軋む音
生まれて、死ぬ。
究極の摂理だ。
現代において、たいていの人間は病院の中でその始まりと終わりを体験する。
意図しない始まりもあれば、理不尽な終わりもあるだろう。
「ここの医者はやぶだ。気をつけろ」
僕が入室すると、隣の男はいきなりそう言った。二人部屋で、怒鳴るようなその忠告を聞いたのは僕だけだった。
男はいきなり憤慨していた。体が動くに合わせて、ギイギイギイと音がした。
「医者の腕が悪くて、取るものも取らず、俺はもう末期だ。おしまいだ」
たしかに青白い顔をしている。もとは仏のようなふっくらした頬に穏やかな顔つきをしていたのかもしれないが、いまはこけた頬に、鋭い目で僕を睨みつけている。
僕は黙って部屋を出た。
扉のすぐ前で、恩師が待ち構えていた。丸い体にもじゃもじゃの頭に眼鏡。白衣を着ている姿は医師というよりロボットでも研究してそうな博士である。
「どうだった?」
「すごく怒ってるみたいです」
もじゃもじゃの眉毛が八の字になり、今にも泣きそうな顔になる。
「やっぱり。噂通りだ。それじゃ、俺は相当恨まれてるんだな」
「そうみたいですね」
「だが真実じゃない。俺が手術したときには、もう他のところへ広がっていたんだ。手の施しようがなかった」
「じゃあ、それを説明して差し上げたら」
「それはもう何度もしてきたよ。今となっちゃ、もう遅いだろう」
恩師は暗い顔になる。真面目なこの男のことだから、感じなくてもいい責任を感じているのだろう。
僕は出てきたばかりの部屋の扉を少し開けて、中を覗いた。青白い顔と、目が合った。
男はギイギイギイ、と体を揺らす。まるでそうした時に、そうなったように。
「ここの医者はやぶだ。気をつけろ!」
ギイギイギイ。男はバタバタと手足を動かし、暴れる。吊るされた体の重みが首を回ったカーテンを伝ってレールを軋ませる。
「気をつけろ!」
本当に、いまそこにいるかのように。
僕が再び扉を閉めると同時に、恩師はため息をついた。
「あの患者さんが首を吊ったのは、もう一年も前なんだよ」
「“出る”部屋っていうのは、使えないものですよね」
僕は扉に貼られた『入室禁止』の紙を見つめた。
「どうすれば納得してもらえるかな」
恩師は頭を抱えそうな勢いだ。
「つまり、自分が死んでいるということに」
「どこかの受け売りですけどね」
僕は肩をすくめた。
「生まれたからには、死ぬんですよ」
続けて言う。
「納得してもしなくても、生まれたからには死ぬしかないんです」
いつかは。誰でも。
数日後、恩師からお祓いをしたという連絡がきた。これで十三回目だという。
その病室からは、いまだにギイギイギイと、カーテンのレールが軋む音が聞こえるとか、聞こえないとか。