第130話
エレノアから渡された白い粉、ナターシャの飲んでいるという薬を指先で触りなが、エマはギリと歯を噛んだ。
薬草学に精通しているペネロープに聞いたところ、こんな薬はないとの答えがあった。まさかと思いフィリップに問うと……
『はい、これは闇属性の魔法素材の一部ですね、間違いありません、はい。砕かれてはいますが、呪物に該当します。それもかなり強めの魔法素材ですね。どちらでこれを? ……頂いてもよろしいですか?』
との答えだった。
「子供に、なんてものを飲ませてるのよ……」
ナターシャが飲んでいたという薬は、薬などでは無かった。
それは、細く砕かれた呪物。元が何だったのかは分からないが、決して人が体内に入れていい物ではない。
体内に入った呪物は、身体を、心を蝕む。
精神から生きる力を削いでいくのだ。病気になったわけでもないのに倦怠感を覚え、怪我をしたわけでもないのに身体が痛む。飲み続ければ生きる希望を失い、死に至るのである。
「一体誰がこんなものを……」
夜の医療室で呟くナターシャに、か細い声が帰って来る。
「母よ……」
「ナターシャちゃん! 起きてたの!?」
ベッドに横たわり、しばらく目を覚まさなかったナターシャが、瞳をあけてうつろな目で天井を見つめる。
「母が、私を見て、残念そうに言ったわ。『まだ生きていたのね』って。薄々気がついていたのよ。それが薬なんかじゃないってことに。だって、おかしいじゃない。原因不明の病なのに、母が薬を持っているなんて。でも、信じて飲むしかなかった。母の愛を失ったら、私には何もないから。生きる希望がないから。信じて飲むしかなかった」
瞳から雫が伝う。
「でも、もう終わり。母が私の死を望んでるって、分かってしまった。理解してしまった。はっきりと、認識してしまった。もう私には生きる理由も希望もない。心と身体が死にたがってる。もう、死にたいの」
ナターシャの体が弱っていく。不自然な自然死へと落ちていく。
エマが焦る。血圧が落ち、本当にナターシャが死に向かっていることが分かった。
「駄目よ! しっかりして! 希望はあるわ! これから見つければいい! だから負けちゃ駄目!」
エマの言葉は、ナターシャには届かない。
何か、何か無いか。ナターシャの生きる希望となるものが……
エマが駆け出した。
◇
「ナターシャ!!」
深夜だと言うのにエレノアの研究室で机に向かっていたユーリは、エマから事情を聞いて急いで医療室へと駆けて来た。
窶れたナターシャの顔に一瞬息を飲み、すぐにその細い肩を揺らす。
「ナターシャ! ナターシャしっかりして!」
「……」
呼びかけるも、虚ろな瞳は動かない。
「ナターシャ! ナターシャってば!!」
「……誰?」
辛うじて、声が届いた。闇に沈みかけていた心が少しだけ浮上する。
ピクリと動いたナターシャの手をユーリがきつく握りしめる。
「ナターシャ! 僕だよ! ユーリだよ! しっかりしてナターシャ!」
「……ユーリ? そう。お母様じゃ、ないのね……」
光の戻りかけたナターシャの瞳が、すぐに虚ろになる。
「来てくれるわけ、無いわよね……私に、死んで欲しいのだから」
カラカラに乾いたナターシャの身体から、絞り出すように涙が溢れた。ひび割れた薄い唇を震わせる。
「滑稽よね……信じていた、愛していた母に、殺されるなんて……死を望まれていたなんて……もう生きている意味なんて、無いわ」
「そんなことないよ! 死んじゃだめだよ!」
「ねぇ、教えて。私が妾の子でなければ、ベルベット領主の娘でなければ、違っていたの? 私がただの『ナターシャ』だったなら、幸せになれていたの?」
「ナターシャはナターシャだよ! 他の誰でもない! 今からでも幸せになれるよ!」
ユーリが必死に叫ぶも、その声はナターシャの心に響かない。
「あなたに何がわかるって言うの!? 幸せに生きて来た貴方に!! 私の何が分かるのよ!? おねがい、もう、死なせて! 生きるのが、辛いのよ!」
涙を流し、掠れた声でナターシャが悲痛に叫ぶ。
「だめだよ! いやだ! 生きてくれなきゃいやだよ!」
「どうして!? 私にはもう、何もないの! 生きる意味も希望もないの! これからもずっと、辛いまま生きろっていうの!? お願いだから死なせてよ!!」
「僕がいるよ! ナターシャ、僕がいる!」
「あなたが私のなんだって言うのよ!?」
「友達だよ!!」
ユーリが必死に叫ぶ。
「友達って……そんなことで……」
「そんなことじゃない! 大切な友達だから! だから絶対に死なせない! ナターシャが死ぬなら、僕も死ぬ!」
「あなた、何を言って……」
「だから!! ……だからナターシャの命を、僕に託して」
ユーリは医療室に飾ってあったヒマワリ草の花と葉をちぎり、ナターシャへ散らす。
「必ず、助けるから」
「ユーリ……」
ナターシャは思う。
あぁ、この純粋無垢な少年に命を預けるということは、それはなんと幸せなことだろうか。この心優しき少年に殺されるのであれば、それはなんと暖かい死だろうか。
もう腹違いの兄弟にも、偽善者面して寄ってくる宰相にも、そして実の親にも怯えなくてすむのだ。
どうせ一度は諦めた命。だったらこの少年に託そう。
そしてもし生きながらえたならば、もう一度友達になろう。
今度は本当の友達に。彼に相応しい、胸を張って友達といえる仲になろう。
スゥッと、ナターシャの顔から険が抜けた。
「ユーリ、貴方にあげるわ。私の、命。あなたが、殺して」
「ありがとう。でも、絶対に助けるから」
ユーリが持って来たポシェットからユニコーンの角の粉末と、色無鮫の歯の粉末、そして光のエレメントを取り出す。
いざ、禁忌を始めよう。




