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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
9/41

【迎撃開始】

<登場人物>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


(コウ)・グリーゼ中尉……凰の副官

〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス

〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット


※DL:ディビジョン・リーダー

          ◇


 月が地球・火星間に移動して2日目。太陽系近衛艦隊迎撃部隊は各隊ごとに戦略に基づいたシミュレーションを主にした訓練を行っている。特に宙空艇部隊は特殊能力部隊との連携を迅速かつ確実に遂行するためにいくらでも訓練を重ねる必要があった。

「アサギ、もう少し内側に入れ!」

 第一宙空艇部隊(バリュウス)隊長のランが、今回が初陣であるアサギとバーチャルシステムで飛空しながら叫ぶ。前衛部隊は特殊能力部隊(特能部)念動力(サイキック)チームが張るバリア範囲内で要塞砲を撃破する任を課されているが、バリアから外れると命の保障はない。まだ実戦に慣れていない者は目視出来ないバリアの範囲外に出ないように余裕のある箇所に配置されているとはいえ、戦っている間に移動して出てしまう事もある。それでも自機の空間バリアを駆使しながら戦うよりは内側からでも攻撃が出来る特能部のバリアに守られている方が安全なため、経験の浅い者は最前衛に置く事になっているのだ。

「す、すみません!」

 アサギは果敢に敵に向かい過ぎる感もあり注意を受けた。勇敢と無謀は似て非なるものではなく全く違うものであり、それに気付かずに実戦に出れば自分だけではなく味方にも被害が及ぶ。

「自機周辺にアキレウス1機分を意識しろ。味方機を危険に晒すな!」

 アキレウスはパールホワイトのボディカラーに外半角120度の水平翼と上半角68度に開いた二枚の垂直尾翼を持つ、太陽系が誇る宙空戦専用機である。周囲にアキレウスが存在するとなれば、自分の動きによってはそれらの機体をバリア外に押し出す事になるのだ。己の失態が僚機に危機を与えるなど、戦闘においてもっとも犯してはならない愚行であろう。

「了解しました!」

 まるで子どもに教えるような例えであったが、初陣前で気の張り詰めているアサギには理解がしやすかった。地球での訓練時には出来ていた事が思うようにいかず焦っていたが、ランの助言によりアサギの動きは安定し実力通りの飛空でシミュレーションを好成績でクリア出来た。これで作戦から外されずに済みそうだ。実戦さながらのバーチャルシミュレーションでは、それが原因で心を病み退役する者もいる。そのため時間をかけて死への恐怖心を麻痺させるように訓練を続けなければならない。極限まで〝AIの殺意〟を高めた訓練を正気でクリア出来た者だけが実戦に出られるのである。

「彼がアサギくん?」

 ただ一人初陣を月で迎えるアサギが気になり艦橋のスクリーンで宙空艇部隊の訓練を見ていた凰に、艦内の見回りをしていたニグラインが声をかける。凰は司令官が護衛も付けずに歩き回る事を咎めたのだが、グランディスの空間移動システムを使っていつの間にか色々な箇所に現れるので諦め、代わりにユーレックの特殊能力を僅かに解放し艦内警備をするように申し付けた。何かあった場合はユーレックが現場に瞬行する。ニグラインは先日の歓楽街での失態もありユーレックの能力解放による遠隔護衛くらいならばと妥協したのだ。

「はい。マーシュローズ准将の指導で落ち着いたようです」

「流石ランちゃん、有能」

 凰がいなければランが近衛艦隊の総隊長であったかもしれないと思うほどに彼女は指揮官としても評価が高い。軍に入る以外に道がなかった凰とは違い、ランは自ら志願して入隊したのであるから軍人としての意識は凰より上とも言えた。軍人として欠点をあげるとすれば優し過ぎるという点だろう。作戦遂行のためであっても、彼女が誰かを見殺しにするような事は出来ないと思われる。

「ランちゃん、アサギくんいい飛び方するようになったね。訓練終わった?」

 バーチャルシステムが停止するのを見計らって、ニグラインが室内に通信を繋げる。シミュレーション用のコックピットでヘルメットを脱ぎかけていたランはそのまま受信した。

「ありがとうございます、レイテッド司令。今終了しました」

 声をかけられたのはランだったため返答は出来ないが、突然司令官に褒められたアサギは脱いだヘルメットに頭をぶつけて喜びと驚きを表す。しかし次のニグラインの言葉で喜びは吹き飛び驚きは増した。

「これから凰くんを投入するから、ランちゃんドッグファイト頑張って!」

 驚いたのはアサギだけではない。前振りもなく訓練への参加を言い渡された凰も然りである。だが、元々パイロットだった凰には嬉しい指令でもあった。腕が鈍らないようにと時々は宙空艇部隊の訓練に参加はしているが、ランとの一騎打ちは数年ぶりである。ランにとっても現状自分以上のパイロットが隊に存在しないため、願ってもいない対戦だ。凰とランのドッグファイトは転げるようにシミュレーションルームから出たアサギの口から広まり、月は俄にお祭りのように賑わう。その報を耳にした陸上戦闘部隊隊長のドリテック少将も白兵戦訓練を中断し、ニグラインの仕向けた粋な余興の観戦を優先する。当然ユーレックも宙空艇部隊のシミュレーションルームに駆け付けた。凰がニグラインと共に宙空艇部隊のシミュレーションルームに着いた頃にはすでに通路まで野次馬で埋まっていたが、皆司令官と総隊長の姿に気が付くと一斉に敬礼をして道を空ける。ただしその表情は一様に緩んでいた。

「なかなか面白いことをしてくれる」

 口に出したのは見学席の最前列を勝ち取ったユーレックだけであったが、凰とランも同じ事を思ってシミュレーション用コックピットに座りヘルメットのベルトを締めた。実機と違わぬコックピットが、二人を今作戦宙域のシンボルである月が浮かぶバーチャル宇宙空間へと案内をする。その月の上に立つようにニグラインが特別席から見上げていた。

「スタンバイOK? ラン」

「OK! 凰」

 ランは統括軍時代と同じように敬称を付けずに凰に応える。その手を抜かないとの意思表示は凰のパイロットとしての血を滾らせた。〝敵〟として決して会いたくない、しかし反面、敵機(ライバル)として命をかけて戦ってみたいと思う……凰とランはそういう間柄であった。

『3、2、1──』

 バーチャルシミュレーションシステムのカウントが始まり、観客たちは息を止めてスタートを待つ。

『Go!』

 太陽系で類を見ない1対1の宙空戦(ドッグファイト)が開始された。もしアキレウスの設計者が見たならば機体の性能を余す事なく出し切って戦う姿に感無量であろう。何しろ〝アキレウス〟の名は〝弱点はパイロットのみ〟という意味を持って付けられたのだから。

 空に舞う白い鳥がお互いを求め決して離れず飛んでいるかのように2機のアキレウスの機動は美しかった。まるで大気圏内のアクロバットチームの演舞を彷彿させるが洗練された操縦技術がそう思わせているだけで、事実は異なる。お互いを仕留めるためにギリギリの間合いで牽制し合い、隙などないにも等しいが照準が擦りでもすれば攻撃を仕掛けていく。だが凰の宙空戦闘機動の速さは尋常ではなく、ランは背後を捕られないように操縦桿を目一杯引いて窮地を逃れる。

「殺気もないのに……!」

 ランは悔しさに唇の端を噛む。手を抜いているわけではないだろうが、実戦時の凰を知っているランには凰が実力を出し切っていない事がわかる。獲物ですらない自分が徐々に追い詰められていく。だが凰とて余裕があるわけではない。気を抜けば即座に後ろを捕られるに違いなかった。

「捕る!」

 劣勢を吹き飛ばすべくランは凰機に向かった。互いに急旋回による蛇行を繰り返して飛行軌跡が捩じれ合う。ローリング・シザーズに持ち込んだランは撃墜する気で旋回半径を縮めて凰機の内側に回り込もうとした。しかし──。

『ロック・オン。ショウシャ、オオトリ』

 ランの行動よりも速く凰がバンクから斜め上方宙返りでランの機体を上から射程に収め、勝敗は決した。AIの軍配により凰の勝利が告げられると、ヘルメットを被ったままランが全身で溜め息を吐く。

「すげぇ……」

 凰とランのドッグファイトを初めて見たアサギはパイロットとして素直に感動を覚えた。アキレウスはこんなにも美しく逞しく強いのかと。自分の未熟さを恥じるのではなく、いつか自分もそう飛びたいと心から思う。そして願わくば、実戦ではなくアクロバット飛行などで血を流さずに飛ぶ事が出来たらどれだけいいか──と。

「二人ともお疲れ様! 最高のドッグファイトだったよ」

 ニグラインの賞賛の声に、うな垂れていたランはヘルメットを脱ぎコックピットから出て一礼をする。凰はまだコックピットにおり、宇宙空間から戻って来ていないような様であった。

「凰総隊長、お手合わせありがとうございました」

 ランが凰のコックピットに歩み寄って声をかけると、凰はようやく現実に引き戻されヘルメットを脱いで顔を上げる。宇宙空間を単座式戦闘艇で命を懸けて飛空した事がある者にしかわからない感覚。周りにいるはずの僚機の存在さえ忘れて独りで戦っているような緊張感。そして宇宙の暗闇が孤高を思わせる──そのまま、その闇に溶け込みたいと思うほどに。

「ああ。こちらこそ礼を言う」

 本気で撃ちに来てくれたランに、凰は感謝を述べた。殺意は持てないまでも、ここまでの交戦を出来る相手は他にいない。ランとしては口惜しい限りであろうが、それは更なる向上心へと繋がって行く。

「アウィン! 相手をしろ!!」

 凰がコックピットから出ると、ランは第二宙空艇部隊(クサントゥス)隊長のアウィン・バーント准将を呼び付けた。アウィンは現宙空艇部隊においては唯一ランと肩を並べられるパイロットである。しかし宙空艇部隊の隊長としては好戦的とは言えない飛び方をするため「面白みのない飛び方」とランに毒づかれる事もあった。それでも血潮の治まらないランにアウィンは渋々と対戦を受ける羽目になったのだ。


 こうして艦隊士気を高める余興は終わり、兵士たちは本戦開始に向けて気を引き締め5日後に現れる敵に焦点を定めた──。


          ◇


 月が地球から離れて6日目の近衛艦隊地球時間14時18分。予測通りに敵小惑星型要塞『赤針(レッドルチル)』が現れようとしていた。月艦橋正面のスクリーンには赤針がワープから通常空間に出て来ようとする(ひず)みが大きく映っている。Eternal() The() Sun()は赤針の出現時間が狂わないように太陽風を避けさせ、月へのエネルギー供給を惜しまない。ETSを操作する権限のあるニグラインが司令官として着任した事により、太陽系近衛艦隊にとってエネルギーを削りながら進行してくる外敵など捕るに足りないものかもしれないが、犠牲が〝絶対的な無〟にならない限り気を抜く事は許されなかった。

「赤針、ワープゾーン出口到達まで300秒!」

 月艦橋ではオペレーターの声が響き、艦内の緊張が極限を迎える。アキレウスと駆逐艦・巡洋艦はすでに月から出て赤針を待ち受けていた。近衛艦隊8大部隊に所属しない駆逐艦・巡洋艦などの戦闘艦は総隊長の直下に置かれており、凰が直接指揮をする。今回のように戦闘艦での戦闘が主ではない戦闘の場合は、西暦時代と違って艦員も少なく指令系統が混乱しないため各艦艦長の采配に任せられる事も多い。艦橋の総隊長席を借りて座っているニグラインは、隣に立つ赤針に喰らい付きそうな凰の表情を見て、やわらかく微笑んだ。

「凰くん、戦いたい?」

 意を突かれた言葉に凰は微かに顔を顰める。凰のパイロットおよび白兵戦兵として身体に染み込んだ戦いの歴史が血の祭典を望み、平和への想いなど戦への激情にかき消されてしまう。己の感情をいとも簡単に見抜かれ、凰は牙を隠すかのように奥歯を噛みしめた。

「気にしなくていいよ、責めているわけではないから。それに──」

 素直に表れた凰の心情を、ニグラインは優しい笑みを浮かべて受け入れる。そして藍碧(あお)い瞳を静かに閉じて一呼吸置く。笑顔の柔らかなニグライン・レイテッドではなくなる瞬間が訪れると空気が告げた。

「後で、思う存分戦わせてやる」

 ニグラインは口元に不敵な笑みを乗せて言うと碧藍(へきらん)の瞳にこれまで見た中で最も高い輝度を放ち、戦闘開始の号令をすべく座席から立ち上がった。


「迎撃準備! 広範囲空間シールド展開!!」


 先ほどまでの穏やかなニグラインとは似ても似つかない、総司令官ニグライン・レイテッドの凜とした声が響き渡る。戦う事に意欲的だった者はもとより恐怖を拭いきれなかった者たちも正面から敵に向かう意志を抱く。オペレーターの敵出現までのカウントに合わせ、総員が心の中でカウントする。最前衛のアキレウスのパイロットたちは空間シールドに守られているとわかっていても操縦桿を握る手に力が入り、間違ってレーザー砲のスイッチを押さないように呼吸を整えるべく深く息を吸い込む。

「──3、2、1、赤針出現!」

 そしてニグラインの計算通りに小惑星型要塞が姿を現した。目視した〝赤針〟は解析映像で見たよりも禍々しく、不気味さも感じられるほど寂れていた。攻撃を仕掛けて来ずに助けを求めてきたならば迷わず手を差し伸べたであろう。だが、もはやその可能性はない。そうであるならば太陽系圏に無断で侵入などして来るはずないのであるから。

「赤針、主砲級のエネルギー反応ありません! 各要塞砲来ます!!」

 残念な事に、赤針から想定通りの攻撃が始まった。赤針自体を覆い隠すほどの第一射は全て月の広範囲空間シールドではじき返す。主砲は撃てないのか撃たないのかはわからないが、要塞砲が生きている間に敵艦隊が出撃すると混戦になってしまうため作戦通りに前衛部隊と特能部サイキックチームが要塞砲撃破準備に入る。特能部は部隊長(DL)であるユーレックがニグラインの護衛に充たっているため、一人一人に課せられた比重は重い。バリア部隊として1000名の念動力者(サイキッカー)が能力を全解放されており一定のバリアを張っているだけならさほど難しくないが、小砲から大砲まで攻撃力の違うものを受けるとなれば相当な集中力を要する。攻撃力の弱いものに合わせれば強いものは貫通し、強いものに合わせれば持続時間が短くなってしまう。無数に撃たれる敵砲に合わせて瞬時に力を調節しなければならないのだ。

「カルセドニー隊長の手を煩わせるなよ! 総員、集中!」

 大隊長を務めるシーモス中佐が隊員の集中力を引き上げさせる。普段ふざけて見えるユーレックだが部下たちからは絶大な信頼を受けていた。特能部の隊員は、皆己の能力を少なからず呪って来たのだ。差別を受け人と触れ合う事もままならず、孤独だけが平穏であった。だが太陽系近衛艦隊でユーレックと出逢い『それでも楽しく生きられる』と知った。ユーレックも凰と出逢うまではそうではなかったのだが、若き頃にそう思えたのは幸いと言えよう。兵士たちの意志が固まり本格的な戦闘が開始されようとした矢先、ニグラインは軽く深呼吸して総隊長席から離れた。藍碧い瞳には落ち着いた笑みが戻り、近くにいた者は一瞬戦争が終わったかのような錯覚を受ける。

「じゃあ、凰くん。艦隊指揮は任せるね。ぼくはグランディスでシステムコントロールに入るから」

 実際はこれからがニグラインの本領発揮なのだろう。螢が信頼のおける部下20人を使って行うはずだった、月をはじめとする主なシステムコントロールを一人で行うのだ。もっとも太陽系近郊宙域で最高スペックを誇るグランディス・コンピュータがあってこそ可能なのだろうが。

「了解致しました」

 システムに関しては自分は何をする事も出来ない。戦闘中はある程度能力を解放されたユーレックがニグラインの護衛に付いている。凰は今自分がすべき行動を間違う事なく、その目標へと青虎目石さながらの瞳を向けた。

「──凰だ。レイテッド司令に代わり、今から陣導指揮を取る」

 凰の声が月・地球の近衛艦隊に響き渡る。腹部に圧力がかかるような深みのある声が戦闘の渦中に身を置いている事を実感させ、艦隊全域が静まり返った。

「バリュウス、クサントゥス、各セクション準備出来ているな」

 敵要塞砲を撃ち落とすべくアイドリングに入っている前衛部隊に、確認ではなく確定を問う。

「バリュウス・トロイディーニセクションOK!」

「クサントゥス・グラフィニーニセクションOK!」

 期待を裏切らず、アキレウスに乗り前衛部隊の先頭で出撃の号令を待つランとアウィンがはやる気持ちを抑えながら答える。バリュウスのトロイディーニセクションは赤針の左側を、クサントゥスのグラフィニーニセクションは右側を叩く。ニグラインの指令ですでに士気は最高潮かと思われていたが更に総員は沸き上がった。その中においてただ一人、凰だけが心の奥底が冷えたままであるのだが。艦隊指揮を任されたとはいえ、それでは『思う存分戦う』事にはならない。ランやアウィンのように戦闘艇で宙空を飛び、ドリテックのように生身で戦う……それが凰の『戦い』であった。しかしそれは敵兵を惨殺する以外の何でもなく凰自身が嫌悪感を覚えたところで本能が理性や感情を喰らう。そんな凰の感情など構う事なく作戦は進む。前衛部隊の空間シールドは各要塞砲撃破のために特殊能力部隊のバリアに切り替えられた。

「駆逐艦、巡洋艦、出撃用意」

 本能を押し隠した凰の指令が艦隊に発せられる。これ程少ない艦隊での出撃は近衛艦隊設立以来一度もない。戦艦級の艦はなく後ろに控えているのは後衛部隊と〝月〟だけである。前衛部隊は囮でも盾でもなく作戦の要なのだ。数が少ないからなどという言い訳は通用しない。失敗すれば敵の恒星系がどこであるかも目的も知る事なく、月は主砲で要塞を破壊するだけの殺戮兵器となってしまう。ともすれば太陽系の〝戦いを望まない〟という意向は永劫に信用されなくなるだろう。

「出撃準備完了!」

 各艦の艦長たちが一斉に答える。数百にも及ぶ要塞砲に怯む事なく、地球に残る事になった僚艦たちの元へ胸を張って帰還出来るように。作戦の第一幕を優雅に舞い、鮮やかに終わらせてみせようと。

 

「前衛部隊、出撃」


 赤針の砲撃が僅かに弱まったのを見逃さず、凰は静まり返っている月艦橋で出撃指令を放つ。声を張り上げたわけでもないそれは隊員たちの脳裏に直接重く伝わり、起爆装置を押したかのように目標に向かって弾ける。アキレウスに続いて駆逐艦・巡洋艦が出撃した。


          ◇


「ランちゃん、出撃したわ」

 時同じくして、地球本部艦橋に設置された専用コンピュータで月の動向を追っていた螢が友の出撃を口にする。今作戦用に用意されたこのコンピュータは、マイスターのように他空間に繋げたりETSを操作したりは出来ないが、地球本部全てのシステムコントロールは可能だ。侵略は武力によるものばかりではない。太陽系近衛艦隊地球本部の上層部分はビルから離脱出来る大気圏突出入型大型戦艦になっている事もあり、それごと近衛艦隊のシステムを乗っ取られないように守るのが螢の最大重要任務のひとつであった。敵わずして本部戦艦が敵の手に渡った時には撃沈しなくてはならない。軍港にある他の戦闘艦はそれぞれの艦長のもと、防衛艦隊の出番がない事を祈りながらいつでも出撃出来るように警戒態勢を取っていた。

「凰総隊長も、出撃()たいでしょうね」

 螢の後ろで壁に寄りかかってモニターを見ていたリーシアが凰の心情を代弁する。リーシアの後方支援部隊も安全な場所で内勤をしているわけではない。地上で近衛艦隊に襲撃を仕掛けてくる輩を排除するため、白兵戦部隊に引けを取らない戦闘を行う事もある。迎撃部隊が宇宙での戦いに集中出来るのは、出撃で手薄になった艦隊本部内外を後方支援部隊が常に守っているからなのだ。

「そうね。でも、相変わらずいい声だったわ」

 凰の低めで深みのある声に聞き惚れながら友人の出撃を見送った螢が、決して楽しそうではない笑みを浮かべて言う。リーシアは戦闘モードに入った螢の表情の変化を読み取り、静かに艦橋を出た。普段はまだ幼さをも否めない螢だが戦闘時になると飛躍的に能力が向上する。それでもニグラインにはまるでかなわないと螢は言うが、同じ分野に携わる者が聞けば贅沢な台詞である。これで地球本部のシステムは螢に任せておけば大丈夫であろう。後は──。

「テラローザ隊長、動きますか?」

 艦橋から出たリーシアに後方支援部隊(後方部)副隊長のディル・エルブ中佐が人目を避けて話しかける。後方部は迎撃部隊の出撃をもって作戦を開始するようニグラインからの勅命を受けていた。諜報治安部隊と太陽系近郊宙域統括軍と連携を取り、近衛艦隊を狙う闇に蠢くものを駆除するのだ。

「ええ、行くわ。ここは任せたわよ」

 リーシアがランや螢には見せない厳しい表情でエルブに作戦開始を告げる。忠実な副隊長に大事な友人の身を任せ、リーシアは『地球内の清掃』に向かった。


          ◇


「……あれが、太陽系を守護する艦隊……まさか月と伴に来るとは……」


 小惑星型要塞の最深部で要塞を動かしているだろう男が枯れた声で呟いた。男は遠目に見るとまるで老人のように思える風貌をしているが、よく見てみるとまだ若い。くすんだ闇夜のような瞳の奥には、それでもまだ強い意志の灯火がちらついていた。太陽系側に『赤針』と呼称されているが、この要塞に名前など付いているのだろうか……名前を付けるほど愛着があるようにも見えなかった。否、名前などとうに忘れたと言う方が納得がしやすいように思える。手入れをする者も力もなく戦いだけが存在を維持しているのかもしれない。

「苦しい……」

 男は大きく息を吐き出し、空気を吸い込んでも満たされない肺機能を恨みながら心の苦痛を洩らす。

「……月……太陽……地球……」

 懐かしいと思うほどの記憶はないが、彼にとっては間違いなく生まれ故郷であった。そして苦痛から解放されるために向かうべき場所なのだ。かつて同じように太陽を目指し消えた同類もいる。消えた事により苦しみから解放されたのだろうか。会った事も会話した事もない同類の最期の想いなど知る術はない。唯一それを知っているはずの者はこの苦しみをどう感じているのか。

「苦しい……」

 口癖のようになっている言葉を、男はただ繰り返す。

「苦しい……苦しい……」

 もはや何に対して『苦しい』のかすらわからぬ程、男は『苦しさ』に蝕まれていた。ここに神に仕える者がいたならば〝殺さぬ事こそ罪〟と思うやもしれない。

「苦……しい……」

 涙すら流せない程枯れ果ててもなお求めるものがあるのは幸せなのだろうか。求めるものを手に入れるためにここまでやって来たのだ。誰にも聞かれずに闇に消される言葉と同じになる気はないと、くすんだ闇夜のような瞳が遠い太陽(ETS)の光によって僅かに輝いたように見えた。

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