【対小惑星型要塞 迎撃戦略会議】
<登場人物>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇虹・グリーゼ中尉……凰の副官
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
太陽系近郊宙域統括軍地球本部は太陽系近衛艦隊地球本部から見て時差6時間ほど遅い場所に位置しているため、時間は夜勤との引き継ぎを終えた頃となる。空間移動装置を経て統括軍のメイン・コンピュータ・ルームに直接移動したニグライン、凰、ユーレックの三人は統括長官の来訪を待っていた。凰は統括長官と同等の立場であるが、下の立場であるユーレックは近衛艦隊と違いまだ古い風習が残る統括軍の長官が苦手であった。
「あの長官、会う度にオレのこと若造若造ってうるさいんですよね~……」
と、ユーレックはつい愚痴を漏らしてしまったが、遥に若く見えるニグラインと目が合い即座に口を閉ざす。古い考えを持っているからこそ見た目よりも立場で物事を考えるのであるから、総司令官であるニグラインの前ではいくら統括長官でも〝若造が〟とは口にしないであろう。
「長官が〝若造〟呼ばわりするのは、お前の立ち振る舞いのせいだと思うぞ? ユーレック」
「そうだな。気にしたら負けだな!」
指摘されるまでもなく自覚のあるユーレックは素のままの自分を押し通す決意を表し、凰の忠告をかわす。もはや近衛艦隊の名物と言われているやり取りだが、着任したばかりのニグラインに取っては新鮮で面白いものであった。
「ぼくも今のままのユーレックくんでいて欲しいな」
ニグラインは本心からそう言うと、いつの間にか手に持っていた小さな箱から茶筒を取り出してメイン・コンピュータへと向かった。
「お待ちください! 私がやります」
あまりにも自然な動作に一瞬気付くのが遅れたが、ニグラインから正当な評価を受けて浮かれているユーレックとは違い、凰は〝それこそ統括長官の怒りを買いそうな〟状況を止めに入る。「総司令官に給仕をさせるとは何事か!」という統括長官の怒号が聞こえた気すらした。本来なら一番階級が下であるユーレックがすべき事だが、彼がまともに給仕を出来るはずもない。
「ダメ。長官を呼び出したのはぼくなんだよ? ぼくがおもてなししないと失礼でしょ」
それに、お茶を煎れるのはこの中では絶対にぼくが一番上手だと思う──と言われ、凰は妥協する以外の選択肢を消されてしまった。
「……わかりました。では、せめて運ぶのだけはやらせて頂けますか?」
「ありがとう。長官、お茶には厳しいって聞いたから」
ニグラインの言う通り、統括長官の茶道楽は有名であった。有名ではあったが、凰もユーレックも統括長官と仲良くティータイムを共にした事などない。あったとしても〝道楽〟なのだから、勤務中であれば気に入らなくとも表情にすら出さないだろう。逆に言えば彼を満足させるもてなしをした時点で、凰やユーレックが煎れた茶ではないと知れるのだが。
メイン・コンピュータは近衛艦隊のマイスター・コンピュータと形状は違わず、色は僅かに落ち着いた銀色をしている。内部を通っただけではわからなかったが簡易なキッチンが外側に組まれており、室外に出なくとも来訪者をもてなすのに困らなそうだ。凰が戦闘糧食を試食したとき改良型マイフィットチェアが食器をマイスターの向こうへと運んで行った理由もわかった。
「ここにも改良型のチェアがいるのですか?」
「ちょっと違うけどいるよ」
手際よくお茶を煎れているニグラインに感心しながらメイン・コンピュータを眺めていた凰は、マイスター・コンピュータ・ルームの改良型マイフィットチェアが歩いて行く様を思い出し、椅子に対してつい「いるのですか?」と言って唇を噛みしめた。その様子を楽しみつつニグラインは言葉を合わせて答える。凰はベリルや統括長官のような堅苦しい性格はしていないが、それでもニグラインに接しているとどうしても調子が狂ってしまう。もともと調子のおかしいユーレックを羨ましくさえ感じた。
「ほら、長官のご到着だよ」
そう言いながら、ニグラインは湯飲みを乗せたトレイを凰に渡しながら部屋の中央付近を見るように促す。おそらく扉の向こうで統括長官が認証システムにタッチしたのであろう。それに合わせて人数分の椅子と程よい大きさのテーブルが現れ、直後に髭を蓄えた老齢の男性が姿を見せた。
「お待たせして申し訳ないことであります、レイテッド総司令官殿。わざわざお越し頂き恐縮でございます。太陽系近郊宙域統括軍の長官を務めさせて頂いております、ジュレイス・リトゥプスです」
近郊宙域統括軍は近衛艦隊とは違い、若者を中心とした軍隊ではない。ジュレイス・リトゥプスは現存する高官の中で最高齢であるが、意志の強い眼差しは威厳もあり年齢による衰えを感じさせない。リトゥプスはニグラインの見た目など気にした風もなく手本のような敬礼をすると、ニグラインの後ろに立つ凰とユーレックに目を向ける。同時に整った敬礼を返した凰に気づき慌てて崩れ気味の敬礼をしたユーレックをひと睨みすると、ニグラインに視線を戻して再度姿勢を正す。彼の年から考えると子どもの遠足のように感じても仕方がない面子であるが、血筋や利害で階級が得られた古き悪き時代とは違い、そう言う考えを持たないからこそ今の地位を任されているのだ。
「リトゥプス統括長官、初めまして。太陽系近郊宙域統括軍および太陽系近衛艦隊の総司令官として着任したニグライン・レイテッドです。ご挨拶が遅くなり大変失礼致しました」
ニグラインが先に近衛艦隊に赴いたのは時差と小惑星型要塞の件があったからだが、それでも後回しにしてしまった事を非礼として詫びる。立場は同じといってもリトゥプスは凰の倍以上も生きており、3倍も長く軍に尽くしている。礼節を重んじるのであれば先ず統括軍に足を運ぶべきであった。
「とんでもございません。非常事態の最中わざわざお越し頂いただき恐縮であります」
当然、統括軍でも小惑星型要塞の事は認知している。ニグラインの事もL/s機関がメイン・コンピュータを通してリトゥプスに通達していた。〝少年〟であるという事も。
近郊宙域統括軍は近衛艦隊が設立される前は外敵からの襲撃を警戒しながら太陽系内を守って来た。太陽系内部や近郊宙域惑星で発生する不穏な動きを見逃さないよう常に務めていても、系外からの侵略が起こるとどうしても系内の武力が手薄になり内乱が激化する事もあった。しかし現在は近衛艦隊の諜報治安部隊と協力しつつ総力をあげて太陽系内を保安出来るようになり、概ね安泰している。どちらもその力が発揮されるのを望むわけではないが、有事を目前にした今は惜しみなく持てる力を披露しなければならない。
「凰も久しいな。最近はうるさい老人もいないだろうが、何かあったら遠慮はいらぬぞ」
「ありがとうございます。リトゥプス長官もお変わりないようで何よりです」
この二人の関係が良好である事は太陽系の治安を維持するために不可欠であった。リトゥプスは決して凰のプライベートに立ち入る事をしない。凰だけではなくユーレックの事も子どもの頃から知ってはいるが、その事についても触れては来ない。凰はリトゥプスの心遣いを持ってこその対応に敬意を抱いていた。
「その椅子、座る前に背もたれに手を置くとその人に合わせて変形するようになっているのでやってみてください」
ひと通りの挨拶が済んだところで、ニグラインが着席を促す。決してニグラインよりも先に腰を下ろさないであろうリトゥプスの性格を重んじて、ニグラインは率先して奥の席の背もたれに手をかける。シンプルに見えた椅子は幼いニグラインの目線が他の者に合うように高さも調整され、足乗せも形成した。思い通りの形に形成された椅子に腰を下ろしたニグラインの満足げな笑みを合図に、凰たちも背もたれに手をかけると見た目からそれぞれに合いそうな椅子に変形する。まるで椅子に「座ってください」と言われたかのように三人は身体を椅子に任せると、重要な会議に打って付けの心地よさだけではなく身の引き締まる感覚を得た。
「お茶も冷めないうちにどうぞ」
ニグラインが心を込めて煎れ、凰が運び、ユーレックが何もしなかったお茶を勧められたリトゥプスは会釈をしつつ湯飲みに手を伸ばす。立ち上がる湯気は香り高くリトゥプスは遠慮なく熱すぎないお茶を口に運ぶ。
「レイテッド司令、不敬を承知で申し上げます」
喉の奥まで最初のひと口を流し込んだリトゥプスが、喉元に残る香りを再確認するように息を吸いニグラインへ進言をする。
「あまり美味しいお茶をお出しになると会議が楽しみになってしまいます。仕事中は自動給湯かデリバリーで十分ですので、今後はお気遣いは無用です」
これもまた模範のような対応をするリトゥプスに、ユーレックは身体のどこかが痒くなるような錯覚を覚えた。ユーレックには年をいくら重ねてもこのような応対は出来そうもない。
「〝オレには出来ない〟ではなく少しは心がけたまえ、カルセドニー少将」
「は! 努力致します!」
リトゥプスは座り心地のいいはずの椅子で変に身じろぐユーレックに半ば諦めた風に叱咤する。特殊能力を持っているわけではないリトゥプスに心内を読まれ、ユーレックは姿勢を正す。実直で才幹もあるリトゥプスと才能を遊び心で包んでしまうユーレックでは相性が悪い。それでもユーレックの能力を恐れずに接する貴重な人物であった。
「うん、二人を〝長〟に選んだことに間違いはなかったみたいでよかった」
ニグラインはお茶に息を吹きかけて冷ましながら、三人の間の空気を読んで呟いた。任命はL/s機関から告げられたものだが、直接人間が彼らに対面したわけではない。実力や経歴などのデータだけで判断できない事を、今ニグラインは確認したのだ。太陽系近衛艦隊を設立するに当たって一番危惧されていたのは〝近衛艦隊〟と〝統括軍〟の紛争。L/s機関に双方を凌ぐ力があったとしても、数十万人単位の人間同士に対立されては太陽系を守るどころではなくなってしまう。
「じゃあ、今回の事態におけるそれぞれの任務と作戦を伝えます」
ようやくお茶をひと口飲んだニグラインは、戦略指示とは思えぬ穏やかな口調で話し始めた。
◇
翌日。朝一番で召集されたディビジョン・リーダーたちの表情は厳しく、部下たちは声をかけるにもかけられない様な状態であった。昨日の内に緊急会議を行わずに、わざわざ一晩考える時間を与えられたのだ。若き司令官の意図を探る事に時間を費やした者も多かった。ターミネーション・ショックの歪みから現れるものは〝ETS〟を狙っているに違いない──ともあれば大規模の戦争になるのは避けられないだろう。また有人惑星にも被害が及んでしまう。近衛艦隊が迎撃に赴いて手薄になった地球を狙って他の敵が襲撃して来る可能性も高い。
太陽系の明暗を昨日現れたばかりの少年に託さなければならない事が、何よりも心を重く暗くさせていた。
「きゃあ! 何この椅子、気持ちいい~!」
艦隊の誰もが緊張に精神力を削られている中、最高会議室の真新しい椅子に着席した螢が感動を素直に口にする。口に出したのは螢だけであったが、緊急事態に身も心も強ばらせていたDLたちが皆一様に同じ感想を持ったのは表情を見れば明らかだった。
「喜んでもらえてよかった」
「ヨカッた・ぁ? ヨカッた・ぁ?」
司令官室長であるオウム・フィッシュのクラックが鮮やかな緋色の羽根を広げて、DLたちの表情に喜ぶニグラインの言葉を繰り返しながら最高会議室の天井近くを旋回する。ニグラインは統括軍のメイン・コンピュータ・ルームにあるものと同じ改良型のチェアを昨日の昼前にメカニカル・サポート部隊に持ち込み、最高会議室の椅子として至急作るようにと依頼していたのだ。自らも製作に関わったメカニカル・サポート部隊隊長のオーランド・スマルト准将は、改めて座ってみてその性能に感動していた。
「流石に仕事早いね。ありがとう」
「いえ。司令がコントロールチップを用意してくださっていなければ、3日はかかったと思います」
そこへニグラインから労いの言葉を受けると、もはや彼の目はニグラインを〝司令官〟としてしか映していなかった。スマルトは恐縮しつつも素直に労いを喜んだ。もとよりスマルトは軍人に似つかわしくない職人気質の人物である。30歳過ぎてから軍に入ったのも生活のためであり、またメカニックとしての腕を存分に発揮できる場所だと考えたからだ。その考えは間違いではなかったが、スマルトより優れた目に見えない技術者が必ず立ちはだかっていた。何かを作ろうとする度に、自分では思いもよらない装置とシステムをいつも見せつけられていたが、その人物がニグラインである事を知り愕然とした。しかし昨日受け取ったコントロールチップとニグラインの人柄を見て、ただ尊敬の念と感動を受けたのであった。
「え? ヤダずるい! あたしもそのチップ欲しい」
心地よい椅子に未練を残しつつ螢は立ち上がると、隣に座っていたユーレックの椅子に焦点を定め、肌身離さず腰に下げている自由形状ツールキットを取り出す。
「ちょ、ちょっと待て! オレの椅子バラすつもりかよ!?」
螢もスマルトとは少し毛色は違うが、メカやシステムに関わる事になると大好物であるスイーツの事も忘れて熱中してしまう質である。データ上のシステム構築だけではなく、組みあがっているマシンであれば解体してひとつひとつのパーツを分析しないと気が済まないのだ。ニグラインが来るまでは艦隊一〝幼い〟という印象をもたれる高官であったが、彼女もまたオリジナルのコンピュータ言語で思考をする特異な頭脳を持った天才であった。
「あはは! 螢ちゃんは勤勉だねぇ」
他のDLが止めに入る前に、ニグラインの明るい笑い声が螢を制止させた。
「螢が止まった……すごい」
感嘆の声を洩らしたのは、リーシアだ。如何なる時でも一度ツールを手にした螢を止めるのは至難の業であり、凰でさえ苦労する。それを決して制止を促す言葉でもなく、ひと言発しただけで解決したのだ。
「はい、チップ。今はこれで我慢してくれるかい? 椅子の方は会議の後でね」
ニグラインは飛び回るクラックを指笛で呼び戻しチップをくわえさせると、螢へと届けさせた。
「あ……ありがとうございます!」
螢は宝物を受け取るようにツールを腰に戻して両手でそっとチップを受け取ると、満足気に心地よい椅子に身体を任せた。
「餌付けされてるし」
と、その様を見ていたリーシアが呆れて呟く。
「最高級のエサだな」
そのリーシアに、ランも続いた。
「レイテッド司令」
騒ぎが治まったのを見計らい、諜報治安部隊隊長のクルス・ベリル中将が普段通りの機嫌悪そうな声を発した。ベリルは近衛艦隊の中でただひとり近郊宙域統括軍時代から将校であり、旧体制の感覚で言うと階級と年齢の釣り合っている唯一の人物である。統括軍時代は宙空挺部隊を大隊長として率いて最前線で戦っていた事もあるベリルは、一時ではあるが凰と同隊で直属の上官でもあった。前の戦争で負傷して右目の視力を失い前線に出られなくなったものの、彼の統率力と的確な着眼点が評価され近衛艦隊諜報治安部隊の隊長として任命されたのだ。
「凰総隊長とグリーゼ中尉がまだのようですが?」
凰はともかく、虹が先に来ていない事は不自然であった。会議だけでなく凰の関わる全ての業務がスムーズに遂行出来るように事務的管理をしているのは虹なのだ。昨日のような緊急招集なら仕方がないが、事前に決まっている会議の時は開始時間よりも前に全ての準備が整いドリンクも用意されている。
「虹くんは優秀だよね。凰くんがそばに置きたがるの、わかるよ」
ニグラインのつじつまの合わない返答に、ベリルはますます眉間のシワを深く刻んだ。孫にも近い年の少年の微笑みが、ベリルの口を閉ざさせる。
「あ。来たみたいだよ」
ドアの認証システムが作動し、微かに赤い顔をした虹が微妙にふらついた足取りで入って来た。続いて、抑えきれない笑いを隠しながら凰が入室する。その後ろを、艦隊御用達のカフェ・セラフィーナのウェイトレスが染めた頬で俯いたままワゴンを押して現れた。
「レイテッド司令、遅くなり大変失礼を致しました」
凰が真面目な顔を取り戻してニグラインに敬礼すると、虹もそれに習う。ウェイトレスはにこやかに応対するニグラインに深くお辞儀をして、赤い顔を隠すように配膳を始めた。
「総隊長、いつまで笑ってるんですか!」
敬礼を納めた後また笑いをぶり返した凰に、虹は声を最小限に抑えて抗議する。
「すまんすまん」
それでも止まらない凰の笑いが、虹に起こった出来事を周囲に伝えていた。
「またネリネと二人きりにされたのか……」
だらしのない。とランが虹を一蹴すると、虹とウェイトレスの顔が再度仲良く朱に染まる。
ネリネと呼ばれたウェイトレス──ネリネ・エルーシャは虹の意中の女性なのだが、誰が見ても相愛であるにも関わらずどちらも奥手過ぎて一向に進展していなかった。見兼ねた凰が隙を見ては二人だけになる機会を与えるのだが、二人とも赤くなって黙るだけでやはり先には進まない。今日も虹は凰に高官専用エレベーターに無理矢理二人で乗せられた。高官専用のエレベーターはDL以上のIDで認証しなければ乗れないため、他の隊員が乗って来る事はない。折角70階分の道のりを誰にも邪魔されずに過ごしたというのに、彼女と仲良く……どころか、ひと言も話さなかったと見える。ワゴンは凰が一人で別のエレベーターを使って運んで来た。最初の内はその光景に居合わせた他の隊員たちが焦って手伝おうとしていたが、それも今や近衛艦隊の風物詩の様になっており微笑ましく見守っている。
「その新しいユニフォーム、虹には刺激が強すぎたんじゃねぇの?」
ユーレックが口元を下心を込めて歪め、真新しいユニフォームに包まれたネリネの姿を視界に納める。
「うわ。ユーレック、セクハラ」
螢はユーレックのにやけた顔に、軽蔑の眼差しを向けた。
「かわいいものは、愛でるもんだろ」
ユーレックは螢の言動などものともせず、昨日までより露出の多いユニフォームに身を包んでいるネリネに、角度が下がり気味の目尻を更に下げて笑顔で手を振った。
今までのセラフィーナのユニフォームも評判はよかったが、新しいものは更に女性のかわいらしさを引き立てるデザインになっていた。特にこの小柄でおっとりした感じのネリネには、短めのスカートも鎖骨が綺麗に見える襟元のデザインも、細い首にリボン状に巻かれたチョーカーも殊の外似合っている。
「かわいいね。気に入ってくれた?」
突然ニグラインに声をかけられ、恥ずかしそうに俯いていたネリネは顔をあげる。実のところ、この新しいユニフォームもニグラインの指示で用意されたものであった。昨日までのものは見た目はいいが袖や裾が広がりすぎていて仕事がしにくい……と、聞いての配慮だ。ネリネは昨日来たウェイトレスにニグラインの話は聞いていただろうが、若き司令官を目の当たりにして驚きの表情は隠せなかった。ふわりとした絹糸のような白金の髪。引き込まれそうな藍碧い瞳。心が落ち着くようなやわらかい笑顔──若さだけでなく、その全てに驚き魅せられる。
「ありがとうございます。レイテッド司令も……かわいいです……」
ネリネはあまりに素直に口を開いてしまい、一瞬後で全身を震わせて瞳を潤ませた。いくら若いと言っても、太陽系を統べる軍隊の最高位に位置する人物相手にとんでもない発言であろう。
「ありがと」
しかしニグラインも素直にその言葉を受け入れて、礼を述べる。
「ここの人たち誰もぼくのこと褒めてくれないから、ちょっと自信なくしてたんだ」
軽いため息がニグラインの笑顔を曇らせると、その場にいる者たちの表情は一様に強ばった。
「ナクシテタンだ・ぁ? ナクシテタンだ・ぁ?」
そこへ、おとなしくしていたクラックがニグラインを慰めるように呼応する。司令官に面と向かって〝かわいい〟と言うのは、非常識ではないのか。むしろ不敬罪に値するのではないのか──軍隊に属する者にそれを求めるのは、無理がある。
「そんなことないです! レイテッド司令はかわいいです!!」
だが、許可が出たとなれば黙っていない者もいた。
「リ、リーシアちゃん……?」
同じ台詞を言おうとして同時に立ち上がり、先を越された螢は意外な声の主に驚きを隠せなかった。他の者たちも、普段は冷静なリーシアがこのような発言をするとは思いもよらず呆気に採られた。
「カワイイデす・ぅ? カワイイデす・ぅ?」
クラックの繰り返した自分の言葉を聞いて、リーシアは我に帰るとすでにこぼしてしまった言葉を飲み込むように口をつぐむ。他の者にしても同様だが、どうもニグラインにはヒトの内面を素直にさらけ出させる何かがあるようだ。
「凰も、昔はかわいかったんだがなぁ」
リーシアが冷静に弁明をしようと唇を動かしかけたとき、独り言にしては大きな呟きが会議室の空気を瞬時に固める。もう一人、本人の意を介せず内面を露呈した者がいた。
「ベ、ベ、ベリル中将??」
螢はぎこちなく首を動かしリーシアからベリルに視線を移すと、変わらずに眉間にシワを寄せた初老の男の口元が僅かに笑んでいるのを確認する。ベリルも笑わないわけではない。しかしこの艦隊の最年長者として基本厳しい表情をしているベリルが、良き思い出を思い出して微笑んでいる。
「なんだ」
ベリルは自らの発声に気付いていないのか、螢の呼び掛けに普段の憮然とした表情で答える。螢以外の者は〝昔はかわいかった〟とうたわれた総隊長に視線を集中していた。
「今も、かわいいと思うよ」
ニグラインはベリルの言葉に対応出来ずに些か困惑している凰に追い打ちの微笑みを投げ掛ける。
「そろそろ始めようか?」
そして虹がネリネと一緒に退出したのを見届けると、太陽系近衛艦隊始まって以来の珍事を何事もなかったかのように締めて会議を開始した。
「もう承知していると思うけど〝小惑星型の要塞〟が太陽系圏に入り込んで来た。無理矢理ターミネーション・ショックを突破しようとしているくらいだから、狙いは〝ETS〟だと思う」
ニグラインは会議室全体に太陽系圏を映し出して状況説明を始めた。一瞬騒ついた議席は気にせずに、話を続ける。
「取り敢えず、今は太陽風で押さえているから早くてもまだ3週間は時間があるはず。でもこれ以上続けると生命生存可能領域に影響が出かねないし、15日後の満月に合わせて火星と地球の間に誘導して迎撃しようと思う」
さらりと言ってのけた〝太陽風で押さえて〟という言葉に、全員が昨日の凰と同じように反応した。〝ETS〟をニグラインがコントロール出来る事を示しているのだから、驚かないわけがない。だがそれを敢えて追及しないのは、その言葉によって凰が反応を現さなかったからだ。今ここで論するべきではないと、皆一様に感情を抑えた。
「総攻撃ですか?」
昨日は一度も発言しなかった陸上戦闘部隊隊長のデン・ドリテック少将が、訓練ばかりで飽き飽きしていたから楽しみだ……とばかり問い掛ける。白兵戦主体の陸戦部隊は人数こそ宙空挺部隊より少ないとはいえ直接肉体を危険に晒すのだ。そのために鍛え上げた肉体と訓練にかけた時間は計り知れない。それが無駄になった方がいい──と思う者は、彼の部隊には存在しない。
「〝迎撃〟と言ったはずだよ?〝攻撃〟は犠牲が大きくなるから、やりたくない」
ドリテックの期待を含めた問い掛けに、ニグラインは申し訳なさそうに否定で返す。
「では、どうなさる?」
ニグラインの返答に、苛立ちを顕にしたのはベリルであった。8人のDLの中で一番戦歴の長いベリルには、ニグラインの言動は理解出来なかった。大規模な戦闘は否めないはずの状況で〝やりたくない〟とは。
「もちろん、出撃はするよ。〝迎撃〟と言っても撃たれるのを待つわけじゃない。意識の問題だ。〝攻撃〟と言ってしまうと、相手を倒すことがメインになる。ここは太陽系近衛艦隊だ。太陽系を守護することをメインにして欲しい」
消極的とも取れるニグラインの言動に、ベリルやドリテックといった〝軍人気質〟の者は不満の色を顕にしたが、それに対してもニグラインは動じもせずにやわらかい微笑みで返す。
「艦も戦闘スーツも機器類も、出来るだけ改良したり新しく作ったりしたから迎撃もしやすいと思うよ?空間バリアもエネルギー消費率を格段に良くして後方支援部隊の負担も減らしたし」
迎撃と言いながらも、敵となる者が聞いたら青ざめてもおかしくない事をおだやかな笑顔で語る。
「敵小惑星型要塞が時空から出て来た時が作戦の開始だ。不本意ではあるが敵の規模を考えるとハビタブルゾーンでの戦闘が一番効率がいい。油断すると系内惑星にも被害が及ぶだろうから心してかかって欲しい」
一大事のはずの仮定を悠々と述べるニグラインに、周りの者は唖然とするしかなかった。先に作戦を聞かされていた凰とユーレックだけが事態を噛み締めてニグラインに見入っている。ただし近郊宙域統括軍でリトゥプスと共に聞かされたユーレックとは違い、凰が最初に作戦を聞かされた時は今の穏やかなニグラインではなかった。凰の感情に気付いたのか、ニグラインは視線だけを凰に向けて僅かに笑む。
「実際、どのように艦隊を動かすおつもりですか」
普段は発言する事があまりない、第二宙空艇部隊隊長のアウィン・バーント准将が珍しく口を開いた。確実に最前線に配置される宙空艇部隊を率いる者として黙ってはいられなかったのであろう。僅か2週間程度で近衛艦隊の戦闘部隊全体を移動し、戦闘態勢を整えるのはかなり難しいと思われる。この太陽系近衛艦隊地球本部の上層3階分は大気圏突出入出来る艦艇そのものになってはいるが、その他の艦艇や小型の宙空艇も全て迎撃地点に向かわせるとなると移動の労力は相当なものである。
「本部は動かさないよ。迎撃部隊がいない間、しっかり地球を守っていてもらわないと」
「それでは──」
淡々と話すニグラインとは相対的に、DLたちの困惑は募る。アウィンの追なる言葉を遮るようにニグラインは静かに瞳を閉じた。そして呼吸2回分をかけてゆっくりと瞼を開いて微笑を浮かべ、
「〝月〟で出撃する」
そう答えたニグラインの瞳が碧藍の輝きを持って揺らめき、絶対光度が空間を支配する。移動中の敵要塞など時空ごと押し潰す事も可能なのでは──そう感じた者もいた。そして、もはや誰も異議不満を述べる事はなかった。否──出来なかった。
「……レイテッド司令」
凰が諫めるように声をかけると、ニグラインは絶対光度を鎮めて碧藍の瞳を閉じ、深く息をはく。
「じゃあ凰総隊長。後で各部隊ごとに作戦指示を頼むね」
と、藍碧い瞳に穏やかな光を乗せて、陽光の笑みを浮かべた。
Illustration:切由 路様