聖女の正体とは
ひと目拝むだけで。
その日、エマはそのくらいの軽い気持ちで城の奥に忍び込んだ。城で育ったエマに隠して置ける場所などない。大抵の部屋の鍵の開け方も知っているし、きっと城の誰よりも城の構造を熟知していた。
「へえ、厳重だな。」
思ったよりも警護が厳重なのでやはりここに聖女がいるのだろう。するりと警護の者の目を盗んで先を行く。その先は何重にも鍵をかけられた扉が続いた。
「逃亡禁止か。」
やはり聖女は監禁されているのか。そう思うと気分が落ちる。内装が綺麗でもここからは貴族専用の牢屋だ。嫌な予感が当たってしまいそうだ。
ふと、人の声が聞こえてきてエマはタペストリーの後ろに隠れた。
「もうそろそろ納得して頂かないと示しが着きません。」
「やはり眠らせて手術してしまうか。」
「しかし、それで瘴気を祓えますか?」
「言うことを聞かないなら薬漬けにでもするしかないな。」
「上手く行くでしょうか。」
「ダメならその時だろう。また召喚すればいい事だ。」
「星が揃うのは40年先ですぞ?」
「はあ。もう、いい。明日、眠らせて手術を行え。口の硬い医者はもう手配している。これ以上待っていられるか。」
兄と大神官だ。聖女は病気なのだろうか。それにしては大神官は不本意そうだ。イライラと靴を鳴らしながら行く兄を追うように大神官が足早に立ち去る。暫くしてから辺りを確認してエマは二人が出てきた方向に進んだ。
しくしくと泣き声が聞こえる。
この扉からだ。どうやら聖女は泣いているようだ。中を覗きたいが、扉を開けることは出来てもこっそり伺う様な窓はない。
どうしたものか。
ここに来たのがバレてしまえばいくらエマでも許してはもらえない。それどころかめいいっぱい兄に罪をでっち上げられて良くて暗殺、悪くて公開処刑だ。
けれども聖女の泣き声は悲痛だった。あんな声で泣いている者を放っては行けない。ふう、と息を短く吐いてエマは決断すると秘密の鍵を使って扉を開けた。
「だ……れ?」
エマが中を覗くと聖女が鼻声でそう声をかけてきた。
エマが見た聖女は黒い髪をして黒い目をしていた。黄味がかった肌の色。エマを見上げた顔は可愛らしい。これは、兄が大喜びした筈だ。くりくりと大きな目は涙を貯めているがキラキラと美しく黒曜石のよう。薄く開いた唇は果実のように潤いふっくらとしている。歳はエマともかわらなさそうだ。
どこか病気なのだろうかと観察してみる。服は大神官が揃えたのだろう神殿の巫女が着る服を着ていた。少しやつれてみえるがそんなに不健康そうには見えなかった。
「あの三人以外の人、初めて見た……。」
聖女もエマのことをじっと観察していた。エマは男の子の格好をしていたので警戒されただろうか。
「貴方が召喚された聖女様?」
「お、俺は聖女なんかじゃない!!」
エマが率直に問うと聖女が怒りながら叫んだ。
「俺?」
「突然、学校帰りにこんな所に来たんだ!俺を元の世界に返してくれよ!」
くるくるとエマが頭を回転し始める。
手術
薬漬け
何故そんなことをしなければならないのか。
目の前のこの子が言ったではないか。
――俺は聖女じゃない
そう、よく見ると骨格がしっかりしている。召喚に成功したがそれは聖女では無かったのだ。
この子は女の子じゃない。
「貴方は、男なのか?」
「そうだよ!あいつらにも何度も言ってる!なのに!女装しろだとか、わけわかんない事ばっかで、俺、家に帰りたいのに!」
「貴方の立場は分かるけど、落ち着いて。声が大きいと僕が来たのがバレちゃうから。」
「……君は俺を助けてくれるの?」
縋るような目を向けられてエマは押し黙る。この子はこのままだと体の一部を取られてしまって薬漬けだ。
「助けて欲しい?でも、僕は貴方を元の世界には返せない。出来ることと言ったら、ここから逃げ出す手伝いをするくらいだよ?」
「俺、自慢じゃないけど直感冴えてる方なんだ。このままじゃヤバイって分かる。」
「……。初めて会った僕にゆだねるのは不安じゃない?」
「君は……うん。大丈夫。キラキラしてるから。あいつら、どす黒くてねばついてる。」
なんの話か分からない。聖女はエマの後ろを見ているような感じだった。なにか特別な力を持っているのかもしれない。
ふう、
とエマは息を吐いた。
今ここで決断しなくてはならない。城を出るか。聖女を見捨てるか。ぎゅっと目を瞑ってエマは即座に決断した。
「僕はエマ。貴方、名前は?」
「俺は治人。大柴治人。よろしく。」
その言葉にエマは手を伸ばした。
「ではハル。逃げよう。この城から。僕と共に。」
「うん!」
掴んだハルの手は暖かかった。
********
エマは常に逃げる準備をしていた。
いつ暗殺されてもおかしくはないし、いつ切り捨てられてもおかしくなかったからだ。秘密の通路を使って城の庭の道具小屋に着くとすぐにハルを着がえさせた。男の子の服を渡すとハルは嬉しそうにしたが着替えるのは恥ずかしがってエマに見ないように言った。
さっきまで泣いていたハルが笑っているのを見てエマは不思議な気持ちになった。エマは伝染病のせいで政略的に嫁げないので城に置かれていただけである。そろそろ自分の身の振り方も考える時期が来ていた。けれどもこんなにあっさりと城を捨てる事になるなんて考えてもみなかった。
「さあ、急がないとすぐにバレちゃうから。」
見つかったらエマは処分される。なにせ聖女を攫ったのだから。
「なんだか、俺が囚われてたお姫様でエマがそれを助ける王子様みたいだな。」
ハルがそんなことを言う。可愛らしい顔でそんなことを言うものだから本当に自分がお姫様を助ける王子になったような気分だ。
「追手の目を欺くために森に行く。危ないけれどついてくる?」
「なんだよそれ!絶対、連れて行ってよ!今更放り出すとか、無理だから!」
ハルの目にさっきまでの暗さは感じられない。それどころかキラキラとエマを見つめていた。こくりとエマは頷くとハルを伴って魔獣の住む森へとすすんだ。
「エマってすげぇな!!流石全属性持ちだ!」
小さな魔獣を倒しながら森の隠れ家へ行く途中、ハルはエマにそんなことを言った。『スゲェ!ゲームみたい!ファンタジー!!』と歩くたびに五月蠅い。大抵のことは流して聞けたが今の言葉は聞き捨てならなかった。
「ハル。僕が全属性ってどうして知った?それに、いつ女だってわかった?」
森の隠れ家に着いた時、真っ先にエマは確認した。ずっと隠してきたことをどうしてハルが知っているのだ。この属性持ちであることもエマが一部の者に王にと望まれる理由だった。しかもハルは着替えるときにはっきりとエマを意識した。確実に女だと分かっている。
エマに問われたハルはハッとして目を泳がせた。じっとエマはハルが話始めるのを待った。
「う。わ、分かったよ。俺、ステータスが見えるんだ。自分のも。他人のも。だから、エマの本名も王女様だって事も知ってる。」
「は。ステータス?」
「えーと。例えば本名と属性、後はレベルとか?」
「そんなものが分かるの?」
「う、うん。やっぱり、コレ普通じゃないのか。」
「普通じゃない。王や兄たちには黙ってた?」
「うん。なんだか信用ならなかったから。あいつら俺が女だったら良かったってあからさまな態度だったし。」
「ハルの能力は?」
「うーんと、鑑定で多分ステータスが見れるんじゃないかな。あとは癒しの手?ってやつ。聖女とはどこにもないよ。」
「王は瘴気が祓えるかって聞いたんじゃない?」
「癒しの手ってやつで……うんまあ。瘴気って伝染病の事だろ?モヤモヤした霧を晴らしたら治るみたいだった。」
「そうなんだ。凄いね。」
「あと、人のオーラが見える。なんか、黒っぽいモヤモヤとエマみたいなキラキラのヤツ?俺がまともに会った人物4人しかいないけど。」
「そんなのあるんだ。」
「よくわかんないけど大神官が一番黒かった。」
「ハルは逃げて正解だったかもしれない。そんなすごい力があの人たちに渡ってたら……。」
王は皆平等には瘴気払いはしないだろう。まず、金を積ませて貴族からもったいぶって病を治す。大切な領民は最後になるだろう。安易に想像できる。国が滅びれば元も子もないのに目先の欲にかられて後のことまで考えたりはしないのだ。
「なあ、俺がしつこく『家に帰せ』って言ってたら王子が怒って『返せることなら返している!聖女じゃなかったのからな!』って言ったことがあるんだ。あれって……やっぱり俺は元の世界に帰れないのか?」
不安そうにハルが言うがエマも方法は知らない。
「よくわからないけど、召喚された聖女が元の世界に帰った前例はないの。お兄様は貴方を妃にするつもりだったから余計に怒ってたのかもしれない。」
「ちょ、妃って、嫁?冗談じゃない。」
「冗談だったら貴方を手術させてから薬漬けにするなんて言ってないとおもう。」
「え……。」
「貴方の部屋に行く前に廊下で大神官とお兄様が話しているのを聞いたのよ。」
さっとハルの顔色が青くなり、意味が分かったのか無意識に股間に手を当てていた。
「お、俺終了危機一髪……。」
「ハルは時々訳の分からないこと言うよね。召喚の儀については残念ながら大神官ほど詳しい人はいない。ハルを召喚したのは大神官だもの。戻って聞くのはお勧めしないけど。」
「話は聞きたいけど、ぜってぇ戻らない。掴まったら男でいられなくなるし!俺が元の世界に帰るのを……エマは協力してくれる?」
「私が良い人かどうかなんてわからないのに信用していいの?私は、ハルが力を貸してくれるならいくらでも私の力を貸せる。でも、その前に。」
エマはハルの前で膝をついた。両手をクロスさせ手のひらを胸に当てる。謝罪のポーズだ。
「王家の者として貴方に謝罪を。貴方を貴方の世界から引き離し、貴方の両親や友達、住み慣れた環境を奪いました。申し訳なく思っています。許されるとは思っていません。その代わり、誠心誠意尽くしたいと思います。」
エマはハルに頭を下げた。今までへらへらと笑っていたハルはそのことで急に大粒の涙を流して泣き出した。