1.くつしたはけたよ
3歳のアネット・カーバインちゃんががんばりますので、読まれた方は褒めてあげてください。
そして普段がんばるあなた自身のことも、同じように褒めてあげてください。
まずは、『ひとりで靴下履けてえらいね』から。
「ちょ、うん、ちょ」
トン。
トン。
階段を一段降りる度に小さく軽い音がする。
先日三歳になったばかりのアネット・カーバインは、手すりを頼りにたった一人で、一歩一歩と階下へと向かう足を進めていた。
階下にいるはずの、同居人であり魔法の師匠であるリーリア・カーバインの元へ行くために。
+ + +
朝、二階の部屋で目覚めたアネットは、起きたと同時に寝坊を確信した。
普段であれば目覚めてもしばらくはまどろんでいるアネットだったが、覚醒と同時に悟った醜態にカッと目を見開いた。
急いで見回せば、ベッドの上には自分の他に姿はなく、布団にポカリと空いた部分にはもはや人肌の温もりも残っていない。
すぐに上体を起こしたアネットは窓を見やった。
寝ていたアネットのためにかカーテンは閉じられたままだったが、それでもその隙間からは、しっかりと上った日の光が差し込んでいるのがわかる。
普段であれば夜明け間もなく起きて同居人とともに朝の支度をするアネットからしたら、完全な寝坊だ。
一体どれくらい寝過ごしてしまったのだろう。
隣で眠っていたはずの人物がここにいれば、時間を尋ねることができただろう。
枕元には時計が置かれているが、まだ三歳のアネットには時計を読むことができなかった。
アネットは夏用の薄い生地の布団を、足で跳ね上げる。
「この! この!」
一度では足りず、両足を懸命に動かして布団を足元へ追いやった。
それからアネットは、ベッドから飛び降りる。
バンッ
裸足で着地すると板張りの床は大きな音を立てたが、それも気にならなかった。
そのまま駆けるように部屋の隅のランドリーバスケットに向かう。
中を覗き込むと、今日着る服一式が畳まれ用意してあった。
その中から靴下を取り、床に座り込む。
残りの服はアネットひとりでは身に付けられないし、このあと朝食を食べるだけなら寝間着で十分だ。
片足ずつ己の足に装着する。
靴下を履くのはアネットひとりでもできるようになっていた。
「よち」
やがて、大きな任務をやり遂げたような気分でアネットはそう言うと、靴下を履いた足で立ち上がる。
フンスと仁王立ちしたところで、首を傾げる。
靴下を履いたばかりの足首に、なにやら違和感があった。
「?」
立ったまま手前に足を持ち上げ、足首の違和感を確かめようとする。
見ると、足の甲から足首にかけて、靴下の布に弛みがあるようだった。
前に持ち上げた足に向かって体を前に曲げ、足首の弛みを確かめようと手を伸ばす。
「む、う」
しかし、うまく届かない。
んー、むー、と一生懸命に手を伸ばし、もう少しというところで視界がぐるんと回った。
「わ!」
ドタッと、お尻に衝撃がくる。
アネットはお尻から床に転んでいた。
どうやら体勢に無理があったらしい。
体も小さく体重も軽いアネットは、板の床に転んだ程度では痛くもなんともない。
なにより、お利口さんなアネットはそのくらいで泣いたりはしないのだ。
しかし、体勢が変わったことで靴下に手が届いた。
「なに? これ」
座って、ガニ股に足を曲げることで届くようになった足首、そこにたまった布の弛みをつまむ。
いつも履いているはずの靴下なのに、おかしな形に布が余ってしまっていた。
眺めて、引っ張って、掴んで、そしてしばらくして調べていたアネットは「あっ」と気が付いた。
「むきがちがう!」
そう、靴下の向きが間違っていた。
履くときにうまく向きを合わせられなかったのか、かかとのために設けられた部分がまるっと足首部分で余ってしまっていた。
ただでさえ寝坊して急いでいるのに、とアネットの気は急く。
床に座ったまま、急いで履きなおそうと、間違って履いているほうの靴下を掴んで引っ張った。
靴下がスポンと抜ける。
「わっ」
つま先部分を掴んで思いっきり引っ張ったものだから、靴下が抜けた勢いでアネットは後ろに倒れてしまった。
背後に何かあれば頭を打ってしまっていたところだ。
幸い何にもぶつかることがなかったアネットは、コロンと転がった勢いからその反動のままに起き上がった。
何が起きたのかすぐには分からず、ぱちぱちと目を瞬く。
しかし、アネットは気にしない。
とってもすごい魔法使い、リーリア・カーバインの弟子であるアネット・カーバインは、これくらいのことではへこたれないのだ。
それから、改めて靴下の前後、裏表を念入りに確認したアネットはそれをしっかりと装着し、もう一度フンスと立ち上がった。
靴下の履き心地を確かめるべく、その場でドシドシと足踏みする。
問題ないことを確認したアネットは、やっと同居人であり師匠であるリーリアの元へ行くべく部屋を出ることにしたのだった。