11.よいこと
「ししょ、あのね」
アネットは勇気を出して話しかけた。
緊張や畏れはない。
だって、相手はアネットが一番身近で一番信頼しているリーリアなのだから。
先ほど、師匠リーリアはアネットの作り出した”かたまり”を不思議そうに見ていた。
アネットは聞きたかった。
自分が魔法を習い始めてから初めて目に見える形で現れた”かたまり”は、果たして成功なのか失敗なのか。
難しい顔で塊を見ながら考え込んでいたリーリアの様子からは、それが読み取れなかったのだ。
アネットは、リーリアの口から今日の自分の成果を確認したかった。
アネットの言葉の続きを待つリーリアは優しくアネットの頭を撫でてくれている。
「あのね、かたまりでたでしょう」
「? そうだね」
「かたまりでたの、アネのてから、でた」
アネットが言葉を尽くし懸命に伝えると、不思議そうに聞いていたリーリアもやがてアネットが聞きたい内容をおおよそ察してくれたようだった。
リーリアの表情が柔らかくなる。
「そうだね、出たね。魔法使いの第一歩だ」
「!」
リーリアの表情は優しくて、頭に添えられた手は偉い偉いとアネットを撫でる。
その表情と雰囲気から、どうやら”かたまり”は良いもののようだとアネットは分かった。
「まほう!」
「うんうん、魔法だ」
頷いて見せたリーリアは、それから何か思いついたようでアネットを撫でていた手を止めた。
そのまま両手でアネットの手を拾い上げ二人の間で包み握りこむと、アネットをまっすぐ見て悪戯っぽく笑んだ。
「火の精霊に味見してもらおう」
「あち?」
「そう、アチチな火の精霊さんに、アネットの塊を見てもらおうね」
「!」
そう、今日の魔法教室の目標は火の精霊を呼ぶことだった。
では、火の精霊を呼ぶのに必要な火の魔力、それにアネットの塊が足るのかどうかを試してみるべきだろう。
魔素の魔力化すら何年もの修行を必要とするはずの世間の常識からすれば一足飛びにも過ぎる魔法指導であったが、ここにはそんなことは知らないリーリアとアネットだけ。
それを指摘できる者はいない。
二人は嬉しそうに塊、二人の間で”魔法塊”と呼ぶことにしたそれを使ってみることにしたのだった。
* *
「せいれいしゃんくゆ?」
「来るよ、きっと」
リーリア特製のお弁当を食べ終えた二人は、再び開けた場所に立っていた。
先ほど魔法教室を始めたときと違うのは、アネットの小さな手の平の上に魔力塊が乗っていること。
リーリアは「まずは見本ね」と言い、片手を掬うように宙に滑らした。
たったそれだけでリーリアの手には赤く揺蕩う火の魔力が纏われている。
ただ自然に差し出されたリーリアの手に液体のような魔力が纏わりつくのをアネットは不思議に思った。
零れそうなのに、零れない。
「アネットはイメージが出来上がるまでは両手で掬うようにしていようね。慣れれば零さなくなるからね」
リーリアの説明に頷くアネット。
お水のようでお水ではないらしい。
「じゃあまずは私の魔力をあげてみて。はい、手を出してね」
「あい」
リーリアが両手をおわん型に合わせるのを見て、アネットも真似をして魔力塊を乗せたままの両手をおわん型にする。
リーリアはアネットの手の上に自身の手を持っていって傾け、上から注ぐように赤い魔力を注いだ。
先ほどまでリーリアの手から離れなかった赤い魔力が水そのもののように流れて落ちてくるのをアネットは目をまんまるにして見ていた。
「うふふ、アネットおくち開いてる」
口がパッカリ開いてしまっていたことに気づき、慌てて口を閉じるアネット。
その勢いで両手に注がれている魔力が少し跳ねた。
「ぬくぬくだ」
「温度は変わらないはずだけどなあ。アネットは私より魔力感度が良いのかもしれないね」
「よいこと?」
「良いこと良いこと」
『よいこと』はアネットが時々使うおませさんな言葉遣いだ。
教会かどこかで聞いた固い言い方が気に入ったらしい。
魔力は魔素を変質させたもので、本来であれば質量も質感もないはずのもの。
それに温度を感じるというアネットの感覚は、魔力の色などの見た目から引き起こされた錯覚なのかもしれない。
けれど、独学で魔法を覚えたリーリアにとってはそれを絶対とは言い切れなかった。
もし自分よりも敏感に魔力の性質を感じ取っているのなら、それは魔法使いとしてのセンスが良いのだろうとリーリアは思った。
それに、魔法使いが魔法を行使する方法は様々だ。
アネットにはアネットの魔法の感じ方、魔力の感じ方があって良いのだとリーリアは思う。
アネットの両手へと魔力を注いでいたリーリアは、ある程度のところでそれを止めて手を振った。
リーリアの手に残っていた魔力も魔素へと散って消える。
それから、アネットが零さないようにと必死に両手に溜めている赤い魔力へと指を差し入れた。
やはり温度は感じなかった。
リーリアは魔力の中から、底に沈んでいた魔力塊を取り出した。
リーリアの作った火の魔力はどこまでも純粋だ。
しかし、それと影響し合ったような様子はない。
それを確認し、「これはいったん預かっておくね」とアネットに声をかけた。
「じゃあアネット、その魔力を火の精霊に食べてもいいよって差し出してみようね」
「せいれいしゃん、どこ?」
「こっちから見えなくても、きっと今も見ているよ。火の魔力を差し出して念じてみて」
アネットはきょろきょろと周りを見回し、それから自分の手に満ちる赤い魔力を見つめた。
一呼吸。
それから、意を決したように顔を上げ前を見据えると、魔力を掬って形のままの両手を腕ごと勢いよく突き出した。
「あげうぅ!」
アネットの、精霊に向けた『魔力をあげる』という意味の言葉が大きく響いた。