……」
「だから、バカなの? あなたが錬金術を、禁忌に手を染めてまで助けてくれなければ、私は死んでいたのよ? 命を助けてもらったのに、貴方を責めるわけないじゃない」
「それでも……」
クアドラプルは非常に稀有だ。ダブルでさえかなりレアだというのに、さらにその二つ上。その特性をユーリが消してしまった。
そしてユーリとエレノア同様に、どんな影響があるかは分からない。
「ユーリ、本当にもう謝らないで。私はあなたにとても感謝している。怒ってなどいないし、怒る気などない。むしろ謝られる方が不快なのよ。分かる?」
「……」
そこまで言ってもユーリはうつむいたまま顔を上げない。
どこまでお人好しなのだろうか、この少年は。
聞いた話によると、自分が倒れてからは寝る間も惜しんで研究をしていたらしい。あの夜ももう深夜だったというのにポーションの開発をしていたと言うではないか。そこまで自分の為に身を粉にして頑張ってもらったのに、怒る馬鹿がいるものか。
だというのに、ユーリのこの態度である。
ナターシャはため息を吐き、少しだけ微笑む。
「ユーリ、ちょっと近くに来なさい」
そんな愛らしい少年に手招きをする。
「……うん」
「もうちょっと近くに来て」
「……」
浮かない表情でベッドの横に立つユーリ。申し訳なさそうに伏せられた瞳は、ナターシャの顔を見ようとしない。所在なさげに床を見ている。
ナターシャはそんなユーリの頭に手を伸ばし、自分の胸に引き寄せて抱きしめた。
「……え?」
離れようとするユーリの頭を、離すものかと強く抱く。
「最後にもう一度だけ言うわ。ユーリ、私を助けてくれて、本当にありがとう。貴方がいたから私は今ここに生きている。何度も何度も泉の水を持ってきてくれてありがとう。私の為に薬の研究をしてくれてありがとう。錬金術の禁忌にまで手を染めて、私を闇から救い上げてくれてありがとう。そして……私の友達になってくれて、本当にありがとう。貴方がいなければ、私の心はとっくの昔に闇に沈んで死んでいた。貴方と言う希望があったから、今まで生きてこられたし、貴方が希望をくれたから、これからも生きていくことが出来る。本当に、本当にありがとう」
「……うん」
ナターシャは愛おしそうにユーリの頭を撫で、気づかれないように白い髪にキスをする。
ナターシャに起こった異変の、もう一つ。
彼女はユーリに、恋をした。
いや、まだその感情が恋かどうかは分からないが、愛情を抱いているのは確かである。
呪いのせいで前向きな感情を抑制されていたが、その抑制がなくなった今となっては、ユーリに対して好感を抱かない方がおかしいだろう。
生意気で口も態度も悪い自分に、ここまで寄り添って助けてくれたのだから。
ナターシャは思う。
多分これが、恋なのだろう。冷静に考えれば、ここまでしてくれる異性に恋しない方がおかしいだろう。
まぁでも、この感情を伝えるつもりは無いのだけれど。
一週間前、ナターシャ・ベルベットは死んだ。
あの時から、ただのナターシャだ。
エマによると、領主へは本当に死んだと報告したらしい。めんどくさいことになるかと思ったが、特に追及も無く受け入れられたとのこと。これからは命を狙われることもないだろう。
本来なら悲しむべきことなのかもしれないが、それでいいとナターシャは思う。
肉親を失ったというよりも、足枷が外れた気分だ。
きつく抱いていた腕を緩めると、ユーリはゆっくりと顔を上げた。戸惑っているものの、その顔にさっきまであった悔恨の色はない。
「ようやく目が合ったわね」
「うん。ごめ……ありがとう、ナターシャ」
「危なかったわね。ごめんって言ってたらひっぱたいていたわよ」
「あ、あはははは」
ユーリが乾いた笑いを漏らす。
「それで、私はどうすればいいの?」
「へ?」
唐突な意味の分からない言葉にユーリが疑問の表情を浮かべる。
ナターシャの口が意地悪な形にゆがんだ。
「へ? じゃないわよ。言ったじゃない、私の命をあげるって」
「えっと、それは……」
「『ナターシャの命を僕に頂戴』って言ってたくせに、いらないの? 私に死ねっていうのかしら」
「そ、そんなことないよ!」
「なら、私はもうユーリのものになったのだから、なんでも好きにしていいわよ。もう帰るところもなくなっちゃったのだから」
「えっと、それは、その……」
正確には『ナターシャの命を僕に頂戴』ではなく『ナターシャの命を僕に託して』であったが、そんなことはナターシャにとってはどうでもいい。都合よく過去を改竄している。
ワタワタと慌てるユーリを見て、ナターシャが微笑む。
この感情を伝えるつもりは無いけれど。
だけど少しくらい、異性として意識してもらうのも、悪くはないのかもしれない。




