第一話:冒険者の出会い
丘の上から見えたのは、果てのない草原だった。
手で日の光を遮って目を凝らしてみると、ずっと向こうの方に小さく町が見える。
「あれがグウィネか。やっとだな」
ヴァンは疲れを顔に出しながらそうつぶやいた。
普通ならば馬車で一日かければ行けるような道のりを、もうかれこれ三日間も歩き続けている。それというのも馬車を雇う金を惜しんだことが原因だ。貧乏ゆえに金の入った革袋を軽くしたくなかったのだ。
だが今では後悔している。なぜあの時の自分は、多少無理をしてでも馬車を雇わなかったのか。おかげで三日も野宿をする羽目になった。
三日前の自分に、森の夜がどれだけ恐ろしいか教えてやりたい。獣の遠吠えを耳元で聞かせてやったら、きっと馬車でもなんでも雇ったことだろう。
背の低い草原が風を受けてなびく。
「ん? あれは……」
ふと見ると、丘の下に白い異物が転がっているのに気づいた。何かと思って少しだけ近づくと、転がっていたのは白いドレスを着た少女だった。仰向けに両手を広げて、雲一つない空を見上げている。半開きの口からは、きらりと一筋よだれが垂れていた。
向こうはまだこちらに気づいていないようだった。
隠れてしばらく様子を見ていると、少女はドレスの裾で口元を拭って、
「おなかすいたなぁ……」
ぽけーっと緊張感も無くそう口にした。
警戒して隠れていた自分が馬鹿みたいだ。ヴァンはそう思って少女のそばまで近づいた。
「おい、あんた」
声をかけると、少女は肩をびくっと震わせて起き上がった。ところどころ跳ねている長い金髪を左右に振って、やっとこちらの姿を目にとらえる。
「……人だ」
少女から発せられた第二声がそれである。
整った顔立ちに、陶器のような肌。長い金髪はほどけた絹糸の滑らかさで、腰まで波を作るように揺蕩っている。レース飾りの施されたロングドレスは、スカートの裾に細かなフリルを施していた。
見るからに残念そうな雰囲気がなければ、ときめいていたかもしれないほどに美人だった。
少女は目をぱちぱちと瞬いたあと、草に手をついてこちらに身を乗り出した。
「ねぇ、あなた!」
そう告げた少女は、目の覚めるような満面の笑みを浮かべ、
「食べ物持ってないかな!」
「は?」
なんだこいつは。
まさか出会って十秒足らずの少女に、食べ物をたかられることになるとは。やはり興味本位で関わるべきではなかった。
「じゃあな、俺はいく」
そう言って立ち去ろうと少女に背を向けると、少女はすがるように足にしがみついてきた。
「お願いちょっと待って! お腹がすいて死にそうなんだよ! もう限界なの! 歩けない!」
振りほどこうとするが、そうすると少女は涙目になって余計に力強く足をつかんできた。
「知るか! あんたの責任だろそんなの! おとなしく草でも食ってろ!」
「草は食べ物じゃないよ! お礼もするから! 食べ物をくれるだけでいいの!」
――お礼。その言葉を聞いて、振り回していた足をぴたりと止めた。
金が惜しくて馬車を雇えなかったことを思う。
「……ちなみに、そのお礼ってのは金だろうな」
「おかねあげたら食べ物くれるの……?」
頷くと、少女は目にためていた涙を引っ込めて、花が咲いたような笑みを顔に浮かべた。
「あげるあげる! 食べ物ちょうだい!」
「交渉成立だ。食えるもの出すからその手を放せ」
驚くほど素早く手を離した少女は、草の絨毯の上に行儀よく座った。スカートの裾をぱっぱと手でほろうと、期待を込めた眼差しでこちらを見つめる。
その元気があれば歩けるだろうとは思いつつも、背負っていたリュックの中から、布で包んだ大きめのパンを取り出した。
「ほら、まだ手を付けてないやつだ」
受け取った少女は獣を思わせる乱暴さで布を取ると、姿を見せた白いパンに目を輝かせた。
「ありがとう! じゃあ――」
何か言い終わる前に少女はパンにかぶりついていた。パンを口にくわえながら何かもごもごとしゃべっているのを見るに、おそらく手が勝手にパンを口元に持っていったのだろう。相当おなかがすいていたというのは本当だったらしい。
「うまいか?」
ぶんぶんと音が聞こえるくらいの勢いで首を縦に振る少女は、それから数秒後にいきなり首を押さえてのけぞった。
苦し気な声が少女の口元から漏れる。すぐに喉を詰まらせたのだと気づき、慌てて水筒をやった。すると少女は中身を全て飲み干すいきおいでそれをあおった。
だはあ、と少女は中年の親父がやるように息を吐きだした。
「死ぬかと思ったぁ……」
その様子を呆れながら眺める。
「慌てすぎだばか。食べ物は逃げてかないから。ゆっくり食えゆっくり」
怒られた彼女は唇を突き出してしょんぼりした顔になった。
「だって、おいしいんだもん。ほら、空腹は最高の調味料ってよくいうし……」
そう言いながらもしゃもしゃパンを食べ続ける少女を見て、ヴァンは肩をすくめた。
しばらくして食べ終わった彼女は、再びあおむけになって空を見上げ始めた。
「おいしかったなぁ。……ありがとうね?」
幸せそうにそう告げる少女。だが肝心なことを忘れてもらっては困る。
「お礼は言葉ではなく、金だ。そう約束しただろ」
ああそうだった、と少女は起き上がった。それから自身の傍らに置いていた革張りの四角い鞄を開ける。中身をがさごそと漁る。
少女は、はち切れんばかりに中身の入った革袋を手に取った。
「はいこれ!」
袋をそのままこちらに手渡してくる。
流れのまま受け取ると、そのずっしりとした重みに思わず袋を落としそうになる。
「おい! おま、おまえ、これ……!」
袋の口からのぞく鈍い金の輝き。いちいち確認しなくともわかる。途方もない大金だ。
「これぐらいあれば足りる? もっとほしい?」
なんだこいつは。
先ほどとは違う意味で普通じゃないやつだと思った。手に持った金貨の重みが血の気を失せさせる。
「こんな、なぁ、もらっていいのか……?」
思わず呆けたような声で発してしまったその言葉に、少女はにこりと笑って頷いた。
「もちろん! 助けてくれたお礼!」
こんなにもらうほどのことはしていない。そう言いそうになって、慌てて自分の口を押えた。くれるというのならもらうべきだ。この金は間違ってもらったわけではない。彼女も金額に同意している。
だがあと一歩のところで頷けなかった。何か決定的な部分で、こんなにもらってはいけないと思ってしまう。
自分の器の小ささを呪って、がっくりと肩を落とした。
「す……すまねえが、この中の二、三枚だけで十分、だ」
それにしたって金貨だというのなら十分すぎる金額なのだが。
少女はきょとんとして顔を傾けた。
「どういうこと? いらないの?」
「そんなわけはないんだ……。でもこんなに……見合わねぇ……いやだが……。あぁくそお」
「見合わないって? 私を助けたことと、この金額がってこと?」
うなだれて肯定すると、少女はうーんと唸った。
やがてそれが聞こえなくなると一つ息をつく音が聞こえた。
「そっか、じゃあもらえるだけもらってよ」
「ああ。そう……言ってくれると、助かる」
そう口にしてから、歯を食いしばって袋を開けた。そこから三枚の金貨を取り出して、少女に返す。
こんなチャンスはもう二度と訪れないだろう。後悔することになるのは目に見えている。だが負い目のある金では、きっとあいつらを幸せにしてやることができない。それだけはわかる。
間違いではない、はずだ。
「なぁあんた、何者だよ。ただの行き倒れとは言わせねぇぞ」
先ほどまでの疲れをさらに加速させた顔で、ヴァンはそう問う。
すると少女は困ったような表情で頬を指でかいた。
「聞きたい? そんな大したものじゃないんだけど……」
「何を言われてももう驚かねぇよ」
「実は、」
少女は両腕を擦り合わせ、恥ずかしそうにもじもじしながら、
「――冒険者、なんだ」
「うっそだろ!」
本当に、決して驚くつもりはなかったのだが。
口が開いたまま閉じないほどには、驚愕の事実だった。
この世に隠された財宝を探す冒険者。伝説の手記をもとに旅する、危険をかえりみない命知らずたち。
そんな冒険者も数あれど、女性で、しかもこんなかわいらしい見た目の少女がいるなどとは聞いたことがない。そんな珍しい情報があれば、すぐにでも耳に入ってくるはずなのだが。
「と言っても、まだ駆け出しなんだけどね」
「……いよいよ本当におかしなやつだ」
すると少女は眉を寄せて、ぷくうっと頬を膨らませた。
「そんなことないよ! 私は誇りを持って冒険家をしてるの!」
「腹が減って倒れていた奴がよく言う」
言っておくけど、と少女はこちらを指さして言い、
「私は黄金の大聖堂に行くつもりだから!」
どうだまいったかと言わんばかりの顔で少女はそう告げた。
驚きと困惑のあまり、言葉が喉に詰まってしまう。
黄金の大聖堂。まさか少女の口からその名前が出るとは。言われた今でも信じられない。伝説の冒険家が残した手記。その最後に書かれていた幻の秘宝。数々の冒険者がその謎に挑み命を落としてきたとされ、手記が公開されて二年経った今でも、大聖堂に至った者はいないと聞く。
それだけではない。
自分にとっては。
「いいや、お前が最初なわけがねぇ」
目を伏せてそう口にした。それから親指を立てて自分に向けた。なぜなら、と前置いて、
「黄金の大聖堂には、俺が行くからだ」
そう。黄金の大聖堂は、冒険者である自分の目的地なのだ。
少女は目を見開いて、
「まさか、あなたも冒険者なの……?」
大きく一つ頷いた。
「そうだ。だが別にここらへんじゃ別に珍しいことでもないさ。なにせこの草原を通った先、ここから小さく見えるあのグウィネには、黄金の大聖堂へ至る手掛かりがあるんだからな。街に行けばそこら中にいると思うぞ。血眼になって手がかりを探し回っている冒険者たちがな」
自分も今からその中の一人になる。おそらくは少女もそうだ。
だから、と続けて、
「せっかく助けたところ悪いが、あんたとはこれまでだ。こっから先は財宝を狙う敵同士。せいぜい町の中では行き倒れないように気を付けろよ。じゃあな」
もらうものはもらった。ここにもう用はない。
再び少女に背を向けて町へと一歩踏み出した。
だが二歩目を踏み出そうとしたところで、足に重量を感じた。
見ればまたしても少女が涙目になって足に縋り付いていた。
「ま、待ってよ! ちょっと待ってもう少し話を聞いて!」
振りほどこうと足をぶんぶんと左右に揺らすが、それに合わせて少女の顔が動くだけで、腕の力はなくならなかった。
「放せ! お前にかまってる暇なんてねぇんだ!」
「ごめんなさいお金あげるから話聞いて! お願い!」
――金。その言葉にはどうしても逆らえない。体が勝手に反応してしまう。
仕方がないな、とその場で止まってやる。
「なんだ。しょうもないこと言ったら今度こそ振りほどいてやるからな」
少女は安堵を顔に出し足から離れる。それからほっと息をついた。
「あのね、いい話があるんだけど。お金がいっぱい手に入る方法」
それはとても興味深い。
「ほう、言ってみろ」
すると少女の顔から笑みが消え、
「……あなた、私に雇われない?」
「は?」
何を言い始めたのかと思えば。
やはりどこかおかしなやつだったのだ。
だが少女の目は真剣だった。宝石のように青い瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。
「簡単に言うとね、私に協力してほしいんだ」
「お前、さっき言ったばかりだろ。俺たちは敵同士で――」
いろんな冒険者の話を聞いたけど! と言って少女はこちらの言葉を遮った。見ると、先ほどまでとは違う気迫を彼女から感じた。
何を考えているのかわからない。だが彼女が本気なのは確かなようだった。
「一人で冒険を成功させた例は今のところないよ。伝説の冒険者ノイマンも、相棒に魔獣を連れていたし」
そこで相談なんだけど、と彼女は言った。
「給料は高いよ。宿代も食事代も私が払う。宝を見つけた時はあなたの取り分が多くてもいい。だから、」
少女はきつく口を結んでから、意を決したように、
「私と一緒に冒険してくれない?」
最後は震え声でそう言った。
「お前……なぁ……」
少女の正面で胡坐をかいた。
とにかくいろんな言葉が頭の中に浮かんできた。困惑や驚きの中に、仄かな怒りなども混ざっている。甘く見るな。自分で何とかしろ。そんな言葉が口をついて出そうになる。
「本気か……?」
わかりきった質問。案の定、その言葉に少女は頷いた。
見れば彼女の肩は震えていた。
それを見ていると、責める気が無くなってくる。
「どうしてそんなに財宝を欲しがるんだ。お前の財力ならそんなものなくたって……」
一拍間が空いた。
「憧れてるんだよ。伝説の冒険者に」
少女はぽつりとそう言って、緊張にゆがんだ笑みを浮かべた。
「だから、あの人の見た景色を、私も目にしたいと思ったの」
その言葉の中には、果てしない夢が詰まっているような気がした。
……そんな恥ずかしいことを平気でいうやつを、一人知っている。自分の知っているそいつは、本当に宝を見つけて、伝説の冒険者にまでなった男だ。
――憧れてんだ、まだ見ぬ景色に。
あいつと同じようなことを言いやがった。
なんなんだこいつは、本当に。
頭の中で言葉が一つ、最後に残った。
「――――わかった」
たった四文字の言葉で、少女は信じられないものを見たかのような目をこちらに向けた。
「……いい、の?」
その問いに、大きく一つ頷いてやる。
「この冒険、お前に賭けてみるのも面白い」
少女がうれしさのあまり叫び出すまであと二秒。
思う。今自分の人生が大きく変わった。この出会いはきっとなにか特別なものだ。そうとしか考えられない。
――あの男なら、きっとそんなふうに考えるのだろうな。