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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
4/41

【望まぬ来訪者】

<登場人物>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


(コウ)・グリーゼ中尉……凰の副官


※DL:ディビジョン・リーダー

          ◇


「総隊長、レイテッド司令がお呼びです」

 総司令官着任の祝い膳として振る舞われたランチも取らず、デスクでモニターと睨み合いをしている(オオトリ)に休憩から戻った(コウ)が声をかけた。

 モニターの中には太陽系の内と外を隔てる境界面である末端衝撃波面ターミネーション・ショックが映し出されており、その一点が不自然に歪んでいる。虹は驚きのあまり無礼を承知で凰のモニターを覗き込んだ。

「総隊長……これ……」

 ニグラインが凰を呼んだ理由は、おそらくこの事であろう。太陽系に無断で侵入しようとしているものがいる。それも、かなり大きい規模のものが。

「暫く、ここを頼む」

「はい……」

 凰の青虎目石さながらの瞳は、虹が今まで見た事のない狩るべき獲物を見つけたかのような光を放っていた。虹が凰の下に付いてから大きな戦争は起こった事がなく、戦士としての凰を実際に見たのはこれが初めてだった。

 〝敵〟として出会っていたら……と、虹は背筋が冷たくなるのを感じた。


「ファル・ラリマール・凰、入室します」

 司令官室の扉に現れた人物認証システムのフレームに瞳を映し、右手を添える。音もなく扉が開くと、凰は足を踏み入れた。白銀に輝くマイスター・コンピュータが総隊長としての凰を見定めるかのようにそびえ立つ。その先には艦橋を一望できるスクリーンが広がっており、司令官席としてデスクとチェアが一組だけ設置されている。

「わざわざ来てもらって悪かったね」

 上官が部下を呼び付けるのは当たり前だが、ニグラインは立ち上がり微笑みを絶やさずに労う。幼く穏やかな見た目と太陽系を統べる艦隊司令官という立場のギャップにいつか慣れるのだろうか……と、凰は思わざるを得ない。

「ワルカッタね・ぇ? ワルカッタね・ぇ?」

 凰の心中を知っていて煽るかのように、ニグラインの肩で『頭部と羽根と足はオウム』『胴体から尾はサカナ』の姿をしている生き物がニグラインの語尾を繰り返した。胴体の羽毛と鱗、腹ビレは純白で両翼と残りのヒレは美しい緋色をしている。瞳は赤虎目石のように時折鋭く光り、凰の青虎目石さながらの瞳と相対する。長い冠羽はやわらかな金色で、ふわりとなびいていた。

「呼ばれた理由もわかっていると思うけど、取り敢えず座って」

「スワッて・ぇ? スワッて・ぇ?」

 ニグラインは凰に着席を進めたが、凰は座れと言われても──と、戸惑いを眉だけに表す。司令官室には司令席以外の椅子は見当たらない。そこへ背後から何かが迫ってくる気配を察したが、驚きもせずに視線だけを向けた。

「いつの間に、こんな物を」

 凰は半ば呆れた面持ちで、〝歩いて来た〟らしき椅子を一瞥した。

「今みんなが使っているマイフィットチェアの改良型だよ。認証システムと連動させてみたんだ。サイズだけじゃなくその時の体調にも合うようになってるから、座ってみてよ」

「スワッテミテよ・ぉ? スワッテミテよ・ぉ?」

 確かに現状のサイズは凰に合いそうだ。現在艦隊の個人デスクで使われているマイフィットチェアは自動ではなく使用する者があらかじめ個々にサイズや固さなどを設定しなければならないが、それでもかなり座り心地がよく皆眠くならない程度に設定して使用している。だがこの改良型は入室者の体調まで考慮して変形可能な椅子だというのであるから、更に座り心地がいいのであろう。

「本当は入って来たらすぐに座らせてぼくの前まで来るようになっているんだけど、驚かせようと思って待たせてたんだよ?」

「マタセテタンダよ・ぉ? マタセテタンダよ・ぉ?」

 鳥とも魚とも形容しがたい生物がニグラインの言葉の語尾を繰り返しながらピチピチと翔び立ち、〝凰仕様〟の椅子の背もたれに停まった。

「……この鳥、ここで飼うおつもりですか?」

 凰は〝鳥〟と言ってから、〝魚〟と言うべきだったかと妙な違和感を感じたが、特に訂正をする気にはなれなかった。

「飼ってるんじゃないよ!彼は〝オウムフィッシュ〟のクラックくん。チーフ・オフィサー(ここの室長)だからね?」

「あぁ、それで司令官室に」

 にこやかに〝彼〟の役職を述べたニグラインに合わせ、凰も納得したように口元に笑みを作って応える。

「うん」

「──って、この〝魚〟がですか?!」

 驚きに伴い、ニグラインの満面の笑みに凰の作り物の笑顔は耐え切れずあっけなく崩れさった。今度は〝魚〟と言った事に違和感を噛みしめるはめになった凰の顔をクラックは首をかしげて見やる。

「あは。やっと驚いてくれた」

「オドロイテクレた・ぁ? オドロイテクレた・ぁ?」

 ニグラインは満足そうに言うと、愉しげに言葉を繰り返すクラックを指笛で呼び戻した。ニグライン曰く〝オウムフィッシュ〟はかつて遺伝子結合研究が盛んだった時代に生まれた、陸・海・空で生存可能かつ人間の言語を理解する高等生物だという。

「凰くん、ランチしなかったでしょ。ランチチケットに期限はないから使うのはいつでもいいけど、他のみんなが休みにくくなるから休憩取らないのはダメだよ?」

「ダメダよ・ぉ? ダメダよ・ぉ!」

 ニグラインとクラックから尤もな注意を受け、凰は諦めて改良型マイフィットチェアに腰を下ろす。ランチチケットは自由に使えるようにと、各員の階級章に内蔵されている電子決済システムに送られていたが、プライベート領域に当たるため使ったかどうかをニグラインが調べるとは思えない。なのに何故凰が休憩を取っていない事をニグラインが知っているのか……と考えるよりも早く、ニグラインが真相を話し始めた。

「虹くんなんかアサギくんと食べに来たのに、凰くんが休憩に行かないからって補助ドリンクだけで済ませようとしてたんだからね」

 ニグラインが見習い兵も含めた若い兵士たちが集まる艦隊内のレストランへランチに赴いたところ、虹とアサギも来たので声をかけて席を共にしたらしいが、年が近いとは言え司令官と同席していては休憩にならなかったに違いない。そもそも司令官が高官専用のレストランを使わないのはどうなのか。しかし、虹が自分に気を遣ってランチを食べるのを控えようとしていたと聞いて凰は大いに反省をした。

「凰くんには後でちゃんと食べさせるっていう約束をしたから、虹くんも食べてくれたんだよ?だから時間はあまり取れないけど、今から凰くんランチタイムね」

 ニグラインがそう言うと、封を切って温まった戦闘糧食と温かいコーヒーが肘掛けから伸びたテーブルに転送されて置かれる。

「ランチチケットは今度使ってもらうとして、今はこの戦闘糧食の新メニューを試食してみて」

「シテミて・ぇ? シテミて・ぇ!」

 試食も立派な任務だと付け加えて言われ、凰は遠慮する旨を口に出来なかった。その代わり口にした新メニューの戦闘糧食はかなり美味であり、凰はつい頬を緩めた。太陽系における戦闘糧食は戦闘時・非常時だけではなく通常の食事としても人気が高い。種類も豊富で封を切るだけで温かくなり価格も良心的だ。特に凰のような戦争孤児にとっては家庭の味とも言える。

「うまい」

 戦闘糧食を口に入れた時は食事と共に飲み込んだ言葉が、コーヒーを舌の上に流した途端こぼれ出た。

「新メニューの方はもう明日には流通するし、このコーヒー豆も気に入って貰えたならセラフィーナに卸さなきゃね」

 ニグラインは早速とばかりにカフェ・セラフィーナに新豆のサンプルを送る手配を行う。凰は「食品の卸しは司令官の仕事ではないだろうに」と思ったが、コーヒーの最後のひと口を名残惜しく口に含んでいたため表情にも出さないで済んだ。それに、このコーヒーをまた飲めるのであれば咎める理由もない。凰が食事に満足した様子を確認したニグラインは嬉しそうに笑む。

「ご馳走様でした。では、本題に入って頂けますでしょうか」

 そう言ってテーブルを避けて立ち上がると、凰は緊急であるはずの要件を求める。改良型マイフィットチェアが食器を落とさないようにマイスター・コンピュータの向こうへと消えて行くのが目の端に止まったが、敢えて気にしないようにした。

「そうだね。クラック、凰くんに教えてあげてくれるかい?」

「クレルカい・ぃ?」

 ニグラインは凰の申し出に頷くと、クラックの冠羽をなでながらお願いする。クラックはニグラインのお願いを聞くと凰の正面まで飛んで来て緋色の両翼を大きく広げたまま空中で静止(ホバリング)し、パチリと瞬きをひとつしたその時──。

「これは……」

 脳内に直接伝わってくる思考とビジョンに、凰はニグラインに先ほど以上の笑みを与える驚きを見せた。先刻までニグラインとオウムフィッシュのやり取りを険しい表情で見ていた凰は「こんな奇妙な生き物を司令官室に連れ込むなんて」という見解を覆された。

「クラックはオウムフィッシュの中でも特殊な力を持っている珍しい個体でね。ヒトの思考や記憶を直接ヒトの脳やコンピュータに繋げられるんだ。離れていても、ぼくの肉体に意識がなくても、クラックがぼくの意思を繋いでくれる」

 クラックが凰に見せたのは、先ほど見たターミネーション・ショックの歪みの中心部だった。凰のコンピュータでは歪みにしか見えなかったが、クラックから送られたビジョンでは惑星のような球体がうっすらと浮かんでいる。

「ヨウサい・ぃ! ヨウサい・ぃ!」

 ビジョンを閉じると同時にクラックは高く舞い上がり、ニグラインの真似ではなく自分の言葉を発しながら翔び回る。

「要塞」

 クラックの言葉にオウム返しをしたのは、凰の方であった。

「そうだね。多分、小惑星型の要塞だと思うよ」

 惑星型の要塞など近年珍しいものではない。この地球とて太陽が老化の兆しを見せ始めた頃から、それに耐えるべく科学力を駆使して大気圏を人工的にコントロールするようになった。そして更にコアの部分から人の手によって制御され、一見自然豊かな星に見える地上とは裏腹に地中にはコントロール・システムが張り巡らされている。

生命生存可能領域(ハビタブルゾーン)に到達するまで、こちらの時間でひと月……いや、多少無理してでも早く来る気なら、3週間ってとこかな」

 ニグラインの藍碧(あお)い瞳は、やけに冷静な色をしていた。〝当たり前のもの〟として、迫り来る外敵を見ている。

「……司令は、あれが来ることをご存知だったのですか」

 凰は疑問系は使わずに聞いた。ニグラインが着任した今日の今日で、数年間の平和に終止符を打たれるなどタイミングが良過ぎる。凰でなくともそう感じるだろう。

「うん。太陽圏(ヘリオポーズ)に侵入された時点でね。太陽風を使って阻んで来たけれど、これ以上やると系内惑星に影響が出るからさ。もっと早く着任してもよかったけど、そんなに急ぐ事もなかったし形式も大事でしょ」

 軍に入隊出来る11才になるまで、あれの存在を警戒しながら迎え撃つ準備をしていたのだと言う。信じがたい話だが、何よりも驚きを隠せないのは──。

「〝太陽風〟を使って……?」

「うん」

 にこやかに頷くニグラインを問い詰める術を見い出せずに、凰は奥歯を噛み締めて動揺を抑える。太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍の総司令官であるだけでなく〝ETS〟そのものをコントロールする権限まで、この少年が持っているとは。情報を処理しきれない凰の心を読み取ったのか、落ち着きなく翔び回っていたクラックが凰の肩に停まって擦り寄った。頬に触れた冠羽が気持ちよく、気が和む。

「クラック。凰くんのこと気に入ったの?」

 クラックはニグライン以外の者の肩に停まった事などない。そのクラックが会ったばかりの凰の肩に停まって顔を擦り寄せている。

「キニイッた・ぁ? キニイッた・ぁ!」

「……ふぅん、なるほど」

 ニグラインは司令官席から立ち上がり凰の前まで歩み寄ると、40cm以上も高い位置にある凰の瞳を真っ直ぐに捕らえて、しばらく考え込んだ。

「どうやら、ぼくもキミのことを気に入ったようだ。有能な部下としてだけではなく、個人的に」

 まるで他人事のような物言いだが、ニグラインは嬉しそうに笑顔を咲かせた。

「キミは?」

 そして、凰の自分への評価を問う。ニグラインと意思を共有するクラック。そのクラックが凰を「気に入った」と思うのであれば、ニグラインもまた同じ感情を抱く事になるというわけか。だが凰からすれば、ただの上官に収まらないニグラインへの評価を簡単に述べられるわけがない。

 〝ETS〟をコントロール出来る権限を持っている、という事は太陽系の政府的組織〝L/s機関〟の関係者──それもかなり上位の人間であるという事だ。例え凰が太陽系近衛艦隊の総隊長とはいえ、今までの常識で言えば個人的に親しくなるのは難しい人物である。それでもニグラインにとって凰は初めて個人的に好感を持った人間だった。その者が自分に対してどういう感情を持っているのかと興味を示すのも道理と言えた。

 それを踏まえた上で「どう思っているか」と聞かれても、どう答えればいいのか──凰はニグラインの真っ直ぐ向けてくる眼差しに眩しさを感じ、捕らえられていた視線を辛うじて外す。

「……それで、あの要塞をどうするおつもりですか?」

 ニグラインの問いかけに応えられずに、凰は不敬を承知で視線を逸らしたまま言葉を綴る。

「過去のような全面戦争はしたくない。敵であっても、犠牲者はなるべく出したくないんだ」

 視線を合わせない凰を咎めず先ほどの問いへの答えも強要せずに、藍碧(あお)い瞳に凰を映したままニグラインは語る。要塞ごと乗り込んで来ようとしているものを相手に、不可能かつ甘過ぎる事を言い放つ。

 凰は優れた感性と判断力で幾度も死線を打破し続けて来た。その凰が〝不可能〟だと思う事を、ニグラインは〝可能〟を前提として話している。だが、それが綺麗ごとに聞こえない。凰は今までこのような矛盾した感覚に思考を左右された事などなかった。

「だから、ぼくにはキミが必要なんだ」

 ニグラインは凰の能力を求め、手を貸して欲しいと願う。〝命令〟であれば、例え不可能であっても戸惑いなどないものを……。と脳裏で呟くと、凰はニグラインに向き直り今度は自ら藍碧い瞳を射ぬいた。

「命令は、なさらないのですか?」

 凰が重く口にした言葉に、ニグラインは目を細めてひと呼吸置く。

「しないよ」

 寂しげに答えたニグラインは司令官席に戻り作戦テーブルビジョンを起動させ、藍碧い瞳を閉じる。そして静かに瞼を上げると絶対光度を思わせる碧藍(へきらん)の瞳が友好にはほど遠い張り詰めた空気をもたらす。ニグラインの投薬のおかげか凰は最初の時とは違い胸に痛みを覚える事もなく、むしろこの方が互いの関係に合っている様に感じた。


「では、作戦を聞いて貰おうか──ラリマール」


 凰の目から戸惑いが消えたのを確認したニグラインは、不適な笑みを口の端に乗せて作戦内容を話し始めた。


          ◇


「総隊長、司令官室で何があったのですか?」

 司令官室から艦橋に戻って来た凰の表情は、更に険しくなっていた。

 虹は非常事態に対する指示を待ちわびて凰のデスク前を何度も行き来していたのだが、落ち着くようにとランに注意され自席でおとなしくモニターを凝視してひたすら待ち続けた。そこへ尋常ではない表情の凰が戻って来たのだから、普段は凰に自分から問いかけるような非礼を働きはしない虹とはいえ流石に問わずにはいられなかった。

 凰は感情を押し込めるように青虎目石さながらの瞳を閉じ、青みがかった黒い髪をかきあげる。

「グリーゼ中尉」

 もとより低めで深みのある凰の声が、更に深く低く虹に呼び掛ける。自身の姓ではあるが凰に階級付きで呼ばれる事は滅多にない。階級は軍人である事の証しだ。声の重みと自らの責務に畏怖して虹はびくりと身体を震わせた。

 ゆっくりと開かれた凰の瞳の奥に、押し込められた感情が強い光となって揺らめく。

「明日、もう一度DLを集めてくれ」

「そ……う隊ちょ……う……?」

 虹の身体は凰の眼光に戦慄を覚え、硬直した。〝敵〟でもなく、自分に向けられた光でもないというのに。

「虹、しっかりしろ!」

 凰が戻って来た事を知って指示を仰ぎに来たランが、怯える様を見せている虹を一喝する。

「おまえも戦闘部隊の一員だろう!」

「マーシュローズ准将……」

 震える虹の背中を強く叩くと、ランは凰に敬礼した。

「出しゃばって申し訳ございません、凰総隊長」

 凰はランの行動によって虹の怯えた様子に気付くと、ちらつく炎を静かに吹き消すように息を吐き出す。

「……いや、俺が悪かった」

 そして、表情をやわらげて言葉を綴った。

 上に立つ者として、場をわきまえず己の衝動を抑え切れなかった未熟さを恥じなければならない。若いからと言えた、一兵士の頃とは違うのだ。


「ワルカッた・ぁ? ワルカッた・ぁ?」


 そこへ、いつの間にか翔んで来たクラックが凰を庇うかのように虹の髪を鷲掴みにして、凰の言葉を繰り返す。

「う、うわっ! 何だ?この変な鳥!!」

 虹は慌てて振り払おうとしたが、クラックは機嫌悪そうに虹の頭を蹴ったり周りをピチピチと羽ばたいたりしている。

「クラック、やめなさい」

 次いでニグラインが現れ、楽しげな笑いを堪えもしないまま虹に纏わり付いているクラックを嗜める。ニグラインが白金(プラチナ)の髪を揺らして歩み始めると、凰の様子で緊張の漂っていた艦橋が穏やかな雰囲気に変わっていった。

「レ、レイテッド司令! 何ですか、この鳥……いや、魚?!」

 今度は尾ヒレでピチピチと叩かれた虹は、〝魚〟と言い直した。

「〝クラック〟ダよ・ぉ!」

 しかし直後に羽根ではたかれ、やはり〝鳥〟なのかと、思い直す。

「クラックは、虹くんが凰くんを困らせていると思っているんだよ」

 ニグラインがそう言ってクラックを指笛で呼び戻すと、近場にいた者たちは皆一様に凰を見やった。凰は注がれる視線を確認するように周囲を見回し、最後に一番近くにいる虹に焦点を合わせたのだが、クラックにボサボサにされた虹の頭を見て軽く吹き出した。

「すまない、虹。大丈夫だ」

 笑いながら更に虹の髪を撫でるようにかき回す。いつもの総隊長だ……と虹は安堵したが、何かが自分の中で変わってしまった気がした。そしてこれから始まろうとしている事が、虹の知らないかつての凰を目覚めさせたのは確かだと感じた。

「凰くん、艦隊総員にあれのこと知らせて」

 虹のヘアスタイルが落ち着いたところで、ニグラインは職務に戻って凰に指示を出す。〝あれ〟とはもちろん敵小惑星型要塞の事である。

「ご自身でなさらないので?」

 凰は司令官自らすべきだろうと思い、確認を取る。何しろ近衛艦隊設立以来の事態なのだ。

「今のところ、ぼくよりキミの方が信頼あるからね。凰くんの声で話した方がいい」

 立場よりも隊員の信頼を重んじるニグラインの言葉を聞いた者たちは、逆らえないのをいい事に我がまま放題を言う子どもだったら近衛艦隊はどうなってしまうのか……という不安を一掃され大きな安心感を得た。


「凰だ。総員に告ぐ──全ての作業・訓練を一次停止し、聞くように」


 凰はニグラインの計らいに一礼すると、自席のマイクを通して全艦隊員に状況を告げる。凰の低めの深い声が艦内に静かに響く。凰とニグラインが司令官室にいる間にターミネーション・ショックの歪みは全艦隊員の知るところとなっており、大きな戦争が近しく起こる事は明白であった。あの歪みが戦乱への入口と思いたい者など殆どいない。5年前に失った家族・友人・恋人……どうしてもあの時の事を思い出す。彼らの死を受け入れ心の奥にしまい込もうとしても、〝戦争〟という理不尽な理由は時間が解決してくれる事を拒む。だが同じ悲劇を繰り返す事を傍観するなど到底無理な話だ。ここに入隊したからには、平和を祈るのではなく平和を守る立場なのだから。凰の状況報告により漠然とした不安は確実なものとなり、隊員たちは太陽系を守る覚悟を今一度決めなければならなかった。

「詳しい作戦内容は明日の最高会議で決議したのち伝える。本日は通常通りに責務を行うように。以上」

 凰は隊員が過度に動揺しないよう簡潔に小惑星型要塞の事を伝えた。隊員たちは凰の落ち着いた声に不安を最小限に拭われ、自分の仕事に戻る事が出来た。

「ランちゃん、ぼくはこれから凰くんと統括本部の方に行って来るから、こっちのこと頼むね」

「タノムね・ぇ? タノムね・ぇ!」

 ニグラインがランにこの後も艦隊が平常を保てるようにとお願いすると、クラックもピチピチと羽ばたきながら続けて繰り返す。ランにはクラックの言葉がただのオウム返しではなく、クラック自身の言葉だとはまだ知るよしもない。

「ユーレックくん、護衛で来て欲しいんだけどいいかな?」

 いつの間にか凰の近くで様子を伺っていたユーレックにニグラインが声をかけると、ユーレックの目尻が下がり気味の瞳がいたずらな猫のように輝いた。

「もちろんです、司令! 能力の解放さえして頂ければ、凰からでもお守りします!」

 特殊能力を封じられた状態での白兵戦では、ユーレックは凰に叶わない。しかし能力が解放されれば、太陽系近衛艦隊・太陽系近郊宙域統括軍を合わせても彼に太刀打ち出来る者などいないのだ。

 太陽系に存在する特殊能力の持ち主は皆能力が発覚した時から能力の制御をされている。それは普通の生活を送るために必要な事であり、彼ら自身の命を守るためでもあった。特殊能力は無限に使えるわけではない。使用した能力に準じた精神力・体力が消耗する。精神力・体力以上に能力を使うと精神や肉体の崩壊を起こしてしまい、過去には一時の感情で能力を暴走させ命を落とした者も数知れない。能力制御チップを体内に埋め込まれるのをよしとしない者もいるだろうが、それのおかげで普通に暮らして行く事が出来るのだ。

 ユーレックのように一般社会で生きて行くには能力の強すぎる者は幼い頃にL/s機関により保護され、多くは軍に所属する。そして数名の能力解放権限を持つ者が有事に限り必要分の能力を解放する事が出来、精神・肉体を壊さぬよう管理しているからこそ、彼らは自由に生活していられるのであった。

「凰くんから守って貰うようなことはないと思うけど、頼りにしているよ」

了解(ラジャー)! ……ぁいたたたたっ!!」

 ニグラインに頼られて乗り気に敬礼をしたユーレックの耳をクラックの鋭いくちばしが容赦なく(ついば)む。

「すみません! すみません! 凰を悪く言って申し訳ございませんでしたーーーっ!!」

 先ほど虹が受けた制裁を目撃していたユーレックは、自分のうかつな言葉がクラックの逆鱗に触れたと即座に気付いて謝罪を叫ぶ。ニグラインも虹の時と違って直ぐさま止めに入る事はせずにユーレックの反省を聞いて微笑んでいる。

クラック司令官室長(COクラック)、もういい。ありがとう」

 ユーレックがひと言多いのは今に始まった事ではない。太陽系近衛艦隊の総隊長となった凰にしてみれば、年齢相応に話し付き合ってくれる数少ない僚友である。全面的に庇う気はないが、ユーレックの耳に風穴が開いてピアスでも着けるようになったら見苦しい……と止めに入ったのだ。

「アリガトう・ぅ? アリガトう・ぅ?」

 凰に礼を言われ、クラックは嬉しそうに言葉を繰り返すと緋色の羽根を広げて凰の差し出した腕に停まる。

司令官室長(CO)??」

 啄まれて赤くなった耳をさすりながら、ユーレックが凰の言葉に疑問を投げかける。凰が役職を──しかも司令官室長(チーフ・オフィサー)と付けて鳥か魚かもわからない生き物の名を呼んだのであるから、ユーレック以外の近場にいた者たちも同様に驚き疑問を抱く。ニグラインは凰の腕に停まって冠羽を擦り寄せているクラックを指笛で呼び戻すと、疑問を消し去るべく口を開いた。

「紹介が遅れてごめんなさい。彼は司令官室の室長を務めるオウムフィッシュのクラックくんです! ぼく共々、よろしくお願いします」

 小さな子どもが自分のかわいいペットの紹介をするようにニグラインはクラックを紹介する。だがペットなどではない事は明白であった。自然のものであろうとなかろうと人間以外にも知的生命体は存在する。人類の平均以上の知的生命体の存在は未だ聞いた事はなかったが、居る事を否定するような時代でもない。

「と言っても、ぼくやマイスターからの指示を伝達するのが彼の役割だから指揮権はないけどね」

 そうにこやかに付け加えて、ニグラインはクラックの紹介を終えた。そしてクラックの紹介で更に情報過多となった艦橋の隊員たちは、なるべく考えに飲まれないように自分の仕事をいつも以上に勤勉にこなすに至った──。


          ◇


 ニグライン、凰、ユーレックの三名は空間移動装置によって太陽系近郊宙域統括軍本部へと向かおうとしていた。空間移動装置は艦隊内部に複数カ所設置されているが、統括軍本部内のメイン・コンピュータ・ルームへ直接繋げられる物は司令官室のマイスター・コンピュータだけであるという。統括本部ではやはりメイン・コンピュータ・ルームが司令官室なのであろう。当然、初めて司令官室に赴いたユーレックだけでなく凰も知らなかった事だ。

「流石」

 とユーレックが感嘆として呟いた。何事対しても柔軟な思考を持てるところは、凰から見てもユーレック以上の者はいない。だからこそ、太陽系近衛艦隊の総隊長となってからも同等に付き合っていられる唯一無二の僚友なのだ。

 凰とユーレックは軍の養成学校で所属する科は違えどそれぞれ実技トップの成績を誇る者であったため名前だけは初等部の頃からお互い知っていたが、直接出会ったのは一学年下の凰が中等部に上がってからである。実は当時の特殊能力制御チップではユーレックの能力は制御し切れていなかったのだが、ユーレックは面倒を嫌い制御されているふりをしていた。他人の心など筒抜けであるから勿論心からの友人など持てるわけもなかった。些か偽りの友人関係に飽きていた頃、心の読めない凰と出会った。凰にユーレックを越える特殊能力があるわけではなく、意志の強さがそうさせていたのだ。何者にも屈しない強い心を持つ凰に、ユーレックは興味を抱いた。心が読めないからこそ、対等に接する事が出来るのではないかと。それが的中し、凰とユーレックは程なくして僚友と呼ぶに相応しい関係となり、今に至る。

「いいなぁ。キミたちを見ていると、ぼくも友だちが欲しくなる」

 何かを語ったわけでもなかったが、ニグラインには凰とユーレックの距離感が伝わっていた。先刻、凰に自分への感情を示して貰えなかった事も関係しているのであろう。だが淋しげな笑みを浮かべるニグラインに、凰はやはり答える事は出来なかった。

「いやぁ、幼少期から上下関係を叩き込まれていますからね。ベリル中将など、オレが凰を呼び捨てにするのにも眉をしかめますから」

 とても上下関係が叩き込まれているとは思えないユーレックだが、ならば友だちになろうとは言わず、それでも拒否はせず軽快に述べる。友人関係を持てるか否かは、ニグライン次第だと言うかのように。


「そうか……そうだね。ぼくが頑張らないといけないのか」


 立場を越えた友人関係は、望んだとしても下の者にはどうこうしようもない。上の者の心がけがどこまで下の者に通じるかだ。特に仲良しごっこが通用しない軍においてはそう望む上の者がほぼ存在しないのが現状である。

 頑張らないといけないのか──と言ったニグラインに、凰とユーレックは顔を見合わせた。驚いたのではなく「面白い上官に巡り会えたものだ」と喜びを共に抱いたのであった。


挿絵(By みてみん)

Illustration:切由 路様

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― 新着の感想 ―
[良い点] 緊張感が出てきたけど、二グラインがいい感じに緩いですね〜。 [気になる点] 最強エスパー二グラインだけど、テレパス系はCOの力を借りてるんですね [一言] ステラリスと言うゲームが好きなの…
[良い点] 青虎目石……こんな素敵な言葉あるんですね。とても勉強になりました! 面白かったです。オウムさんがめちゃめちゃ良い味だしてて、演出に脱帽です。 見定めるように立ち並ぶマイスター・コンピュ…
[良い点] ここまで読み進めて来て、主要キャラクターの面々が印象付けられて来ました。一番初めに二グライン司令の姿が。次に鳳が。虹君といった人物描写がしっかりしていて好感が持てますね。 [一言] 太陽系…
感想一覧
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