不穏な気配
「で、正体をばらしてきたと」
「別にわざとでは……」
「まあ、まあ。口留めしてきたんでしょうけど、周りにばれる危険はないんですか?」
「それはないな。父親はアルプレヒトの動向にはさほど興味はない様子だ。兄も、普段は仕事で家にいる時間も少ないらしい。辺境伯様は、最近は領地の視察で農耕地帯にも出向くことも多くなったとかで、館にいないという話だ。しかもあいつの部屋の場所は、屋敷の端の方だ。用がなければ使用人もめったに近づかないらしい。というか、あいつ自身が寝に帰るだけだからな」
「リリアもヴァルもよほどじゃなければ、もうあの館に近づかないでしょ? そこまで心配しなくても大丈夫よ。何かあったら私が誤魔化しておくわ」
気楽そうにウィンクするディアーヌだが、彼女は早速辺境伯に取り入ったそうで、これから連日館に呼ばれているようだ。昨夜、アルプレヒトが語った内容についてもすでに父親からも裏を取ったようだ。
「町の情報もほぼ、似たような話でしたね」
フランチェスコは路上パフォーマンスで観客から話を聞いたらしい。雨が降った際には教会で雨宿りついでに教司からも話を聞いたそうだが、みな農村部の旱魃と盗賊の横行に頭を痛めているとのことだ。
夜には全員が宿に戻り、今日一日の出来事について情報共有していた。昨夜同様、周りは食事や酒を楽しむ客で賑わっている。
その様子を横目に見ながら、ビョルンは嘆息する。
「盗賊だけの問題じゃなく見回り強化のために兵隊の数が増えてるわ、農地の不作による食糧不足も加速してるわ、不穏度合が増してるな。ごたごたするから、軍備強化以外の方法はとれねえもんかね」
いろいろ面倒なことが起こる予想が簡単にできてしまう。
地形上、ミレー峠を越えればすぐそこはフェディール王国の領土だ。グリムデル辺境伯家はつまり、防衛の要所。現在、両国は友好関係にあるが、片方の戦力が強化されれば、理由如何に関わらず、フェディール側としても警戒してくるに違いない。そのような要所であるからこそ、古い時代から抱える兵力とその能力維持が必須となり、必然的に軍の統率長の地位に任ぜられることになったのだろう。
「アルプレヒト曰く、父親が兵の数を増やすといって、強引に話を進めたそうです」
「その短絡的思考で、よくこれまで外交問題を起こさなかったな……」
基本的には平和が続いている。統括軍のトップと言っても、事務仕事が多ければ貴族的な付き合いで外交もどうにかなっていたのだろう。そういう意味では、ウラール帝国との戦役を収めてみせたベネディクトの手腕は確かに見事なものに違いない。
しかし、軍を統率する仕事だけでなく、領地を治めることも並行して行わなければならないのだ。手はいくらあっても困らないはずだ。それなのに、嫡男だけに仕事をさせ、次男を放置しているとは。領地の人間と良好な関係を築ける役割の者がいるのは、治める側としてはいいのだろうが――。
「仕事を任せられないくらい、ぼんくらってことですかね」
果実酒を片手に笑顔で辛辣なセリフを吐くフランチェスコだが、そもそも地方の天候不順を祈祷でどうにかしようという突拍子もない意見を出してきた奴だけに、仕事を任せても、反対に仕事を増やしかねないのではとヴァレールも考えてしまう。
「おや、今日はアルプレヒト坊ちゃんは一緒じゃないのかい?」
追加の料理を運んできた女将は、リリアとヴァレールの服を見て、辺境伯家のものだと気づいたのだろう。そんな恰好をしていれば、辺境伯家の内情はわかっていると公言しているにも等しい。もう彼の身分を隠しての言動ではなくなっていた。
「彼は、昔からこのあたりには彼一人で出向いているのですか?」
「昔って言っても、この三年くらいかねえ。最初はどっかの町の子かと思ってたけど、よくよく見てたら気づくさ。本人が内緒にしてるみたいだから、誰も知らないふりはしてるけどね」
本人は家の名前を隠していたとは言うが、生まれた時から住んでいる町で誰にも知られないように暮らすのはさすがに無理がある。苦笑する女将に、隣の席にいた酔っ払いも参加してきた。
「わざわざ庶民と同じ立場でものを見ようとしてくれるなんて、いい子だよなあ。親父の方はお国の仕事が忙しいんだか、全然こっちの方には関心なさそうだしな。お膝元だっていうのによ。長男の方も似たようなもんだしな」
「次男の坊ちゃんの方が、よっぽどこの町に詳しいさ。まあ、最近じゃ長男の方も町の治安維持は気にかけてるみたいだな。時々部下がこのあたりをうろついてるしな。辺境伯様も農村部に何度も出向いているらしいぞ」
さすがに自分の領地で問題が起こっているとなれば、腰が重くとも動いたということか。そして、それが瞬時に町の多方面に広がっているということは、この町のネットワークが素晴らしいのか、その程度でも話題になってしまうのか。
その時、食堂の扉からアルプレヒトが顔を出した。こちらを見つけると、まっすぐに歩いてきた。
「いろいろ黙っていてごめんさない!」
突然頭を下げたアルプレヒトに『リドル・ラム』の面々は目を丸くした。
「うちの町のことで関係のない人たちを巻き込もうとしたのに、いろいろ黙ったままで不誠実だと思ったんだ」
このままだと不信感を抱かれたまま、依頼をこなしてもらうことになる。元から何も伝えなかったことが気にはなっていたという。 彼の立場を考えれば、それも無理からぬことではあるのだが、わざわざ馬鹿正直に謝りにくるところに、素直さが垣間見える。
(こっちから秘密を暴露したのが効いたか?)
もしそうなら、リリアたちの言動が功を奏したということだ。
「まあまあ、ここに座りなさいな」
ディアーヌが席を一つ空け、アルプレヒトを促す。恐る恐る、と言った様子にビョルンは苦笑する。昨夜も今朝も、脅かすような方法で粗をつついたのだ。苦手意識を植え付けたとしても否定できない。
「警備隊と言えば、朝は走り回っていましたね。何か騒ぎでも?」
「商隊がまた、峠で襲われたんだ。黒づくめの男たちが突然現れて、小麦を全部持って行かれたって」
応戦しようにも、全員が刃物を持っており、なすすべもなく、痛めつけられたのだという。盗賊たちが荷馬車を漁っている間に逃げようともしたらしいが、仲間まで現れたそうだ。警備隊が到着した時には、すでに賊は立ち去っていたという。
「死人が出なかったことだけが唯一の救い、みたいな有様でさ。衣服はぼろぼろ、数日程度じゃ治りそうにない怪我人ばっかりだった。荷馬車も破壊されてて、また商売を再開できるまでには……」
顔を曇らせるアルプレヒト。辺境伯家が騎士団を投じるとは聞いているが、現状追い付いていないのだろう。警備隊は討伐には参加できないのが、余計に歯がゆそうだ。
「盗賊って最近のことだよな? いつ頃から沸いて出たんだ?」
「……団長、蚊じゃないんですから……」
ヴァレールのため息など意に介さないビョルンの質問に、アルプレヒトは記憶をたどる。
「えっと、今年に入ってから、だったと思う。最初は、今ほど頻回じゃなかったんだけど、徐々に春以降増えだした感じかな」
元々、国境だ。両国が気を遣う場所でもあるため、盗賊の類の噂は聞いたことがなかった。
旅をしていると、「どこの町の治安が悪くなった」「関所の検問が厳しくなった」などの情報は頻繁に飛び交い、商人や旅人同士で共有される。ブレマン、フェディールの両国ともに治安は安定しており、今回の件で初めて盗賊の話を耳にしたくらいなのだ。
(そんなに早い段階から盗賊が出ていたのか。それにしちゃあ、辺境伯の動きは遅いな)
ビョルンは顎をさすりながら考える。もっと早く動いていれば、現状の食糧事情、流通事情は少しは変わっていただろう。麦の不足ももちろん問題だが、これが長引くようなら両国をつなぐ商隊が途絶える可能性もなくは、ない。
「軍を率いているんだから、それを使って盗賊退治をするんじゃダメなの?」
「軍は国のものだ。いくら統括の地位にいるとは言え、そちらを自分の領地のために動かしたら職権乱用になる」
ふと、リリアが口にした疑問にヴァレールが答える。軍を使うことは無理だとしても、辺境伯である以上、自分の領地にそれなりの兵力は持っているのだ。
基本的には軍は国同士の争いが起こったときに率いられる。つい二年ほど前に起こったウラール帝国の進軍などがいい例だ。ブレマン国からはアルプレヒトの兄であるベネディクトが辺境伯の代理という形で軍を統制し、フェディールからは王太子であるフィリップ王子が騎士団を率い、連合軍という形で両国が一緒に戦っていた。