第013話
「ぐっ……はぁ……はぁ……ぅ……」
スタートから一時間ほどだろうか。最初からハイペースで走っていた生徒たちの何人かは歩き始めている。多くの生徒が苦しそうにしているが、一際辛そうなのがナターシャであった。
ナターシャは十七週目、ペースとしては全然早くはない。しかし、病弱な彼女にとってはそれだけでも体に相当な負担がかかる。
苦しいのか、胸を強く握り、息も絶え絶えだ。
あいつはここまでだな、とアルゴは判断し、木陰から身を起こす。大股の徒歩でナターシャに並び、声をかけた。
「あん? てめーはここまでか? 腰抜けが」
魔法学園は治外法権。例え貴族の関係者であっても他の生徒と同等に扱うことが許される。とはいうものの、ベルベット領主の娘にこんな暴言を吐くことに、実は内心はヒヤヒヤのアルゴであった。
「ほんとに走ってんのかよおい。俺が歩くよりおせーぞ?」
アルゴの言葉にナターシャはペースをあげようとして、
「ぁっ……」
足がもつれてコケた。
やっぱりここまでだな、そう思ってアルゴはナターシャを起こそうと手を伸ばす。が、その手は小さな手に掴まれた。
「ぁ?」
「もういいでしょ。彼女、限界だよ」
ユーリである。
「んだよ能無し。文句あんのか?」
「行き過ぎた訓練は逆効果だって、パパ……お父さんが言ってた」
そんなことはアルゴだって分かっている。なので止めに来たのだ。そして、止めようとしたのを、ユーリに止められた。
不幸なすれ違いである。
「何も知らねぇガキが俺の授業に口出しすんじゃねぇよ」
「でも、間違ってる。だったらちゃんと言わなきゃ」
「グダグダうるせぇなぁ! だったらてめぇがこいつの分も走るか!? 83周追加だ!」
「勝手なこと……しないで……」
ナターシャが息も絶え絶えに言うが、ユーリの耳には届かない。
「分かった。あと153週だね」
「分かったって、お前な……」
ユーリは頭の中で計算する。残り約150周、180分。つまり、一周一分で走れば問題ない。
ユーリは足に魔力を込め、爆ぜるように走り出した。
「なっ! おいおいまじかよ……」
7歳の、しかもかなり小柄な方の体型で、あの速度。あり得ない。身体の魔力強化をしなければあり得ない。
あり得ないのだが……
「いや、あり得ないだろ、それこそよ……」
聞いたことがない。十歳にも満たない子供がそんな芸当をするなんて。アルゴが呆けている間に、既にそのペースのまま二周目だ。
「コホッ……コホッ」
ユーリの姿にしばらく呆けていたアルゴだが、足元に蹲るナターシャの声で我に返る。
「おい、立てるか?」
アルゴの声にナターシャは必死に立とうとして、失敗した。
「ったく。ほんと極端だな、お前ら」
アルゴはヒョイッとナターシャを抱き上げる。
「方や虚弱体質のクアドラプル(四重属性)、方や魔法適性無しの体力馬鹿。なんでこんな厄介な二人がいっぺんに入学するかねぇ」
「……いま、なんて……?」
荒く息をしながら、ナターシャは耳にしたことが信じられなくて聞き返す。
「あ? 虚弱体質って言ったんだよ」
「その……後!」
「あぁ、魔法適性無しの体術馬鹿か。なんだ、知らねぇのか? あいつ、魔法の適性が無ぇんだよ。なのにここに入学しやがった」
ほんとイカれた野郎だよ、とアルゴは楽しそうに言う。
「何か知らねぇが仲悪そうだけどよ、仲良くしたらどうだ? 同じ三百点同士じゃねぇか、てめぇもあいつもよ」
アルゴの言葉に、『違う』とナターシャは思う。
自分は確かに虚弱体質だが、動ける。短時間なら走ることも出来るし、数回なら剣も触れる。だから戦闘技術は0点ではない。雀の涙だが、0ではないのだ。
だが、ユーリは自分とは違う。魔法適性無し。それは紛れもなく魔力適性試験の点数が0であるということである。それではどうしようもなく0点なのだ。
昨日、初めてユーリに会ったとき、自分はユーリに何と言ったか。
自分の三百点は、値千金?あなたとは違う?
相手のことを何も知らずに、自分はなんてことをほざいていたのだろうか。
既に吐いてしまった言葉は戻らないし、ユーリが適正無しだったからといって今更仲良くするつもりもない。
だけど、認めようとナターシャは思った。
自分だけが不幸で、自分だけが努力しているという思い上がりを、ユーリが自分よりも頑張ってきた努力家だということを認めようと思った。
認めて、ナターシャはその悔しさをバネにするのだ。
ナターシャが脱落してから一時間。ユーリはついに百周目を超えた。ペースは未だに落ちない。
他の生徒たちは半分ほど脱落し、残っているものもただ歩いているだけだ。
ナターシャは一人黙々と走るユーリを見て、そして震える足で立ち上がった。
「おい、どこいくんだ」
「……走るのよ。一周でもいいから」
走ると言いながらも、ナターシャは足を引きずっている。歩くより遅い。
「いーじゃねぇか。多分あいつ走るぜ、後83周。やらせときゃいいじゃねぇか」
魔力強化しているとはいえ、身体を動かさないことには前には進まない。ユーリはかなり息があがり、汗をかいている。それでもペースは落ちない。ナターシャが走らずとも、ユーリはナターシャの分も走り切るだろう。
「それが許せないから、走るのよ」
ゆっくり、這うようなペースでナターシャは進む。これ以上離されてなるものかと、意地でも止まらずに。
一ミリでも前へと進むのだ。




