大浴場にてイルミナに求婚される
「はぁ~…………」
大浴場に入った俺は一息ついた。極楽だった。宮殿にあるような広い浴場は完全に貸し切りだった。とびっきりの贅沢だ。
ましてや一仕事して汗をかいた後なので余計に気分がいい。ましてやあれだけエルフの国王や王妃、それからルナシスとイルミナに感謝された後なのだ。
気分が悪いわけがなかった。
「さてと……次は体を洗うか」
俺が浴槽から出てきた時の事だった。
ガラガラ。
戸が開かれる音がする。誰が入ってきたか、すぐに予想がついた。だがその予想はすぐに裏切られる事になる。
「ルナシス、お前、いい加減に……って」
俺は目を疑った。風呂場に入ってきたのはルナシスではなく、イルミナだったのだ。
布切れ一枚を持っただけのイルミナは自分の体を隠そうとはしなかった。姉であるルナシスと比べれば控えめな体つきとはいえ、こちらもそれなりに意識せざるを得ない。
「イルミナっ! どうしてっ!?」
「そ、それは……フィルド様のお背中をお流しに来たのです!」
顔を真っ赤にしながらイルミナは言ってきた。
「背中を流しに……け、けど、なんで」
俺もまた顔が真っ赤になる。
「私達、エルフをお救いになり、そして私の命をお救いになったフィルド様ですから。その功績を労いたいと思うのは当然の事です」
「け、けどさ……なんで裸……」
気恥ずかしさから俺は視線を外す。
「フィルド様! もしかして私の体、見苦しかったでしょうか!?」
イルミナは心配そうに声を張り上げる。
「え?」
「確かに私はお姉様とは違って、あまり胸もないですし、フィルド様のお好みではなかったでしょうか?」
「そ、そんな事ないけど」
「……そ、そうですか。それは良かったです」
イルミナは胸をなでおろす。
「それではフィルド様、よろしければ背中を流させてはもらえないでしょうか?」
「あ、ああ……」
ドギマギしつつも俺はイルミナの提案を無下にすることはできなかった。
◇
俺はイルミナに体を洗われる。俺の心臓の音はさっきから高まりっぱなしだ。無理もないだろう。こんな綺麗な少女に近づかれて何も感じないはずがない。俺だって健全な男なんだ。
「か、体の方はもう大丈夫なのか? イルミナ」
間が持たなくなった俺は適当に話し始める。
「はい。フィルド様のおかげですっかり元気になりました。今では普通に生活する事ができます。本当にありがとうございます」
「そ、そうか……それは良かったよ」
また沈黙する。間が持たない。イルミナという美少女に背中を流されているという状況を現実だと受け止め切れていない。
「大きい背中です」
背中を洗いつつ、イルミナは言ってくる。
「え?」
「大きくて逞しい背中。この背中で私達エルフを、そして私を救ってくれたのですね」
感嘆とした様子で言ってくる。
「俺だけじゃない。ルナシスやエルフ騎士団の協力があってこそだ。俺だけでできる事ではなかった」
「それは確かにそうかもしれません。ですがそれでもフィルド様がいなければエルフも私も救われなかったのは確かです。フィルド様が私達をお救いになった英雄である事には何も変わりがありません」
イルミナは俺の前に動いてくる。
「うっ……」
俺は目を伏せた。背中を洗われるだけならまだいい。姿が見えないのだから。前にこられると、色々と見えてしまう。
ただでさえ恥ずかしくて心臓が高鳴っているのに、余計に高鳴ってドキドキが止まらなくなる。
「私、フィルド様にお願いがあるのです」
「お、お願い? ど、どんな……」
「言っても構わないでしょうか?」
「あ、ああ。言っていいよ。俺にできる事なのか、なんなのか見当もつかないけど」
「はい……フィルド様、どうか私を――」
イルミナは潤んだような瞳で告げてくる。
「娶ってはいただけないでしょうか?」
「娶る!? め、娶るってどういう」
「それは勿論、フィルド様の妻にして欲しいという事です!」
「つ、つまぁ!」
俺は思いがけない告白に少々気が動転していた。
「は、はい。妻です」
イルミナは顔を真っ赤にして恥じらっていた。
「け、けど、どうして急に。俺達、そんなに出会って長くはないだろ」
「出会いの時間は問題ではないと考えています。王族というのは初対面の相手と結婚する事も茶飯事ですし、王家の都合で結婚する事はよくある事です」
イルミナは王女である。それにエルフだ。だから当然俺達、人間の一般人のような恋愛観、結婚観を持っていないのかもしれない。だがそれでも俺は突拍子がなさすぎるように感じる。
「それはそうかもしれないけど、けど、なんで俺といきなり結婚って。俺がエルフならまだわかるんだけど、俺は人間だぞ」
俺とイルミナが結婚する。それはエルフの社会的にみて一大事ではないか。だって、俺がいわば国王になる……いや、ルナシスが他の誰かと結婚すればそうはならないか。あまり想像できないが。だが間違いなく俺は王族としてエルフ国に迎え入れられる事となるだろう。
「それはさほど大きな問題ではないと感じております。フィルド様のこの度のご活躍にエルフの民は大変感謝しております。エルフの民は人間のように個体数が多くありません。そのため反発する民は殆どいないと思われます」
「それは確かにわかるんだが。どうして俺がいいと思ったんだ?」
「そんなの決まっています。フィルド様は我々エルフを救った英雄です。そして私の命の恩人です。人を好きになるのに理由はいらないと思いますが、理由としては十二分ではないでしょうか?」
「た、確かに」
「何か目的や理由があっての事ではありません。単純に私がフィルド様を好きで、お慕いしており、一生を添い遂げたいと思ったからお願いしているのです。ダメでしょうか?」
「ダ、ダメとか……そういうのじゃ」
「フィルド様……」
イルミナは瞳を閉じた。唇が迫ってくる。
「うっ……」
絆されそうになっている自分がいる。イルミナの奴、病弱でルナシスとは違った正反対の大人しいタイプかと思ったが、流石は姉妹だ。根っこの部分は共通している。病気さえ治ればこうまで積極的に来るのか。
「どうか、私の一生をフィルド様と添い遂げさせてください」
唇が迫ってくる、思わず流されそうになったその時だった。
ガラガラ。
また戸が開く。
「フィルド様! フィルド様を愛する私がお背中をお流しに参りました! えっ!?」
イルミナに遅れて、全裸のルナシスが風呂場に入ってくる。
「イ、イルミナ! どうして、フィルド様と! イルミナ! フィルド様に何をしようとしていたのです」
「それはお姉様、フィルド様に求婚していたところです」
「な、なんですって! イルミナ! いくら私の妹でも、それは許可できないです!」
「ルナシスお姉様、どうしてお姉様の許可がいるのですか? フィルド様の許可さえあれば問題ない事ではありませんか?」
「な、なんですって!! イルミナ!!」
「なんですか!! お姉様!!」
二人はにらみ合う。当然全裸だ。芸術品のような裸体を惜しげもなく晒している。
どうでもいいんだが、喧嘩をしないでくれ。俺が原因で姉妹喧嘩をされるのも困る。それに喧嘩は美しくない。見ていて気分が良くなかった。
「やめてくれ。ルナシス、イルミナ、喧嘩は」
「フィルド様……」
「申し訳ありませんフィルド様、そうですよね。喧嘩は。お姉様、仲良くしましょう。この地上で二人といない姉妹なのですから」
「ええ……そうね、イルミナ」
ルナシスとイルミナは微笑みあう。良かった、喧嘩が止まった。
「それにお姉様、私、気付いた事があるんです」
「え? 何を?」
「フィルド様と結婚できる妻は一人とは限らないではないですか」
「た、確かに、エルフ国には重婚は禁止されていない。お父様だって妾を相手に何人も手を出したりしているもの」
「そうです。だから私達二人で、仲良くフィルド様のお嫁様になればいいんです」
「そ、そうね。それだけの問題ね。二人でお嫁様になればいいんです! それで解決します!」
二人はにこりと微笑んだ。
お、俺の気持ちは一切無視か。まあいいが。姉妹が仲良くなるのが目下の問題事だ。
「それではお姉様、フィルド様の背中を流すのを再開しますが? お姉様はどうされますか」
「私も勿論手伝います!」
「わかりました。でしたら二人でフィルド様の背中を流しましょう」
か、勘弁してくれ。こうして俺はルナシスとイルミナの二人に背中を流される事となる。