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1-2 教会へ

 船に乗せてくれた船頭と別れ、ドミニクはこの島唯一の教会へ向かった。

「くれぐれもお気をつけてくださいよ、修道士様」

 船頭は陸の人間らしかった。

 心配する言葉をドミニクにかけると、ルシダ島には関わりたくないかのように彼はいそいそと船を引き返した。


「……さて」

悪霊による霊障かどうかを調べるのがドミニクの仕事だ。

 駐在司祭がいる教会は丘を越えた向こう、島の中央にあるらしい。

 小さな港の船着き場から出発し、小高い丘を昇る。

 丘の頂上からは、島が一望できた。

 羊毛とチーズが島の名産であるのを表すかのように、島のほとんどは放牧地で占められ数え切れないほどの羊と山羊が草を食んでいる。

 その隙間に島民が住む家々が点在していた。どれも綺麗な赤い屋根と白い壁を持ち、島の牧歌的な雰囲気を演出していた。

 年に一度のルシダの花祭りの時には多くの巡礼者で賑わうが、それ以外のルシダ島の日々はのんびりした田舎の小島にしか過ぎないようだった。

 

 ただ、異様なのはルシダナの花だった。

 

 女神ルシダを称えるため、島のあちこちに植えられたルシダナの木々の枝に咲く薄紅色の大きな花。

 もうとうに開花時期は過ぎているはずなのに、その勢いは衰えてはいないようだった。

 そしてその香り。

 むせかえるようなその芳香は、蠱惑的でもあった。

 この香りに「当てられる」者もいるのかもしれない。

 など考えていると、ふと背後に何者かの気配が走った。

 ドミニクが振り返ると、誰もいない。ルシダナの花が揺れ、羊と山羊の呑気な鳴き声がするだけだった。

――今のは……。

 例の悪霊だろうかと一瞬思ったが、悪霊のそれとは気配が全く違った。

 疑問に感じながらも、ドミニクは丘を下り教会へと向かった。

 

 教会へ着き、駐在司祭に挨拶をしようとしたが誰もいなかった。

 敷地内にある司祭の自宅の扉を叩いても応答がなく、女神ルシダの像が安置された礼拝堂へ向かうところでひとりの女がドミニクを呼び止めた。

「もし、ドミニク修道士様でございますか?」

 教会のすぐ隣の家の玄関から、若い女が出てきた。側には彼女の子供であろう、五歳くらいの女児が付いてくる。

「はい。崇聖省調査局から参りました、ドミニク・クルスと申します」

 やっぱり、と女は水仕事でもしていたのか、エプロンで手を拭きながらこちら側へ小走りにやってくる。

「お早いお着きでしたのね。ミゲル司祭様はおでかけ中なんですの」

 陸からルシダ島への連絡船は一日に一往復である。

 船着き場でその船の出発を待っていたところ親切な船頭に声を掛けられ、彼の船に乗せてもらったのだとドミニクは軽く説明をした。

「そうでしたのね。わたくしはマリアンヌと申します。清掃やお食事の支度など、教会のお手伝いをさせていただいております。こちらは娘のジャンヌです」

 マリアンヌと名乗った女は微笑みながらも、どことなく少し疲れて見えた。

「こんにちは、ジャンヌ」

 長身をかがめてドミニクが言うと、おとなしそうなジャンヌは母親の後ろに隠れた。

「まあ、この子ったら」

 咎めながらも、マリアンヌは娘の髪をそっと撫でた。

「ミゲル司祭様はすぐにお戻りになります。それまでどうぞ礼拝堂でお待ちください」

 そう言って礼拝堂へとドミニクを案内しようとするマリアンヌの背後に、一瞬だけ薄紅色の煙のようなものがよぎった。

 思わず眉間を寄せるドミニクに、マリアンヌが「いかがなさいました?」と問うたが、彼は首を振った。

「いえ。何も」

 ドミニクが微笑むと、マリアンヌは不思議そうに首を傾げた。

 

 マリアンヌとジャンヌが去ってから、ドミニクは静かな礼拝堂の椅子に腰を掛けた。

 礼拝堂の祭壇の中央には、女神ルシダの像が鎮座している。

 長い髪を持ち、幾重にもドレープが流れる優美なローブに身を包んだ美しい女神は眼を閉じて、何者も拒まず受け止めるかのように両腕をこちら側へ向けて広げている。

 彼女の足元にはまだ新しいルシダナの花が捧げられていた。

 しかし、どうもおかしかった。

――「空っぽ」だな。

 通常、神像には神か女神が「入って」いるはずである。

 聖国教会が唯一神である「大主神」の分霊である「神」や「女神」と定義しているのは、もともとは精霊であったものだ。

 最初は生まれたての赤子のような精霊は、人間によって作られた「神像」に宿り、数多の人々の信仰と祈りによって次第に神格化し自我を持ち、「神」や「女神」と呼ばれる存在になる。

 

 だが、この女神ルシダの像にはその気配がなかった。

 

 神、女神、そして精霊の気配を感じ取ることができるのは、ドミニクのように強い霊力を持つ者にしかできない。おそらく、一介の駐在司祭であるミゲル司祭にはそのような判断はできなかったのだろう。彼が寄越した報告書には、女神ルシダ像の異変についての記述はひとつもなかった。

 如何したものか、と首を捻っていると、ルシダナの花がひときわ強く香り、先ほどマリアンヌの背後に見た薄紅色の煙がドミニクの目の前に漂った。そして、丘の上で感じたあの「気配」。

 薄紅色の煙を眼で追うと、眼を閉じているはずの女神ルシダが瞬きをしたように見えた。

――錯覚か? それとも……。

「お待たせして申し訳ない」

 その声に我に返ると、薄紅色の煙も消え去り、女神ルシダは再び眼を閉じていた。

「遠路はるばるようこそ。歓迎致します、ドミニク修道士」

 急いで来たのか、ミゲル司祭はにこにことしながらも息を切らしていた。

 二人は聖職者同士の儀礼的な挨拶を忘れずに済ませると、礼拝堂を出て教会へ併設された司祭の居宅へ向かった。

 

 ミゲル司祭は小太りでいかにも人の良さそうな地方の中年駐在司祭だったが、ドミニクの持つ聖国教会の紋章の入った革のトランクと、腰のベルトに下げた崇聖省調査局の修道士であることの証明であるメダルを確認することは怠らなかった。

「至極たちの悪い悪霊です。霊障は今のところ四件ですが、五件目がいつ起きるやら……」

 ドミニクを客室へ案内しながら、ミゲル司祭は溜息を吐いた。

「実際の被害は如何程なのでしょう」

 ドミニクは尋ねる。

「口にするのもはばかられる、まことに情けないことばかりですよ。ほんの少し前まではこのルシダ島はそれはそれは穏やかで美しい島だったのに……。私はここへ来て三年になりますが、そういったことは一度もありませんでした。悪霊は心の弱さにつけ込みます。惑わされず大主神と女神ルシダへの祈りを熱心に行い自らの魂を磨き上げればおのずと悪霊などは去るものなのでしょうが……」

 ミゲル司祭は再び大きな溜息を吐く。

 

 とは言え、祈りだけではどうしようもないから調査局からドミニクが派遣されてきたわけである。


「外でも、この島のことは噂になっているでしょう?」

 ミゲル司祭は不安そうな眼をドミニクに向けた。

「ええ、まあ。どうやら」

 船頭とのやりとりを思い出しながらも、ドミニクは曖昧に答えた。

「来年の花祭りまでには何とかおさまってくれるといいのですが」

 羊毛とチーズが貴重な収入源であるこのルシダ島にとって、年に一度のルシダの花祭りで巡礼者が島へ落としていく金銭は馬鹿にならない。

 現にこの教会も、地方にしては綺麗に修繕され整えられている。港からここまで歩いてきた道のりでも、島の豊かさが感じられた。

 ミゲル司祭の言葉は、それらを含めてのものだったに違いない。

 ドミニクもそういったことにはもちろん理解はある。残念ながら信仰と金は切っても切れない関係があるのだ。俗世とはそういうものだ。


 客室へ荷物を置くや否や早速、ドミニクはこの島の地図をミゲル司祭に所望した。

「少し休まれては? お疲れでしょう。まずはお茶でもいかがです」

 ミゲル司祭は気遣いを見せたが、ドミニクは遠慮した。

「いえ、こういったことは早過ぎて良くないということはありませんから。それに気になることも多い」

 ドミニクがきっぱりと言うと、司祭は「ははあ」などと何とも言えない言葉を発した。

「頼もしい限りです、ドミニク修道士」

 ミゲル司祭はそう言ったが、どことなく「めんどくさそうな奴が来たな」という雰囲気を隠し切れてはいなかった。


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