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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
8/41

【月、出陣】

<登場人物>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


(コウ)・グリーゼ中尉……凰の副官

〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス

〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット


※DL:ディビジョン・リーダー

          ◇


 『地球防衛衛星〝月〟』。過去には〝お月様〟と称され、供え物までして愛でる存在であった地球唯一の天然衛星。天体を人工的に大気で包み込む事が出来るようになった人類が、一番最初に地球外で住まう様になった天体である。〝ETS〟の誕生により外敵が増えた地球を防衛するため、月は居住区域ではなく『防衛衛星』として造り変えられた。生物は住まわずメンテナンスや清掃まで全てL/s機関が月のグランディス・コンピュータを通じて機械で行っている。幸い未だ使わずに済んでいる〝月の主砲〟は、自身よりも小さな小惑星程度であれば粉砕出来るほどの威力を持つが地球にまで電磁的被害が及ぶと予想されるため、太陽系近衛艦隊が〝勝てない〟と判断されない限り放たれはしないだろう。その〝お月様〟が地球を守るために自ら出陣しようとしていた。

 近衛艦隊迎撃部隊は月への移動を完了して作戦実行への準備に移っている。戦況によっては半月以上を月で過ごさなければならないため、出来うる限りストレスを抑えられるように狭いが個室の宿舎が用意された。民間人を連れて来るわけにはいかなかったが、月にいる間退屈も不自由もないように娯楽施設などもある。娯楽施設に関しては戦闘中は閉鎖されるが、戦争事態が終結しても『行き』と違って『帰り』は数時間では帰還出来ないという理由で設置されたのであった。


          ◇


 月の最高会議室では、総司令官ニグライン・レイテッド、近衛艦隊総隊長ファル・ラリマール・凰、陸上戦闘部隊隊長デン・ドリテック少将、特殊能力部隊隊長ユーレック・カルセドニー少将、第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長ラン・マーシュローズ准将、第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長アウィン・バーント准将の計6名が作戦の最終確認を行っていた。

「ほんっとにオレ一人でやるんですよね?」

 途中、ユーレックが楽しみで不安だという面持ちで発言をする。

「ユーレックくんだから出来るんだよ」

 ニグラインはにこやかに答えると、テーブルの上に月と地球を映し出す。かつて僅かずつ離れてしまっていた月も現在では地球との引力を制御されており、程よいと計算された距離を保っていた。今作戦の大前提である〝月での出撃〟をするためには月と地球双方の引力制御装置を解除して本来の地球との引力を切り離す必要がある。そして引力が切り離されたと同時に月を地球と火星の間に空間移動(リアルワープ)させなくてはならない。その〝地球との最後の一糸を切り離す〟役目が、ユーレックに課せられていた。

特殊能力部隊(特能部)の優秀な念動力者(サイキッカー)と何人かで一緒にやれれば楽だと思うけど、ほんの少しでもタイミングがズレたら地球も月も崩壊するかもしれないから」

 地球と月の崩壊などという大それた事を声も荒げずに話すニグラインに誰も反論すら出来ない。100分の1スケールのシミュレーションで100%の成功率を出したとはいえ、実際にやるには事が重大すぎる。能力を全解放で使える機会が来るなど一生ないと思っていたユーレックだが、まさかこんな風に訪れるとは。ユーレックが引力を切り離した瞬間、ニグラインと螢はそれぞれグランディス・コンピュータとマイスター・コンピュータで大気ドームや自転に修正をかけ、引力がなくなった衝撃を受けないように月と地球を守る。

 最初の作戦では螢が司令塔となりIT支援部隊に月と地球のコントロールを任せるはずであった。しかし隊員数十名が除隊し、更に地球の重要箇所に配置した隊員数名が無断欠勤したために螢を地球に残すしかなくなったのである。月のコントロールはニグラインが自ら引き受けた。

「……螢、グランディスに会いたかったって喚いてたなぁ」

「マイスター触れるって喜んでもいたがな」

 ユーレックとランは、マイスターとグランディスへ正反対の気持ちを交互に繰り返して騒いでいた螢を思い出す。引力断絶後、磁場が安定するまでの地球の運命は螢が握る。ニグラインが操作する月の方はもはや何事もないかのように心配する者はいなかった。

「引力断絶装置も作らないとね。毎回ユーレックくんに負担をかけたら悪いし」

 微塵も成功を疑わないニグラインは、月での出撃が今後もある可能性を考えて新しいシステムを考え始めた。まだ今回の戦争が始まってもいないというのに。

「明日までに出来ませんかね?」

時空間移動(タイムワープ)が合法なら出来るんだけど、ごめんなさい」

 ユーレックの無理な要望にニグラインは頭を下げる。司令官に頭を下げさせるような言動にひとりとして苦言を言わないほど、彼の責任は重大であった。

「司令、会議の続きを」

 中断した作戦確認の継続を凰は求める。この会議が終わり明日の月移動が無事に完了すれば、敵が空間を破って現れるまでしばしの間平穏に過ごせるのだ。とはいえ娯楽施設に赴いて気を紛らわせるのにも限界はあり、宿舎に籠もっていられるほど精神力が強い者は限られている。結論としてそれなりに体力を使う訓練を行い好きなものを飲食して、就寝までの時間は自由に過ごす。という通常勤務に追加したアフタープランまで総員に言い渡された。

「そうだね。今朝の時点で小惑星型要塞の外見が見えてきたから、投影します」

 作戦テーブルに映し出された敵小惑星型要塞は歪曲のない楕円形をしており、人工的に造られたものであると見受けられる。錆の出始めた鉄を思わせる表層に赤い筋が刺さったように這う。

「外見から敵要塞を『赤針(レッドルチル)』と呼称します。大きさは22×12キロメートル程度。月よりもかなり小さいとはいえ人工要塞であれば要塞自体の攻撃力も相当なものと推測。移動で相当エネルギーを消耗したはずなので月と同等の主砲を持っていようと体当たりして来ようと月のシールドは破られないだろうし、何より太陽系近衛艦隊は強い」

 ニグラインは丁寧に敵要塞の説明をしながら、月の戦力との比較をする。最後に確固たる自信を持って近衛艦隊の強さを絶賛した。

「じゃあ、続きは凰くんからお願いします」

 自分の声だと緊迫感に欠けるのを承知しているニグラインは凰に進行を託す。凰は空間投影を操作して迎撃部隊の戦略モデルを展開し、作戦内容を話し始めた。

「先ず、赤針がワープゾーンから出てくるのに合わせて要塞主砲警戒で広範囲空間シールドを張る。要塞小砲は第一宙空艇部隊(バリュウス)第二宙空艇部隊(クサントゥス)の前衛部隊で、中砲・大砲は駆逐艦と巡洋艦で各個撃破。その時は特能部が全力でサポートする。カバー宙域には細心の注意を払うように。要塞砲を落とした後は表層の偵察をし、侵入箇所を選定。敵戦闘艇などが出てきたら交戦となるが、特能部のバリアは使用出来ない。危険を感じた場合は空間バリアを張って撤退せよ」

 凰の声は戦闘前に相応しい重厚感があった。空間バリアを張っていればある程度の攻撃は弾けるとはいえ、自身も攻撃が出来ないという欠点がある。特殊能力部隊の張る能動バリアは外からの攻撃は弾き中からは攻撃可能という優れたものである反面、能力者の負担が大きく長時間は使えない。月には『バリュウス』『クサントゥス』からそれぞれ1500機ずつ計3000機が配備されているが、カバー宙域は最前線に配置される宙空艇部隊主力戦闘艇『アキレウス』80機・駆逐艦、巡洋艦数隻分程度である。特能部サイキックチームの能動バリアが切れるの合わせ、待機していた後続部隊が前衛部隊と合流して作戦の第二段階に入る。今作戦では敵要塞内に侵入して相手がどこの恒星系から来たのかを確かめるため、陸上戦闘部揚陸部隊の要塞侵入経路を見極めるのも宙空艇部隊の重要任務だ。そして侵入経路が見つかり次第、揚陸部隊を送り込む〝道〟を作らなければならない。

 道が開かれた後、揚陸部隊は揚陸艦で要塞内に突入。搭乗型装甲機『キーロン』10機と白兵戦兵30名で編成された中隊12個が別々に行動し、要塞の無力化をはかる。揚陸艦を護衛する駆逐艦・巡洋艦は十数隻のみで戦艦級の艦は月には持ち込まず守護艦隊として地球に残して来ている。迎撃部隊の戦力が少な過ぎると心配の声をあげた者もいたが、『月主砲』がある限り突破される事はないという結論に至った。月を使わず地球から艦隊を出撃させるのであれば、近衛艦隊全艦で出撃しなければならなかったであろう。

「キーロンには転送カプセルを搭載して負傷した者や捕虜を揚陸艦に転送出来るようにしてある。エネルギーはETSから直接送られるそうだから惜しみなく使ってくれ」

 キーロンを動かすだけでも相当なエネルギーを消費する上、人間を転送するとなれば更に膨大なエネルギーが必要でありキーロンのバッテリーだけでは到底無理な話であった。だが、ETSが常に補充するのであればエネルギー不足など起きない。

「太っ腹ですなぁ!」

 最初の作戦会議で聞かされていたとは言え、ドリテックはキーロンのエネルギーを心配せずに作戦を遂行出来る事に改めて感服する。ドリテック自身はキーロンに乗り込みはしないが、どれだけ優れたマシンであってもエネルギーの切れた機械ほど役に立たないものはないのだ。尤もキーロンの開発者であるメカニカル・サポート部隊隊長のスマルト准将に言わせれば「エネルギーが切れる前に作戦完了出来ない人間こそが使えない」との見解だが。

「交戦中やそれに準ずる状態でない限り、連続行動時間は最大5時間とする。待機している隊と交代する際は周囲への警戒を厳とせよ」

 キーロンに転送カプセルを搭載した事により、前線でも隊の交代・増員・撤退も可能であり戦局を有利に運べる。何よりのメリットは疲労が蓄積されない点だ。

「ぼくの計算だと早くて半日、長くても三日で制圧出来ると思う。人間はそれ以上休まなかったら自滅するでしょ」

 ニグラインの言葉には感情がなかった。敵が全員ツカイとなっていてもそれ以上は肉体が保たない。圧倒的な戦力差で迎撃を行う太陽系に幾度となく向かって来る敵に、ニグラインは何を思うのか。月での作戦は皆が覚悟していたものよりも相当規模が小さいが、やはり問題は地球の方であろう。外敵が攻めて来た時に何もなかった事など過去に一度もない。ニグラインは地球の防衛部隊と近郊宙域統括軍への連絡を密にしていた。〝ヒト〟同士の戦闘では犠牲が多い。現状では個人個人を四六時中バリアで守る事は出来ないのだ。

「再度各部隊ごとに作戦の確認とマシン・装備の点検をし、終業後はゆっくり休むように。以上」

 凰が会議の終了を伝えると将校たちはニグラインと凰に向かって敬礼をし、会議室を後にした。


「……何人、死んじゃうのかな……」


 凰と二人だけになった会議室に、ニグラインの悲しげな声が静かに響く。泣いているのかと思い凰はニグラインに目を向けたが、涙の代わりに感情がこぼれ落ちたような藍碧(あお)い瞳がそこにあるだけだった。笑顔以外のニグライン・レイテッドに、凰は声をかけられなかった。

「なるべく早く終わらせるから!」

 凰が声を詰まらせているのに気付いたニグラインは、決意を含めた陽光の笑顔を向けた。


          ◇


 翌日、近衛艦隊地球時間の20時53分の月・地球間の引力断絶を控えて太陽系全土の人類は緊迫していた。近衛艦隊と近郊宙域統括軍は第一級警戒態勢を取っている。勤務時間外の者も雲が避けるかのように夜空に輝く満月を見上げ、親しい人間を月に送り出した者は祈りを捧げていた。


「引力断絶まで60分。総員配置に着け」

 月艦橋の総隊長席より凰の指令が発せられる。身の置き場がないかのように落ち着きのなかった兵士たちは皆気を引き締め持ち場に着く。

「オレたちも行きますかね~」

 ただ一人、最も引き締まらないといけない人物が欠伸をしながら凰の隣の席で伸びをした。ユーレックのするべき準備は〝体力を使わない事〟だけだったため、凰の指令が出るまで居眠りをしていたのだ。普段なら不謹慎極まりないが、今回は任務遂行のため不可欠であった故にユーレックには改良型のマイフィットチェアが与えられていた。

「この椅子、本当にやばいよなぁ。成功報酬にこれ戴けませんかね?」

 是非とも自宅に欲しいと、ユーレックはグランディス・コンピュータ・ルームで聞いているだろうニグラインに聞こえるように言う。

「これ以上ユーレックの私生活が乱れたら困るので定年退職後にしてください」

 ニグラインからの返答を待たずに凰が却下を申し出た。凰ですら理性を失いそうになる座り心地なのである。現在のユーレックが自宅で使用したとあっては怠惰による無断欠勤も否めないと危惧したのだ。退職後であれば日々リラックスを通り越して堕落していても問題ない。凰の何気なく言った〝定年退職後〟という言葉は、微かに残っていたユーレックの不安を消し去った。無二の僚友が自分の能力を全面的に信用してくれている。これ以上に何も求める必要はない。

「ほら、行くぞ」

 凰はなかなか椅子から離れない今作戦最大の功績者となるであろうユーレックの腕を掴んで立ち上がらせ、ニグラインの待つグランディス・コンピュータ・ルームへと向かった。


 月の司令官室であるグランディス・コンピュータ・ルームも、地球のマイスター・コンピュータ・ルームと同じセキュリティシステムが組まれていた。幸い凰もユーレックもセキュリティに弾かれる事なく入室を許される。

「凰、カルセドニー、参りました」

 代表して入室を告げる凰の後ろで、ユーレックは漆黒のグランディス・コンピュータを見上げて口笛を吹く。形状はマイスター・コンピュータやメイン・コンピュータと変わらないが、色のせいか威圧感を覚える。

「不肖未熟の身ではありますが、ユーレック・カルセドニー、全身全霊を持って任務に当たらせて頂きます!」

 どこで覚えてきたのかと言いたくなるような似つかわしくない良く出来た台詞を言い、ユーレックはニグラインに完璧な敬礼をした。

「よく出来ました! ──って、リトゥプス長官に伝えておくね」

 台詞の出所が近郊宙域統括軍の長官であると見抜いたニグラインは笑顔で敬礼を返す。凰もそんな事だろうという思いはしたが、それよりもユーレックが本気で敬礼をしたところを見て驚く。敬礼などいつも形だけのもので、心から敬意を払っていると感じた事などない。

「ありがとうございます! そうして頂けるとありがたいです!」

 他の者からすれば、和やかな会話をしているこの二人が月と地球の運命を握っているとは全く信じがたいだろう。信じるためには、もっと深く長く付き合っていかねばならない。しかしその期間を大幅に短縮する事も出来る──この作戦の成功がそれをもたらすに違いなかった。

クラック司令官室長(COクラック)はご一緒ではないので?」

 地球ではニグラインの近くにいる事が多かったオウム・フィッシュの姿がないと気付いた凰が、辺りを見回しながら問いかける。

「彼は地球本部の司令官室長(チーフ・オフィサー)だからね。螢ちゃんにお願いして来たよ」

 当然と言うべき返答に納得する以外ない。凰はやわらかい冠羽の感触を思い出し一縷の物足りなさを感じた事をユーレックに悟られまいと気を収めた。それでもクラックの所在を訪ねた時点でニグラインには感付かれたであろう。

「では、お二人とも。グランディスへどうぞ」

 漆黒のグランディス・コンピュータの前に立つニグラインの白い軍服が道しるべのように凰とユーレックをグランディスの内部へと誘う。内部も漆黒に統一されたグランディス・コンピュータに入ると、正面の壁の一部が扉に変わる。ニグラインが近づくと扉は開かれ、何もない部屋が現れた。

「ユーレックくんが一番集中出来る仕様になるから、入って」

 そう言われたユーレックは、部屋にひとりで歩み入る。ユーレックが中央付近まで足を進めると部屋全体に宇宙空間が広がり、手元にはシミュレーション時に使用した月球儀よりも二回りほど大きい〝月〟が浮かぶ。足下には青い地球があり、月と一緒に見下ろしているようだった。

「地球から月を取り上げるというシチュエーションか」

 子どものボール遊びを思わせるイメージだが、凰はユーレックらしいと簡易な言葉に変えて笑う。

「取り上げるとはなんだ。ちょっと借りるだけだろうが──ですよね! レイテッド司令」

 凰の例えに不満を表し、ユーレックはニグラインに正当性を問う。やり方が強引なのは否めないが地球を守るためでもあるのだ。月も地球も許してくれるはずである。

「返す時は丁寧に返すから、大丈夫だよ」

 月の帰還は引力制御装置によりゆっくりと静かに行う。月を前線に送り出すのを地球がどう思うのかは誰にもわからない。ただ〝絶対に返す〟という意志は固かった。

「あの椅子は何だ?」

 凰がユーレックの正面の、おそらく壁を背にしているところにリラックスは出来そうにない固そうな椅子に目を止めた。

「おまえの席。……見張り役としていてくんねぇかな」


挿絵(By みてみん)

Illustration:ギルバート様


 不安だからではなく、暴走しないように。ニグラインも凰もユーレックの能力制御装置をコントロールする権限がある。離れていても操作は出来るが、目の前に僚友がいる事で理性を保てると思ったのだろう。

「いいんじゃない? ぼくは月の面倒を見ないといけないから、ユーレックくんのことは凰くんに任せるよ」

 艦橋の指揮はランに任せてある。凰としてはこのまま総隊長の座を譲ってアキレウスで前線に戻りたいくらいだが、そうも行かない。今はユーレックを見張るだけとはいえ間違いなく危険で重要な任務だ。ユーレックほどではないにしろ胸の奥底が熱くなる感覚を得ていた。


 ──20時48分。

「5分前だ」

 凰用の椅子に座っていたユーレックの肩を凰が叩く。ユーレックがもうひとつ椅子をイメージすればよかったのだろうが何故か出来ず、凰に着席を促されたのだ。この部屋に来てから数十分、先日のニグライン宅での話や螢がスイーツを食べている時の様子などを楽しく話していたが、ニグラインから時間を知らせる通信が襟章を通じて入り会話を途中で止める。「また後で」とはどちらも言わなかった。


          ◇


「地球間引力調整、よし。大気コーティング、よし。進路空間、オールグリーン。引力断絶180秒前──」

 月艦橋からオペレーターの声が月の迎撃部隊及び地球の防衛部隊に響き緊張が走る。〝月の出陣〟を知る者は不安な眼差しで空を見上げるしかなかった。微塵にも心配していないのはニグラインだけであろう。

「ユーレック・カルセドニー少将、能力解放!」

 ニグラインがユーレックの能力抑制装置を全解除すると、室内の空間が揺れユーレックの強力な力に反発する。生まれてすぐに装置を付けられたユーレックは自分の能力の強大さを初めて身に感じた。手元に浮かぶ月がシャボン玉のように壊れやすく思える。それを割ってしまう事は実物の月を破壊する行為だ。いくらグランディス・コンピュータとマイスター・コンピュータが空間を繋ぐとは言え、およそ385,000kmの距離を置く月と地球の引力を切り離すのであるから、相当なパワーを要する。微細な調整を全力で行う事は容易ではないが、ニグラインはユーレックがそれを成功させる可能性は100%であると言い切った。引力が切り離された後は両星共に引力を失った反動を自星でコントロールする必要がある。月ではニグラインがグランディスを使い、地球では螢がマイスターを使って大気や磁場などの調整を行う。一度安定してしまえば後は〝月〟が帰るまで問題はない。

「おまかせ!」

 ユーレックは特殊能力の全解放で全身に満ちるパワーに半ば酔いしれていた。特殊能力の使用は精神力にも体力にも相当な負担がかかる。強い能力を使うためには精神力も体力も相応に鍛える必要があった。自分の能力に耐えられない者は抑制装置を解除する事を許されない。特殊能力研究がまともにされていなかった時代には暴走する者も多く悪魔だ魔女だと恐れられ迫害すら受けていたが、現代では人間の能力の一種として認知されている。だがどのような能力であれ、特出していれば輪の中にいる事は難しい。ユーレックなどは近年稀に見る能力者であったため、彼の親は首も据わらぬ我が子の能力を恐れて捨てたのだ。孤児院でも扱い切れず、すぐにL/s機関に保護された。特殊能力部隊のトップに上り詰めたのも必然であった。

 今ユーレックがその気になれば月と地球を滅ぼす事も可能であろう。引力制御装置を破壊するなど、彼の能力を持ってすれば簡単だ。昔のユーレックであればそんな誘惑に心が揺れたやも知れない。だが、現在の彼はそんな程度の事を興味の対象とはしなかった。凰という〝友〟を得て、近衛艦隊で螢たちと出逢った今、ユーレックにとっても太陽系は守るべき存在となったのだ。そしてニグライン・レイテッド──これほど彼の興味を掻き立てる者はいない。ニグラインが築き上げるであろう〝未来〟を、ユーレックは自分の目で見たいと思っている。

「10秒前、9、8、7……」

 オペレーターの10(テン)カウントが始まり月は地球との別れを寂しがるように静寂した。ユーレックが解放された能力を月と地球の引力融合部分に集中すると、マイスター・コンピュータを伝って螢の思念がユーレックに届く。

『頼むわよ、ユーレック!』

 ユーレックは自分にこの能力があった事を誇りに思いながら、月を地球から切り離すべく最小限に調整された引力接合部分に全能力を注ぐ。シミュレーションでもニグラインと螢の引力制御装置解除操作に誤差はなかった。あの二人が本番だからと緊張して手を滑らすなどあり得ない。ラスト3秒のシグナルライトが無音で1秒ずつ消えていく。

「ちょっと借りるぜぇ!」

 最後のシグナルが消えると同時に引力制御がなくなり、数千年ぶりに自然の引力によって月と地球が感動的に触れ合った絹糸のような瞬間をユーレックはその手で絡め取ると、地球から月を借りる(・・・)事に成功した。


「月・地球間、引力断絶!両星共に重力・大気・自転調整完了! 月、空間移動(リアルワープ)開始します。目標、火星方面550,000km!」

 オペレーターの声に歓声とどよめきが起こる。デスク上のペンが転がる程度の振動はあったものの、月の独り立ちを妨げるような事はなかった。地球の防衛部隊の隊員たちは消えた満月に向かい一斉に敬礼をし、月の迎撃部隊はまだ見ぬ外敵へと飛び立った。

「ユーレック……やったぁ!」

「ヤッタぁ・あ? ヤッタぁ・あ?」

 螢は地球が安定しているのを確認すると満面に笑みを浮かべて普段の宿敵の功労を讃え、地球を抱きしめるようにマイスター・コンピュータに抱き付く。司令官室長のクラックが螢の言葉を繰り返しながらマイスターの周りを飛翔する。ユーレックの代わりに抱き付かれたマイスターは月の帰りを地球と共に待つだけであった──。


「ユーレック、無事か?」

 能力を限界まで使い切ったユーレックがその場で仰向けに倒れ込むと、室内もただの何もない空間に戻った。ユーレックは指だけを辛うじて動かして凰に無事を伝える。今作戦最大の功労者にしては情けない姿だが、誰もが賞賛すべき姿であった。

「お疲れさまユーレックくん、大丈夫?」

 片膝を付いてユーレックを見下ろす凰の背中からふわりとした白金(プラチナ)の髪が現れ、ニグラインが心配そうに顔を覗かせた。藍碧い瞳がユーレックを労う。

「腹、減りました」

 任務をやり遂げて自慢気な笑みを浮かべたユーレックはニグラインに空腹解消を求めた。

「そっか。何を食べたい?」

「司令の手料理なら何でも!」

 ユーレックは心からそう思った。味がいいだけの料理ではなく、食する者の体調や好みまで考え心を込めて作られた料理。母を知らぬユーレックは先日食べたニグラインの手料理以上の料理を知らない。

「うん、じゃあ今から作る! 凰くん、ユーレックくんをヒーリング・ルームに連れて行ってあげてね。出来あがるまでスリープして待ってて!」

 ニグラインは自慢の手料理を所望された嬉しさを惜しげもなく笑顔に変えながら凰の背中から飛び降りると、踊るような足取りで厨房へと向かった。

「……厨房の連中、驚くかな?」

「そう思うなら、回復食で我慢するんだな」

 突然やって来た司令官にあの料理の腕前を見せつけられたら、近衛艦隊の誇る調理兵たちとて驚かないわけはない。ユーレックのいたずらを仕掛けたかのような心配を聞き、凰は回復用戦闘糧食を薦める。

「心の栄養が採れねぇよ」

 出来合いのインスタントフードでは心が満たされないと、ユーレックは軽く断る。確かに回復用戦闘糧食は従来の栄養補助食品と違って必要な栄養が即座に採れるだけではなく疲労も著しく回復するが、普段と同じ物を食べても報奨にはならないだろう。

「また司令の家でご馳走になりてぇな」

 ユーレックは凰の肩を借りながら立ち上がると、図々しいもくろみに凰を巻き込む。

「ああ」

 地球への帰還が大前提の誘いを、凰は快く受けた。


          ◇


 その頃、太陽系近衛艦隊地球本部では螢とリーシアがつかの間の平和を堪能すべく高官専用のカフェでティータイムを取っていた。終戦まで厳戒態勢が解かれる事はないが、休憩は重要な任務のひとつでもある。

「食べ過ぎじゃない?」

 螢の前に並ぶテーブルを埋め尽くすようなスイーツの山を一瞥して、リーシアが冷ややかに言う。

「だって! あたしが地球に居残りだなんて!!」

 〝月〟をグランディス・コンピュータで思う存分動かせると嬉々としていた螢は、地球防衛部隊に回された事への不満を顕にする。

「さっきまでマイスターに張りついてご機嫌だったくせに……」

 リーシアが呆れたように言うと、螢のやわらかい頬がスイーツ以外の理由で膨らんだ。

「次に触れるの、月の帰還時だけなんだもん!」

 憧れのマイスター・コンピュータを扱えたのはこれ以上ないくらいの感動を螢に与えたが、事が済んでしまうと月の帰還以外には緊急を要さない限りマイスターを操作する権限もないのだ。マイスターの機能を一部動かせる端末を渡されてはいるが、非常事態を感知した時のみ起動する仕様になっているため沈黙している。それと地球にあるマイスターはニグラインに頼めば触る事も出来ようが、月のグランディスに会える機会はそうそうない。

「不満の大きさとスイーツの量が比例するのなら、月が帰って来る頃のあなたの体脂肪率はどこまで上がっているかしらね」

「うっ……!」

 リーシアのひと言で螢の高スペックコンピュータ以上の計算能力が働き、所狭しと並ぶスイーツのカロリー量と先ほど地球をコントロールした際に脳で消費したカロリー量を天秤にかけて、口の中のスイーツを飲み込むのを一瞬躊躇う。

「ひとつ、食べる?」

 甘くないソイ・ラテを飲んでいるリーシアに、螢は機械の次に愛して止まないスイーツをひとつ惜しみながら差し出す。

「あら、ありがと」

 リーシアは遠慮せずに受け取ると、男性を魅了してやまない微笑みをみせた。

「そう言えば、虹くんはどうしてる?」

 いつでも凰のそばにいられると思っていたであろう虹は、螢と同様に地球に残されてかなり落ち込んでいた。

「凰総隊長に〝地球を頼む〟とか言われたみたいで、張り切ってるわ」

 あまりの落ち込み様を哀れに思ったのか、凰は虹にそのような事を言ったらしい。虹は螢の補佐として、この作戦の間はIT支援部隊に配属されている。

「レイテッド司令が残るわけにはいかないものね」

「わかってるわよ」

 螢と虹の抜けた穴をニグラインが一人で埋める事になったが、〝無理〟と思う者はいなかった。螢も多少は悔しい気持ちもあるが、月と地球を切り離すシミュレーションで見せられたニグラインの圧倒的な頭脳と能力を目の当たりにして、悔しさよりも近くでその力が発揮される様を見たいと思いもしたのだ。グランディスに会えないばかりかニグラインからも引き離されたとあっては──。

「レイテッド司令~っ!!」

 螢としてはスイーツを貪りながら嘆き悲しむ以外、道はなかった。リーシアは〝螢が男を想って泣く〟などユーレックが知ったらどう思うかと、つい口から出そうになった言葉を貰ったスイーツで喉の奥に押し戻した。

「あ……火星……」

 カフェの天窓から、先ほどまでちょうど満月の後ろに隠れていた火星が明るく瞬いて見える。月が地球と火星の間に入り人為的な火星食が起こるまで暫しの時間夜空に輝くだろう。

「ラン、無茶しないかしら……」

 女性将官の中で唯一人月に配属された友人を気づかい、リーシアは呟いた。ランは宙空艇部隊を率いて最前線に出る。今まで生きて帰って来ているが、宙空艇部隊はどこよりも生還率の低い部隊だ。ランはDLだからといって後ろで指揮するのではなく、先頭に立って敵に向かう。だが月の心配ばかりもしてはいられない。外敵の侵略を機として起こり得る内乱の状況によっては、こうして火星を見上げるのも最後になる可能性もある。こんな事になるならば……。

「押し倒しておけばよかったなぁ」

 独り言に留められない内容をこぼしたリーシアの言葉に、螢は危うくケーキに顔を突っ込みそうになった。

「えええっ!? だっ誰を??!」

「鼻にクリーム付いたわよ」

 リーシアは螢の質問に答える気もなく、ケーキへの寸止めが失敗に終わった証拠として残る鼻の頭に付いた白いクリームの指摘をする。

「じゃあね、ご馳走さま」

「……あっ! ちょっと、リーシアちゃん!!」

 慌ててクリームを拭き取ろうとする螢を置いて、リーシアは一足先にカフェを立ち去った。


          ◇


 つかの間の平和を平和らしからぬ考えをもって楽しんでいる者が近衛艦隊地球本部の外壁にもたれながら火星を見上げている。この者には火星の赤い色さえ血の色に見えているのではないだろうか。

「邪魔者は消えた……始めるとするか」

 見た者を不快にする笑みと共に男は不穏極まりない言葉をもらす。〝笑顔〟と形容するにはおぞましい笑みは月の消えた暗闇に相応しくさえ思えた。予定ではミッションは半月。早く終結したとしても引力の一番安定する〝朔望〟に合わせてしか月を戻せないため、新月となる14日後が最短の帰還予定となっている。敵を制圧する事に手間取り新月に間に合わなければ29日後、次の満月の日となる。その間地球が平和でいる事は、やはりなさそうであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] タイトルの時点でもうロマンが凄い! そして月に開けた超大型砲(と予想)…! こりゃあ、ワクワクが止まりません。 [一言] ユーレック君お疲れさまでした!
[良い点] いよいよ月要塞出撃!月その物を転移させるとは物語のスケールの大きさに唸ります。そして巡洋艦、駆逐艦といった言葉が出るとワクワクしますね。 次回迎撃開始が楽しみです。 [一言] このストーリ…
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