三話 パプリカの焼うどん
うつつでうどんを食べてから早一週間。一週間の早さに驚きつつも、7月の蒸し暑さと息苦しさに押しつぶされそうになる。最近は何かと言って因縁をつけてくる同期からのコピーをとってこいだのコーヒーを入れてこいだの業務の邪魔をされている上に納期が縮まってしまった。何とか納期に間に合わせたけど、疲労感で食欲が沸かない。とぼとぼと最寄り駅から歩いていると、うつつの明かりがついていた。中には人影が見えない。もしかしたら裏で作業か何かをしているのかな。と扉を押すと案外簡単に開いたけど、静かな店内にベルの音が鳴り響く。予想よりも大きな音がして飛び跳ねる。ベルの音に人が入ってきたことに気が付いたあさひさんがキッチンから出てきた。
「いらっしゃい。今日も来てくれてうれしいよ。」
穏やかに笑った彼は前回と同じ場所に案内してくれた。今日はおだしの香りがしない。もしかして今日はうどんじゃないのかもしれない。この間のうどんもちもちしこしこでおいしかったのにな。なんて思っていると目の前に置かれた手書きのメニューには『今日のメニュー パプリカの焼うどん』と書いてあった。食べたことのない組み合わせだけどおいしそう。
「パプリカの焼うどん一つで」
「承知しました。ちょっと待っててね」
キッチンにあさひさんが引っ込んでしばらくして、しょうゆベースのソースの香りがしてきた。焼うどんなんていつぶりだろうか。そんなに食べる機会もないし。とぼんやりしていると、また入り口のベルが鳴り響く。誰か入ってきたのだろうか。と振り返ると目つきのをるそうな学生服の少年が入ってきた。私の一つ席を開けた左隣に勢いよく座る。見つめていたからか、こちらを振り向いた少年がこちらを見て口を開く。
「あ?んだよ。」
「ごめんなさいっ、何でもないです」
失礼なことをしてしまった。そりゃあ、だれでもじろじろ見られたら恥ずかしいよね。と反省をして居心地の悪い沈黙に耐えていると目の前に湯気が立つ焼うどんが置かれる。
「お待たせしました。焼うどんです。…修哉いらっしゃい。ほら、お客さんが怖がってる」
「…ん、今日もあれ作ったから渡しに来た。すんません。怖がらせちゃって。俺、樺沢修哉ッス。たまにうつつにあさひに会いに来るんすよ」
「そうなんですね。私は大山いずみです。たまにうつつにご飯食べに来るつもりだからよろしくお願いします」
「俺のほうが年下なんで敬語なしでいいっすよ。」
そんな会話をしているとあさひさんが目の前にずいっと焼うどんを差し出してくる。早く食べろということなのだろう。ふと、顔を見上げると少し不機嫌そうに鼻に皺を寄せていた。
「いずみさん早く食べちゃって。」
「なにむくれてるんだよ。らしくない」
「うるさい、僕のほうが先に知り合ったのにってだけ」
「お前ら自己紹介もしあってないの?」
からかうように笑う修哉君と不機嫌そうなあさひさんは言い合いを続ける。言い争いを止めようとすると、こちらに目を向けたあさひさんが食べて。とばかりに箸を動かすジェスチャーをしてくる。それに従うように箸を取って一口食べる。醤油ベースの味付けが濃すぎず薄すぎずちょうどいい塩梅だし、いい感じにもちもちの麺に味が絡んで口の中におだしの香りが広がる。パプリカの癖の強い味もよく火を通したからこその甘味もアクセントになっている。ずっと同じ味で飽きやすいはずなのに飽きることなく美味しく食べることができた。
食べ終わり一息つくと修哉君が机の上に可愛らしいラッピングがされた袋を置く。これは何だろうと見ると、それを受け取ったあさひさんが嬉しそうに笑う。
「ありがと、これクッキー?今食べちゃおうか。よかったらいずみさんも食べませんか?お茶ご馳走するので!」
「いや、申し訳ないので遠慮させてください…」
美味しそうだし、たくさん食べたいだろうと遠慮をすると少し渋い顔であさひさんが退路を断つ
「あの、この年になると甘いものがしんどくて…。一緒に食べてもらえると助かります。」
「そう、ジジイは沢山食べれないんだってよ。もう35だから」
あさひさんって同い年くらいだと思ってた。とびっくりしている間にまたギャーギャーと喧嘩を始める二人を止めるように久しぶりに大声を出した。
「あの!甘いもの好きなので頂けると嬉しいです…」
段々尻すぼみになる声に二人の動きが止まった。嬉しそうにうなずくとそれぞれクッキーの包装を開いたり、お茶を入れに行ったりと動き出す。
「うれしいっす。女性の知り合い居なくてずっと野郎にばっか食わせてたんすよ」
くしゃりと笑う修哉君は年相応の可愛らしさがあって思わず撫でたくなってしまったが、それは失礼だと耐える。
「はい、どうぞ。バニラカモミールティー。」
目の前に置かれたティーカップからは少しハーブ独特の香りがした。恐る恐る口にカップを運ぶと、ほのかな甘みと上品なお花の香りが口いっぱいに広がる。思っていたよりも癖がなくて飲みやすい。次にクッキーを手に取る。シンプルな丸い形のそれを口に放り込むとサクッと軽い触感がする。次に舌には甘すぎないちょうどいい味と鼻にはバターの豊潤な香りが広がる。お店に売ってるみたいなクオリティーだ。これ、すごい美味しい!と修哉君を振り返ると真っ赤になりながらこちらをじっと見つめて固まる彼がいた。どうしたのかと首をかしげるとはじかれたように立ち上がり、席を立ってしまった。
「帰るッス。お邪魔しました。」
足早にうつつを去る修哉君の背中を見送るしかできな
「あー、面白い。修哉もまだ子供だな」
なにがあったのかと聞こうとしたが、のらりくくて扉を見つめていると後ろから笑い声が聞こえる。あさひさんが何やら腹を抱えて笑っている。らりと交わされてその日はお茶を飲み切ったら修哉君のクッキーをお土産に渡され帰らせられてしまった。