大賢者のいる森1
お母さま、いかないで、と女の子が叫ぶ。
白い手が
こちらに向いた白い手が遠ざかる。
あれは。
だあれ?
「あ……そうか。」
久しぶりに夢を見た。6歳までの記憶がない。それは、母との記憶が無いことと同じ意味になる。しつこく母の居所を聞く私に父は『あの淫売は男を作って国を出た。』 と教えられた。淫売とは何かと家庭教師に聞いた時の彼女の顔の歪みは一生忘れないだろう。
いつもと違う天井に、そうだ、もう城には帰らなくていいのだと思う。生まれ育った場所だというのになの心残りもない。悲しいとも。虚しいとも。こんなものだったなんて自分でも拍子抜けだ。
「やっぱりまだ覚めねぇ~~!!」
起こしに行こうかと思えばハルの部屋からそんな声が聞こえた。聞かなかったことにしてドアを軽く叩いた。
「ハル。出発するよ。」
「エマ!俺を置いていくなよ!お願いだあぁ!」
いつの間にこんなに懐かれたのだろうか。まあ、王と兄と大神官に監禁されていたのだから、助けてくれた私に良い印象を持つのは当たり前か。
「行かないよ。行かないから。靴の結び方分からなかったかな?結ぶからこっちのテーブルの椅子に座って。」
「……ありがと。」
「ズボンを中に入れておかないと石とか入るから。」
「うん。」
「あと、朝食は簡単にパンとスープで済ますね。これまで食事はちゃんと食べれていた?」
「うん。まあ、なんか上品なものがいっぱい出てきてた。俺は肉が良かったけど。」
「ぷっ。でも当分私も肉は非常食の塩漬けくらいしか食べさせてあげれないかも。」
「が、我慢する。」
「早めに大賢者が見つかると良いんだけどね。まあ、まさか私たちが大賢者探しに行くとは思わないだろうし、北の森には魔物がうじゃうじゃいるから追手もこないだろうけど。」
「ま、魔物!?」
「先に謝っておくけど、ハルが知っている通り全属性、火、水、風、土、光の魔法は使えるけど、今まで大っぴらに使ったことないの。剣はまあまあ。でも実践経験無いからハルを上手く守れるか……。ヤバかったら一度戻ってギルドで傭兵でも雇わないといけないけど……お金がなぁ。」
「……それでレベルが低いのか。うん、よし!エマのレベルも上げようぜ!」
「レベルって?」
「俺に任せといて!」
ニコニコ笑うハルの顔は可愛いけど、いまいち信用できない……。
*********
ギャウァアアアア!!!
目の前のヘルスネークが一太刀で真っ二つに裂ける。あまりの切れ具合に私の方が驚いてしまった。
「すげぇえええ!!エマ!」
「え、いや、なんなの!?この剣……。」
北の森に入ると待ち構えていたように次々と魔物が襲ってくる。が、ハルが『伝説』だというこの銀色の剣の前ではいとも簡単に魔物が倒されてしまうのだ。もしかして、私って強かったのかと勘違いしてしまいそうだ。
「おおぅ。確実にレベルが上がっていく……。」
「で、さっきからハルは何してるの?」
「エマ!このキノコ集めて!後で焼いて食べよう!」
「え……。私、キノコは得意じゃないんだけど……。」
「好き嫌い言わないの!マジックポイント増えるから!」
「……何言ってるか分かんない。」
後方でハルが何やら赤の傘に水色の柄の気持ち悪いキノコを集めている。正直辞めていただきたい。でも、ハルは鑑定を使って何やら色々と考えてくれているようだし……。
「いい?エマが強くなんないと、俺、攻撃魔法使えないし、後方支援オンリーよ。もしかしたら、補助魔法覚えたりできるかもだけど、どういう仕組みかまだ分かんねぇし。だから、お互い体力ゲージめいっぱい増やして魔力増やして、んで、レベル上げていくの。OK?」
「お。おーけー?」
ハルは時々訳の分からないことを言うけれど、でもいう事を聞くと確実に自分が強くなるのが分かった。夜は魔物除けの香を焚いて野宿になる。焚き木をしていると大抵の魔物は寄ってこない。簡単なスープを作ってハルに渡すとハルがその辺の枝に刺したキノコを私に焼くようにと差し出した。
「これ、食べなきゃダメ?」
「ダメ。」
もしゃもしゃと不気味なキノコを食べまくるハルに恐る恐る声をかけるがすぐに却下された。はーっと覚悟を決めてキノコを喉の奥に流し込む。
「意外に旨いと思うけど?」
「このぐにゅって言う感触が苦手なのよ。」
ハルはキノコ類に抵抗はない様だ。確かに味は悪くないのかもしれないがそもそも感触が嫌いなので噛めない。
「はは。姉ちゃんもキノコ類嫌いだったわ。」
「ハル……のお姉さん?」
「あ……うん。俺、3人兄弟でさ。一番上が兄ちゃんで二番目に姉ちゃんが居たんだ。兄ちゃんは9つ上だったし姉ちゃんは6つ。年が離れてたから二人とも可愛がってくれてたよ。」
「そう。仲が良かったのね。」
「うん。誕生日は張り切ってケーキ焼いてくれてさ。兄ちゃんがパティシエ……えと、ケーキ職人だったんだ。蝋燭に火をつけて皆で歌うたってくれて……。」
「そう。」
「こっちも誕生日ってケーキ食べる?」
「うーん。お兄様の誕生日は盛大なパーティが開かれていたからケーキも出てたと思うけど。」
「エマのは?」
「……基本私は無視だから。」
「え?」
「ああ。街の仲間は祝ってくれたから。ハルがそんな顔しなくっていいよ。」
「なんか、エマは王女様だけど俺が思っていたのと違うな。」
「ゴメンね。王女って言っても本当に要らない存在だったから。それっぽくなくて。ハルの誕生日にはケーキ食べようよ。甘い物、私も好きだよ?」
「じゃあ、エマの時は俺が用意してあげる!あ……お金ないけど。って、ほら、魔物倒したら魔石取れてんじゃん。あれ、お金になるんだよね?」
「え?う、うん。」
「俺の分の分け前もよろしくね。」
「う、うん。」
ハルの話を聞くとずいぶん文明が進んだところから来たことが分かる。不便も感じているようだがなんでもはっきり言うわりにはわがままを言うことは無かった。今までハルが通したわがままと言っても叩き売りされていた剣を買わされたことぐらいだけど、それだって結局は私の物になっている。意外にハルは金銭面もちゃっかりしていて、その後、魔物を倒した後の分け前をどうするかの話をさせられた。そうやって、野宿して、魔物を倒して、キノコ食べて、を繰り返して過ごした。
「クリーン!」
指先からきらりと光る魔法の粒がハルを包む。どうやらハルは魔法を組み合わせたり考える天才だったようで、あれこれできないかと私に相談して来ては新しい魔法を作った。この体を綺麗にする『クリーン』と言う魔法もハルの発案でハル曰『水でほら、押し流したら綺麗になるんじゃない?』と言う事で水で体の汚れを洗い流しながら風魔法でそれを取り去るという魔法を編み出した。水の粒と風のを小さな大きさにするのがコツで、服ごと綺麗にできる優れものだ。――まあ、魔法を使うのは私なのだけど。ハルの方も治癒魔法の癒しの手だけでなく、『バリア』という結界が張れるようになっている。
「はー。すっきり。ありがと、エマ。」
「どういたしまして。」
色々な生活魔法も使うようになって思っていたよりも快適に森の中で生活できていた。特にこのクリーンのお陰なんだけど。かれこれ歩いて随分と北の森の奥深くまでやってきたのではないかと思う。そして、初めて言葉の分かる魔物に会えたのはハルと北の森で過ごして2週間目の事だった。
「ふうん。お前が召喚された聖女か。」
北の森の奥深くには美しい湖があった。いかにもただの泉ではなさそうなそれは不気味なほど美しいエメラルドグリーンの色をした湖だった。辿り着いたときにすぐ『鑑定』をしたハルはそれが『復活の泉』であることを教えてくれた。なんでも飲んだら体力と魔力が戻るという。その時のハルの興奮は凄かった。そしてその水を何と汲めないかと相談してくるハルに頭をひねっている時に声をかけられた。
「俺、聖女じゃない。」
「……そのようだな。可愛い顔をしているが間違いなく男の匂いがする。」
そう言ってハルに声をかけてきたのはユニコーンだった。青みがかった白い美しい馬の姿に立派な角が額に生えていた。なんと美しい生き物なのだろう。ぼうっとエマがその姿を見ていると、バチ、とユニコーンと目が合った。
「ほう……これは、美しい乙女がいたものだ。」
ユニコーンは乙女が好きだと言われているけれど、本当にそうらしい。エマをお気に召したのか急に鼻っ面をエマの顔に寄せてきた。なんだかその動作が可愛くて、自分の愛馬を思い出しながらエマもその甘えてくる鼻先を撫でてやった。
「決めた。この娘を嫁に貰おう。」
「はあ!?」
「え。」
「おいおい。馬のくせに何言ってるんだ。」
「何を!私はユニコーンだぞ!お前、誰にそんな口を聞いている。」
ユニコーンがとんでもないことを言い出すとハルはユニコーンに臆することなく言い返す。
「エマはなぁ、お前が嫁にできるようなお方じゃないんだぞ!」
いえいえ、ただの王女だし。しかも家出中でもう王女でもないかもしれない。ハラハラと見ているとハルが何かをユニコーンに耳打ちして、それからユニコーンが納得したように黙った。
「非常に好みではあったがそれならば仕方がない。で、お前たち、こんなところで何をしているのだ?」
「俺たち『大賢者』を探してるんだ。」
ハルが言い切るとユニコーンは大笑いした。
「あーはっはっはっはっは!人間になどに見つけられるものか!身の程をしれ!」
「それって、人間の形をしていないか、もしくは目に見えないとか?」
「実態はあるんじゃないか?小さかったり、意外な感じなんじゃない?」
「え、あ?ちょ……なに?ヒント出しちゃってた?」
焦るユニコーンを見ると当たっているらしい。
「なんにせよ、実在してるってことが重要だよね。」
「うんうん。」
「え、そんなこと言ってた!?しゃべっちゃってた!?」
「だって、お前、『見つけられるか』って言ったじゃん。て、ことは大賢者はこの森に存在していて、しかもお前の知り合いだってことになる。」
「……。」
黙り込むユニコーン。気のせいか顔が青い。
「おいおい、ここで立ち去ったら俺たち間違いなくお前の後つけるぞ?」
「……。」
立ち去る気マンマンだったユニコーンがハルの気迫に後ずさる。なんとしてでも元の世界に戻りたいハルだって好機を易々とは逃がす気はないだろう。にらみ合う二人をどうしたものかと眺めていると後ろから新たな声が聞こえてきた。