悪役令嬢は夢を見ない
「ルーナ!」
ノックもせずに入ってきた人物を一瞥し、持っていた紅茶を口に含む。その後、ゆっくり息を吐き出し声を荒らげる人物へ仕方なく、視線を向けた。
「そんなに慌てて、どうなさいました?」
激しい怒りを抑え込むのに必死な人物は、私の様子に大層不満なようで拳を握る手に力が入っている。
ーーまあ、理由はどうせあの人のことでしょうけど。
「また、ユリシアを虐めたそうだな。」
そう考えていた間に、発せられた人物の名前が案の定、当てはまってしまい、ため息が溢れ出す。
ーー私の周りには、理性がないものが多すぎる。
もう一度、出そうになるため息を紅茶で飲み込もうとすれば、その様が気に入らなかったようでカップをはたかれた。
はたかれたカップは床に打ち付けられ、綺麗に割れた。その様子に、この部屋の主人であるルーナは静かに立ち上がる。
「マルクス殿下。」
名前を呼んだだけで震え上がるその様に、内心鼻で笑う。
「ユリシアを虐めたでしたか。ふふ。」
「何が可笑しい。」
「だって可笑しいではありませんか。何故、私がユリシアを虐めなければならないのです?」
「そんなの、嫉妬に決まって。」
「誰への嫉妬ですか?」
「私が、ユリシアばかり構うのに嫉妬しているのだろう?」
「ふふ、殿下、おかしなことおっしゃらないで下さいな。どうして、好いてもいない、ましてや婚約者でもない殿下のために嫉妬するのです?」
「な、何を言っている。私とお前は婚約者同士で。」
「あら、訊いておりませんの?私と殿下の婚約はとっくに解消されていますよ。あ、もちろん円満に解消しているのでお気になさらず。」
「そんなわけ...。」
「殿下が、この間おっしゃっていたではないですか。どうせなら、私より妹のユリシアがよいと。だから、お父様に頼みましたの。お父様からしても家と家との繋がりのための政略結婚、どちらでも良さそうでしたわ。」
王家と公爵家の繋がりを強固とし、保持するための政略結婚。年齢が同じというだけで決まった婚約者。なので別に私がなろうと妹がなろうと関係ない。王家に入替を頼んだ時も二つ返事だったと訊いた。
「お前は、私のことを好いていただろう。」
部屋に入ってきた勢いはどこへ行ってしまったのか。俯き、覇気の無い言葉が返ってくる。彼は何が言いたいのだろうか。私が好いていた?だからなんだと言うのか。
ーー今更、それを言ったところで。
「殿下、ユリシアとの婚約おめでとうございます。」
そう言えば、情けない顔がこちらを向く。その表情の意味がわからない。あれほど愛を囁いていた女性との婚約が整ったというのに。
「私は、ユリシアと結婚したかったわけでは、ただ....。」
「何を、おっしゃっているの?あれほど一緒にいたではないですか。」
そのおかげで、私は二人の仲を引き裂く悪役令嬢なんて言われているのよ?最近では私が妹のことを虐めているなんて言われ始め、殿下にも「虐めなど最低な行為だ。」「お前が婚約者なんて恥ずかしい。」と、一方的に言われる始末。
まず、どうやって虐めるというのよ。学年が違うため校舎も別、過ごしている寮も別で会う機会なんて中々ない。会ったとしても貴族が通う学校のため、ありとあらゆる所に監視するための物が設置されている。それを確認できる教師陣から呼び出しを受けていない。それを知っていればわかることだろう。
「殿下、そろそろユリシアの元へ帰られては?」
「お前は、私のことを愛していたのではないか?だから、嫉妬してユリシアを虐めていたのでは....。」
「殿下...私、何度も言いましたわ。証拠があるのか、私はそんなことしていないと。」
「しかし、皆が...。」
「殿下は私以外のことなら信じるのですね。お帰りください。それと虐めたなどおっしゃるならしっかりとした証拠をお持ちください。証拠がありましたら、こちらもそれ相応な対応をいたします。」
ーーまあ、ないでしょうね。虐めなどに使う無駄な時間はないのだから。
何かを言うことを諦めた殿下は、来た時と真逆な様子でドアを開ける。
「最後に、尋ねたい。今はもう、私のことをなんとも思っていないのか?私と結婚することが夢だと言っていたではないか。」
「殿下、もう夢を見るような歳ではありませんわ。」
そう告げれば、殿下の顔が悲痛に染まる。そして、何かを言おうとし、諦め静かにドアが閉められた。
◇
夕方の光が差し込む窓から一台の馬車が、出ていくのを見送る。
「殿下、愛しておりますわ。」
そう言って、ルーナは静かにカーテンを閉めた。
誤字報告ありがとうございます!