大道芸人集団『リドル・ラム』
ブレマン国。西に気候温暖なフェディール王国、南方に芸術の華咲く宗教国家・聖シャマーニュと国境を接する。
国の西南部では黒麦やレイズル麦などの穀物類や、芋類、根菜などを中心とした野菜の生産が行われており、また、北東部では放牧による毛糸の生産、及びそれを使用した織物業が盛んである。
王都リールデンは国の中心に位置し、そこから西へ、フェディール王国と国境を接する位置にグリムデル領が広がっていた。そういった土地柄もあり、町は交易をおこなう商人を中心に栄えている。
辺境伯のおわす館では、今夜、周辺の領主たちを招いて宴が行われていた。館の裏手には大きな仕立ての馬車が所狭しと並んでいる。その宴の催しの一つとして、ジョングルール『リドル・ラム』は辺境伯直々の招待を受けていた。
ジョングルール。それは、もともと「大道芸人」を指す言葉である。
この時代、吟遊詩人たちは姿を消し、その代わり、音楽はもちろん、舞踊や手品を披露する大道芸人たちが現れた。彼らは、基本的に地方を転々としていたが、そのうちに王族お抱えの芸人となる者も現れ始めた。そうすると、大道芸人は一つの地域に留まるものも増え、旅芸人としての大道芸人たちは数を減らしていった。今では、その減少した旅の大道芸人たちのことを指して「ジョングルール」と呼ぶようになっていた。
大広間では、既に宴が進み、数十人にも及ぶ貴族たちがひしめき合う。広間は数十、数百の蝋燭で明るく照らされ、テーブルの上には豪華な肉料理が並び、給仕たちは酒を運びながら、忙しく動き回っていた。
「今日は、あの『リドル・ラム』が来ているとか」
「ぜひ、一度見てみたいと思っていたんですのよ」
「やはり『魅惑の踊り子ジュノン』ですかな。相当の美女と聞いていますぞ」
「楽士の男女もかなりの腕という噂ですわ。特に男性の歌声がそれは素晴らしいそうで」
集まった大人たちはひそひそと声を交わし、そわそわした様子で広間の中央の扉を見つめていた。
そんな周囲の様子を見まわし、主催者であるグリムデル辺境伯は、オホンとおもむろに咳払いをした。
「本日は忙しい中、お集まりいただき感謝を申し上げる。余興として、旅芸人の一座『リドル・ラム』の芸を楽しんでいただきたい」
言葉が終わると同時に大広間の扉が開かれ、数人の男女が進み出てきた。
ジョングルール『リドル・ラム』。彼らは数ある大道芸人集団の中でも、特に名声を轟かせていた。手品師の繰り出す奇術の数々。楽士の腕は王族お抱え芸人にも引けをとらず、歌い手の声は甘く響く。特に『魅惑の踊り子ジュノン』として名を馳せる踊り子は、その美しさのみならず、一度見たら決して忘れられないほどの素晴らしい踊り手として、人々の賞賛を受けていた。各人の芸が第一級であると評判で、『リドル・ラム』は時折王侯貴族からの興行依頼を受けていた。
しかし、今広間に入ってきたのは、その数三人。人々が首をかしげる中、三人は広間の中心に立ち、一糸乱れぬ一礼をした。
「本日は、このような席にお呼びいただき、ありがとうございます。皆々様には、お初にお目にかかります。我ら、『リドル・ラム』と申す旅芸人にございます」
団長であるビョルンの声が広い会場の隅々まで響き渡る。その迫力にやや気圧された感のある辺境伯は、「ああ、楽しみにしておったぞ」と、なんとも簡単な返事しかできない。
「まずは、我らの奇術師の芸をお楽しみください」
観客の全員が、一礼とともに顔をあげた男女の顔を見て、背中にうすら寒い気配を感じた。彼らの顔は瞳以外の上半分が白い仮面で覆われており、黄褐色の衣装と相まって、得も言われぬ不気味な印象を与えていたのだ。
蝋燭で照らされた大広間、その中心にぽっかりと空いた人の輪の中に一人佇んだ男はおもむろにスカーフを取り出した。それを拳に握りこむと、次の瞬間、開かれた手の上には、スカーフではなく、カードの束が出現していた。
(どうやったんだ!?)
感嘆の声が上がる中、一人の貴婦人にカードを選ばせる男の動きを、その場の全員が食い入るように見つめるが、引かれた薔薇のカードを花そのものに変えてしまう不可思議な技に度肝を抜かれてしまう。二度同じ技を見せられるが、さっぱりトリックがわからない。(どこにも、花を隠せる膨らみなんかないじゃないか!)
悪魔の仕業だ、おかしな幻覚を見せられている気がしてくる。気味が悪いのに、目が離せない。
思わず息を止めて、観客たちは食い入るように男を見つめている。すると、広間の中央へ同じ格好の女が身長ほどもある箱を押して出てきた。
箱に入った女が消えたり現れたり、どうやって増えるのか全く見当のつかない小さな玉を使った奇術を次々と披露され、観客たちはときに固唾を呑み、時に歓声を上げた。黄色の縞の服装に、顔の半分しか見えない白い仮面。どこか恐ろしく、しかし目を離せない。
大歓声と拍手が巻き起こる中、二人は軽く膝を折り、大仰に一礼して見せた。
「では、次は我らが誇る音楽と踊りの世界へと皆様をお連れ致しましょう」
そんな挨拶を残し、二人の男女は興奮冷めやらぬ大広間を後にした。
手品師の二人と入れ違いにして、三人の男女が入ってきた。
ビョルンを先頭に女性が二人、その後に続いている。ビョルンは、薄い青色をした簡素な上下衣で、その上から身長の倍もありそうな大きなストールを左肩から前後に垂らし、膝近くまであるそのストールを腰のベルトで留めていた。ストールの色は深い藍色で、端に施された金色の細かな刺繍と、ベルトの所々にあしらわれた小ぶりな宝石がその簡素さを補っていた。また、彼の場合、その迫力のみで存在感は十分である。
中央からやや離れた場所におかれた椅子に腰かけたビョルンがリュートを抱えると、その隣には背の高い、金髪の髪を結い上げた女性が、別の楽器を構えて立った。
ほぼビョルンと同じ格好をしていたが、つま先まで隠れそうな長いスカート、ベルトをせず上半身全体にストールを巻きつけている姿は風雅そのものである。
その顔立ちは大変美しく、うっすらと化粧が施されていたが、化粧なしでも十分美しい女性であることは明らかだ。赤い唇は軽く引き結ばれ、緑の瞳はまっすぐ前を向いていた。金髪をまとめる髪留めは、ビョルンのベルト同様、いくつかの小粒の宝石がついており、耳飾りの宝石と一緒に、この女性の華やかさを一層引き立てている。
そして、大広間の中心には、もう一人の女性が位置した。『リドル・ラム』の踊り子、ジュノンとして知られる彼女は、『魅惑の踊り子』という別名でも呼ばれることが多かった。
絹糸のような細さの髪は闇を映したような漆黒。ゆるいカールさえないまっすぐな髪を白いリボンを用いて頭の上でまとめている。瞳の色は青。顔の下半分は薄いヴェールで覆われており、はっきりと顔全体を見ることはできないが、ヴェールから透けて覗く小ぶりな唇の赤さがなんとも艶かしい印象を与えていた。
物音ひとつしない大広間に、ビョルンの弾いたリュートの音が響き渡った。
指にはめたパッドでリュートの弦を弾きながら、ブレマン国の創設譚を歌う声は、いつもの怒鳴り声からは想像できないほどに甘く、そして深みを持っていた。それは広い空間にリュートの音とともに響き渡り、見事な調和をなしていた。
その音に併せ、ジュノンは踊り始める。両手を広げ、静かに一歩前に進みだす。白いマントがジュノンの踊りに合わせて、ふわりふわりと動き、裾に施された赤い刺繍は布の動きによってその存在がより露わとなり、優美さに加えて、神秘さを感じさせた。
ゆったりとした音楽、踊りに、女性のレベックの音が混ざり合い始めた。それと同時に、ビョルンの歌声が次第に小さくなり始め、創設譚は終了した。
楽器の音が止むとともに、ジュノンも踊りを止め、その場にひざまずく。
すると、突然リュートを叩く音が響き、それに併せ、ジュノンは白い布を身体から取り去った。ビョルンは、今度は勇ましさの混じる声で英雄譚を歌いだし、リュートとレベックから奏でられる音は速さと激しさを持っていた。
観客たちは、既に音楽に合わせて踊り始めているジュノンの衣装に目を奪われた。緑色の布を胸部に巻きつけ、腕や腹部は何にも覆われていない。薄絹を上半身にまとっているため、肌が完全に露出されているわけではないが、適度に引き締まった身体を窺い知ることができてしまう。同色のスカートは足首まであるものの、ふくらはぎの半ばまで切り込みが入っているため、動くたびに素肌が露わになっていた。
その衣装に、男性陣は前のめりに、ご婦人方は眉を顰めたが、それも最初のうち。踊りが進むにつれて、観客の誰もがその動きの美しさ、艶やかさの虜となっていた。
一曲目とは違い、音楽同様、踊りにも激しさが加わっていたが、それだけではない。一曲目では、ひっそりと水を湛えた湖のようであったジュノンの瞳が、今は蝋燭の明かりを反映して、炎を宿しているかのようだ。男女を問わず、心を奪われるかのように誰もが彼女の踊りに魅入り、体の中心を射抜かれたように微動だにすることすら叶わない。
腕や足首にはめられた細く幾重にも連なった金色の輪は踊りに合わせてシャラシャラと響き、音楽により一層の華を添え、瞳の色と同じ色の耳飾りも、彼女の動きとともに軌跡を描いて、なんとも鮮やかな印象を与えていた。
三曲目の恋愛譚では甘さを増した歌声と共に大広間は陶酔感で溢れ、人々は瞬きをすることすら忘れていた。
踊りが終わってもその酔いは醒めず、三人が一列に並び礼をしたところで、観客たちは我に返り、広間は盛大な拍手に包まれた。
「いや、本当に素晴らしかった! 噂の踊り子だけでなく、楽士も奇術師も最高であった」
「ありがとうございます」
「しかし、やはり踊り子ジュノンは最高だった。噂に違わぬ美姫である。まさか、これほどのものとは思わなかった。それにレベック奏者のそなたも、腕前もさることながら相当な美女だな」
ビョルンと言葉を交わしながら、後方に控えて頭を下げている二人へ、辺境伯は好色そうな目を向けた。その視線は感じているのであろうが、決して顔をあげず、声も一切出さない二人の代わりに、すべてのやり取りにビョルンが応じた。
「ありがとうございます。我らが芸をお楽しみいただけたようで、光栄でございます」
もう一度礼をして、『リドル・ラム』は興奮冷めやらぬ大広間を後にした。