次の旅へ
「鈍いところがあるのはわかっていたが……。あのな、俺らはフェディール王国の間諜なんだよ」
「!!」
アルプレヒトの叫びは、リリアとディアーヌの二人に口を押さえられ声にならなかった。
これから鍛えがいがありそうだ、と呟くビョルンに、アルプレヒトは目を白黒させる。
「つまりですね、最初から殿下の意向で動いていたんですよ」
さすがに気の毒になったのか、フランチェスコが一から説明を始めた。
もともと、フェディール王国に間諜がいたわけではない。しかし、フィリップが周辺各国の情勢を即時に得たいと考えた。特に、一般民衆の生の声や、王侯貴族の動向などは王家の使者を遣わせたところで、得られる情報は限られてしまう。そのため、自由な活動が可能で、どんな階級の人間とも接触を図れる集団として、大道芸人集団『リドル・ラム』を結成したのだという。
今回の件も、輸出した麦が繰り返し盗賊に強奪され、ブレマン国の市場が食糧難になりかけているという情報を掴んだフィリップから、要請を受けて動いていたという。もともとグリムデル辺境伯家から興行依頼はあったため、『リドル・ラム』には渡りに船であったらしい。
「でも、なんで俺を?」
「父親と兄と、お前は同じ人間ではないだろう。それに、上司や同僚は評価していた」
警備隊長は、アルプレヒトが職務に忠実であり、当日も町に訪れていた旅人を助けるという警備隊としての責任を全うするために巻き込まれたのだと証言したのだという。同僚たちも口をそろえて、真面目で町人思いの彼がそんな策謀に手を貸すわけがないと、訴えたようだ。
それが直接影響したわけではないものの、アルプレヒトに対する減刑の後押しにはなったようだ。
「町を見て、民を守り、その未来に思いを馳せることのできる人間は、信頼に値すると私は考えている。それが理由だ」
惚けたままのアルプレヒトを置き去りに、フィリップは団員たちに次々と指示を飛ばした。
「ヴァル、剣の指導は任せたぞ。いくら素手での喧嘩が強くても、武器が使えないんじゃ話しにならん。あと、楽器類も適当に見繕って練習させておけ」
かしこまりました、と頭を下げるヴァレールの横で、フランチェスコは笑顔で交渉を始めた。
「殿下。食い扶持が一人増えるとかなり厳しい財政状況になります。しかも、育ち盛りの少年ですし。少々、〝寄付〟をいただきたいんですか」
「おいおい、『興行以外は無償労働』なんじゃなかったのか」
「興行で使い物になるまでにどれだけかかると思ってるんです? 最初のうちは裏方しかさせられませんし、そうなると一人分の食い扶持が余計に増えるだけです。興行料を稼げるようになるまで、金銭面の援助はいただかないと」
「ねえねえ。ヴァルみたいに女装させるのも、いいんじゃないかと思うのよ」
楽しそうに笑うディアーヌは、すでに衣装の算段を付けているようだ。
事態に全くついていけないアルプレヒトは、頭の中が真っ白だ。
「お前なら、相手が誰であろうと警戒心を抱かせずに情報収集可能だろうし、物事に対する目の付けどころも悪くない」
(俺の人生、たぶん今回以上に衝撃を受けることなんてないんじゃないだろうか……)
でも、とアルプレヒトは不安に思う。
「……みんなはいいのか? 俺みたいなのが加わっても……」
「もう団員だしな。早速着替えろ」
何の気負いもないビョルンのことばに勢いよく頷いたものの、ストールは帯剣していることを隠す目的であるはず、と思ったアルプレヒトは尋ねた。
「この青のストールは俺も巻くの? 帯剣するのは、俺の腕じゃ早いと思うんだけど」
「アルプレヒトは、うちの制服に意味があること知ってる?」
突然のディアーヌの問いに、アルプレヒトが首を横に振る。
「このストールはね、普通の青色よりも濃いでしょう? この青を群青って呼ぶのよ」
そう言ってディアーヌは説明した。
「前に、色にも意味があるって言ったことは憶えてるかしら? シャツの白は清浄さと潔白、ズボンの黒は悲しみを、ストールの群青は知識と誠実を示しているのよ。だから、帯剣の有無は関係ないのよ」
「『その身を清め、潔白を持って仕えよ。民の悲しみを忘れず、あらゆる知識と誠実さによって、悩み苦しむ人々を救いたまえ』。私たちの制服の意味」
リリアは微笑んで、そう言った。
「確かに『リドル・ラム』はフェディールの間諜として存在しているわ。でも、それだけじゃないのよ。どこかで誰かの役に立てるようになりたいって気持ちがあるから、直接の仕事とは関係ない〝配達屋〟もしているの」
これから一緒に頑張ろうね、と言葉を残して、アルプレヒトが着替えられるようにリリアとディアーヌは部屋を出て行った。
「着替えはすぐ済むと思うけど、部屋に戻る?」
応接室からでてきたディアーヌは、後ろについてきたリリアに声をかけた。しかし、返事はなく、振り返ろうとすると、俯いたリリアがディアーヌのストールを握っていた。
「どうしたの?」
ディアーヌがリリアの顔を覗き込むと、彼女はひしっと見つめ返してきた。
「あのね! ……あの、守ってくれて、ありがとう……。みんなも危険だったのに……、守ってくれてありがとう」
リリアがベネディクトに人質に取られたときのことを言っているのだとわかったディアーヌは、微笑んでリリアの額に自分の額をつけた。
「あなたはうちの大事な仲間よ。仲間を守るのは当然のことだもの」
その言葉に、リリアの瞳は潤み始めた。それを見て、ディアーヌはしっかりとリリアを抱きしめて言った。
「私たちこそ、守ってくれてありがとう。不安だったでしょうに……。頑張ってくれて、ありがとう」
リリアは全身から伝わる暖かさに涙を流した。
「あの……」
そこへ、遠慮がちな辺境伯邸の使用人の声が聞こえた。廊下で抱き合っていた二人が顔を上げると、やや視線を逸らしながら、その使用人はリリアに告げた。
「リリアさんに、ご面会の方がいらっしゃっています」
二人は抱き合ったまま、顔を見合わせた。
女性陣の退室を見送った後、フィリップは凄みを帯びた笑顔でアルプレヒトに顔を近づけた。
「さて、これからはお前にも頑張ってもらうが……」
「……な、なんでしょう……?」
その迫力に圧倒されながら訊いたアルプレヒトの顔の横に、フィリップはいきなり抜刀して、剣を突き立てた。
「うちの巫女に手を出したらどうなるか、憶えておけ」
あくまで笑顔のままのフィリップに、アルプレヒトは何度もこくこくと首を縦に振ることしかできない。
「その王子サマは、お前とリリアが親しくなったのがお気に召さないんだよ」
狭量な男だ、とビョルンは呆れ顔をしながらも、アルプレヒトに続けて言った。
「だが、俺はお前の存在に期待してるんだ。活動の面でも他の面でも。お前とリリアは似てるから、お前の変化がうまくリリアにいい影響を与えてくれると思ってるぜ」
「二人で暴走される恐れもありますけどね」
フランチェスコはしれっと、恐ろしい未来予想をしている。
新しい制服に着替え終えたアルプレヒトは、自分のために用意された短剣を身につけた。その鞘には、他の団員たちと同じようにフェディール王国の紋章が刻まれている。
「フィリップ殿下! 俺、死ぬ気で頑張ります! あなたに救ってもらった命ですから!」
顔の横に剣を突き立てられ脅されても、そんなことは関係なしという様子のアルプレヒトに、これからの決意を告げられたフィリップは苦笑した。
「死なれちゃ困るんだよ。役に立ちたいなら、生きててくれ。やる気を持ってくれるのは嬉しいがな」
強く頷き返したアルプレヒトの耳に、廊下を走ってくる足音が聞こえた。
「団長!」
扉を蹴破る勢いで駆け込んできたリリアに、なんだ、と聞き返すビョルンの目の前に一通の封筒が差し出された。
「次の目的地、決まってる?」
ビョルンはフィリップを見やると、彼は首を横に振った。
「特に気になる案件はない。好きに動いてくれて構わない」
「だとよ」
上司二人の言葉に、リリアは突き出した封筒のあて先を示した。
「ブレマン国の北東部まで〝配達屋〟の依頼!」
「この前の女の子じゃないか? マルテだったか?」
手紙を覗き込んだヴァレールは、送り主の名からこの国で最初に出会った少女の顔を思い出した。
「お父さんが出稼ぎに行ってるんだって。手紙を預かったの」
先程の来訪者は、〝配達屋〟へ依頼に来たのだ。十歳ほどの少女が、めったに会えない父親への思いを託してきた。
「じゃあ、行くか」
ビョルンが腰を上げると、団員たちは一斉に頷き、ストールを翻して出発の準備をするために動き出した。
「北東部かぁ。放牧のための草原が多い地帯だったかな。俺は行ったことないけど」
「だだっ広い草原が広がっているんですよ」
「……迷子になるなよ」
「ならないわよ!」
大道芸人集団『リドル・ラム』。新入団員一名を加え、騒がしさに今後一層の拍車がかかりそうな彼らは、これからまた興行と〝配達屋〟の旅に出発する。