第三話:冒険者たちと敵対者
「みてみてヴァン! こっちの果物はとげとげがついてるよ!」
「ああ。わかったからさっさと決めろよ……」
アリスのすぐ後ろで、腕を組みながらそう言った。
宿屋から三十分ほど歩いてたどり着く通りでは、露天商の並びを通り端にたどり着くまで見ることができる。どうやら冒険者向けの品物を売っている店が比較的多いようだった。
時刻は丁度昼を回ろうとしており、食料を売っている商人たちは、今が稼ぎ時だと言わんばかりに大声で客を呼び込んでいた。
そんな中、アリスは果物店の前で口を開けて商品を眺めていた。どうやら珍しい果物を見つけたようだった。
しかし、それを見つけてからもう十分ほど経っていた。その間ずっと後ろで待たされている。一応店主に月の宝玉のありかを聞いたりもしたのだが、知らないと言われてしまい、それからはすることが無くなった。
アリスはふんふんと鼻歌を歌っている。
一体どれだけ迷えば気が済むんだろうか。
さすがに、もう我慢の限界だった。
嬉しそうに左右へ揺れる彼女の肩をつかみ、そのまま後ろに引っ張ってやる。アリスは名残惜しそうに商品に手を伸ばした。
「ああ! もうちょっと見てたかったのに!」
アリスはこちらをにらみ、ぷくうっと頬を膨らませて抗議した。
「悪いのは早く決めないお前だ!」
そう言うとアリスは顔を背けて小さくぼそりと、
「……ヴァンのけち」
「おい、聞こえたぞ」
こぶしを作って脅してやると、アリスは両手で頭を覆ってぶんぶんと首を横に振った。
「ごめん私が悪かったよ! だから早く、ね? 早く行こ?」
アリスは泣きそうな顔になりながら行き先を指さした。どうやら宿屋での一件が相当トラウマになっているようだ。
……そんなに痛くしたつもりはなかったんだが。
とりあえずあの店に行こう、とアリスに袖を引っ張られた。
連れていかれたのは人形売りの店だった。陶器で出来た人形の数々が、ドレスや小物で飾られて奥の商品棚に座っている。つやのある金や銀のかつらもかぶっており、随分と精巧に作られていることが店先から見てもわかった。
なんとなくだが、どれも小さなアリスに見える。
ピンクのドレスを着た老婆がその店の主人だった。彼女はアリスを見るとまず上品に両手を合わせた。次いで真っ赤な口紅で厚く塗った口を開いて、あらまぁ! と言って驚いた。
「ステキなお嬢さんねぇ! ささ、見てってちょうだい、あたしの子たちを!」
老婆は食い気味にアリスの腕をつかんで、店の奥に引っ張っていく。アリスは困惑してこちらに視線を送った。
どうやら助けを求めているようだが、危険性は感じられない。それに先ほど、けちと言われたこともある。だから特に何もせずにそれを眺めることにしようと思う。
老婆はアリスの肩に手を置いて、彼女の手に人形を持たせた。アリスと同じ白いドレスを着た人形だった。アリスはそれを見て、ぱあっと音が聞こえるのではないかと思うほどに笑顔になった。
「すごい! 綺麗!」
いかにも少女らしい感想を述べたアリスに、老婆は満足そうな表情を浮かべる。
「ほかにも見てって。綺麗な子に持ってもらったら、この子たちも喜ぶからねぇ」
アリスは大きく一つ頷いて、他の人形も見始めた。
老婆はこちらを振り向いてにこりと笑い、
「あなたもいらっしゃいな。そこにいても面白くないでしょ?」
しわがれた声で手招きされた。
「いや、俺はここでいい。それよりも聞きたいことがある」
老婆はなにかしら、とこちらを伺いながらきいてきた。
「あんた、月の宝玉がどこにあるのか知らないか。地下室にあるらしいんだが、どこかでそれっぽいことを聞いたことがあったら教えてくれ」
「おどろいたわ、あなた冒険者なのね。……ということは、あの子もそうなの?」
「そうだ。それがどうかしたのか」
老婆はゆっくり首を縦に振ると、
「ここの決まりなんだけど。普段はね、あんまりそういうことを言わないことにしてるの。周りの店もみんなそうよ。情報目当ての冒険者がいっぱい来て、お店の商品を見てくれなくなっちゃうから」
それにね、と老婆は続けて、
「情報を言っても、それが真実かどうかは誰にもわからないのよ。以前間違った情報を言ってしまった店があってね、数日後に怒った冒険者がその店を燃やしたの。……それからはみんな、冒険者に教えるのが怖くなってしまったのよ」
やるせない話だった。確かに冒険者の中には、ずっと財宝を見つけられなくて焦っている奴もいる。そういうやつらは、いったん怒り出すと何をしでかすかわからないのだ。
ここの商店街の人間はそんな冒険者をたくさん見てきたのだろう。
情報を言わないというのにも納得だ。
しかし老婆の言った言葉の中に、気になるものがあった。
「普段、といったか?」
老婆は頷いた。
「まあ、あの子が私の子たちを綺麗って言ってくれたから、今日は特別に教えてあげるわ。もう一度言うけど真実かどうかはわからないわよ?」
なんと、アリスが奇跡を起こした。
「それでもかまわない! 教えてくれ!」
「まぁ、私が知ってる中で一番確実な情報だけどね」
老婆はそう言うと、せき込むようにして笑った。
耳を貸して、と言われ老婆に顔を近づける。老婆は手で口元を覆って小さく、
「そういうことに詳しい人を教えてあげる。裏通りの魔女って呼ばれてる人なんだけど――」
老婆の話はそれからしばらく続いた。
話を終えて店から出ると、タイミングよくアリスが戻ってきた。
「買ってしまった!」
彼女は先ほど老婆に持たされた、白いドレスを着た人形を抱えていた。店の方を見ると、老婆がアリスを見て優しく微笑んでいた。
アリスは人形を胸元に優しく抱きしめる。人形が金髪とドレスの中に埋もれる。どうやらアリスは大層気に入ったらしい。
「この子は今日から私の妹だから! 名前はメアリーね!」
大丈夫かこいつは。
案の定、目的のことは頭の中から綺麗に消えているようだ。
「おい、次に行く場所が決まったぞ」
そう言ってやると、アリスははっとしてこちらを見た。それからそっと頭の上に人形を乗せると、
「なぐらないでください」
表情を無くしてそう言った。
協力者がこれでは先が思いやられる。そう思って肩を落とした。
「ここから近いところだ。少し歩くぞ」
「え、うん」
アリスは曖昧に返事をすると、隣に来た。
目的の場所に着くまで、さほど時間はかからなかった。その間にアリスに老婆との話をしてやると、彼女は目を輝かせてそれを聞いた。
まだ、露天商の客引きの大声がわずかに聞こえてくる。
人通りの少ない通りの端、家と家の間にある細い道を目の前にしていた。
「なんかじめじめしてそうだね、なんか魔女っぽい」
苦い顔をしてアリスが言う。
「まぁ、観光客が来るような場所じゃねえからな。こっから先は治安も悪いそうだ」
「そうなんだ。でもまぁ、いざとなったら逃げればいいし!」
「正解だ」
どうやら本当に危ないことへの対処は心得ているようだ。
路地裏に進むと、一気に周りが暗くなった。家屋が日の光を遮っているのだ。二つ三つと別れる石畳の細道。人一人分の幅しかないそれらを、方角だけ頼りに選んでいく。時折後ろにいるアリスを確認するが、意外とこの状況を楽しんでいるように見えた。
「なんか、遺跡探索みたいだね」
じめっとした場にはそぐわない、明るい声色でアリスが言う。
「したことあるのか?」
ううん、とアリスは否定して、
「ある人にね、そう言う話をいっぱい聞かせてもらったんだ。だから、こんな感じなのかなって」
「奇遇だな」
「え?」
「俺もそんな話ばかりする奴と会ったことがあるんだ。どうしようもねえ馬鹿だったけど、そいつの話は面白かった」
「そっか。……じゃあさ、これも冒険にしようよ?」
「は?」
振り向いてアリスを見ると、面白いことを考えついた、というような含み笑いをしていた。
「冒険だよ冒険。私たちは魔女に会いに行くために、遺跡のような路地裏を歩いてる。見上げればかすかに光が差していて、それを頼りに周りを見て、危険がないか確認してる。私はもう、ドキドキしてるんだ」
だから、とアリスは、
「これは私たちの最初の冒険だよ。魔女に会いに行こう。ねえヴァン」
すごく大きなため息が出る。
「……やっぱ、馬鹿ってのはどこにでもいるんだな」
本気でそう思うが、
「でもまぁ、そういうやつの話は嫌いじゃない」
歩みを再開して、そう口にした。
するとアリスは花が咲いたように明るい声で、
「そうでしょ! じゃあ決定ね!」
そんな言葉をきいていると、路地裏の嫌な湿っぽさが、苦じゃなくなった。
ひとしきり歩いて、やっと細道を抜けた。出た場所もやはり道だったが、それでも幅は三倍くらい広い。そのぶん物もたくさん置かれているが、明るさも増して随分進みやすくなったように思う。
ただ、その道を少し進んだ時に一つ問題が出てきた。
「気を付けろ。見られてる」
周囲から視線を感じるようになった。おそらくは物陰に隠れている。先の方に置かれた樽だろうか。すぐ近くの木材の山だろうか。家屋に付けられた木窓だろうか。
いずれにしても、何者かがいることは確実だ。敵対するようなやつでなければいいのだが。
アリスが人形を抱いて不安そうに肩を震わせていた。こちらの袖をつかんで、周りをきょろきょろと見まわしている。
手で制して、そっとアリスを止めた。すぐ先にある瓦礫の後ろから、何か物音がしたような気がしたのだ。
「いるなら姿を見せろ」
明らかにこちらを待ち伏せている。そうでなければそんな場所に隠れはしない。
あーあ、と野太い男の声がその場所から聞こえた。
「もう少しだったのによぉ」
瓦礫の後ろから二人の男が姿を現した。声を発した細身の男と、髭の濃いふとった男。
細いほうがアリスを見て下卑た笑みを浮かべた。
「おほぉ! 近くで見るとすげえ美人じゃねぇか。こりゃあ楽しみだぜぇ」
太いほうが髭をなでながら、
「こんな上玉めったにいないね。久々にやるき出てきたなぁ」
さぁて、と細身の男が声を張って、それを合図に二人は短剣を手に持った。
――突然、細身の男が走ってきた。姿勢を低くして短剣を持った手を前に出している。
距離を詰めて一気に終わらせるつもりだ。
ちらりと見ると、アリスは腰を抜かして転んでいた。
さて、いざとなったら逃げると言っていたのはどこのどいつだろう。
これで彼女を連れて逃げることはできなくなった。
腰に差した短剣を抜き、男の一撃に集中する。向こうにいるふとった男も、ゆっくりとだがこちらに走ってきている。
二対一は分が悪い。早めに決着を付けなければ。
細身の男が低めの位置で短剣を振るう。体をよじってそれをよけ、代わりにパンチをくれてやる。
上手く相手の顔に命中し、今度は短剣を持った腕を蹴る。すると短剣が宙に舞い、男のはるか後方に飛んでいった。
「こいつ、強いッ!」
武器を取りに行こうと細身の男が逃げたタイミングで、太った男がやってくる。
その男の大振りの一撃をよけ、足に蹴りを入れてやる。
だがどうやら相当頑丈なようで、蹴ったこちらの足が痛かった。
男に隙を突かれナイフを振られる。――避けようと姿勢を低くするが、それを読まれていたようで、短剣が頬を掠めていった。
とっさに距離を取る。だが頬からはぽたぽたと血が流れた。
手加減はできそうにないな。
細身の男が戻って来ないうちに、もう一度太った男に突っ込む。すると今度も大振りがやってきた。冷静にそれをよけ、今度は男の足を短剣で切りつけた。
太った男は歯を食いしばって痛みを堪えようとしたが、体勢を大きく崩した。そこで膝をそいつの顔面に叩きつけて一撃を入れてやる。
鼻から血を流して、太った男が仰向けに倒れた。
ついに戻ってきた細身の男が、太った男を見て固まっていた。
「切るつもりはなかったんだけどな……」
細身の男に続けて言う。
「お前もこうなりたくなきゃ失せろ」
「くそ! よくも俺の仲間を!」
敵に傷を残すと恨みを買いやすい。だからできるだけ短剣を使わないように心掛けたのだが、どうやらそれは失敗してしまったらしい。
細身の男が歯をむき出しにしてこちらをにらむ。
激怒しているようだ。
だったらこちらから仕掛けよう。そう思って一歩踏み出したとき――――
「ヴァン、うえ!」
アリスがそう叫び、反射的にその方向を見た。すると、
「くらえや!」
剣を振り下ろしながら落ちてくる、三人目の男を見た。
間一髪で横に飛び、男の攻撃をよける。直後に石畳へ三人目の男が落ちた。甲高い金属音と人間の落ちた鈍い音が同時に聞こえた。
――――アリスが言ってくれなければ、いまごろ体は真っ二つにされていただろう。
飛び込んできた男は、全身を覆う赤いローブと、曲がったつばの付いた帽子を身に着けていた。両手に大型の直剣を持ったそいつは、その場にゆらりと立ち上がった。
「うそだろ? 今のやつよけられたの、初めてだぜ?」
ぼさぼさの金髪が肩まで伸びており、男の横顔を覆っていた。しかし隙間から見える口は、ぱっくりと割いたような邪悪な笑みを浮かべており、そこに鋭い殺気を感じた。
男は続けて、
「面白くなってきやがった。やってやるぜ。てめえ覚悟しな」
男が正面を向いた。緑色の瞳がまっすぐこちらを視線で射抜く。よくみれば鼻のあたりに横一文字で古傷がついていた。
男が長剣をこちらに向けた。
「――――来い。すぐに殺してやっからよ」
「――――やれるもんなら、やってみろよ」
相手の目を見て、短剣を構える。
まず、息を深く吐いた。