赫い糸 冒頭部
本編はR18なので「ムーンライトノベルズ女性向け」に投稿しています。続きが気になった方はよろしくお願いします。
葉山 朋美には狂った性癖がある。朋美自身も「まともじゃない」と自覚している。
周囲の人間、主に同僚たちはこのことを知らない。俗に言う「大企業勤めのエリート」たち。そんな彼らは、朋美のことを「二十七才で経理課長になった才色兼備のキャリアウーマン」としか見ていない。
長く真っ直ぐな黒髪が似合う美貌と中学から大学まで陸上部にいた頃と変わらないスタイルは、女性社員でさえ見惚れることがある。
何もかも完璧にこなしてしまう仕事の能力は、男性社員さえ憧れることがある。
朋美もそこしか見せていない。
最初から、何もかも簡単に出来た訳ではない。朋美は新しい知識、技術を身に付けることに努力を惜しまなかったし、苦痛とも感じなかった。向上心や好奇心に任せて生きていたら、いつの間にか今のポジションにいたような気がしている。
「あまりにも隙がない社会人女性」はモテない。男性は尻込みしてしまう。稀に「我こそは!」と自信たっぷりに朋美を誘った男性たちもいた。しかし、皆フラレた。朋美は傲慢な人間を、男女問わず嫌っている。
朋美は、恋愛を大学生の頃にある程度経験し、見限った。大学で数少ない友人の遥香に話したことがある。遥香は、俗に言う「恋バナ」が大好きな女性だったが何故か妙にウマがあった。
「まあ、分かりやすく例えると恋愛は、寿司におけるガリかな……。あったら少し食べるかも知れないけど、なくても全く困らない」
それを聞いた遥香は即答した。
「全然分かりやすくないわよっ!」
二人でケラケラ笑った。遥香との大切な思い出。
大学時代の友人で、今でも連絡を取り合うのは遥香だけだった。
そんな朋美が「狂った性癖を持っている」と自覚している。
三ヶ月前、十一月の日曜日の午前中、朋美は近所のスーパーへ徒歩で食材を買いに行った。一人暮らしなので週にニ回行けば充分だった。
帰り道、天気は薄暗く、雪がちらつき始めた。重いマイバッグを肩に自宅アパートへ向かう。2リットルの緑茶が安かったので、つい買ってしまった。バッグの紐が黒いコート越しに肩へ食い込む。
(クルマで来るべきだった)
そんな事を考えたとき、前方に少女の後ろ姿を見つけた。身長、服装の雰囲気は小学校高学年くらい。半ズボンが見ているだけで寒い。
少女は犬を散歩させている。仔犬ではない。「散歩させている」というより、犬に引っ張られているような光景を微笑ましく思っていた。
不意に、何に反応したのか分からないが、犬が勢いよく走り出した。
「あっ!」
思わず声が出た。
少女はリードを持ったまま転倒してしまった。慌てて駆け寄る。バッグの重さも忘れていた。
「大丈夫?」
膝を曲げ、少女と同じ目線で声を掛けた。犬はその場から動かず、こちらを伺っている。まるで責任を感じているように見えた。
「はい……、大丈夫です」
そう言いながらも、少女の表情は苦痛に満ちている。泣かないのが不思議だった。
膝を見ると擦り傷が出来ていて、血が滲んでいる。付着した砂が赤黒く染まっていた。
朋美はコートのポケットからハンカチを、バッグの底から緑茶を出した。
ミネラルウォーターを買えばよかったと思いながらキャップを外す。
「ゴメンね。ちょっと冷たいし、沁みるよ」
少女の靴下や靴を濡らさないようにハンカチを使いながら、傷口に少しずつ緑茶をかける。
「んっ……、くっ……」
少女は苦悶の表情を浮かべ、声を上げた。泣いてはいない。
(やけに我慢強い子ね……)
傷口の砂は流された。傷口では鮮やかな赤い血が新たに滲み出し、緑茶と混ざり合い続けている。
ハンカチを折り返し、綺麗な面で傷口を押さえた。
「痛っ!」
「あっ、ごめんなさい」
慌ててハンカチを離す。
少女は立ち上がった。
「……もう、大丈夫です。ありがとうございました」
小さく頭を下げ、地面からリードを拾うと散歩を再開させた。犬も安心したのか歩き始めた。
去っていく少女を見送りながら、朋美は絶対に認めたくない感情と戦っていた。
欲情していた。激しく。
ここまで読んで頂けて嬉しいです。ありがとうございました。