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1-4 四つの霊障

 次の日、朝食を済ますとドミニクはミゲル司祭とともに、霊障の起きた順に被害者の元を訪ねた。


 道すがら、ドミニクは「空っぽの女神」について司祭に話した。

「えっ、それは……、この島はもう女神の加護がないと、そういうことなのでしょうか」

 ミゲル司祭は青ざめる。

「最悪の場合、そういうことになるかもしれません」

「それで、女神の代わりに悪霊が……?」

 卒倒しそうな司祭に、「いえ」とドミニクは否定の言葉を掛ける。

「それが、悪霊の気配も感じられないのです。普通ならば、悪霊そのものの気配やその残滓がありますから」

「それはどういう……」

「まだ何とも言えません」

 とにもかくにも、現場へ行ってみないとと、二人は一連の霊障の始まりの家へ足早に向かった。


 島唯一の港の近くにある小さな家が、最初の霊障の被害者宅だった。

 地に足の付いた豊かさが感じられる島で、その家はどことなく陰気な貧しさがあった。

 それというのも、漁師だった家の主人が海の事故で船を失い、おまけに自らも左足に不自由を得てしまったからだ。

 

 そんな家の娘が、第一の被害者だった。

 

 彼女は島の外の裕福な男性に見初められ、結婚が決まっていた。いわゆる「玉の輿」というものだった。

 だが、嫁ぐ前日、彼女は家を抜け出し昔の恋人との一夜の逢瀬の時を持ってしまった。

 

 それはたちどころに夫となる男に知られ、破談寸前となる。

 

 逢瀬の相手の男はルシダ島にいられなくなり、島を出ざるを得なくなったらしい。

「娘は悪霊に惑わされたのです。嫁入り直前の娘に取り憑き誑かすなどと、悪霊の仕業としか思えんでしょう!」

 酒焼けと思われる赤ら顔の父親は、ドミニクとミゲル司祭に言葉を荒げて言った。

「仰ることはよくわかります。ですが、まだそうと決まったわけではありません」

「そうに決まっている! お願いしますよ、修道士様。まだ破談になったわけじゃないんです。相手さんには待ってもらっている状態で……。取り憑いた悪霊を祓っていただけたら、娘は嫁に行けるんです」

 不自由な足を引きずりながらどことなく焦りが感じられる父親の後ろでは、母親やまだ小さな兄弟たちが不安そうな顔をしている。

 

 少々「訳あり」な雰囲気を感じながらも、ドミニクは娘との面会を希望した。

 

 娘は家の最奥の一室に軟禁されていた。

「司祭様……」

 薄暗い部屋で、娘はミゲル司祭の姿を見ると涙をこぼした。

「やあ、マルタ。ドミニク修道士、こちらはマルタ。毎日のように礼拝堂で祈りを捧げていたことからもわかる、女神ルシダへの信仰の厚い娘です」

 マルタはドミニクにぺこりと頭を下げた。

「修道士様、私本当に悪霊に取り憑かれてしまったのでしょうか。これからどうなってしまうんでしょう、私も家族も……」

 そう言うと、マルタは泣きながら嗚咽を上げた。

「それを今から調べます。失礼」

 修道士の身で女性の体に触れることを大主神に対して許可を求める祈りを行ってから、ドミニクはマルタの顎に手を当て少し持ち上げた。

「修道士様……?」

「マルタ、私の目を見てください」

 マルタの涙で濡れた黒い瞳を、ドミニクの青い瞳が真っ直ぐと見つめる。

 

 悪霊は瞳に宿る。

 

 しかし、マルタの瞳に悪霊がいる気配も、かつていた気配もなかった。

 失礼、と再び言ってからマルタから手を離す。

「いかがでしたか、ドミニク修道士」

 ミゲル司祭は小さな声でドミニクに尋ねる。

「マルタの悪霊は……」

「いえ。それが」

 ドミニクは曖昧に答えながら、首を捻る。

「マルタ、あなたに『悪霊が取り憑いた』時のことを詳しく話していただけますか?」

「あっ、はい」

 両頬を手で押さえ顔をぽっと赤くしていたマルタは、我に返ったようにその時のことを話し始めた。


 嫁ぐ前夜。

 マルタは自室に置いている女神ルシダの小さな神像へ祈っていた。

 すると、ルシダナの花の香りがした。

「部屋に花は飾っていましたが、その香りがとても強くなった覚えがあります。そして……」

 マルタは突然夢を見ているかのようになったのだと言う。

 体はふわりと軽くなり、空を飛ぶように足は軽い。まるで踊るように彼女は部屋の窓から外へ出た。

 誰もいない夜の島に、月明かりに照らされたルシダナの花がとても美しい。

 薄紅色の光に包まれふわふわとした意識の中、マルタがたどり着いたのはかつて恋人だった男のところだった。

「私、結婚が決まってからは彼にはもう二度と会わないつもりだったのに……。あんなことになってしまって……。修道士様、父の言う通りやっぱり私は悪霊に……」

 わあっと泣き出すマルタを、ミゲル司祭はなだめた。

 ふむ、とドミニクは何かが引っかかるのを感じた。


 マルタの家を後にし、次は放牧地に面した家に向かう。そこが第二の霊障の現場だ。

「マルタとご家族の前では言いにくかったのですが」

 放牧地の間の道を歩きながら、ドミニクはミゲル司祭に気になっていたことを尋ねた。

「もしや彼女の結婚は、実家への支援も含められていたのではないですか?」

 ドミニクの言葉に、ミゲル司祭は言葉を迷っているようだった。

「ええ……。その、実は、マルタの父はあの足ですから、もう船の仕事は出来ません。下の兄弟もまだ幼い。借金ばかりが重なっていたところへ、生活の面倒を見てくれる存在が現れたのですから、マルタも両親もその話に乗ったのです」

「彼女も同意だったのですね?」

 ええ、もちろんと司祭は頷く。

「優しい娘ですから。島民には身売りだなどと陰で言う者もおりますが、この結婚であの家は上手くいくはずだったのです。ですが、何が一番幸せかとは難しい問題です」

 そう言って、ミゲル司祭は困ったような笑みを浮かべた。

 

 第二の被害者は、牧羊家の十三歳の息子だった。

「その、本当に恐ろしいことで……」

 うつむく息子当人を真ん中に、彼の両親は激しく言葉を濁す。

「こんなお話、修道士様にはしたくないのですが……」

「私は神の忠実な僕です。神は我々の全てをお許しになります。どうぞ、お話しください」

 ドミニクが促しても、両親はなかなか話し出さない。よほど恐ろしい霊障だったのだろう。仕方なく、詳細を知っているミゲル司祭が代わりに説明をした。

 この少年は、飼っている羊と「まぐわった」のだ、と。

 

 つまり、獣姦したのである。


「もう情けなく恥ずかしい限りで……!」

 母親はむせび泣き、父親は怒りで震えている。当の息子は黙ってうつむくばかりだった。

「私たちの目を盗んで羊と……! これは悪霊の仕業でしょう?! マルタに取り憑いた悪霊がうちの息子にも取り憑いたのでしょう?!」

 父親がそう叫ぶと、突然家の窓と扉がガタガタと激しく揺れだした。

「悪霊か?!」

 ミゲル司祭が叫ぶ。

――いや、違う。

 悪霊の気配は全くなかった。

 揺れが収まってから、ドミニクは少年の瞳を覗いてみたが、そこにも何もなかった。

 くれぐれも祈りを欠かさないように、と牧羊家の一家に言い聞かせる司祭とともに、ドミニクは腑に落ちないものを感じながら三件目の現場へと向かった。


 第三の現場は、島の集会所だった。

 ルシダの花祭りが今年も無事に終わったことを祝い、港を仕切る顔役を始め若い衆が集まり毎年恒例の打ち上げを催したのだという。

 

 そこで惨劇が起きた。


「酒が入っていたとは言え、まさかこんなことがと思いましてね。漁師の娘や羊飼いのところの倅の話を聞いていますもんで、これも悪霊のせいだとしか思えないんですな」

 顔役は話した。

 例年打ち上げで、港で働く荒くれ者の若い衆たちが浮かれて少々羽目を外すことは任侠の顔役がいることもあり許されてきた。

だが、今年は許されざることが起きたのだ。

「まあ、早い話、乱交ですわ。もう大乱交。司祭様と修道士様には言いにくいことですが」

 顔役は髭をいじりながら小さく笑う。

「で、司祭様に言われた通り、その時その場にいた奴らを全部集めておきました」

 顔役の言う通り、集会所にはその時その場にいたのであろう面々が揃っていた。

「ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」

 ドミニクは顔役に尋ねる。

「はい、何です?」

「お揃いの皆さんは全て男性ですが、これで全員ですか?」

「ああ、そうです。あの時は男しかいませんでしたから。まあ、そこが問題なんですわな」

 顔役は低い笑い声を上げた。

 

 集会所には、港の労働で鍛えられた若い男たちの熱気が籠もっていた。

 集会所にも、顔役や若い衆にも、「もちろん」悪霊の気配はなく、ひとりひとりの瞳を確かめてみても、それは同じだった。

 ただ、顎を取り眼を見つめてくるドミニクに、若い衆たちはなぜか皆息づかいが荒かった。

「修道士様、今夜あんたの歓迎会をしようかと思いついたんだが……。せっかく遠くから島のためにおいでくださったんだ……」

 ドミニクに瞳を覗かれながら、顔役は唾を飲み込んで言った。

「あんたえらい色男だし、盛り上がると思うんだよ……。わしもこいつらも男同士なんて初めてだったが、フフフ、ええもんですよ……」

 顔役はもう一度唾をゴクリと飲み込む。

 若い衆も「いいっすね!」「ぜひ来てください!」と言い出したが、割って入ったミゲル司祭が丁重に断り熱気むんむんの集会所からドミニクを連れ出した。

「もう本当に、恐ろしいことばかりです。憎き悪霊め……」

 ミゲル司祭は小声で神に祈りを捧げた。

 しかし、悪霊悪霊と言っても、その悪霊の気配が全くないのだ。

――見えてきた気はするが、まさかそんなことは。

 腕を組んで考えるドミニクを、ミゲル司祭は四件目の現場へ案内した。


 四件目の被害者は島の長老八十五歳。

 これまでは死に至るような霊障被害はなかったものの、年齢が年齢と言うこともあり、長老は九死一生を得たのだという。

「何しろ、その、父の『それ』は三日三晩……」

 口ごもる長老の息子。

 そんな息子を押しのけ、当の長老が叫ぶ。

「わしのイチモツが復活したんじゃ! それはもうガチガチのバキバキに!」

 そう言い切った長老の目は恍惚としていた。

 長老と息子が言うとおり、齢八十五歳の長老の陰茎は三日三晩勃起し続け、そのせいで体に負担がかかり、長老は命の危機に直面した。

「わしはまだまだいけると思いました。ばあさんが生きていたらさぞ喜んだだろうに……。修道士様もそう思われんかね」

 自らの瞳の中に悪霊を探すドミニクに、長老は語りかける。

「夫婦和合はとても大切なことです、ご長老」

「でしょう!」

 ガハハ、と笑う長老を息子がたしなめる。

「父さん、恥ずかしいことを言うのはやめてくれよ! 死にかけたんだぞ!」

「何が恥ずかしいものか! これで死ねるなら本望じゃ!」

「ああ、本当に悪霊とは恐ろしい。修道士様、早く父に取り憑いた悪霊を祓ってください!」

「お前、何が悪霊じゃ! 罰当たりなことを言うな! これはな、女神ルシダのご加護だぞ! 産まれてより八十五年、祈りを欠かしたことのないわしに女神ルシダが授けたご加護だ!」

「頼むからもうやめてくれ!」

「女神様だ! 修道士様、これは女神様のご加護ですぞ! ああ、女神様、もう一度わしに力を!」

 長老の爛々とした眼に、やはり悪霊の気配はないのだった。


ここを書いているとき、ゴールデ○カムイのラッコ鍋回をふと思い出しました

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