迷子と仕事
ブレマン国グリムデル領。隣国との国境にほど近く、商人の行き来と共に栄えてきた町は、増殖を繰り返してきた道を複雑な迷路に仕立て上げていた。その迷路のような場所を歩く少女が一人。
「うー、確かこの辺のはずなんだけど……」
辺りをキョロキョロと見回している少女の手には、この町のものと思わしき地図が握られている。しかし、まったく彼女の役には立っていないようだ。レンガ造りの家、石と煉瓦で舗装された道で構成される町は、区画毎に整理されているはずだが、少女の目には行けども行けども同じ景色にしか見えないらしい。
年の頃は十代後半。ブーツに長い黒の巻きスカート、腰にベルトと深い青色のストールを巻き、上衣は簡素な白シャツ一枚である。旅人であると一目でわかる少女は、先ほどから同じ場所を何度もぐるぐると回っているのであった。
「やっぱり厄日だったのかしら」
立ち止まり、腕を組んで考えるが答えてくれる相手はいない。朝からなんとなくよろしくないことに巻き込まれそうな予感がしていた少女。だからと言って、今日一日を大人しく過ごす、という選択はしなかったようだ。
肩にかけた小ぶりのカバンの中から、手のひらサイズの袋を取り出し、中を開ける。硬貨ほどの大きさをした焼き菓子が詰まっており、その中の一枚を口の中に放る。木の実を混ぜて焼いたそれは、先程露店で買い求めたものだ。
「まず、原点に戻るべきかしら」
「何か探してるの?」
一人で呟いていると、可愛らしい声が下の方から聞こえてきた。声の主を探そうと振り返ると、そこには十歳ほどの女の子がこちらを見上げていた。
「お姉さん、外から来たんでしょ? ここはよそから来た人にはわかりにくいもん。どこかに行きたいなら、案内してあげる」
「本当!? ありがとう! 私はリリア。あなたのお名前は?」
「マルテ!」
歓喜に目を輝かせているリリアの横で、マルテはなんとか地図を覗きこもうと背伸びをしている。
「どこに行きたいの?」
「お針子のフリーダさん、っていう人のお家なんだけど」
「全然違う場所だよ」
少女は呆れたような笑顔を見せ、ぐいぐいとリリアの手を引いて、全くの反対方向へ歩き出した。
「ここよ」
少女に連れられて辿り着いた場所は、商業区画にある家だった。商店が多く立ち並び、狭い路地も多い。ちなみにリリアが地図を片手に目的地を探し始めたのは、その商業区画と居住地区のおよそ境目と言っても差し支えない地点である。
(……うー、これほどスタート地点に近かったとは……)
「遅い」
後ろからした声に振り向くと、青年が一人、積まれた木箱に腰掛けていた。リリアと同じ白いシャツ、黒いズボンに包まれた足は長い。
「ブレマンの城下は複雑だと分かったうえで、なぜ一人で出かける? あれほど待て、と伝えたのに」
「いやー、つい気持ちが抑えきれなくなっちゃって」
リリアはごまかすように笑いながら、青年に焼き菓子を一枚渡しながら、問いかけた。
「ヴァルはいつからここに?」
「四半刻は待ったな」
ヴァルと呼ばれた青年は立ち上がり、嘆息した。突然一人で出かけてしまったリリアを追いかけ、覚えていた目的地についてみれば、そこにはリリアが訪れた気配もなく、かと言ってやみくもに探し回るわけにもいかず、大人しく少女が現れるのを待っていたのだ。
受け取った焼き菓子は、香ばしく、荒く挽いた穀類の食感が癖になる味わいだ。吟味するように咀嚼しているヴァルの目の前では、リリアがカバンの中から厚みのある封筒を取り出していた。
「お兄さんの髪、きらきらして綺麗ね」
「ヴァレールだ。ありがとう。君がリリアを案内してくれたのか?」
自分を見上げるマルテに目線を合わせながら問いかける。このブレマンでは茶、もしくは赤に近い髪色が多いため、自分のような金色の髪が珍しいのだろう。マルテは、いきなり顔の近くなったヴァレールと目が合い、赤面しながらリリアの後ろに隠れた。
「大丈夫よ、無表情だけど、根は悪い奴じゃないから」
「……微妙にフォローになっていないんだが」
そんなヴァルの声は無視し、リリアは一つの扉の前に立った。
軽いノックの音が響くと、二十代半ばほどと思われる女性が顔を出した。
「どちら様? あら、マルテじゃない。どうしたの?」
マルテを知っていたらしい。女性は驚いた様子で、少女と見知らぬリリアの間で交互に視線を動かす。
「フリーダさんですね。聖シャマーニュで修行中の弟さんから、手紙をお届けに伺いました。お受け取りください」
そう言ってリリアは手にしていた封筒を差し出した。手紙というにはやや厚みのあるそれを困惑した顔で眺めたフリーダは、それでも恐る恐る封筒に手を伸ばした。
「……あの……」
「申し遅れました。わたしたちは弟さんからご依頼を受けた〝配達屋〟です」
内緒話のように小声で告げたリリアに、フリーダははっとした顔でその顔をまじまじと見つめると、封筒を胸にぎゅっと抱え込んだ。
「少し待っていてもらえますか?」
彼女はそう言い残し、ドアをそのままにして一度家の奥に引っ込んだ。封を開ける音が聞こえ、少しの後、フリーダは胸に小さな絵を抱えて戻ってきた。
「この絵と一緒に、『元気にしている』と書かれた手紙も同封してありました。ありがとうございます」
目に涙を浮かべて、フリーダは丁寧に頭を下げた。大事そうに腕の中に納まっている小さな絵には、フリーダによく似た女性が描かれていた。
「修行は大変そうでしたが、頑張ってらっしゃいましたよ」
リリアから聞く弟の話に、嗚咽をこらえるように唇をかみ締めフリーダは何度も頷いた。
「あの子はいつでも一生懸命なんです。だから、余計に心配で……。でも、安心できました」
彼女の目には涙が光っていたが、その顔は嬉しさに溢れていた。
「では、わたしはこれで失礼します」
リリア立ち去ろうとすると、フリーダが呼び止めた。
「すみません、お礼はどうすれば……」
リリアはそのまま微笑んで踵を返した。その背を見ながら、フリーダはずっと頭を下げていた。