買い物へ行こう
半刻もたたないうちにアルプレヒトは、無心になることを覚えた。市場に足を踏み入れた時には、美女に腕を組まれ、少し浮かれていたのは事実だ。仕事中なのに、そのことも忘れかけていた。それも認めよう。ついでに言うなら、ディアーヌが積み上げていく商品に、フランチェスコが財布の心配をしていた時には、「俺が払ってあげても」なんて浅はかな下心(その後のディアーヌからの感謝云々含め)を抱いていたことも大いに認めよう。
(だから、光の主よ、俺に祝福を。思いを聞いてください。てか、早よ終われー!)
心の中で絶叫するアルプレヒトの目の前では、フランチェスコとディアーヌが喧々諤々一歩も動かず、ずーっとお互いの主張を繰り広げていた。そろそろ店主の困り顔にも気づいてやれ、と思う。先ほどからほとんど進展のない両者の言い分を聞きながら、アルプレヒトはビョルンが付いてこなかった理由がとっても理解できた。
「ねえ、アルプレヒト! ちょっと聞いてよ!」
突然ディアーヌが振り向き、アルプレヒトに詰め寄った。
「こっちの赤とこっちの赤、絶対にこっちの方が綺麗よね!?」
「……は?」
彼女は右手と左手、それぞれに赤色の布を持ち、アルプレヒトの目の前に突き出してきた。
「……ごめん、わかんない……」
ディアーヌは右手の布の方が美しいと主張していたのだが、両者の差異がアルプレヒトには全くわからなかった。
「ほら、彼にも違いがわからないじゃないですか。楽士二人用なんです、そんな値段の高い方じゃなくて、安い方にしてください」
フランチェスコが言うように、赤い布は右手と左手のものではかなり値段に差があった。アルプレヒトはそもそも布にそれほど詳しくはない。質のよさそうな(あくまでも見た目)商品を並べている店を何件か見繕って案内しただけだ。そのため、質に関して問われても正直な話、何も言えない。値段は計算できるので比べられるが。
(確かに二人分の衣装用に買ったら、出費の差はかなり大きいよな)
フランチェスコがそんな買い物を許すわけがないことを、先ほどの言い合いや、昨晩のやり取りで理解していたアルプレヒトである。
「だめよ! こっちの布は織り目が粗いのよ。ヴァルの髪の毛との相性を考えたら、絶対にこっちの布のきめ細かさじゃないと!」
確かによくよく目を凝らしてみると、左右の布は織り目の細かさが違った。細かく丁寧に織られた右手の方の布は、日に照らすと艶めいて、確かにヴァレールの金髪によく映えるだろう。彼も楽士として、ビョルンと共に演奏することもあるようだ。
「観客がそんな細かいことまで気にすると思うんですか?」
「あのさ、右手の方をヴァレール用、左手の方を団長さん用の衣装に使ったら? そうすれば、出費もかなり抑えられるんじゃ……」
「私もさっきそう提案したんですけどね」
いつもは笑顔のフランチェスコが憮然とした表情で言うと、「同じ衣装を違う布で作るなんて気持ち悪い!」と、ディアーヌが言い放った。出来上がった衣装を着た二人が並んだところを想像すると、布地の差異から、とてつもない違和感を覚えるのだと言う。
「じゃあさ、二人の衣装のデザイン変えたら? 二人の衣装が同じデザインなのに、違う布を使うからディアーヌさんは嫌なんだろ?」
ヴァレールと団長それぞれ別個にデザインを考えれば、別の布地でも違和感は出ないのではないかというアルプレヒトの提案に、言い合いを続けていた二人は動きを止めた。
「そこには思い至りませんでしたね」
なかなかいい案かもしれませんね、と呟くフランチェスコ。ディアーヌを見やると、腕を組みながら何か考え込んでいる。
「今まで、楽士二人の衣装を別々にデザインにしたことはないけど……。面白いかもしれないわね……」
ディアーヌのその呟きが聞こえたところで、フランチェスコはさっさと店主に両方の布を渡し、値段交渉に入っている。二人の足元には、既に他の布地も積まれており、大量に仕入れるから安くしろ、と言っているようだ。ディアーヌは新しいデザインを考えているのか、フランチェスコの様子には目もくれない。
(なんか、マイペース……)
アルプレヒトは呆れ顔でそんな二人を見つめる。突っ立っていただけだが、疲れた。
「いやー、あなたのおかげでスムーズな買い物ができましたね」
結局かなり値切れたらしく、フランチェスコはいつもの笑顔を取り戻していた。
「確かに面白い提案もしてくれたし。ついでに荷物まで。助かるわぁ」
こちらも笑顔のディアーヌに腕を組まれ、二人に荷物持ちをさせられているアルプレヒトは、さきほどまでの倦怠感も忘れてにやけた。
「いやー、これくらいなんでもないって! でも、いつもあんなに長い時間かかるの?」
二人の言い合いの様子や、店主の困った顔を思い出し、アルプレヒトは二人に尋ねた。フランチェスコとディアーヌは顔を見合わせると、「今日はいつもより短いですよね」「今日はいつもより短いわよね」と、声をそろえた。
「今まで最長二日くらい言い合ってましたね」
店では決着がつかず、団に戻ってからも言い合うことになったという。
「さすがにそれだけ言い合ってたら、団長がぶち切れたけど」
笑いながら言うディアーヌに、アルプレヒトは苦笑した。
「でも、衣装も自分たちで作ってるなんて知らなかったよ。制服っていってもいいのか? その白と黒の上下のお揃いの服と、腰の青いストール。普通、ジョングルールってもっと自由な格好してるよな」
アルプレヒトは賞賛の瞳でディアーヌを見た。聞けば、ディアーヌが『リドル・ラム』の衣装はすべてデザインし、作っているという。
「衣装にもちゃんと意味があるのよ。歌には創設譚、英雄譚を始め、神話ものや恋愛ものとか色々あるでしょう? 恋愛の歌なんて、悲恋もあれば純愛もあるし。そういうものを衣装で表すのが、私の仕事かしら」
優しく微笑みながら、ディアーヌは語る。
「ただ綺麗なだけじゃないのよ。その歌の意味を理解して、どんな色で作るかをまず考えるの。例えばね、赤は権威を示す色だから、創設譚のときには良く使うわね。護符の色でもあるから、神話の歌でも使うし。緑は青春とか恋の色」
しかし、その言葉にアルプレヒトは首を傾げる。
「恋の色? あんまりイメージないな」
それこそ赤では? と感じる。ピンクや木苺などの色合いも『恋』という言葉に合うのではないだろうか。
フランチェスコがアルプレヒトの頭の中を読んだかのように苦笑した。
「確かに、単純にイメージだけならそうかもしれませんが。では、緑は何を示す色だと思いますか?」
「……森? 自然とか」
「そうです、そうです。緑は自然界を表す色なんですよ」
生徒に対する教師のようにフランチェスコは続けた。
「でも、自然は移ろいますよね。緑も季節により、その色を変えます。その移ろいを、恋愛の心変わりとみなすから、緑は恋の色なんですよ」
つまり、衣装を作るにもかなり知識を必要とするということだ。色のもつ意味、歌の作られた背景など、知っておかなければならないことが山のようにあるのだろう。
「すごいなぁ。本当になんでもできるって感じで」
「私は舞台で披露できるものがあるわけじゃないから、これくらいはね。適材適所」
そう話し、ディアーヌは微笑んだ。その微笑みにアルプレヒトは胸をドキドキさせる。そのアルプレヒトを見ながら、フランチェスコは先ほどと同じ口調のまま、問いを重ねた。
「では、次の質問です。あなた、どうして団長が団長だってことを知ってたんです?」
「……え? 何言って……」
笑顔のままのフランチェスコだが、まとう空気は逃げを許さない。まるで、アルプレヒトの気が緩んだ隙を狙ったかのようだ。
「会話の中で何度か呼んでましたよね。不思議だなあって、ずっと思ってたんですよ」
「それは、一番年上だから……。それに、リリアやヴァレールも『団長』って呼んで……」
「残念ながら、あの場では誰も彼を団長とは呼んでないんですよ」
それだけではない。昨夜、あの食堂では誰もアルプレヒトの前では自己紹介をしていないのだ。自分たちをつけていた相手にそこまで呑気に接するような集団ではない。
少年が息を詰め、体を強張らせる。言った、言わないの水掛け論になってしまうが、この様子では反論ができないのだろう。
「もう一つ。どうして、私たちの公演内容を知ってたんです? 観ていなければ、リリアやヴァルが公演に出ていないなんて、思わないでしょう?」
「……いや、人から聞いて、さ……」
「人から聞いて、ねえ」
はてさて、いったい誰から聞いたのやら。町の少年警備兵が。
「おい! 何してる! 早く来い!」
黙り込んでしまったアルプレヒトに、仲間の声がかかる。そう言えば、手助けに駆り出されていたのだったか。
「仕事の邪魔をして申し訳ありませんでした。お行きなさいな」
背中をポンと押されて、解放される。アルプレヒトは駆け出す直前、不安に揺れる瞳を投げかけたが、唇を噛み締め、そのまま駆け出していった。
「なんか、こう、素直な子なのねえ」
「腹芸は間違ってもできそうにないですね」
「その腹芸ができない子が、何を考えて私たちに近づいてきたかってことよね」
グリムデル家の公演は昨日。演目も舞台にたったメンバーも団員しか知らない。辺境伯家の宴に参加していたのは、近隣の領主や一部の商人たちだ。それらの参加者とつながっていて情報を得たとすれば、いろいろと知っていたとしても何も疑問はない。
「まあ、様子を見ながら、ですね」
放置でいいか、と昨夜のビョルンが言っていた。出たとこ勝負になるのは、なるべく勘弁願いたいところだが、下手につつきすぎて、次の行動に影響が出ても困る。
フランチェスコはディアーヌと顔を見合わせ、肩をすくめた。