第129話
ナターシャ・ベルベットは回想する。
浮かんでは消える思い出は、全て幼少期のものばかり。幸せな記憶が幼少期にしか存在しないから。
幾度となく思い出しては幸せだった頃に思いを馳せる。なんどもなんども、同じ記憶を咀嚼する。
まるで青草を反芻する牛のように。もう味のしなくなった思い出を、原型をなくした記憶を思い出す。
幸せだったあの頃。
四重適性が判明する前までの記憶を。
しかし、もうそんな色褪せた幸せでは対抗できないほどに、心が絶望している。身体が死にたがっている。
多く食べようとすれば胃が痙攣してひっくり返り、運動をしようとすれば喉が塞がったように息が詰まる。
生きようとすることを、身体と心が拒絶してしまう。
原因不明の病。
もう、頑張らなくていいじゃない。
誰にも必要とされていないのだから。
不自由な身体を引き摺って生きるくらいなら。
いっそのこと、さっさと死んだほうが幸せだと思うわよ。
――コテリ
中等部二年になったユーリ。錬金術の授業に参加しているのは、ユーリとナターシャの二人だけだ。
春の陽気が混ざり始める空気に吹かれながら錬金術の授業を受けていると、前の席のナターシャが静かに机に突っ伏した。
「ナターシャ?」
居眠りだろうか。ナターシャにしては珍しいことだ。
後ろの席からユーリが指でつつくも反応はない。
「ナターシャ、大丈夫?」
立ち上がり、細い肩を揺らす。起きない。
「ナターシャ、エマのところ行く?」
少し強めに揺すってみる。ズルリと身体が傾き、重力に逆らわずにその身体は床へと倒れた。
「……え?」
ゴツリと頭を打つも、起きない。まるで、死んでいるかのように。
理解ができず呆然とするユーリだが、すぐに我に返る。
どう見ても意識のないナターシャを抱きかかえ、教壇でウトウトとしているフィリップに叫ぶ。
「エマのところに行ってくる!」
「ハイっ!?!? ……え?」
寝ぼけていたフィリップが肩を跳ねさせて顔をあげるが、もうそこにはユーリとナターシャの姿は無い。
◇
「……とりあえず、息はしてるわ」
「ナターシャ、大丈夫かな……」
「……」
エマはベッドに横になるナターシャを見る。その表情は険しい。
原因が分からない。前回ナターシャが医療室に来たときからいろいろと調べてはいるが、それらしい症状の病もなければ、毒でも無さそうなのだ。
ただ、ナターシャの心と身体が弱っていくのである。
「領主様のお城に、二級キュアポーションないのかな……」
「可能性は低いでしょうね。たとえあったとしても……」
妾の子であるナターシャにそんな貴重なものを渡してくれるとは思えない。
ナターシャの容態と、命に関わるので身内に会いに来て欲しいという内容をしたためた書簡を送ったが、帰ってきたのは『学園に一任する』との一文のみ。
領主にとって、ナターシャは不要な子なのだ。
卒業して勝手に暮らすのならそれでいい、学園で死ぬのならばそれでもいい。
領主の欲を満たすためだけの性行為。その副産物でしかないのだ、ナターシャは。
「とりあえず、ユーリ君はもう帰りなさい」
「でも……」
「君がいても出来ることはないのよ。帰りなさい」
「……」
浅く苦しそうに息をするナターシャをしばらく見て、ユーリは肩を落として医療室を出ていく。
とても自分の部屋に戻る気にはなれず、ユーリはそのままエレノアの研究室へと歩く。歩きながら考える。
医療知識のほとんどないユーリでも、ナターシャがもうあまり長くはなさそうだということは分かった。今から世界樹ユグドラシルの葉を探しに行ったって、帰ってきたときに待っているのはナターシャの墓であろう。
それに、複数人での錬金術の方法は未だ解決策が見えていない。どう考えても間に合わない。間に合うはずがない。
意気消沈して研究室に入ってきたユーリにエレノアが声をかける。
「ユーリ君、今日は早いですね。……何かありましたか?」
「エレノア……」
いつもと変わらぬ笑顔で出迎えてくれたエレノア。こらえていた涙が溢れ出す。
「エレノア、あのね、ナターシャが、ナターシャが……」
泣きながらユーリは話す。友達であるナターシャの体調がずっと前から悪かったこと。
ナイアードの泉の水で少し良くなったこと。
だけど少しずつ体調が悪くなっていったこと。
だからキュアポーションをつくろうとしたこと。
楽観的に考えて、早く動きが出さなかったこと。
そして、もう手遅れになってしまいそうだということ。
「出会った時から、ナターシャは体調が悪そうだったんだ。何年経っても治らなくて……でも、僕はいつか治るだろうって、そのうち元気になるだろうって思って何もして来なかった……もっと、もっと早く動き出すべきだったんだ」
グスグスと鼻を啜り、嗚咽を混じえながらユーリが話す。
エレノアはそんなユーリの頭を撫でながら、微笑んで言う。
「ユーリ君は何も悪く無いですよ。むしろナターシャさんのために色々と頑張ってきたじゃないですか」
「でも! ナターシャがずっとつらい思いをしてたのに、友達の僕は呑気に冒険者や錬金術をしてたんだよ!」
「そのおかげでナターシャさんが今まで生きていられたんですよ。何度も何度も友達のために、重たい泉の水を運んでくれたユーリ君は、褒められはしても責められることはないです」
「でも……でも……」
例えそうだとしても、ナターシャが死んでしまうことには変わりは無い。
己の無力さに歯噛みする。
悔しさで拳を強く強く握りしめて、そして気がつく。
金色に変色した己の爪に。
「……ねぇ、エレノア」
「……なんですか?」
エレノアは問うが、ユーリの次の言葉は聞かなくても分かっていた。
「錬金術で病気を治すこと、出来ないかな」
エレノアが大きく息を吐く。やはり、その考えに至ってしまうか。
「錬金術の五大禁忌、もう忘れちゃったんですか?」
「ううん。覚えてる。生体への錬金は、禁忌だ。だからやる前にエレノアに相談してるの」
ユーリは涙の残る瞳でエレノアを見る。
「そうです。生体への錬金は禁忌です。成功したという文献は残されていません。ユーリ君がナターシャさんを殺してしまうことになるかもしれませんよ?」
「どうせそのままだと死んじゃうんだ。可能性があるなら、やりたい」
「ナターシャさんに恨まれるかもしれませんよ?」
「それでもいい」
「術者であるユーリ君に害があるかもしれませんよ?」
「構わない。ナターシャのためじゃなくて、僕がやりたいんだ。友達を死なせたくないから、僕が僕のためにやるんだ」
まっすぐにエレノアを見るユーリ。その目には迷いはない。固い決意の光。
「……わかりました。じゃあもし、術中にユーリ君に何かあったら、私がその後を引き継ぎますね」
「エレノア、それは……っ!」
言い返そうとするユーリの唇を、エレノアが人差し指でそっと抑える。
「私が私のためにやりたいんです。ユーリ君に止める権利はありませんよ」
「……」
ユーリはなにも言い返すことが出来ない。
そんなユーリをエレノアが抱きしめた。
「ちゃんと相談してくれてありがとうございます。嬉しかったです」
「……うん」
前回は相談してくれなかった。でも、今回はちゃんと相談してくれた。エレノアはそれがうれしかった。たとえ禁忌を犯そうとしていたとしても。
エレノアは抱きしめていた手を離し、パンと一度手を叩く。
「はい! それではナターシャさんを救う方法を考えましょう!」
まるでいつもの、新しい魔導具を考えるときの様な雰囲気で紙を広げるエレノア。
しばし呆気に取られたあと、ユーリが力強く頷く。
「うん! やろう!」
二人は計画的に、積極的に、禁忌に手を染める。
現状、生体への錬金について分かっていることはあまりない。
「僕が自分に錬金しようとした時のことなんだけど、触媒だけだと錬金できなかった。中和剤を使ったら錬金が始まったんだ」
「たとえ自分と同じ波長だとしても、外部から干渉することは出来ないということですね」
「あと、あのときはエレメントだけを使ったからまずかったのかも」
「今は春ですから、少し早いですがヒマワリ草が生えてますね。触媒からヒマワリ草へ、その後エレメントを通ってナターシャさんに通力しましょう」
「送り込むイメージはどうしようかな」
「こればっかりは私達では分からないですね……。エマ教官に症状を聞いて、そこを健康な状態に戻すイメージでしょうか」
「エマも良く分からないって言ってたんだよね」
「それでしたら、身体全体が正常な状態に戻るイメージをするしかないですね」
「分かった。とりあえず読める医療書があれば片っ端から読んでおくね。あと、ナターシャが薬を飲んでたはずだから、その薬からなにか分かるかも」
「では私はナターシャさんの部屋に入らせてもらって、薬をとってエマ教官の元に行きますね。あとしなくちゃけいないのは……」
矢継ぎ早に会話をし、方針を決めるユーリとエレノア。
果たしてナターシャを救うことはできるだろうか。




