第111話
チュン――チュン――
チチチチチ、チチチチチチ
遠くの山から朝日が、顔を出してしばらくたち、水晶樹の森にもようやく朝が来た。
停滞していた空気が流れ出し、少しずつ森が目を覚ます。
早起きなリスや猫たちが動き出し、鹿は寝ぼけ眼で再び夢へと落ちていく。ともすれば割れてしまいそうな程に澄んだ空気の中を小鳥たちが泳ぐ。
水晶樹の森に朝が来た。
「スウゥゥゥゥゥ……」
大きく息を吸い込む音。ここにも一匹、生き物が眠っている様だ。
「ハアァァァァァ……」
この神秘の森に住む生き物の寝顔を見てみるとしよう。一体どんな生き物だろうか。
「スウゥゥゥゥゥ……」
この寝息の大きな生き物の正体は……
「ハアァァァァァ……」
……フィオレである。
最愛の弟の背中にピタリとくっつき、まるで生気を吸い取るかの如く、ユーリの肩甲骨あたりから何かを吸っている。
しかも驚くべきことに、フィオレは寝ているのである。まさかの無意識での所業だ。
「スウゥゥゥゥゥ……ハッ! ……そうだ、水晶樹の森に来てたんだ」
目が覚めたフィオレは身体を起こし、ユーリを起こさない様に伸びをする。
衣擦れの音が聞こえたのか、寝返りをうちむにゃむにゃと口を動かすユーリ。弟のそんな姿にフィオレは微笑み、はだけた毛布を掛け直す。優しく頭を撫でると、ユーリはまた安らかな顔で寝息を立てる。
「ふふ、流石にユーリも疲れたのね。もう少しお休み」
おでこに軽くキスを落とす。
先程まで弟の生気を吸い取っていたとは思えぬほどの美しい所作であった。
レンツィオに作ってもらった土の家から出て、思い切り伸びをする。太陽の具合からして、時刻は朝の6か7刻と行ったところだろう。
早く起きたフィオレだったが、一番ではなかった。
「お、はえぇな」
「レンツィオさん、おはようございます」
朝から訓練でもしていたのか、レンツィオは上半身裸で汗だくだ。短く息を吐きながら、突きや蹴りを放つ。
完成された肉体美に思わずフィオレが見入る。異性の、しかも年上の裸などそうそう見る機会など無いのだ。見ては行けないような気がしながらも目を逸らそうとはしない。
一通り身体を動かし終わったのか、レンツィオがフゥと息を吐いた。
「っし。そうだフィオレ。たしか水魔法使えたよな? 俺に水ぶっかけてくれるか?」
「あ、は、はい!」
呪文を唱え、シャワーの様にレンツィオに水をかける。
「カァーっ! 気持ちいいぜ! やっぱ水が使える奴がいると旅が楽になんなー! もういいぜ、サンキューな」
一通り身体を流したら、今度は己の火魔法で熱球を創り出し身体を乾かす。
野宿とは思えない充実っぷりだ。
二人の話し声で目が覚めたのか、ユーリとオリヴィアも起きてきた。
「んー、おはよ」
「ふあぁ……おはよ。早いわねあんた達」
「てめぇがおせぇだけだろ」
「おはようございます。すみません、うるさかったですか?」
各々挨拶をすませ、あとはポンコツエルフが起きるのを待つだけである。
「あいつ……ちゃんと起きれるかしら……ちょっと待っててね」
オリヴィアが土の家に戻ると、叫ぶような声が聞こえてくる。
「ティア! 起きなさい! もう皆起きてるわよ! 早くしないと時間なくなるでしょ! え!? 何!? ……ここで待ってるって、あんたが危険だからって着いてきたんでしょうが!! 馬鹿言ってないでさっさと起きなさいよ!! あと2時間!? そんなに待てるわけないでしょ! 2分! 2分で起きなさい! 良い!? 起きないと頭から水をぶっかけるわよ!!」
オリヴィアの声が森に響いた。一仕事終えたような雰囲気のオリヴィアにレンツィオが言う。
「てめぇも大変だな……」
あのレンツィオにさえ同情されたオリヴィアであった。
その後、無事に水魔法を頭から被せられたセレスティアが起きてきて、ようやくの出発となった。
◇
コンパスの指針を確認しながら水晶樹の森の奥深くを目指す。とは言っても、獣道のように薄っすらと道が続いているため迷うことは無さそうだ。
「どうして道ができているのでしょうか。獣道にしてはやけにまっすぐですし」
フィオレの疑問にレンツィオが答える。
「定期的に人が来てんだよ。まぁ、大抵の奴は一方通行で帰らねぇけどな」
「どういうことですか?」
「まぁ俺達と一緒だ。ユニコーンの角を探しに来てんだよ。ユニコーンの角は伝説級の素材だ。俺はよく知らねぇが、薬の材料や錬金術の道具になんだよ。運良く一本でも持って帰れりゃ大儲け。一千万はくだらねぇ額を手に入れられんだ」
まぁもっとも、とレンツィオは続ける。
「銅級以下の奴らが来たところで魔物の餌になって終りだがな。一攫千金に夢見た馬鹿がたくさん来て道をつくって、そのまま死んでいく。この道はそんな馬鹿達の片道通行の跡だ。実力のない馬鹿共は水晶樹の森で死んでいくし、実力のあるやつはそもそもユニコーンの角なんて確率のクソ低い物を探しになんて来ない。だからユニコーンの角は供給がすくねぇんだ」
レンツィオはチラリと横目でユーリを見る。
「まぁ、たまには馬鹿で実力もある狂人がいるみてぇだがな」
レンツィオの話を聞きながら歩いていると、木々は段々と少なくなっていき、視界から緑がほとんど無くなった。
此処から先は水晶樹と、その破片が散らばる白銀の世界である。
「じゃあ此処から右か左に進路を変えよう」
そう言って左右を確認するユーリ。しかしどちらも似たような風景だ。進路の決め手となるようなものは無い。
「うーん、どっちにしようかな……」
悩むユーリにオリヴィアが提案する。
「二手に分かれるってのは?」
「だめ。私がいない方、死ぬ」
オリヴィアの意見は速攻でセレスティアに却下された。
「あんた、朝は行かないとか言ってたくせに……」
少し悩んだあとに、ユーリが口を開く。
「どーちーらーにーしーよーおーかーな、てーんーのーかーみーさーまーの、ゆーとーり!!」
流石ユーリ。ここぞというところで前世の知識を活かして来た。
ユーリの指す方は右。天の神様が言うのなら間違い無いだろう。
「何よ今の妙ちくりんな歌は……右でいいのね?」
「うん!」
一行は右に進路を変え、さらに進んでいく。
「ところで、この水晶樹ってなんなのでしょうか」
フィオレが疑問を口にする。水晶樹は樹と名前がついているが、地面から生えてきたとは考えにくい。どちらかと言うと上から落ちて刺さったように見える。
「うんこだ」
「うん!?」
レンツィオの答えに絶句するフィオレ。水晶樹に触れていた手を慌てて引っ込めた。
「うんこっつっても、てめぇが想像するようなもんじゃねぇよ。星喰クジラって呼ばれる馬鹿デケェクジラがいてな。そいつは悠々と宇宙を泳ぎ、星から星に渡るんだ。んで、星をガブリと齧って食べる。そいつが出して落っこちた排泄物がこの水晶樹の正体ってわけだ。だからこの水晶樹はこの星のもんじゃねぇ。どっか遠い星を喰ったクジラが運んできて、ここに出したもんだ」
「信じられないくらい、壮大な話ですね」
「信じられねぇのも無理はねぇよ。ただの言い伝えだしな。まぁでも、エルドラードからずっと北に行った場所には、星喰が喰った跡があるっつー話だぜ。でけぇ湖になってるらしい」
とても現実的ではないが、そういわれると本当のように思える。
「昔、見たこと、ある」
セレスティアからまさかの目撃情報が出てきた。
「何百年前か、忘れた。空が暗くなって、上を見たら、でかいクジラ、いた」
「すごい! 本当にいるんだ!」
ユーリが目を輝かせる。
「錬金術の素材になりそう!!」
「あんたねぇ、錬金術しか頭にないの? 気をつけないとエレノアみたいに……ごめん」
エレノアの名前を出したときにユーリの表情が少し曇り、オリヴィアは慌てて口を塞いだ。
「んーん、大丈夫。よーし、はやくユニコーンの角をさがすぞー! 帰りに水晶樹も少し持って帰ろっと」
他愛無い会話をしながら、水晶樹の森の捜索は続く。




