15、特別な運命の特別な子供
「誰に向かってそんなことを言っているのかわかっているのか? シェイマス」
お兄様は怯まなかった。
「失礼はお詫びします。しかしーー」
「答えろ! 誰に向かってそんなことを言っているんだ?!」
お兄様は諦めたように、声を落として答えた。
「……父上です」
「それだけか? 私はお前の父親、それだけの男か? よく考えろ。私の身分はなんだ?」
お兄様は平板な声で答えた。
「……オフラハーティ公爵です」
「そしてお前は?」
「その息子です」
「そう、ただの息子。それだけ。私が家督を譲るまでお前はただのシェイマスだ。よく覚えておけ」
「ーーはい」
「ふん」
父は勝ち誇った顔をして、朝食の続きを食べ始めた。父以外は誰も食事に手を付けなかった。
「ですが」
お兄様が再び何か言おうとしたが、私は首を振ってそれを止めた。
ーーもう十分ですわ、お兄様。
お兄様はそんな私をしばらく見つめていたが、諦めきれないというように口を開いた。
私は思わず目を伏せる。
「父上、最後にこれだけはお答えいただけないでしょうか」
「なんだ?」
「父上はクリスティナにだけ厳しいように思うのですが、なにか理由があるのでしょうか」
こんなシェイマスお兄様は初めてだった。
ミュリエルも同じように感じたらしく、どこか戸惑ったように座っている。
勘違いしているようだが、と前置きして父が話し出した。
「私は別にクリスティナに厳しくしているわけではない。だが、ミュリエルを優先するあまり、結果的にそうなっていることはあるだろう」
「ミュリエルを優先? なぜですか」
父はしばらく考えていたが、頷いた。
「そうだな、そろそろ、少しだけでも話した方がいいかもしれないな」
ーー理由があるの?
私もお兄様もミュリエルも、息もせず父の次の言葉を待った。
父は、ミュリエルだけに優しげな視線を向けた。
「実はミュリエルは、特別な運命の元に生まれた、特別な子供なんだよ」
‡
ドーンフォルト国との国境の村、ブリビートで。
野営の準備をしながらイリルは、村の責任者のところに行ったブライアンを待っていた。
「遅いな」
「何かあったのでしょうか」
デニスとそんな話をするほど、ブライアンの帰りは遅かった。
やがて。
「イリル様、お待たせしました」
ブライアンは息を切らせて、一人で戻ってきた。
「どうだ? 何かわかったか? 村長は?」
察しはついたが、イリルは念のためそう聞いた。
「村長も、亡くなっていました。昨夜だそうです」
「やはり流行り病か?」
ブライアンは肩を落とした。
「それがそうではないのです。何人も死んでいることは確かなのに、原因はみんなバラバラなんです。ある者は川に足を滑らせ、あるものは食べ物にあたり、あるものは木から落ちて」
それが本当なら随分奇妙な話だ。
ブライアンは続ける。
「信じられないんですが、一人一人は本当に事故のようです。村長は落馬して、打ち所が悪かったそうですが、馬にも鞍にも異常はなかったそうです」
「しかし、短期間にまとめて事故が起こるのはおかしいだろう」
「はい。その通りです」
新しい墓は十数個あった。つまりそれだけの人数が、偶然この短い間に事故に遭ったという。
「信じられないな」
ブライアンが、それで、と続ける。
「村一番の年寄りがイリル様にお話したいことがあるとのことなのです。なにぶん足が悪くて動けないので、ご足労いただいてよろしいでしょうか?」
考える間もなくイリルは承知した。
‡
「こんなむさ苦しいところで申し訳ありません」
「いいや、こちらこそ突然すまないね」
挨拶もそこそこに、村一番の老婆、リュドミーヤは語り始める。何歳なのか、顔も手も皺だらけだったが、言葉ははっきりしていた。
「何十年、何百年に一度、こんなことがあるんですよ」
イリルとブライアンとデニスは、リュドミーヤを囲むように座って話を聞いた。
「何度もあるのか? こんなことが」
「はい」
「信じられない」
イリルが呟くと、鋭い目で射抜かれた。
「殿下は、隣の国がなぜここを攻めてこないか、おわかりですか?」
「この高い山のおかげだろう。山に守られている」
リュドミーヤは残念そうに答えた。
「半分正解で、半分間違っています」
「どういうことだ?」
「畏怖すべきもの、それが山です。もちろん、山だけではありません。空も、雲も、水もすべて尊く、すべて恐ろしい。隣国はこの山そのものを恐れているから、なかなか手を出さないんですよ」
「山そのもの? どういう意味だ?」
リュドミーヤはそれには答えなかった。代わりにイリルに質問する。
「殿下はここに来る前に、墓を見てきましたよね」
「ああ」
イリルが頷くと、リュドミーヤは満足そうに続けた。
「我々は死んだら、あのように山で眠ります。山は、我々の先祖たちの帰る場所です。それは隣国も同じ。この山の向こう側では、彼らの先祖が眠っているのです。だから彼らはここを攻めない」
「なるほど……」
イリルは、ついさっきまで見ていた墓石を思い出した。
「安らかに眠っていただくために、我々は様々な祀りを行います」
村で行われる年中行事のことだろう。見たことはないが、話には聞いている。
「それでも、人間のすることです。不備がある」
リュドミーヤはため息をついた。
「土壁が、小さなひびから崩れるように、我々の隙を突いて、『魔』がはびこる。そんなとき、あれが起こるのです」
デニスは首をひねりながら、ブライアンはまばたきを繰り返しながら、なんとか話を理解しようとしていた。
しかし、リュドミーヤに質問するのはイリルだけだった。
「リュドミーヤ殿。その魔とはなんだ?」
「魔は、魔です」
リュドミーヤはきっぱりと答える。
「もう少し詳しく教えてもらえないか」
「善の邪魔をし、聖を葬ろうとする。聖なる者を邪魔するのが、魔です」
「つまり、それが現れたから村人は事故にあったと?」
「はい。これから我らは村中で魔除けの祈りをせねばなりません。そんなとき、殿下のような顔の広いお人が来てくれた。殿下、お願いがあります」
リュドミーヤはイリルが引き受けるのは当然といった調子で続けた。
「聖なる者を探してください。魔はその方にしか防げません。そして魔が広まると、隣国も山を敬うのを忘れ、攻めてくる。過去の戦争はそのように始まりました」
どこまでが本当かわからないが、リュドミーヤが嘘をついていないのはわかった。
イリルとて隣国の侵略は防ぎたい。
協力してやたい気持ちはある。
だが。
「その者がその者であると、どうやったらわかるんだ?」
リュドミーヤは大丈夫、というように初めて微笑んだ。
「天は我らを決して見放しません。守り石を握りしめて生まれてきた女の赤ちゃん。その者を探してください。それが聖なる者です」
「守り石」
「はい。すでに成長して我らを救うために待っているはずです」
‡
「ミュリエルが特別な運命に生まれた、特別な子供とはどういうことですか?」
誰もが疑問に思ったことをお兄様が聞く。
父は残念そうに答えた。
「まだ話せない」
「そんな」
父は私を見て、吐き捨てるように言った。
「私だって生まれるまでは、クリスティナに期待していたんだ。お前こそが特別な運命に生まれた特別な子供だろうと」
なんのことかわからないが、私は父の期待に応えられなかった子供であることだけは感じ取った。
父は私の反応など気にもせず話す。
「だが私の期待は裏切られた。その代わり、後から生まれたミュリエルが、見事期待に応えてくれた。そういうことだ」
お兄様は、まだ納得できないようだ。
「まだ話せないとおっしゃいますが、では、いつなら話してくださいますか?」
「ミュリエルが十六歳になるときだ。そのとき話そう」
あと、三年。
奇妙な符号に思えたが、私は何も言わなかった。
「……失礼します」
「クリスティナ!」
もはや食欲などなくなり、私は挨拶もそこそこに部屋を出た。
廊下を駆け出したくなるのを必死に抑える。
ーーイリルに会いたい。
そんなのはダメだ。
自分の寂しい気持ちをイリルで誤魔化そうとしている、と涙を堪えた。
だが、ついに我慢しきれず、寝室に入った瞬間、私は泣き崩れた。
私の二度目の十五歳は、そのようにして始まった。





