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過去を観る船

作者: 荒城醍醐(五代暁)

「春が来る惑星」のシリーズです。高度な知能をもつバンドウイルカの裁判官が主人公。これも某SF賞応募落選作ですが一次は通っています。

 船の主任航宙士であり、わたしの長年の友人でもあるベソットが死んでしまって、この宇宙船で生き残ったのはわたしひとりだけになってしまった。

 ジャンプを終えた船は、突然強力な重力異常に捕らわれた。

 強い重力に引かれても、船が自由落下していれば船内は無重力だったかもしれないが、船は何かの力にに支えられて重力源に対して停止してしまった。そのため、船内はいきなり10Gの重力地獄と化した。

 立っていた乗員の死因は、転倒時の落下衝撃による頭蓋の損傷だった。重力源は船底に対して15度ほどずれていたので、床面は15度の斜面になった。10Gの重力化でその斜面に耐えて立っていられるはずも無く、ジャンプアウトの瞬間立っていた者は床に倒れてしまった。結果、およそ1.5メートルの高さから硬い床に叩きつけられた頭は、1G下に換算すれば15メートルの高さからの落下に匹敵する衝撃によって、砕かれてしまったのだ。

 座席についていた者や横になっていたものは、いきなりの死は免れたが、終わることのない重力地獄に苦しみ抜いて死んでしまった。かわいそうなベソットのように。

 耐G訓練を受けていたものは、短時間ならば10Gに耐えられたが、人間の身体は永遠に続く10Gには耐えられなかった。

 ベソットは、最後までこの宙域からの脱出の努力を続けた。自分の身体は動かせないので、船の扱いを知らないわたしに指示を出して、船をコントロールしようとしていた。

 彼は専門用語を知らないわたしのために、指示内容を何度も平たく言い直し根気づよく作業を続けさせた。その結果判明したのは、ジャンプ先のこの宙域が、観測不能な重力源が点在する空間であること。そして、船は現在の位置から通常航行で移動するのに十分な推力を発揮することができるが、移動した方向に別の重力源があった場合には、そこからふたたび脱出することは出来ないだろうということだ。

 それでも、このままで居るより助かる可能性がわずかでもあるから、船を移動させる判断をし、その発進準備を始めようというところまで作業は進んだ。しかし、準備に取り掛かるよりも先にベソットの命が尽きてしまった。

 彼は次第に衰弱し、意識を必死に保とうとしていた。重力のために混乱していたのか、最期の瞬間には、わたしを見つめながら意味不明な言葉を三度繰り返していた。

「レム……地球の海を一緒に泳ごう。いいか、地球の……海を……一緒に、泳ごう。頼む、レム、忘れないでくれ。地球の、海を一緒に、泳ごう……」

 わたしに『レム』と呼びかけていたのだから、状況が解らなくなってうわ言を言ったのではないのかもしれない。だが、過去に彼と地球の海のことを話したことはあったかもしれないが、一緒に泳ぐ約束をした覚えはなかった。彼は、自分が死んだら地球の海に魂が還ると思っていたのだろうか。先に行ってわたしを待っていると言いたかったのだろうか。

 彼の亡骸を操縦席から抱き上げて、彼の部屋のベッドまで運び終えると、わたしにはもう、することがないように思えた。この船に乗り込んでいた十八人の遺体はすべてそれぞれの寝室のベッドに運び終えていた。

 わたしが生き残っているのは、わたしの身体が水溶液を満たした水槽の中に浮かんでいるからだ。

 浮力を受けているわたしの身体は、10Gの重力を下方への力としてうけて落ちたりすることはなかった。水槽内の水圧は10気圧を超え、わたしの全身に襲いかかったが、わたしはそれに耐えることができた。

 わたしがイルカだからだ。

 水槽はわたしの2.5メートルの巨体を収めるため、直径90センチ高さ290センチの円柱形をしていた。その円柱が載っている台座には金属の触手が五本ついている。そのうち三本を移動用の足として、残りの二本を手として使用するようにできている。どの触手が足と決まっているわけではなく、どれもが手となり足となる機能を持っている。

 ベソットなどは、親しみを込めてわたしの姿を「ヒトデくん」と呼んだが、彼との共通の友人であるマコーギーは「五本足のタコ」とからかった。金属製の触手は10センチから2ミリまでの無数の金属パーツが、自由に切り離すこともできる節で繋がった作りで、先になるほど細くてパーツが細かくなり、ヒトの手以上に細かい作業もできた。

 狭い通路を歩くときは触手を横S字に曲げ、円柱の水槽が天井に当たらないように斜め後ろに傾けて歩くことが多かったから、そのさまは、まるで海底を歩くタコのように見えることだろう。

 もっとも、わたしもベソットもマコーギーも、ヒトデやタコの実物を見たことがあるわけじゃない。

 水槽部はわたし専用の特注だが、この五本足の台座は、肢体が不自由な人間が使用する歩行具として開発されたものだ。わたしは『ヒト』ではないが人権を認められているから、ベソットやマコーギーの軽口はわたしの人権を蔑ろにした侮辱行為で、一般には好ましいものではない。船乗りのベソットはまだしも、わたしと同じ裁判官であるマコーギーなどは、普段の生活でももっと言葉に配慮すべきなのだ。

 マコーギーは職場や社交的な場でわたしを呼ぶときも「五本足のタコ」を使うので、その言葉に周囲の空気が凍りつくこともしばしばあった。わたしが腹を立てて裁判沙汰になったら、彼に勝ち目はない。もちろん彼は一度も訴えられたことはないが。

 とりあえずわたしの水槽と触手つき台座は10Gの重力に耐えているようだった。船の構造も問題ない。この環境でもわたしは生きながらえられるようだった。

 しかし、この船を操れないわたしには、この宙域から脱出する手段はない。また、救助も期待できなかった。

 二点間をジャンプ航法で航行する船が、偶然近くを『通りかかる』などということは起こり得ない。そして、救助信号を出しても、その信号の速度は光速でしかないから、人類が居住するような星や、宇宙船がなにかの用事で訪れる宙域まで信号が届くには10年以上かかることになる。

 この船がこの宙域に来たことを知る者は居ない。

 この船は裁判のための証拠収集を目的とした観測船だ。

 わたしの星ウェルケンは星系間司法を主な産業としている。銀河のあちこちに移住して星系国家を建築した人類は、全体を統括する組織を持っていない。それぞれの星系国家にはそれぞれの法がある。異なる星系国家に属する個人や団体の間で意見が食い違った場合、それを裁くための法がウェルケン法だ。ウェルケン法を批准しない星系国家は他の星系国家から相手にされなくなってしまうため、批准率はほぼ100%となっている

 この主産業を支えるために、長い年月をかけてウェルケンでは証拠収集のための技術が発達した。ウェルケンに於ける証拠収集方法は大きく二つだ。ひとつは人の記憶を掘り起こし読み解く技術で、もうひとつが宇宙での観測技術だ。この船のような観測船は後者にあたる。調査対象となる事件が発生したときの状況を観測するために、宇宙船で離れた場所からそのときのことを観測するのだ。

 今回は、12年前に発生した事件を観測するため、現場から12光年離れた場所を訪れていた。この位置で12年前に交わされた通信や、現場で発生した光などを観測するのだ。

 そういう意味では、事件現場を中心とした半径12光年の球面のどこかにこの観測船が来ていることは、裁判の関係者なら誰でも知っている。しかし、その巨大な球のどの位置で観測するかは、船外には知らされることは無い。裁判の利害関係者による妨害や技術の漏洩を防ぐための措置だ。

 この場所のように重力異常があったり、他の危険な要素がある場所、そして居住地域に近い場所を避けて、観測地点が選ばれる。今回は不幸にも重力異常宙域の真っ只中だった。この宙域の危険性は知られていなかったわけだ。


 わたしの右目がぐりぐりと動いて、瞼が開きそうになっていた。そろそろ左脳が起き始めたようだ。

 わたしは、バンドウイルカの祖先たちから、右脳と左脳で交互に睡眠をとり、ずっと起き続けていられる能力を引継いでいた。本来それは、溺れずに泳ぎ続けるための能力だが、泳ぐ必要も溺れる心配もないわたしにも備わっていたのだ。

 軽い頭痛を感じ始めていたわたしは、右目と連動している左脳が目を覚ますのと交代に右脳を休ませるために左目を閉じることにした。


 右脳は疲れて眠ってしまったらしい。

 たしかに、このまえの交代から時間が経ちすぎていた。ベソットが気力を振り絞って脱出しようと努力していたとき、彼の手足となって働いていたのは左脳のわたしで、その反動で左脳の眠りが深く長かったようだ。ベソットの死に立ち会ったのは右脳だったので、精神的には右脳のほうが参っているかもしれない。次の交代まではすこし長めに左脳でいたほうが良いだろう。

 子供のころ、わたしを水槽に閉じ込めて研究していた科学者のチームは、この脳の交代を、ふたつの異なる『人格』の交代として論文にまとめたがっていた。『一頭』のバンドウイルカの身体に二人分の意識が存在している、と発表したかったらしい。実際はそうではない。物事を判断する部位は交代するが、記憶は完全に共有なのだ。自分が何を考えていたのかもすべて覚えている。

 違うのは、物事を判断する判断基準だ。同じ状況、同じ情報であっても、右脳と左脳では別の決断を下すことがある。子どもだったわたしは、あの科学者チームにそれを理解してもらおうとしたが、彼らはわたしの思い込みだと言いくるめようとした。それに対して、右脳のわたしは泣きながら説明を繰り返し、左脳のわたしは覚えたての汚い言葉で彼らを罵ったものだった。

 バンドウイルカの知性化に取り組んでいたあのチームは、何頭かのイルカを人間の二歳児程度まで引き上げることに成功した。だが、それだけだった。わたしは単なる突然変異体で、彼らの成果ではない。

 その証拠にわたしはひとりぼっちだった。

 彼らが論文とわたしを星系間科学交流の学会に発表すると、彼らは名声を得る代わりに別の星系の人権団体によってわたしを取り上げられてしまった。ウェルケン法廷で正式に人権が認められたわたしは、自由になって権利と義務を手に入れた。

 人権を得たわたしが最初にしなければならなかったことは、母国を選ぶことだった。

 人類は銀河に進出したが異星人にはまだ遭遇していない。わたしのような人類以外の者は圧倒的に少数だったが、わたしが母国に選んだウェルケン政府は、そのような者を受け入れることができるくらい文化が成熟していた。

 平等に機会を与えられ、陸上で生活できないハンディを補う装置を与えられたわたしは、生まれつき持っていた能力を駆使し、文字通りライバルが寝てる間も勉強して今の地位まで上り詰めた。今のわたしは次のウェルケン最高判事となる五人の候補者のひとりだ。

 観測船での観測官は、わたしがはじめて就いた職だった。

 今回の裁判を担当するにあたって、観測による証拠収集は新米の観測官にまかせておけばよかった。出発を見送るときに、たまたま、ベソットが主任航宙士を務める船だと知って、休憩時間に次の休みの相談でもしようという軽い動機から、裁判長の権限を行使してひさしぶりに観測船に乗り込んでみたのだった。


 そうだ。

 わたしがこの船に乗りあわせたのは偶然で、出発直前の決定によるものだった。あのとき、わたしを押し留めようとした者がいたな。

『わざわざ裁判長がお乗りにならなくても・・・・・・』と蒼い顔をして言っていたのは被告側の代表者と弁護人だ。

 そもそも、この観測には、被告と原告の双方が立会い人を同行させる権利があるのに。被告側は権利を行使しなかった。それはめずらしいことではなかったので、あのときは気に留めなかったが。

 これは、『天文学的な確率で起きた不幸な事故』ではないのかもしれない。

 航法用コンピュータはわたしにもアクセスできた。わたしが、ベソットの手足となって船を操るために必要な権限を、ベソットが一部委譲していたからだ。

 船の運航は素人だが、観測官だったおかげで航宙図と座標については専門技能を持っていたし、その次に就いたデータ鑑定士の仕事のおかげで、データ改ざんの跡を発見する技能とデータのサルベージはお手の物だった。

 やはり、船のデータは改ざんされていた。

 この宙域は、既知の危険宙域として航宙図にあったのだ。本来のデータなら観測点に選択されるはずはなかった。さらに、観測地点の候補の中からここが選ばれたプロセスも書き換えられたものだった。コンピュータは、ランダムに選んだと思い込まされていたのだが、はじめからここが選択されていたのだ。

 この船はこの宙域に来て遭難するように仕組まれていた。

 クルーか整備士の誰かを買収するか恐喝するかして、これほど危険な改ざんだと知らせずに手引きさせたのだろう。

 そしてだれも生き残らないはずだった。

 急に乗り込むことになったわたし――水槽に入ったイルカ――なら、生き残ってしまうかもしれない、と犯人は思っただろう。

 今回の裁判の原告側は個人の宇宙船船長兼船主で、被告側は複数の星系政府にまたがる企業だった。原告側は代理人ではなく本人がこの船に乗り込んだ。この船が遭難してしまえば、訴訟そのものも消滅してしまう。その死因も死体も宇宙の闇に葬ってしまえば、裁判で負けることはない。

 おそらく、12年前の事件は、原告が思っていた以上に悪質な犯罪行為で、被告は観測によってそのことが露見してしまうのを恐れたのだ。

 わたしは、その推理の証拠を求めて、観測室に移動した。

 誰もいない船内。重力に耐え切れない内装や塗装の欠片が通路に散乱していた。斜面を安定して歩行するために、五本の触手をすべて足にして、常に三点を接地するように移動する。こんなことをするのは始めて歩いたとき以来だ。

 観測室は半球をさらに半分にした四半球をした部屋だ。球の半径――つまり部屋の一番高い天井の高さ――は9メートルあった。球の中心にあたるあたりに、砲座のような観測機があった。オペレータが人間なら、その砲座の座席に着いて操作するのだが、わたしの身体は収まらないので横から操作した。

 四半球のドームに正しい航宙図からのデータを転送し、重火器のような観測機の『砲口』を調整して、事件の現場に向ける。

 この距離からなら、事件が起きるのは、あと約一時間後だ。

 通常の観測なら、十分に準備できる時間があることになるが・・・・・・。予期したとおり重力が邪魔をしていた。

 この宙域の重力によって空間がねじまげられ、十二光年先の光はまっすぐ届いていなかったのだ。

 まず、現在船が受けている10Gの重力によるゆがみを計算して補正する。

 だめだ。この宙域に点在する他の重力だまりが影響しているのだろう。

 次に、航宙図と実際に見える星の位置のずれをもとに、周囲の重力を逆算して補正する。

 四半球分のデータなので、まだ十分ではないらしい。いったいいくつの重力だまりに囲まれているのだろう。

 証拠として提出された座標点をいきなり観察することはあきらめ、彼らがいた星系を探すところからはじめることにした。これなら12光年先を天体観測するようなものだ。かなりずれているが、恒星はみつかった。質量比に特徴のある二連星だ。

 事件は間もなくアステロイドベルトの外側で起きる。

 惑星の配置から、座標を割り出し、原告の船、貨物船リスボン号のイオンエンジンの輝きを観測範囲に捉えたのは、事件発生の二分前だった。

 証言によれば、精錬されたたいへん高価な鉱物を買い付けて恒星間輸送船が待つ座標へ向かうリスボン号は、このあとアステロイドと衝突し、貨物部と本体が分離してしまう。本体が発したSOSを108光秒離れた位置にいたナダオラ財閥の9032輸送船が受信し、これを救助する。助けられた原告は、後日失った貨物部を探しに戻ってくるが行方不明で、10年以上たってもみつかっていない。

 救助の際に『貨物部も拾うか、せめてビーコンを設置してくれ』と要望したのに聞き入れてくれなかったからだ、というのが原告側の言い分で、まともな弁護士は取り合ってくれなかったのがもっともな逆恨みと思われた。救助する側には人命救助の義務はあっても財産まで救う義務はないのだ。

 原告は、貨物部がみつからないのは、ナダオラ財閥がネコババしたのだとまで言ったが、それを証明する証拠があるわけでもない。

 裁判でこうして観測まで行なうのは、ほんとうに形式だけのことで、両者の証言どおりの事件であれば、原告の敗訴は確定的だった。

 そして、アステロイド衝突の時間がきた。わたしは観測データを記録しながら、複数のセンサーに目を配った。

 観測されたのは、衝突の衝撃派や光ではなかった。

 なんてことだ、あの親父、衝突の寸前にアステロイドに気付いて回避しようとした、などといい加減な証言をして。おおかた昼寝でもしていて何が起きたかわかっていなかったんだろう。

 それは、まぎれもなく砲撃の着弾光だった。貨物部は分離したんじゃない。蒸発してしまったんだ。

 直後にリスボン号からのSOSが発信される。その内容は証言のとおりだ。

『SOS!誰か!助けてくれ!・・・・・・アステロイドと衝突してしまった!カーゴと本船が分離して!オレの積荷が!・・・・・・船は航行不能だ。現在位置と慣性方向のデーターを送る!』

 受け取った9032輸送艦の位置は、証言にあった108光秒先などではなかった。わずか2光秒先のアステロイドの、おそらくはリスボン号から陰になる側だ。108光秒と証言したのは、返事をしたのが3分45秒後だったからだ。その間、どう対処するか相談していたに違いない。

 砲撃は9032輸送艦からのものだった。個人や企業の採掘現場はあるものの居住可能な惑星や政府がない星系なのよいことに、リスボン号を密かに沈めようとしたのだろう。初弾は貨物部のみを破壊し、二発目を撃とうとしたときにSOSを受信したわけだ。一度発せられた電波は、いつかは誰かが受信してしまう。もしもSOSの内容が、砲撃を受けたというものならその後の対応は別のものになっただろう。しかし、実際のSOSはリスボン号の船長の勘違いぶりを発信したものだった。

 あのSOSを受けてから3分ほどの間に状況を検討し、善意の人命救助者を演じることに計画変更したわけか。

 このあと、さも距離が実際より離れているかのように遅延を演じながら通信を続ける様子が伝わってきた。通信内容は双方の証言どおりだが、距離は証言と異なっていたわけだ。

 これで、リスボン号の船長が命だけでも助かったとおとなしく引っ込んでくれれば、何でもなかったのだろうが、勘違いを抱いたまま10年以上も積荷を探し続け、しまいに逆恨み裁判に持ち込んだわけだ。訴える相手は間違っていなかったが、問うべき罪は殺人未遂だったわけだ。

 今思えば、被告側は当初観測による状況確認は必要ないと反対していた。後に、それに同意したときの感情的な言い争いは唐突だった。被告側弁護人は原告を煽って『オレがこの目で確かめてきてやる!』と言わせたかったのだ。あのとき、すでに今回の計画は立案済みだったわけだ。


 航宙図の改ざんの証拠と、観測した12年前の事件の全記録を圧縮し、観測船から発信し終わると、左脳が眠気を訴えた。


 右脳に切り替わっても、脳内の興奮物質は残留していた。

 無理も無い。左脳はかなり怒っていたから。ずっと続いている10気圧の水圧も、あまり気分の良いものではなかったので、興奮しやすくなっていたかもしれない。

 まあ、とりあえずこれで、遅くとも10数年後にはナダオラ財閥の悪事は公になることになる。船のデータ改ざんの方法なども後々明らかになるだろう。

 観測船が果たすべき任務は全うできたが、わたしが助かる可能性が増えたわけではない。

 気がつくと、目の前に小さな銀色の玉が見えた。

 わたしが普段、目として使っているのは、台座についた二つのカメラだ。水槽の容器は透明にすることもできたが、普段は真っ黒に着色している。水槽の中は完全な暗闇ではなく、わたしの生命維持装置などの明かりが水槽内にあるので、本物の目をあけていると、水槽の内面も見えることになる。

 銀色の玉は本物の左目の前にあるようだ。

 試しに、カメラと脳の接続を切って、水槽の上部50センチほどだけ透明にしてみた。こうすると肉眼で外が見える。また、外からもわたしの本当の頭部が見えることになる。もっとも、今わたしを見る人はいないわけだが。

 銀色の玉は十数個あり、水槽の内面についていた。

 気泡だ。

 本来、水槽の機能が正常ならば、そんなものはできるはずがない。なんらかの異常が発生しているのだ。まだ、なんのアラームも出てはいないが。

 さすがに、身体も10気圧の水圧に対する疲れを感じてきたし、どうやらわたしが生きながらえられる時間は、そう長くないのかもしれない。

 観測室で、ドームに映し出された天空を見上げた。

 この方角にはウェルケン星はない。だが、わたしはその航宙図データに人類発祥の地、テラ・ソル《地球》の表示を見つけた。

 ベソットの最後の言葉を思い出し、わたしは観測装置にテラ・ソルの座標を入力した。テラ・ソルまでの距離は約723光年。723年前の地球が観測できることになる。

 事件を観測したときのような方向調整が必要になるものと思っていたのに、意外にも入力した座標に青い惑星は存在した。ちょうど重力によるゆがみを受けない方向にあるらしい。

 テラ・ソルを723年前に出発したさまざまな光や電波が受信できた。

 723年前、銀河への進出など夢にも思っていなかったであろう時代の地球。

 こんなに離れた場所で、受信され、解析され、増幅されて補修されるなどとは予想もしていなかったであろう電波が観測機に記録されていった。

 しばらく情報が蓄積されると、わたしは『イルカ』と『泳ぐ』をキーワードに検索した。二次元の動画と音声が電波に乗っていた。

 青い海を群れて泳ぐイルカの姿。

 何かの施設のプールで大勢の人間に囲まれて、泳ぎ、ジャンプするイルカの姿。

 それらの動画を四半球のドームに貼り付けて再生する。動画はいくつもあった。

 人間がイルカを食するという情報もあったが、その部分には触れないように情報を除外して、イルカが気持ちよさそうに泳いでいる場面だけを集めていった。やがて、ダイバースーツを着た人間といっしょに泳いでいる場面もみつけた。

 ベソットもどこかでこういう動画を見たことがあるのだろうか。


 ベソットとマコーギー。ふたりと友人になったきっかけは、わたしの家にあった大きなプールだった。


「よう! あんたが新任の観測官レム君かい? オレはあんたの一年先輩の観測官でマコーギー。こいつは相棒の航宙士でベソット」

 ウェルケン星の司法局に新しく配属された者の歓迎パーティは盛大だった。対象者は一年で十万人を越えていたので、会場はいくつかに分けられていた。わたしが出席したパーティ会場には、六百人の新任者とその倍以上の先輩達が参加していた。

 挨拶などのセレモニーを除けば、立食とダンスのパーティだったので、どちらもできないわたしは早々に退席しようとしていた。酔っ払った人にぶつからないように注意しながら出口へ向かうわたしの前に立ちふさがったのが、ワインボトル片手のマコーギーと、彼の腕を首に巻かれて無理やり引っ張ってこられたベソットだった。

 マコーギーはベソットの首に回した左腕をほどかずにそのまま左手を前に差し出した。握手を求めているらしい。

 いきなりよっぱらって立ちふさがって、左手を差し出すとは失礼だと左脳は思ったので、よっぽど、さっきまで足として使っていた触手で握り返してやろうかと思ったが、無礼に無礼で返すのは裁判官への道を選んだ自分にふさわしくないと思いとどまって、きれいな『手』を差し出した。

 人間の手の形に繋ぎ変えた触手の先で握手するとき、わたしはふたりと視線が合っていないことに気がついた。

 普通、わたしと話す人は、わたしの台座のカメラを意識して見る。そこにわたしの目線があるわけだし、その上の水槽はいつも真っ黒にしていて、わたしの本当の姿が見えるわけじゃないからだ。しかし、マコーギーとベソットが見ていたのは円柱形の水槽の上部、わたしのほんとうの目があるあたりだった。

「へい! 新人! あんたいつもカメラで相手を見てやり取りを記録してんのかい? 挨拶のときくらい本物の目で見ろよ!」

 手を握り合ったまま、わたしはカメラを切り、水槽の上部を透明化させた。起きている右目で、わざと威圧的にふたりを見下ろした。

 どうだ、こんな姿に対してもそう言えるのか、というつもりのポーズだったのだが、彼らの反応はわたしの予想したどれでもなかった。

「よっ! やっと顔が見えたじゃんか! そうでなくっちゃ。な!」

「あ~、あらためてよろしく。ぼくはベソット。仕事で同じチームになるかも。よろしくな」

 ふたりは笑顔だった。

 左脳のわたしは、いちおう儀礼的な会話を数分かわし、

「今度ふたりで遊びにいくぜ!」

というマコーギーの社交辞令に、

「どうぞ」

とかえしたが、彼らは来ないだろうと思っていた。


 しかし翌日、彼らはやってきた。

「うひょ~! すげぇ! これがウェルケン星で一番大きな自宅プールつきの職員宿舎かぁ!」

 ウェルケン星はいわゆる自然がまったくない人工物ばかりの星だ。核となる岩の惑星を完全に建造物が覆っている。海や川もないこの星で、イルカであるわたしが快適にすごせるようにと、わたしに与えられた宿舎には直径40メートルの大きなプールが備え付けられていた。

 わたしの家の玄関から入ってきたとき、ベソットは服を着ていたが、すでにマコーギーは水着姿だった。挨拶もそこそこに飛び込むと、

「げぇ! 塩水だぜ! それに、なんて深いんだ! 5,6メートルはあるんじゃね?」

と騒ぎ出した。

 ベソットも服の下に水着を身につけていた。パーティでプールの話はしたが、泳いでいいとはまだひとことも言っていなかった。

「君も泳ごうよ。そこから出られるんだろ?」

 もちろん、水槽から出入りするためのエアロックならぬウォーターロックがあって、プールには自由に出入りできるのだが、わたしは断った。

「いや、泳いだことないんだ。子どものころから動けない水槽の中で」

「へぇ。こんなプールがあるのに、もったいない」

 彼らがわたしに近づいた目的は、このプールだと思った。実際、彼らに連れて来られたほかの数人の人間はそうだったかもしれない。

 しかし、ふたりはプールで泳ぐだけじゃなく、わたしと話したりしたし、チェスやカードもやった。そして二年後に職場を移るわたしが、

「こんどはプールがないとこに住むんだが」

と打ち明けたときも、

「いいんじゃね。おまえ、どうせ泳がないんだし」

「ちゃんと天井は高い部屋にしとけよ」

と言って気にも留めず、それまで以上にわたしの新しい部屋を訪れた。

 わたしたちは仲の良い三人組になった。


 思い出に浸りながら眠りについた右脳のかわりに、左脳が目を覚ました。

 右目の前にも気泡はあった。アラームはまだだ。どれくらいもつのかわからないが。

 さっきテラ・ソルを観測したときに、重力が邪魔をしなかった。これはひょっとすると重要なことかもしれない。重力と航行の関係はアマチュアのわたしにはよくわからない。しかし、ベソットがやろうとしていた脱出方法のリスクは、脱出した先に重力源があったら次はない、ということだったという話からすれば、一回勝負の脱出方向をテラ・ソル向けにすれば良いということじゃないだろうか。

 もう一度確認のための観測を行なってみた。

 間違いない。テラ・ソルの方向へ直進できれば、この宙域を脱出できる。

 だが、問題はわたしがこの船を動かす技術を持っていないことだ。直進、というのはひょっとすると高度な技術を要するのかもしれないが、その判断すらつかない。

 船の航法コンピュータにはアクセス可能だ。もしもベソットの手足となって努力した、あの作業がなかったら、船のセキュリティは決してわたしを受け入れなかっただろうが。

 船は、おそらく、まだ航行可能な状態だ。これも良い情報だ。

 わたしの水槽とわたしの身体には限界がありそうだ。いつ限界が訪れるのかわからない。これは悪い情報だ。早く行動を起こさなくてはならない。

 整理すれば、いつだかわからないタイムリミットがあるという時間的制約と、わたしが船の運航技術を有していないという障害が問題点だということになる。

 わたしは再び右脳がしたようにドームに映る動画を見上げてみた。

 そこに映るイルカの姿は、たしかにわたしと同じ姿をしている。しかし、あそこで彼らと泳ぐ自分は想像できない。そもそも、彼らを自分と同じ種だとは認識できなかった。しばしばわたしは自分がイルカであることを忘れたし、入れ物に入って作り物の手足で生活していることも忘れることがあった。

 友といっしょのときだ。

 わたしは、遺伝子的にはバンドウイルカだし、バンドウイルカの子しか残せない。しかし、わたしの知能は遺伝しないことは研究されていてわかっている。わたしが残せるのは普通のイルカの一族だ。それを知っているから、わたしは子をつくっていない。将来もそのつもりだった。

 わたしが人権を得て、これまでやってきたことはどうなるだろう? わたしのヒトとしての人生は?

 わたしがここで死んでしまったら、わたしが生きた証はわたしがいっしょに生きてきたヒトの中にしか見出せない。仕事もそうだ。だが、わたしをヒトと同じに扱ってくれた友との友情こそが一番の生きた証だ。

 ベソットが死んでしまった今、マコーギーの記憶の中にいるわたしだけがわたしのすべてだ。マコーギーがわたしのことを、自分の子や孫に語ってくれたら、それがわたしの人生のすべてということになる。

 マコーギーに無性に会いたい。

 今はまだ彼は、この船が遭難したことも知らないだろうが、帰還予定日を過ぎても戻らなければ、彼はベソットとわたしを探そうと行動に移すかもしれない。

 向こう見ずな彼のことだ、ナダオラ財閥が怪しいと感じたら、財団と事を構えるのも厭わないかもしれない。貨物船を砲撃したり、観測船を罠にかけて葬ろうとしたりする連中と向き合って、彼は無事でいられるだろうか。

 こうしてはいられない。何かするんだ、自分にできることを。

 自分に知識が不足しているとき、今までわたしはどうしてきた? そうさ、知らなきゃ習えばいい。この船の動かし方や、通常航行に関する学習資料が、この船にないか探すんだ。そしてもし、この船になければ、近くの星を発した過去の電波を観測して、その中の情報から船の運航に関する知識を得るんだ。

 ドームの動画を消して、わたしは観測室を出た。

 まず探してみるのは、新人クルーの私室。勉強熱心な者が、資料を持ち込んでいるかもしれない。そして船自体のデータベースだ。クルーが全員死亡した場合に素人の乗客が自力航行するための情報、なんて都合の良いものはないかもしれないが、なにかあるかもしれないじゃないか。

 船内を歩き回ると、クルーの部屋から、船の運航をシミュレートするための計算式が収められたデータパッドを複数見つけた。セキュリティがかけられているデータは読めないが、いくつかは読めた。今のわたしにとってはまったく意味不明な方程式だが、これを理解できれば、いつか船を動かせるようになるかもしれない。


 右目の前を、大きな気泡がひとつ上っていった。

 左脳の疲れもピークを迎えていた。こういうとき、右脳よりも左脳が向いているのはよくわかっているのだが・・・・・・睡魔が左脳を襲っていた。


 目覚めた右脳が左目で、左脳が集めたパッドを見ていた。

 いや、ぼんやり見ていちゃいけない。たしかにこれは、ほんのわずかの前進でしかないけれど、多分わたしはあきらめるべきではないんだ。

 次は、船のデータベースを試してみるつもりだったな。

 わたしはベソットが亡くなったブリッジへ戻ってきた。彼を看取った場所に立ち、彼がわたしに指示して操作させた機器に向かった。

 気がつくと、いくつかの船の異常を知らせるエラー表示があった。船も重力に蝕まれつつある。しかも悲しいかな、今のわたしにはその部位が重要かどうかすら判断できなかった。この船はまだ生きているのか、それとももう死のうとしているのか。――すでに死んでいるのか。

 データベースの一覧を表示することはできた。題名の一覧だけで一万項目以上あった。いったい何で検索すれば良いのかもわからないし、数割の題名はセキュリティがかかっていてつぶされて読めなかった。

 ここであきらめそうになったが、持ってきたパッドが目に入った。

 役に立つか立たないかもわからないが、左脳は必死に集めていた。すこしでも可能性があるなら、続けなければならないんじゃないか?

 わたしは題名をひとつづつ読み始めた。

 三千ほど読んだあとで、ひとつの題名を、思わず合成音声に出して読み上げた。

「初歩からの・・・・・・再教育マニュアル」

 リストをひとつづつ先に送る作業をしていた触手の動きを止め、その題名を読み返した。

「・・・・・・航宙士編」

 これだ、と思うのに一秒ほどを要した。単純作業と水圧に、頭が鈍ってきていたのかもしれない。ひとたび題名が意味するところを理解すると、頭ははっきりしてきた。左脳もたたき起こしたいくらいだ。

 リストからそのデータを選び、閲覧しようと操作した。


 だめだ。閲覧のための暗号が施されている。


 セキュリティガードを解除するのに必要なものはパスワードだけで、生体パターン認識は不要なようだったが、それにしてもわたしにとっては同じことだ。わたしがこのマニュアルにアクセスするには、船のクルーの誰かが設定したパスワードを入手しなければならない。

 ベソット、わたしは生き残ろうと努力してみたよ。しかし、ここまでだ。わたしがこの船を操る術はない。

 ベソット……。

 目を閉じて、わたしは行ったこともない地球の海を泳ぐ自分を思い浮かべた。水面から顔を上げると、青い空や波とともに、サーフィンに興じる友の笑顔が見えるのだ。

 ふと、端末席に意識を戻したわたしは、パスワードとして一文を入力した。


 ”地球の海を一緒に泳ごう”


 カーソルは無表情に三度点滅した。

 四度目のかわりに、周囲のモニター類が次々と点灯し、正面にメッセージが現れ、やさしい女声のコンピュータ音声がそれを読み上げた。


 ”ようこそベソット一等航宙士。どのステップを復習なさいますか?”


 コンピュータはわたしをベソットと認識した。

 ベソットは死に際に、自分が使っているパスワードをわたしに託したのだ。わたしが生き残ろうとしたときのために。

 ……いや、彼はわたしに生きろと言ったのだ。


 文字通り不眠不休の五日間で、わたしはこの船の通常航法コントロールの極々初歩を習得した。水溶液のよどみは徐々に増していたし、わたしの肉体も、休みなく続く10気圧の水圧に対してガタが来はじめていた。

 勉強してわかったのは、船の運航が微妙なレバー操作やボタン押しタイミングによるものではなく、計算と計画によるものだということだ。事前に得た情報を元に、プログラミングを行い、実行中に生じたアクシデントや新要素に対しては、修正計算し、再プログラミングを施す。そのくりかえし。

 アクシデントがなければ、起動スイッチを押したあとは手放しで見ていられるということだ。道理で、宇宙港から発進するときにベソットがわたしと世間話をしたりできたわけだ。

 だが、今回はアクシデントが予想される。その場合、いくつかのアクシデントを予想し、修正プログラムを何種類か準備しておく手がある。今回のような不確定要素が多い環境下においては、準備しておくべきプログラムの数は二桁では足りない・・・・・・ものらしい。

 ここで経験の差が出るものだということだ。どういうことを想定し、どういう修正を準備しておくか。しかし、わたしには経験を積むためのシミュレータもなく、時間もない。どうやら水槽のどこかが破損しているらしく、二日前からアラームが出始めているのだ。水槽が崩壊したら、わたしはおそらく一瞬で命を落とすだろう。

 チャンスは一度しかない。だが、時間をかけすぎたら、その一度のチャンスすらないかもしれない。

 わたしは祈った。ベソットと地球の海に。

 準備できた修正プログラムはようやく八個。予想の範囲を超えるアクシデントが発生したら、船はコントロールを失う。わたしには無理かもしれないが、緊急の再計算を行なうケースに備えて、右脳左脳を同時に起こして備えることにした。

 起動ボタンを、押した。


 二日後、船は重力異常宙域を遠くはなれ、慣性で飛んでいた。

 次にわたしが習得すべきは、超光速航法だが、その項目はこれまで習った部分の五十倍以上あった。船内は0.8Gの人工重力で安定していて、わたしの水槽のアラームも『自己修復完了』の表示を残して消えていた。

 時間は存分に使えたが、心配事はあった。そろそろマコーギーが帰ってこない船を捜そうとし始めるころで、財団が彼に危害を与えるかもしれないということと、わたしが生き残って生還するかもしれないと考えた財団がこちらへ妨害に来るかもしれないということだ。

 超光速航行の基礎理論の総括を読み上げていたとき、突然、それは起こった。

 船が一隻、一光秒未満の距離に現れたのだ。ジャンプしてきたということだ。

 こちらは等速で慣性飛行を二日間続けているから、二光日以内の距離からこちらをみつけた相手は、容易にこちらの現在位置を予測してジャンプで接近できる。こちらが接近前の相手の姿を発見する前に。

 その船からの通信が入った。

『レム! 聞えるか? ドッキングするからこっちのプロにまかせて、おまえは何にもするなよ』

 懐かしいマコーギーの声だった。


 ドッキング通路の直径1メートルそこそこの空間に水槽部を押し込んで、水槽上部を透明化し肉眼で救助船側のドッキングベイを見ると、開いたハッチの向こうに、数人のクルーといっしょにマコーギーがいた。

「よう! レム、探したぜ。おまえらが帰ってこないんであれこれ探ってたら、財団幹部の悪巧みにぶち当たってね。やつら、しきりにおまえがどれくらいの重力に耐えられるかのデータを収集してたんだ。おかげであの宙域のことまでは突き止めたが、中に入って探すような船は銀河のこっち側にはありゃしない。イオンドライブで宙域から出てくるおまえの船を見つけたときは、となりにいたクルーにキスしちまったぜ」

 彼がここまで来るのに、どれほどの困難と危険をくぐり抜けてきたかはわたしには想像もつかない。底抜けに明るい彼の笑顔は、まるで散歩のついでにちょっと寄ったかのようだったから。

「抜け出せたのはベソットのおかげだ」

 わたしの合成音声は感情を十分に表現していないが、その声はわたしにも暗く響いた。マコーギーの笑顔がいったん曇った。そして、さっきまでの恒星のような笑顔のかわりに、やわらかい衛星明かりのような笑顔をわたしに向けた。

「・・・・・・ああ。そして、その五本足のタコのおかげだな。おまえだけは生き残ってるって信じてたぜ」

 彼はそう言って、重力感覚としては下方に位置するわたしに向かって右手を差し出した。

 0.8Gの人工重力下で、わたしと水槽を載せた台座を、彼の力だけで引き上げることなどできるはずもなかったが、わたしは通路の壁と水槽の隙間から触手を一本伸ばして、先端部をヒトの手の形にし、彼の手をしっかりと握った。

 このときほど、自分にも人間の暖かい手が欲しいと思ったことはない。


 了

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