5.ししょ
そこにはちゃんと、師匠リーリアがいた。
艶やかな黒髪は長く、すらりとした体型。
十代後半に見える彼女は少女と呼んでもいいくらいで、とても美しい女性だ。
そんなリーリアは今、その可憐なかんばせに心配の色を乗せ、両手を祈るように組んでこちらを見ていた。
椅子から立ち上がり、その視線は見えるか見えないかという位置にいるアネットを注視している。
「ししょ?」
階段の踊り場で四つん這いになって階下を覗き見ていたアネットはリーリアがそこにいたことにほっとし、何の気なしに師匠リーリアを呼んだ。
その声は小さく聞こえはしなかっただろうに、リーリアはもう我慢ならないという様子で一歩踏み出そうとした。
その様子に。
「だめ!」
アネットは弾かれたように叫んだ。
子どもの声は高く、キンと耳鳴りがするほどの声が響く。
「で、でも、アネット」
「だめ!」
階下から弱弱しく発された師匠リーリアの声はアネットの再びの大声にかき消された。
アネットは知っていた。
大きな声で止めなければ、師匠リーリアはすぐに駆け付けてきて、階段下で両手を広げるだろう。
すると、魔法がかかったかのように、いや、実際に優れた魔法使いである師匠リーリアの無詠唱魔法によって、自分の体はふわりとリーリアの胸へ浮かび飛んでいくことになってしまう。
今のアネットは、やる気に満ちていた。
これまで一度だって許されなかった”ひとりでかいだん”が、今なら最後まで完遂できると思えたからだ。
何よりここで半分まで頑張った努力が無に帰すのは避けたい。
「危ないよ、アネット」
「できるもん!」
アネットの、大きな決意の声がこだました。
そんなアネットの様子にしばし驚いたようなリーリアだったが、こちらも決意したように組んだ両手にぎゅっと力を籠める。
彼女はしばし思い詰めるように黙り、それから、ひとつだけ頷いた。
「そ、そばで見てる」
それは、信用ではなかったものの、リーリアからの許可だった。
アネットはリーリアのその言葉に完全な満足感は得られはしなかったが、自身が一歩成長することを認められたのだと思えて気持ちが高揚した。
「ししょ! みてて!」
「くれぐれも気を付けてね」
師匠リーリアはそっと、そして確実に階段へと近づく。
まるで大きな音を立てればそこからアネットが落ちてしまうとでも思っているような慎重さだった。
リーリアの移動に合わせて、アネットは四つん這いの姿勢から立ち上がった。
そして、両手を腰に当て、胸を張る。
階段の踊り場で仁王立ちしたアネットは、階下のリーリアにその堂々とした姿を見せつけた。
この、全身から立ち上る自信を、熱気を見よ。
「ああ、お願いだから手すりに掴まって……」
ひええ、と、師匠リーリア悲鳴のような声を零した。
その手は持ち上げられたまま、頼りなさげに空を掻いていた。