第010話
学長の話が終わると、クラスの担当教官に連れられて各々の教室へ行く。ユーリは当然『鉛』のクラスである。
教室に入ると黒板に席順が記されている。どうやら席順も成績順のようだ。
よってユーリは窓際の一番後。一つ前の席には病弱な金髪が揺れている。
教壇にはすでに担当教官が来ているようで、くすんだボサボサの青い髪の男が椅子に座っている。歳は20半ばといったところか。
ボサボサの髪が鼻まで伸びているせいで、その目はよく見えない。背は高いが体躯は細く、猫背であり、着ている白衣は汚れている。
覇気のないダメ男。それが彼、ノエル・シュミットの第一印象であった。
「ノエル・シュミットです。一年間、よろしく。えっと、別に各々の自己紹介とか、いらないよね?やりたいならこのあと勝手にしてください」
ノエルは自己紹介しながら紙を配る。
「足りない人はいないかな? じゃあその紙を読んで。流石に文字が読めない子はいないよね? そこに必要事項書いてあるから。もし疑問があれば聞きに来て。無ければ帰っていいよ。今日はそれだけだから」
それだけ言うと、ノエルは分厚い本を取り出して読み始める。
『魔法の基礎』
シンプルなタイトルだ。
あまりに適当なノエルの態度に教室がざわめく。
とりあえずユーリは配られた紙に目を通した。
・学園での一日、一週間のスケジュール
・直近のイベント
・学園の簡単な地図
・守るべき規則
・寮でのルール 等々
配られた紙を読むことでユーリが疑問に思っていたことはほとんど解消された。
ユーリは同じように黙って必要事項に目を通しているナターシャに話しかける。
「ねぇねぇ、ちょっといい?」
「……何よ」
「自己紹介、しとこうと思って。僕はマヨラナ村から来たユーリ。一年間よろしくね」
ユーリの言葉にナターシャは呆れたようにため息をついた。
「自己紹介はいらないってノエル教官が言ってたじゃない。聞いていたの?」
「聞いてたよ。でもやりたいなら勝手にしろとも言ってた」
「私はやりたく無いの」
ナターシャには取り付く島もない。
「でもさ、このままだと不便だよ。君を呼ぶとき何て呼べばいいか分からないんだもん」
「別に呼ばなくていいわよ」
「むぅ」
ユーリは拗ねた。友達が欲しいのである。
マヨラナ村では一人も友達が出来なかったので、いわゆる『学園デビュー』がしたいのだ。
友達をたくさん作るという細やかなデビューではあるが。
「ねぇ。君の名前は?」
ユーリは諦めて自分の右側に座る男の子に話しかける。
「は?い、いや、自己紹介とか、べ、別に必要ねーしっ」
男の子はそう言うと、自分の前の席の男の子に話しかける。ユーリのことを女性とだと思ったのだろう。この年頃の男子は照れからか、女子との接触を過度に避けるのである。
「よ、よお。席も近いし、仲良くしねぇ?」
「うん、いいよ。僕はカルダモ村出身の……」
ユーリの挨拶を拒んだ男子生徒は、なんと他の男子生徒と二人仲良く話し始めたのだ。友達の始まりである。
ユーリの隣の男子は、時々チラチラとユーリの方を気にしてはいるが。
「むぅー」
ユーリは拗ねた。さらに拗ねた。そして悲しくなった。
マヨラナ村では原因不明のハブられにより友達が一人も出来なかったが、魔法学園ではと意気込んでいたのだ。
しかし結果は惨敗。自己紹介さえまともに出来なかった。
「……ねぇ、ねぇってば」
ユーリは再度ナターシャへのアプローチを試みる。しかし。
「話しかけないで」
一蹴。
前の席と隣の席からは拒絶、斜め前の席は他の人と談笑中。
一番左後ろの席が災いして、もうユーリには話しかける人がいない。
「……むぅ」
ユーリは拗ねて、拗ねて、悲しくなって。
「……ふぇ」
泣いた。教室に響かないように静かに泣いた。予想していない事態にナターシャが焦る。
「な、何よ、何も泣くこと無いじゃない」
「と、ともだち、ほしい……」
「友達なんていらないわよ」
「で、でも……」
ユーリは教室を見回す。
男子はユーリと目があっても直ぐに逸して、女子はナターシャをちらりと見た後に目を逸らす。
分からない。ユーリには分からない。なぜ他の人たちには友達が出来るのに、自分にできないのかが分からない。
もしこれが明日だったなら、学園の制服が配られた後の明日だったなら、話は違ったかも知れない。
ユーリが明確に男であると分かっていれば、少なくとも男子の友達は出来たかもしれないのだ。
しかしそうはならなかった。
ユーリが今着ている服は、スカートではないが姉からのお下がり。男の子とも女の子ともどちらとも取れる服装だ。
そしてユーリの身長と顔である。
ユーリ自身と担当教官のノエルを除いて、ユーリは女の子であるという認識で意見が一致していた。
また、ナターシャが平民であれば話は違ったかも知れない。教室の女子生徒は辺境伯の娘であるナターシャが忌避している女子と仲良くなるわけにはいかないのだ。
女子に見えることと、ナターシャが貴族、しかもベルベット辺境伯の娘であることが悪いように作用していた。
しかしそんなことは露とも思っていないユーリには、ハブられている原因がわからない。
ポタポタと涙を流しユーリは立ち上がる。そして
「ともだちに、グスン、なってください!」
なんと、教壇にいるノエルに話しかけた。
これには流石のノエルも呆気にとられ、目の表情は見えないが、ポカンと口を開ける。
しばらくユーリを見ていると、またもみるみるうちに瞳に涙が溜まっていき……
「……ふぇっ」
泣き出す寸前、
「あ、あぁ。いいよ」
ノエルは負けたのだ。
研究一筋、これまで生徒にほとんど興味を示さなかったノエル教官に、年下の友達ができた瞬間であった。