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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
7/41

【迎撃作戦準備開始】

<登場人物>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


(コウ)・グリーゼ中尉……凰の副官

〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス


※DL:ディビジョン・リーダー

          ◇


 凰とユーレックは近衛艦隊地球本部の司令官室に通された。白銀のマイスター・コンピュータが、変わらずに悠々と来訪者を迎えている。

「入って入って~」

 ニグラインはマイスター・コンピュータの裏側に回り、近郊宙域統括軍への空間移動装置とは違って外側からは見ても言われてもわからない扉を開けると、満面に笑顔を浮かべて手招きした。言われるがままに内部に入ると、内蔵されているエレベータ

が音も立てずに上昇を始めた。

「うっ!」

 エレベーターが動き始めたとたん、ユーレックは身体中に不快感を感じて小さく呻く。

「ゴメン。精密スキャナになっているから、ユーレックくんには不快かもね」

 司令官室入口のセキュリティなど比較にならない、まるでゲノムまで分析されているような感覚がユーレックを襲う。ユーレックには細胞のひとつひとつに干渉されているのがわかるのだろう。

「性病でも持っていたら、即座にはじき出されそうだな」

 ユーレックの船酔いしたかのような様を見て、凰が意地悪く言う。

「持ってねーよ! ……多分」

 身体中に走る気持ち悪さに耐えながらユーレックは反論した。〝ない〟と言い切れない辺りが彼の悲しいところだ。

「大丈夫だよ。多少の病原菌ならこの中で除去されるから。除去出来ないほど悪性だったらここには入れないし。あと、身体の疲れもだいぶ取れたでしょ?」

 ニグラインは安心させるべく言ったつもりだろうが、聞いた二人は心穏やかではいられなかった。確かに先ほどまでの疲労感はかなり消えている。汚れた人間を拒絶しているのか、招いた人間への歓迎なのか。このようなシステムが内蔵されているのであるから、マイスター・コンピュータはただの司令塔ではないと断言出来よう。それがこの少年の管理下に置かれている事実が二人の脳波を乱していた。

「お待たせ」

 振動すらなく停止したエレベーターの扉が、やはり音もなく開放された。明るすぎない空間が広がり、凰とユーレックがニグラインに続いて歩み入ると何もなかったと見受けた空間はいつの間にか客人を迎えるリビングになっていた。四方に設けられた窓の一角から見える上弦の月は美しく闇に浮かび、とても一週間後に出撃する防衛衛星とは思えない。

「ニグ・ぅ! オカエり・ぃ!」

 月に見入っていた凰とユーレックは、ピチピチと翔んで来たクラックの声でニグラインの方へと向き直る。

「ただいま、クラック」

 ニグラインの肩に停まったクラックは長い金色の冠羽を頬に擦り付けて家主の帰宅を喜ぶ。

「え? ここって」

 〝ただいま〟と言ったニグラインに、ユーレックは素直に驚いた。声にこそ出さなかったが、凰も然りである。

「うん。ぼくの自宅だよ」

 二人の疑問にニグラインはにこやかに答えた。艦隊本部の、おそらく最上部に位置するこの場所。司令官室からマイスター・コンピュータを通らなければ入れないようなところでニグラインは生活しているのか。〝家族〟は……と聞く必要性もない。クラック以外の家族がいる方が余程不自然に思われた。

「こんな場所があったとはねぇ……おまえ、知ってたか?」

 ユーレックが感嘆の言葉を呟き、凰に問う。

「いや」

 当然凰も知らなかった。マイスター・コンピュータ・ルームすら誰一人として足を踏み入れた事がなかったのだから、知りようもない。ユーレックも、もしかしたら凰は先に聞かされていたかもしれないという可能性にかけて聞いてみただけであった。

「ファル・ぅ!」

 ニグラインへの挨拶を済ませたクラックが凰のもとへと翔んできた。凰が手を差し伸べると嬉しそうにそこに停まり、冠羽を擦り付けゴロゴロとノドを鳴らす。

「し、司令! この鳥、いや魚? 〝ゴロゴロ〟言ってますけど?!」

 近づいて様子を見ていたユーレックが、クラックの生態の不可解さに驚いて叫んだ。

「ああ。クラックは凰くんがお気に入りだからね」

 微笑ましくクラックを見ていたニグラインの答えは、ユーレックが求めたものではなかった。

「凰……」

 そして凰も気にしていない風であったので、ユーレックは問いかける先をそちらに替える。

「今更、このくらいのことで驚いても仕方ないだろう」

 実のところ凰もクラックがノドを鳴らすとは知らなかったが、ユーレックに言った通りニグラインに関する事をいちいち驚いていては保たない……と、自分に言い聞かせていた。

「あー……」

 至極納得の行く考えだが、ユーレックが自然に受け入れるには時間がかかりそうだ。目尻がタレ気味であるにも関わらず猫のようないたずらな目と見られるのは、ユーレックの好奇心旺盛なところも大いに関係していた。そしてその好奇心が物事へのリアクションを大げさにしているのである。

「今ご飯作るから、座ってて」

 ニグラインがキッチンに消えると、改良型マイフィットチェアたちが歩いてきて二人に座るよう後ろに付いた。凰とユーレックは顔を見合わせ、抵抗する理由もないと腰を降ろす。

「やべぇ、癒される……」

 改良型マイフィットチェアにゆったりと身を任せて、月を見上げながらユーレックが言った。司令官の自宅で、司令官に食事の用意をさせておいて自分はくつろいでいる──常識はずれはニグラインの常識だと思っても、些か問題がある。せめて背筋を伸ばして座って待つべきだと思考するが、あまりにも座り心地が良く出来なかった。ユーレックが隣の凰に目を向けると、ユーレックよりはまともな姿勢で座っていたがやはりくつろいだ風に月を見上げていた。青虎目石さながらの瞳が、月の光を受けて不可思議な色彩を見せている。

「なぁ」

 ふいに声をかけられ、凰は視線だけを声の主に向けた。ユーレックはその瞳を見て「勝てると思うか?」という問いかけを飲み込んだ。迷いのない瞳には、意味をなさない言葉であった。勝てる勝てないは問題ではなく、ニグラインに付いて行くか行かないか……その答えは、もう出ているのだ。

「お待たせ~」

 次に何かを思考する前に、ニグラインがキッチンからワインのボトルとグラスを持って現れた。

「司令、運ぶなら……」

「ダメダメ。お詫びなんだし、第一キミたちはお客さまだよ?それに料理はテーブルに転送されるから、気にしないで」

「キニシナイで・ぇ? キニシナイで・ぇ?」

 クラックがニグラインの言葉を繰り返すと同時に、テーブル中央から大皿に乗ったオードブルが現れた。彩りも盛り付け方もよく、白い皿にソースで描かれた模様が美しい。立ち上がりかけた凰の目の前にワイングラスを置き、ニグラインは凰の申し出を断る。出遅れたユーレックは罰の悪そうな顔をしたが、置かれたグラスにその顔が歪んで映り込み、うなだれるしかなかった。

「あ」

 それでも腰を浮かせたままの凰に、ニグラインは思い出したように声をあげた。

「そうだ。凰くん、いっぱい走って汗かいたよね? メイン料理が出来上がるまでまだちょっとかかるから、シャワーでも浴びる?」

 司令官の意外な提案に、すぐの返答は出来なかった。確かにシャワーを浴びたい気もする。しかし、ここは司令官宅だ。〝命令〟でもされなければ、イエスとは言いがたい。

「……って言っても、凰くんは了承してくれないよね」

 ニグラインの少し困ったような笑顔に僅かな申し訳なさを感じたが、ニグラインの言う通り甘んじる気はなかった。せめておとなしく遇しを受けようと座り直したとたん、凰は改良型マイフィットチェアに拘束された。

「じゃあ、強制執行!」

「キョウセイシッコう・ぅ? キョウセイシッコう・ぅ!」

 ニグラインとクラックの元気のいい号令で、拘束されたまま凰は抵抗も抗議も出来ずにそこから姿を消した。

「司令……凰……は?」

 口を挿む間もなく隣で起こった出来事に、ユーレックは僚友の消えた現象の答えを問う。

「バスルームだよ。ユーレックくんも入る?」

「いや、オレはワイン飲みたいかな~? ……はは」

 ユーレックは凰に同情の念を送りつつ、かわいい顔をして大胆な事をする我が司令官殿に敬意以上の思いを向ける。ユーレックがニグラインの起こす事全てを〝面白い〟を思うのに、これ以上の時間は不要であった。


 その頃。凰はバスルームで改良型マイフィットチェアに座ったまま、大きなため息を吐いていた。拘束は解かれていたものの、素直にシャワーを浴びる気にはなれない。かと言って、このまま戻る事は不可能だろう。何しろ出入口が見当たらないのだから。

「仕方ない……か」

 凰がゆらりと立ち上がると、脱衣室のランドリー機能が作動した。

「便利なものだ」

 着ていたものをそこに放り込み、ミストサウナになっている浴室内に足を踏み入れる。シャワーの下にたどり着いた凰は壁に浮かび上がったパネルを操作し、温度と水力をあげた。凰は熱いシャワーが好きだった。頭から熱い湯を浴びている間は何も考えずに済むからだ。程よく身体が温まると、胸の縦一文字・背の横一文字の傷跡がうっすらと紅く浮き出る。碧藍(へきらん)の瞳のニグラインと初めて相対した時の痛みを思い出し、凰は顔を顰めた。その思いを洗い流せとばかりに壁からシャンプーやボディソープが姿を現す。よくよく便利な家だ……と思いながら凰は手を伸ばした。

 汗も精神的な疲れも洗い流して浴室から出ると、乾いたバスタオルがふわりと落ちてきた。もう、いちいち〝便利〟だと思うのはやめた方がよさそうだ。凰はランドリーボックスの中にある、クリーニングから戻って来たかのようになっている服を取り出したが、身体に火照りの残るまま袖を通すのには抵抗があった。自分の家であれば、凰は堅苦しい詰襟のユニフォームへの反発のようにラフな格好で身体が冷めるのを待つのだが、ここではそうもいかないと、仕方なさそうにボタンに手を掛けた。その時。

「凰っ!」

 バスルームの通信システムから緊迫したユーレックの声が響いた。〝何か〟あったのは明白で、すぐに改良型マイフィットチェアが元のリビング・ルームに転送されるだろう事は予測出来た。凰は即座に背もたれに掴まる。あの部屋でユーレックが付いていながら、凰を呼び付けないといけないくらいの事など起こるのだろうか。予想を立てる間もなく次の瞬間やはり元いた場所に戻った。凰はまずニグラインの姿を探して部屋を見回す。テーブルには飲みかけのワインと、あらかた食べ終わっているオードブルの皿だけがあった。

「おぉ! 間に合ったか! ほら、見ろよ凰!!」

 状況を把握しようと目を凝らす凰に、キッチンからユーレックが嬉々として顔を出した。

「ユーレック! 司令は!?」

 凰がユーレックに駆け寄ると、ユーレックの向こうにニグラインのふわりとした白金の髪が揺れて見えた。

「レイテッド司令! ご無事……で……」

 ユーレックを押し退け視界に入って来たものは、直径50cm程もあるピザと思われる生地が鮮やかな弧を描いてニグラインの手に着地したところであった。

「司令! すごいっス!! 見たか? 凰!」

 目を輝かせてニグラインを褒め称えるユーレックの肩を、凰は渾身の力を込めて掴んだ。

「……ユーレック……っ」

「痛っ! 痛い痛い痛いっ! 悪かった! 悪かったって!!」

 ユーレックが凰を急いで呼んだ理由は、わかった。確かに一見の価値がないとは言わない。だが──。

「わぁ。凰くん、ずいぶんセクシーな格好だね。でも、ぼくそういう趣味ないから」

 ニグラインがピザの生地を回しながら微笑む。慌て来たために、凰はシャツのボタンどころかスラックスのボタンも止めていない。ファスナーがきっちり閉まっていたのがせめてもの救いであった。

「ぶっっ! くくく……っ!」

 ニグラインの感想はユーレックの笑いのツボにはまったようだ。ユーレックは〝笑ったらヤバい〟と思い手で押さえはしたが、何の役にも立たずに吹き出してしまった。

「ユーレック・カルセドニー……!」

 低い、低い凰の声がユーレックのフルネームを唱える。それは呪いの言葉だったのかもしれない。ユーレックの笑いは凍り付き、背筋に冷たい汗が流れた。

「ケンカは食事が終わってからにしてね。ピザはまだだけど、他の料理は出来たから」

 ニグラインの仲裁で、ユーレックは暫しの無事を保障された。

「ほ、ほら。せっかく司令が手料理をご馳走してくれるんだから、な?」

 テーブルに転送された料理は、ひと品やふた品ではない。フルコースにも匹敵する料理が、バランスよく並べられている。

「オードブルはユーレックくんが食べちゃったから、ピザは凰くん用に作ってたんだ」

 才能豊かにも程があるだろう。戦争のない平和な時代であっても、この少年なら職探しに苦労はしなさそうだ。絶やされない笑顔の裏に何かがあるのだろうが、少なくとも今ニグラインの手料理を断る理由にはならない。何しろ司令官の護衛という大儀を終え、相応に空腹を伴っていた。第一にそれに対する報奨を受ける正当な権利を放棄する理由などあるわけもない。第二にユーレックの悪ふざけへの制裁はいつでも出来る。

 凰がシャツのボタンを留めながら席に着くと、ニグラインが凰のために作ったカクテルを運んで来た。深紅色の上質な赤ワインベースのカクテルは、柑橘系の爽やかな芳香を微量の炭酸が弾いている。ロックグラスに飾られている、今宵の月と同じ形にカットされたオレンジを避けながらカクテルを口に含むと、味わう間もなく一気に飲み干してしまった。まるで身体が求めていたとばかりに乾いた喉が潤される。赤は血の色を連想してしまうからと嫌うほど甘い生き方はしていない。むしろ身体中に循る穢れた血潮を洗い流してくれまいかと、酔う事も出来ずに浴びるように赤ワインを飲む事もある。だが、このカクテルは違った。ニグラインの料理と月の光のおかげだろうか──全身に温もりが染み渡るように、心地よく酔わせてくれそうだ。

「もう一杯どうぞ」

 ニグラインは空になったグラスの底を見つめる凰からグラスをそっと取り上げ、同じカクテルを手渡す。今度は落ち着いてカクテルの香りと味を楽しむ事が出来た。料理やカクテルでこんなに満たされる事があるとは……。

「ありがとうございます」

 ニグラインの労いの想いが込められた全てのもてなしに、凰は心から感謝の言葉を述べる。

「どういたしまして」

 そう嬉しそうに言ってキッチンへと戻っていくニグラインを見送り、宙を見上げた凰の瞳に上弦の月がやさしく映えた。


挿絵(By みてみん)

凰カクテル


          ◇


 一週間が過ぎ、再び艦隊に緊張感が戻った。本部は一週間前より遥かに空席が増え、休暇の間に離脱した者が多数いたと告げている。

「どこにいたって、変わらないのにね」

 IT支援部隊隊長の螢がやわらかい頬に手を突き、憮然と皮肉る。

「戦闘に出ないおまえの隊で離脱するとは、情けないな」

 第一宙空艇部隊隊長であるランが離脱者へ侮蔑の言葉を投げる。戦闘部隊は真っ向から敵に立ち向かう。対してIT支援部隊は最後方でバックアップをするので、順調に勝ち進めば敵に遭遇する事はない。もちろん戦闘部隊が壊滅すれば敵も押し寄せてくる。また別の敵が後方から襲撃してくる可能性もある。しかし命をかけて直接戦うのと、襲われたら命がないのとでは比較にならない。

「うちの隊員は戦闘員じゃないから、臆病者が多いのかなぁ」

 モニターに映った退役・無断欠勤者名簿をスクロールしてみると、前線に出る戦闘部隊よりも内勤であるIT支援部隊の方が離脱者が多かった。

部隊長(DL)の人望じゃない?」

 そこへ、後方支援部隊隊長のリーシアが冷たく放つ。後方支援部隊からはただの一人も離脱者はおらず、皆通常通りに勤務をしている。彼女たちは最高会議室で離脱者一覧表を確認しつつ、穴の開いた分を残った者で補うための作業を行っていた。

「何よぉ! あたしのせいなわけ?」

 螢はリーシアの言葉に、やわらかい頬を最大限に膨らませて不機嫌を顕にする。

「胸は膨らまなくても、ほっぺたは膨らむんだな」

 そこへ聞き慣れた調子のいい声が螢にちょっかいをかけ、最大限に膨らんだ頬を指で突つく。

「ユーレック!!」

 すでに苛立ちの頂点に達していた螢は、ちょうど良い怒りの矛先に拳を向けた。

「……何? その顔」

 だが、まだ何もしていないというのに、ユーレックの頬にはすでに痛々しいアザが付いているのを見て拳を下ろした。

「ははは……ちょっとな」

 ユーレックは一応螢の拳をガードしつつ情けない笑いを浮かべると、アザを隠すように頬を撫でる。

「どうせ、凰総隊長に何かしでかしたんだろう」

 ランはユーレックが答える前に呆れた口調で正解を述べる。普段はこのような調子のユーレックだが、太陽系近衛艦隊における8大将官の一人なのだ。そのユーレックの頬にアザを残せる者など、限られていた。

「いやぁ、凰のセミヌードをレイテッド司令に見せたら、こんなことに」

「セミヌード?」

 何をどうしたら凰が司令官の前でセミヌードになるのか。その疑問も大きかったが三人の女性将官には〝凰のセミヌード〟自体も興味の対象となったようだ。反応はそれぞれだったが。〝貴重〟とも言える凰の肢体を拝見したかったと、その場に居合わせなかった事を残念な事象と捕らえたリーシアは軽くため息をついた。螢などは通常生身の人間にはあまり興味を抱かないが凰ほどの男となれば話は別のようで、あからさまに悔しがった。唯一顔を赤らめたランを見て、ユーレックは意地の悪い笑みを唇の端に浮かべる。

「ランちゃん、隠し撮りしたデータがあるんだけど、見るかい?」

 螢たちに聞こえないレベルの声で、ユーレックはランに囁く。

「見っ見るわけないだろうっ!!」

 顔全体を紅潮させて拒むランを、ユーレックはさも楽しそうに笑い飛ばす。螢とリーシアが状況からユーレックが何を言ったのかを察して彼を問い詰めようと思った時、ランたち三人官女の表情は凍てついたように固まった。ユーレックがそれを認識するとほぼ同時に背中に痛いほどの怒気が刺さる。

「……腫れが引いたのが、惜しいとみえるな……」

 いつの間に背後にいたのか。凰の瞳には深青の炎が揺らめき、狩るべき獲物を捕えていた。いくら能力を封じられているとはいえ勘の鋭いユーレックに悟られずに近付けるとは、流石といえる。結局あの日、ユーレックはニグラインの作ってくれたご馳走とカクテルの力を借りても制裁から逃れる事が出来ず、帰り掛けに見事に一発殴られたのだ。数日が過ぎ腫れは引いたものの、アザは消え切らなかった。

「いやぁ、ははは……誰か助けてくれる?」

 振り向く事も出来ず、降参と反省の意を込めて両手を肩の位置まで上げたが到底許してもらえそうにない。

「自業自得でしょ。バカじゃないの?」

 出来れば目の前でユーレックが凰に殴り倒される事を期待している螢は、楽しそうに傍観を決め込んだ。

「助ける気もないし、助かる気もしない」

 リーシアはもとより助けてくれるようなタイプではない。

「総隊長。取り敢えず、作戦が終わるまでは……」

 ランは軽率でばかばかしい争いに関わりたくはなかったが、出撃前とあっては放っておくわけにもいかず重く口を開く。

「……そうだな。余計な気を使わせて悪かった」

 凰はランの言葉に納得すると、平常の笑みを浮かべて謝罪した。実際、今回の作戦にユーレックは不可欠であるのだ。万全の体調で臨んでもらわねばならない。

「また、楽しい話?」

 そこへ凰の背中に飛び乗り、楽しそうにニグラインが加わる。

「レイテッド司令、おはようございます!」

 凰以外の全員がニグラインに向き直り、右腕を水平に保ち拳を胸に当てて敬礼をした。

「おはよ。螢ちゃん、配置大変?」

 離脱者の多いIT支援部隊が心配らしく、ニグラインは螢を気遣う。

「はい。正直、人手が足りません」

 今回の作戦に置けるIT支援部隊は〝月〟と〝地球〟をまるごと管理しなくてはならず、更に戦闘部隊の出撃時には全ての戦闘艇・通信機器・武器・生命維持スーツなど、ありとあらゆるものを管理する。細部まで行き届かない場合は、作戦失敗も否めない。

「そうだよね。じゃあ、虹くんを螢ちゃんの補佐に付けよう。凰くん、いい?」

「異論ありませんが……」

 虹の能力を一番評価している凰は、的確な人選に異論を述べる気はなかった。むしろ戦闘員として前線に出すには経験が浅いため、その方が良い。

「取り敢えず、背中から降りていただけるとありがたいのですが」

 いつまでも背中に張りついているニグラインに、凰は苦情の意を伝える。

「〝おんぶ〟より〝抱っこ〟の方がいいんじゃないですか?」

 〝お姫さま抱っこ〟を思い出し、ユーレックはつい軽率な発言をしてしまった。ユーレックが滑りすぎる口を後悔したところで、誰も同情する者はいない。

「凰くん」

 ユーレックを擁護するつもりでニグラインは凰に声をかけた。ユーレックの口に問題があるとはいえ、全ては自分の行動が原因なのであるから。

「わかっています」

 現状如何なる事があってもユーレックを欠く事は出来ない。凰の精神力が試されているかのようにも思う。感情のコントロールも出来ないで、誰が人の上に立てよう。

「うん」

 満足気に微笑み、ニグラインは凰の背中から軽やかに降りた。

「さっすが、レイテッド司令」

 ユーレックの肩まで上がっていた両手が目一杯上に伸ばされ、歓喜を表わす。一瞬凰の形の良い眉が苛立ちを表して動いたが、平常心を崩すほどではなかった。

「ユーレック、最低」

「はは……は……」

 螢に軽蔑する言葉を投げつけられたユーレックは心に少なからず痛手を負い、結果として螢はユーレックに一矢報いる事に成功した。

「じゃあ、螢ちゃん。状況を見せてくれるかい?」

「はい」

 螢はもともとの配置図と現在の状態を3Dでデスク上に映し出した。赤く表示された空席は各エリアの重要箇所ばかりであった。

「この人たち、除隊申請してないんだよね。螢ちゃん、所在確認出来た?」

「いえ……」

 螢の返答にため息で返したニグラインからは笑顔が消え、事の重大性が伺えた。除隊する際には艦隊内部に関わる情報にアクセスするために与えられた全てのシリアルナンバーがその場で消される。シリアルナンバーが使えるのは出勤している間だけでありそれは毎回変更されるが、IT支援部隊でそれなりの地位に就いている者であれば権限内でミッションコンバーターにアクセスして作戦を読み、外部に流す事くらいは出来る。

 指にやわらかい白金の髪を絡ませながら目を伏せると、ニグラインは暫し考え込んだ。


「……ラリマール」


 突然空気が張り詰め、ニグラインの変化に皆息を飲む。ミドル・ネームで呼ばれた凰はやはり胸に僅かな痛みと不快感を覚えたが、それに対して何かを言う事はしなかった。

「作戦変更だ」

 ニグラインの碧藍の瞳が輝度を増し、揺らめく光が現状を楽しんでいるようにも見えた。


          ◇


 その夜。歓楽街の古びたビルの一室では例の男が太陽系近衛艦隊の作戦内容を閲覧しながら、口元に嫌な笑みを浮かべていた。

「これで、作戦変更になるだろう」

 男はツカイとなる者に渡されたチップを踏み潰し、見た者に嫌悪感を与えるように笑った。

「作戦変更ですか? それでは──」

 作戦を読み裏をかくために危険を侵してまで情報を入手して来たつもりのツカイとなる者が言うと、男は明らかに小馬鹿にした視線を投げ付けた。

「大して血を流さずに戦争をしようなどという、甘い考えを潰したまでだ。折角、系外惑星から敵が来てくれるのに失礼じゃないか?」

 宇宙空間に血の川を流し地上の海が赤く染まる様を空想して男は恍惚とする。男が夜空に移した視界に、半分ほど雲に隠され月が方舟のように浮かんでいる。

「誰が血の川を渡り切れるか、楽しみだ」

 渡り切った者を自らの手にかけようとしているのか──男は月に向かって手を伸ばし、方舟を握り潰すかのように手のひらを強く閉じた。


          ◇


 翌朝。太陽系近衛艦隊地球本部は迎撃作戦の準備で喧騒していた。本部環境は通常勤務している殆どの者が月へと移動するため、代わりとなる者との引き継ぎや荷物の出入で殺気立つほどであった。

「虹、地球勤務だって?」

 どこから情報を聞いて来たのか、第一宙空艇部隊のアサギが凰の移動準備をしている虹に話しかけて来た。

「相変わらず情報が早いな。おまえはマーシュローズ准将と前線だろう、アサギ」

 虹は手を休める事なく、同期で唯一艦隊本部から月に配属された僚友に答える。

「おぅよ! 虹の分まで宇宙をかっとんで来るぜ!」

 まだ新兵であるこの二人にとっては今回が初陣であるため、アサギは必要以上にテンションが高かった。

「おいおい、シミュレーションとは違うんだぞ」

「わかってるさ」

 だからこそなのだろう──アサギは苦みを堪えたような複雑な表情を見せる。戦闘部隊に配属されているだけあってアサギは屈強な身体と精神力を持ち合わせているが、まだ18才なのだ。初陣に心が踊りもするとはいえ、死を身近に感じるのも初めての事である。怖くないわけはない。

「全力で、バックアップするよ」

 そんな僚友の気持ちがわからないはずもなく、虹はアサギの肩を抱き奮起を促す。虹より遥かに体格の良いアサギの肩が、僅かに震えていた。

「頼むぜ、虹!」

 アサギは恐怖を断ち切るように必要以上に大きな声で言い、小麦色の肌に白い歯を見せて笑った。

「ああ」

 この笑顔に再び会う事が出来るのだろうか……。虹の脳裏でミッションの大きさと内容、そしてアサギの配置と力量が数値に置き換えられて計算を始めたが、答えが出る前に止めた。彼の確率を計算する能力は卓越したものであるが、〝ニグライン・レイテッド〟を数値に置き換える事が出来なかった。全ての答えが『ニグライン・レイテッド次第』などという結果では、確率など無意味なのだ。明日には迎撃部隊は月に移動し、明後日には月が迎撃地点に移動する。それから5日後には戦闘が始まる──前例のない作戦がどういう結末を迎えるのか……今はただ、流れる時間に身を任せる以外はなかった。

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