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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
38/44

【失せるもの・残るもの】

<登場人物等>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長(DL)

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長

〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫

〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官


(コウ)・グリーゼ……凰の元副官

〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット


〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔

〇ビローサ・ルビア……セラフィスの参謀。ネリネの幼馴染みでもある女性。


〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者

〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者

〇オーナー……ツカイを使役する者


〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇

〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機

〇キーロンJr.……3/4サイズの小型キーロン

〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇


〇マンデルリ……ネリネやビローサの出身星。


※DL:ディビジョン・リーダー

         ◇


 凰とニグラインを乗せたファルコンズ・アイが、再びダイモスの地を訪れた。

 ダイモスは何も変わっていない。しかし恒星だけでなく、惑星や衛星にも意思があるのだとしたら、「早く火星に帰りたい」と思っているに違いないだろう。そして、「火星から引き剥がしたあいつはどうした?」と問われるかもしれない。


 ニグラインは足早にグランディス(スリー)を目指す。

 小さな衛星であるダイモスは、ガニメデとの攻防でエネルギーを使い果たしていたが、すでにエネルギーの充填は完了していた。転送装置も使用出来るため、各曲がり角に設置されている装置を使い、5分足らずでグランディス・コンピュータ・ルームに着く。

 凰は険しい表情で先を行くニグラインに、何をしに来たのかも訊けず、ただ付いて行くしかなかった。否。訊いてはいけないとすら思っていたのだ。


「凰くん。今からL /s機関の声明を流すから、声出さないでね」


 グランディスⅢのパネルを操作しながら、ニグラインは凰が思いも寄らなかった事を告げた。

 L /s機関の声明。それは、全太陽系民にとって非常事態を伝えられるものである。戦時においては、シェルターへの避難指示。逃げ遅れた者への避難誘導などであった。

 現在、戦争は終結している。復興活動やエウロパ民の問題はあるが、L /s機関が声明を出すような状況ではない。

 凰はニグラインを信じて、黙っているしかなかった。


『L /s機関デある。ガニメデを占拠してイタ敵は、モグリではなかったタメ殲滅。シカシ、ガニメデを動かす術を手ニ入れらレタ事実は重大な問題デある。シタガッテ、L /s機関は、今、この時をモッテ、ダイモス砲ニより、ガニメデを消滅サセル決定を下ス』


 L /s機関の『声』としている、特殊な周波数の電子音声に声を変えて、ニグラインは太陽系の誰もが驚くべき声明を発した。

 ガニメデを、『一度敵の手に落ちた危険なもの』として処分すると言うのだ。いつ、また残党に使われるやもしれないと。

 系民は納得するだろう。ガニメデ砲(・・・・・)が敵の手にあるとなれば、また(こん)戦争のような悲劇が起きる。そして、人によっては「エウロパを守っていた防衛衛星がなくなる」と喜んだ。

 エウロパ民は、防衛衛星がなくなる事に不安を覚えたが、それで他の系民がエウロパに住まう事を許してくれるのであれば構わないと思った。エウロパにはすでに捜査の手が回っている。民家から地中まで、反乱を起こした形跡を全て排除してからでないと故郷には戻れないのだが、火星で非難の目を向けられながら生活を続けるよりはいいと、L /s機関の決定に皆賛同する。


 マイクを切った後、ニグラインはうな垂れて震えていた。

 声明の内容は嘘なのだ。ニグラインは、ガニメデのグランディス(ツー)を凍結させてきた。それでも、太陽系民の今戦争に対する怒りを静めるために、ガニメデを消滅させようとしている。そして、自分の争いに巻き込み、命を落としたユーレックや、凰のためにもそうしようと決めたのだろう。

 だが、太陽の意思が、愛する太陽系の星を失う苦しみと悲しみに暮れている。我が子を殺すようなものなのだ。決心したはずだと言い聞かせても、まだニグラインの手はダイモス砲を撃てないでいる。


「レイテッド司令。私が」


 震えるニグラインの身体をやさしくどかし、凰はマイクのスイッチを入れた。

 凰自身は、ガニメデに対しての怒りはない。腎臓のニグラインには思うところはあれど、我を失うほど弱くはないのだ。

 ニグラインの代わりに名乗り出たのは、人類としての責任。事実を知る者として、自分がやるべきだと、凰は役目を背負った。


「私は、太陽系近衛艦隊総隊長、ファル・ラリマール・凰である。L /s機関の命を受け、ダイモス砲を発射する」


 凰の低めの深い声が、太陽系全土に緊張をもたらす。

 衛星砲の威力は、ガニメデ砲が証明している。皆、それぞれの想いはあるが、太陽系の衛星砲が、太陽系内の星に撃たれるのは初めての事。しかも、L /s機関が操作するのではなく、太陽系を守護する近衛艦隊の総隊長が──顔も声も知っている人物が撃つと言うのだ。心穏やかではいられない。


「ダイモス砲、エネルギー充填完了。発射10秒前。9、8、7──」


 凰は系民にも覚悟が必要だろうと、充填完了と同時に発射ボタンは押さず、10秒のカウントダウンを開始する。そして、残り5秒となったとき、ニグラインが発射ボタンに置かれた凰の手に、小さな手を添えて来た。

 凰は僅かに驚き、カウントしながらニグラインに顔を向けると、先ほどまで震えていた者とは思えない、覚悟を決めた表情の、碧藍(へきらん)の瞳のニグラインと目が合う。

 共に──と、絶対光度が告げる。凰が頷くと、二人はモニターに映るガニメデの姿を、脳裏に焼き付けるように見据えた。


「──1、発射!」


 凰とニグラインは、重ねた手でダイモス砲を放つ。高粒子のエネルギー砲が、ガニメデへ向けて真っ直ぐに進む。射程距離限界にあるガニメデまで届くまでの時間、二人ともガニメデから目を背けなかった。ニグラインの汗ばんだ手は、凰の手が離れないように握っている。


 ガニメデは抗う事なくダイモス砲を受け、激しいエネルギー波とは裏腹に、静かに……最初から存在していなかったかのように消え失せ、闇と同化した。

 太陽系は、数千年ぶりに太陽系図を書き直さねばならない。

 そして歴史書には、ガニメデを消した人物として、凰の名前が記されるだろう。


 太陽系の民たちも目を逸らさず、ガニメデの最期を見届けた。

 これで、今回の戦争は本当に終わったのだ。またしばらくの間は平和でいられるだろうと、安堵の笑みが太陽系に溢れる。


「ありがとう。凰くん」

 ガニメデのあった闇を見つめながら、ニグラインが凰の手に重ねていた小さな手をどかすと、それを自分の胸に当て、ガニメデを弔うように目を伏せた。


「『人』は、強いね。ぼく(・・)には出来なかった」


 ニグラインの、涙を流せない藍碧(あお)い瞳が、微かに潤む。それぞれの『感情』を持つ臓器たちが抜き取られたニグラインの、多くの感情は擬似的なものであった。だからこそ、太陽の意思と上手く共存出来ていたのかもしれない。凰と出逢った頃は、「機嫌のいいときと気分のいいときくらいの差」だと言っていたが、今はズレが生じている。

 凰はそれを感じ取り、臓器が揃った後、ニグライン・レイテッドは……太陽系はどうなってしまうのかという不安と恐れに呑まれまいと、硬く唇を引き締めて息を飲んだ。

「帰りましょう。白号(びゃくごう)へ」

 今は、まだ考えるときではない。凰は将来訪れる可能性のある問題に蓋をして、今の時を動かした。

「うん……そうだね」

 ニグラインは穏やかに微笑む。まるで、未来を知っているかのように。


         ◇


 凰とニグラインは、戦艦白号に帰投した。半日も経っていないというのに、長く留守にしていたような錯覚を覚える。精神的疲労がそうさせているのだろう。人生においても、大きな出来事が重なったのだから、無理もない。

 凰はマイスター・コンピュータの異空間格納庫にファルコンズ・アイを着陸させ、機体に不調がないかどうか点検してから、(キャノピー)を開けた。

 コックピットから出ようとしたとき、機首部分の傷が視界に入り、凰は三人で帰還出来なかった事実を思い知る。

「レイテッド司令……あの傷は、補修しなくても大丈夫でしょうか」

「表面だけ塗装すれば残せるよ。そのままの記録も残しておこう」

「よろしくお願いします」

 ユーレックがファルコンズ・アイを守り抜いた、たったひとつの証。それは、凰の自戒でもあり、ユーレックとの最後の繋がりでもあった。傷を見る度、心が潰れそうになるかもしれないが、何もないより遥かにいい。

 だが、他のガニメデ砲で消滅した兵士たちや、火星の街ごと消えた人たちの事を思うと、近衛艦隊の総隊長である自分が『何か』を残そうとするのに、凰は強い罪悪感を持つ。

「いいんだよ、凰くん。あれは、キミだけのものじゃない。彼の勲章でもあるんだから」

 ニグラインは、ファルコンズ・アイを撫でながらユーレックを讃え、凰を肯定する。


「螢ちゃんに、伝えないとね」

 艦橋に戻る前にマイスター・コンピュータを使い、火星のメイン・コンピュータを任せている螢に、ユーレックの死を伝えるとニグラインは言った。螢に個人的に伝えるのはプライベートとの混同かもしれないが、彼の功績を考えれば許されるだろう。

「はい──私から、伝えさせてください」

「それがいいと思うよ」

 上官からではなく、ひとりの友人として、凰は螢にユーレックの死と成した事を伝えようと思った。きっと螢は凰を責めない。むしろ、罵倒してくれた方が気は楽になるが、恨みもしないであろう。


 そして、凰が想像した通り、螢は誰の事も責めずに「流石ユーレックね!」と誇らしげに笑って言った。だが、凰はわかっている。通信を切った後で、彼女が泣き伏す事を。リーシアが側にいる事が幸いであった。

 おそらく、ニグラインは最悪の事態を考えて、療養から復帰したリーシアを螢の元へと配置したのだろう。

 例えファルコンズ・アイが撃墜されていたとしても、殉職したとされるニグラインの意思を次いで、クラックがL /s機関から指示を出し、近衛艦隊は司令官も総隊長も不在のまま任務を遂行したはずだ。

 ニグライン・レイテッドは、そのように(・・・・・)作られた。全ては、太陽系を守るためだけに。だが、それも危うくなって来ている。

 ETSを造った科学者たちは、失敗したのだ。ETSをコントロールするためにニグラインの脳を組み込んだが、人間に『永遠』などない。1000年程度しか正気を保っていられない事に気付けなかった。

 実に滑稽(こっけい)だ。Eternal(エターナル) The() Sun(サン)──永遠の太陽など有りはしないというのに、それを求めて、人類は不必要な血を流し続けている。しかも、それを公表する事が出来ない。

 それでも、戦い続けなければならないのだ。ユーレックを含め、太陽系のために命を落としていった者たちのためにも。


         ◇


 ユーレックの殉職が伝えられた近衛艦隊には震撼(しんかん)が走った。8大将官の一人を失ったのだから、当然の反応である。だが、憔悴する間もなく、粛々と戦争の後片付けは進められていく。


 終戦から一週間ほどでデブリの回収は済み、近衛艦隊は地球に帰還した。しかし、凰やニグラインは、将官と共に火星で行われる慰霊式典に参列しなければならないため、火星に在留している。地球に残っていたメカニカルサポート部隊隊長(DL)のスマルトも、急ぎ火星へと駆け付けた。

 重症を負って治療中のランは、本来であればまだ安静にしていなければいけない状態であったが、本人の強い意志により、車椅子で参列すると言う。

 退任した統括軍元長官であるリトゥプスは、式典には軍服を着用するようにとニグラインに頼まれ、長章を外す事で了承した。


 統括軍の艦艇が墜落した地帯は、広大な花畑となっている。そして、中央にはニグラインが直筆で書いた犠牲者全員の名前が石碑に彫られ、鎮魂の言葉が添えられていた。

 民間人・軍人と合わせて、太陽系側の犠牲者数は約40万人。度重なる戦争で、晶暦となってから最少であった人口が、また大幅に減少してしまったのである。

 太陽系人口が250億人を越えていた時代の戦争から見ればごく少数とは言え、現在の10億人を切っている人口から考えると比率としては大きい。

 前回と違いあまりにも犠牲者が多く、慰霊式典の際に全員の名前を読み上げるのは時間がかかり過ぎて困難だとして、代わりに戦犯者以外、全員の犠牲者氏名をニグラインは寝る間もなく書き綴ったのだった。


 セラフィス側に付いて犠牲となったエウロパの民は、モグリだったのか義勇兵だったのか判断がつかないため慰霊式典は行われず、石碑だけがエウロパに建てられる事となった。

 無論、反対する声も上がったが、「式典を行わない」「弔慰金を支払わない」というふたつの条件で系民の同意を得るに至ったのである。


 統括軍に関しては、オーナーやクラスト信仰者と判明している者は戦犯者として扱い、火星に墜落した艦艇の搭乗兵は、モグリであったとしても民間人を犠牲にした罪で、弔慰金も遺族年金も支払われず、石碑にも名前は記されない。

 ただし、ニグラインは艦艇の搭乗兵の名前も書いており、遺族が希望すれば小さな位牌にして渡す事とした。

 その他の殉職者については、民間人の式典の後、各艦隊・部隊ごとに慰霊式典を行う運びとなり、火星での慰霊式典は12日間連日続いたのである。その(かん)、軍上層部の者たちに休みはなく、負傷を押して将官としての責務を果たしていたランは、毎日式典後に高熱を出すほどだったのだが、薬を使ってどうにか乗り切った。

 やり場のない怒りと悲しみを(いだ)いていた民間人は、若い女性でありながら最前線に赴いて戦い抜いたランの痛々しくも凜々しい姿を目にし、今は怒りを静め、鎮魂だけを祈ろうと肩を寄せ合ったのである。


         ◇


 火星の式典が全て滞りなく終わり、地球に帰還する凰、ニグラインと7人の将官に、現統括軍長官・セネシオ、元長官リトゥプスも同行した。もちろん、リトゥプスとセネシオは近衛艦隊の慰霊式典に参列するためである。


 地球での式典は、近衛艦隊の第一艦隊、第二艦隊、第三艦隊の順に執り行われ、轟沈した艦艇と、その搭乗兵を弔うところから始まった。

 その後、殉職者の多い順に、陸上戦闘部隊、第一宙空艇部隊、第二宙空艇部隊と続き、ただ一人、それも隊長である将官が殉職した特殊能力部隊が、最後を締めるに至る。


 L/s機関が太陽系を統率して元号が晶暦となって以降、生存している者への元帥号は廃止されており、将官が殉職した場合にのみ与えられる階級となっていた。太陽系近衛艦隊総隊長や太陽系近郊宙域統括軍長官については、万が一殉職した時には大元帥となる。

 だが、ユーレックは階級がすでに中将であり、元帥では通常の二階級特進と変わらない。二度の戦争で、二度も防衛衛星を動かし、更に両戦争において司令官と総隊長を守った功績を軽視するわけにはいかなかった。


「──大いなる功績を讃え、ユーレック・カルセドニー中将を大元帥とする」


 特殊能力部隊の慰霊式典において、ニグラインがユーレックの多大なる功績を読み上げ、特例として三階級特進とする旨を伝えた。

 異議を申し立てる者はおらず、式場には彼の部下たちの嗚咽が漏れる。

 その中で、螢は震えながら涙を堪えていた。8大将官の一人として、威厳を損なわないように。何より、ユーレックならば、悲しみの涙で送って欲しくないと言うだろうと。


「カルセドニー隊長! 昇進おめでとうございます!!」


 そこへ、誰からともなく、ユーレックへの昇進を祝う声が飛び交った。皆、ユーレックが笑顔で応えてくれると知っている。涙を流しながら、天まで届かせようと叫ぶ。

 そうだ。ユーレックなら、それを望むだろう。凰も、神妙な面持ちを笑顔に変えた。

「凰総隊長、号令を」

 ニグラインが、最後の号令を凰に譲る。ユーレックを送るのに、最も相応しい人物として。

 凰はニグラインの計らいに一礼をして、ユーレックの、出撃前に着ていた軍服だけが収められている棺の前に立つ。

 そして、凰がかかとを揃えるのに合わせて、誰もが嗚咽を止め、呼吸すらしていないかのように式場は静寂に包まれた。

 この瞬間、奇跡的に全員がユーレックの『いたずらな猫のような笑み』を思い浮かべた事は、誰も知らない。


「ユーレック・カルセドニー大元帥に、敬礼!」


 凰の深く雄々しい号令で、参列者全員が一斉に胸に拳を当てる。

 そのまま1分間の黙祷のあと、歓声が沸き起こった。慰霊式典だと言うのに、なんと異様な光景であろう。笑顔が溢れかえり、涙は輝いている。

 かつて、こんなに愛された将官がいただろうか。

 泣かずにいようと心していた螢も、笑顔で大粒の涙を止めどなく零した。


「セネシオよ、こんなに素晴らしい慰霊式典を見たことがあるか?」

 リトゥプスは、不謹慎と言うべき状況であるのに、素晴らしいとしか言いようがないと、目を細めて式場を見渡す。

「いえ。しかし、見たくはありませんでしたな……」

「ああ、まったくだ」

 若い者が先に逝く。それだけでも、老兵には辛いのだ。

 リトゥプスとセネシオは、彼らに恥じぬよう、残りの人生を歩もうと思った。このように送られなくとも、せめて「やり遂げた」と言われるように。


 ──こうして、ユーレック・カルセドニーは大勢の者に祝福され、晶暦が始まって以来、初めての大元帥となったのであった。


         ◇


 全ての慰霊式典は滞りなく済んだ。殉職者が生前に用意していた遺品は遺族に引き渡され、戦争の事後処理も完了した。

 ユーレックは遺品を残していなかったが、理由は簡単に理解出来る。誰にも、自分の事を引きずって生きて欲しくなかったのだ。特に、螢には。

 だが、何もないというのも酷である。身寄りのない凰とユーレックは、学生時代から「お互い何かあったときは、家の始末を任せる」と決めていた。放っておいても軍がやってくれるが、あまりにも味気ないと。


 凰は、与えられた二週間の休暇の初日にユーレックの家を訪れた。(あるじ)のいない部屋は寒い。冬の冷気がそうさせているのではなく、〝家〟としての暖かみがないのだ。


「出撃前は片付けておけと言っただろうに」 


 ゴミは溜まっていないが、室内の物は乱雑に置かれている。片付けるのには、手間がかかりそうだと、凰は溜め息を吐く。その片付いていない部屋で、螢に渡せる物を探すのは困難かと思われたが、すぐにそれ(・・)は見つかった。

 だが、それは螢を縛り付ける物でもあったため、凰は悩む。

 リビングの、一角だけ綺麗に整頓されたデスクの上に、大事そうに置かれた小さな箱。中には「U to H」と掘られている指輪が入っていた。ひと目で、ユーレックから螢への求婚の指輪だとわかる。

 おそらく、生きて帰って来たら渡そうと思っていたのだろう。しかし、ユーレック亡き今、螢に渡す事はユーレックの意思に反する。

 処分するわけにもいかず、一先ずバッグにしまって他を探すと、寝室のクローゼットの奥の紙袋から細長いアクセサリーの箱を見つけた。ラッピングのリボンを外して確かめると、螢の名前に由来する、蛍石(フローライト)のペンダントがあった。螢の瞳の色によく似たグリーンの石に、彼女に似合う可愛らしい装飾が施されている。

 紙袋には領収書が入れっぱなしになっており、日付は三年も前のものであった。螢への想いを伝えられなかった頃に、チャンスがあればと用意していたのかもしれない。

 ユーレック自身も忘れていたのか、想いが通じてからは新しいものを贈っていたのか。

 凰は、指輪はユーレックの棺に納め、ペンダントを螢に渡す事にした。


 帰還後、「ひとりにはしておけない」というリーシアの心遣いで、螢はリーシアの家に身を寄せている。ユーレックの家から出た凰は、リーシアに連絡を取った。螢は塞ぎ込み、食事もろくに口にしていないと言う。

 凰は螢の好きなスイーツを買い込み、リーシアの家へ向かった。

 そして、女性の家へ上がるわけにはいかないと、玄関先でリーシアにペンダントの入った紙袋とスイーツを託す。

「他にも、何か持っていますね?」

 リーシアは凰の顔を見て、指摘する。ユーレックが、「リーシアは訓練すれば特殊能力に目覚めそうだ」と言っていたが、まさにその通りかもしれない。ユーレックすら読めなかった凰の心を見透かしているようだ。

「何故そう思う?」

 表情には出ていないはず。凰はリーシアの鋭さに、今更ながら疑問を抱く。

「一瞬、バッグを持つ手に、力が入りました」

 リーシアは豊かな胸を邪魔そうに腕を組み、すました顔で状況説明をする。

 後方支援部隊隊長(DL)の目は伊達ではない。大昔の物資支援の部隊ではなく、前線の部隊が前の敵にだけ集中出来るように、後方の、内外の敵を見抜いて排除する部隊だ。常に周囲の動向を細かく観察し見極める目を、リーシアは持っている。

 凰は観念し、リーシアに指輪の入った小箱を差し出す。

「これは、ペンダントと一緒に螢に渡します。彼女は、何も残されていなかったことで、本当に愛されていたのかわからない。と泣いているんですよ?」

「そうか……頼む」

 女心がわからないのは、凰もユーレックも同じだったようだ。特に、軍人でいる間は恋人も家庭も作らないと決めている凰は、想像だにしなかった。

「お任せください。──ご自分用のものは、何かありましたか?」

 リーシアは小箱も受け取った紙袋に収めながら、凰自身はどうしたのかと問う。

「いや」

「楽しかった思い出の品も、必要だと思いますよ」

 ファルコンズ・アイの傷と自分の命がある凰は、それで充分だと思っていた。だが、リーシアに(さと)される。

「……そうだな」

 リーシアの言葉を素直に受け入れた凰は、ユーレックとの思い出は多く、あいつの物なら何でもよさそうだと、心をほぐした笑みを見せた。

「それと、その笑顔は艦隊では見せないでくださいね。仕事にならなくなる女性兵士が出ますから」

「どうしてだ」

「どうしてもです」

 リーシアは呆れ顔でそう言って、ドアを閉めてしまった。

 答えは聞けなかったが、自分の事はこの際どうでもいい。螢が立ち直ってくれれば──と、白い息を空に向けて吐いた。


         ◇


 翌日。凰は近衛艦隊が発足する前まで住んでいた、統括軍地球本部近郊の街に足を運んだ。5年前と街並みは変わっておらず、懐かしい店や道が活気良く賑わっている。

 現地時刻では夕刻に迫っていたため、家路へ急ぐ者やレストランへと入っていく者が多く見られた。

 凰も、二十歳になって初めてユーレックと酒を飲み、そのまま常連となっていた洋風居酒屋(パブ)の扉を開ける。この店は当時から軍属の人間が通っており、民間人の客は見かけない。


「いらっしゃいませ」

 店内は少し古びた暖かみのある木調のテーブルと椅子が並び、カウンターから5年分年を重ねた初老のマスターが、来店を歓迎する声をかけてきた。

 マスターはシェーカーを振りながら、来店者に目を向ける。そして凰の顔を見て驚き、カクテルを作っていた手を止めた。それに気付いた幾人かが入口に立つ凰を視認すると、マスターにツケ(・・)を頼み、慌てて席を立って店を飛び出す。他の者も何事かと振り向き、やはり急いで店を出て行った。

 統括軍の者でも、軍に属していれば近衛艦隊総隊長である凰を知らない人間はいない。そして、ユーレックの事も。

 何かがなくても、尉官までしか集まらないような店に近衛艦隊の総隊長である凰が来たら、皆同じ態度を取るだろう。


 誰もいなくなった店内に、マスターがシェーカーをシンクに置く音が小さく響く。


「ご注文は、いつもの(・・・・)ウイスキーとフィッシュ&チップスとピザでよろしいでしょうか?」


 マスターは何事もなかったかのようにカウンターから出て来て、凰とユーレックが常連だったときと同じ言葉をかける。たった1年しか通えなかったというのに、覚えてくれていた事を凰は嬉しく思う。

「はい──」

 凰はマスターの気遣いに感謝の笑みを浮かべて応えると、窓際の小さなテーブルを挟んだ二人席に腰掛けた。ダイモスを引力から引き離すときに、ユーレックが出現させた席だ。向かいに座る者は、もういない。


「お待たせいたしました」

 程なくして、マスターが銀色のトレーに乗せた注文の品を持って来た。揚げたてのフィッシュ&チップスと、店自慢のオリジナルピザの香ばしい匂いが漂う。

 二人前(・・・)のそれをテーブルに置くと、マスターはチェイサーの水とウイスキー用のグラスを、それぞれの席の前にセットする。そして、中央にリザーブタグの付いたウイスキーボトルが置かれた。


 タグには『Ulex(ユーレック) Chalcedoby(カルセドニー)』の文字。


「マスター、これは……?」

 凰が微かに声を震わせてマスターを見上げると、マスターはやさしく微笑む。

「お二人が最後にいらしたとき、カルセドニー様が帰り際に『記念』だと言ってリザーブしてくださったものです」

 そうだ。あの日は、近衛艦隊に配属が決まり、暫く来られないからと二人で飲み明かしたのだった。店を出たあと、ユーレックが「忘れ物をした」と店内に戻ったのを思い出す。その時に、リザーブしたのか。

 その後、一度だけ二人で訪れたのだが、店の前で今日と同じように逃げ帰る客を見て、入るのを諦めたのだ。仕方なく他の店に行く途中、「退役してから、また行こうぜ」とユーレックが笑って言ったのを覚えている。

「では、ごゆっくりどうぞ」

 マスターはそう言うと会釈をして離れ、凰に気付かれないように扉の札をClosed(閉店)にしてカウンターへと戻った。


 凰はウイスキーボトルのキャップを開け、ふたつのグラスに琥珀色の液体を注ぐ。懐かしい香りと共に、ユーレックが見えた気がした。


 『最高だな、凰!』


 ユーレックは、飲みに来る度いつもそう言って笑っていたのだ。ニグラインの家のバーカウンターでも、ニグラインが作ってくれたオリジナルカクテルを掲げて、笑顔でそう言った。


「おまえがいたから、最高だったんだ…………ユーレック──」


 凰はグラスに口を付け、ひとり、呟く。



 明け方の閉店時間になり、窓から日が差し込んできた。

 一人分のフィッシュ&チップスとピザを食べ、ボトルを半分空けた凰は、マスターに貸し切り分の料金と、帰って行った客の分の料金を支払う。マスターは断ったが、「店に迷惑をかけたままでは、もう二度と来られない」と、受け取ってもらった。


「ありがとうございました。ボトルは、お持ち帰りください。またのお越しを、お待ちしております」


 マスターはウイスキーボトルを白い布で丁寧に包み、凰に手渡す。『楽しかった思い出』を手にした凰の目頭に熱いものが込み上げたが、辛うじて目を閉じて抑える。


「ありがとうございます。また」


 凰は丁寧に礼を言い、ボトルを受け取って店を出ると、朝日が街を照らして輝いていた。

 ETSの輝きだ。人造物とは思えないほど、暖かい。

 冬の朝の、冷たく清々しい空気を吸い込み、凰は帰路に着いた。眩い光に包まれたこの世界のため、まだ出来る事をするために。

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― 新着の感想 ―
思わぬ贈り物が二つ。どちらも切ない……。
いつもお世話になっております。梶一誠でございます。 いいですねぇ~パブでのマスターとのやり取りのシーンは最高です。 その前段でユーレックの遺品となってしまった指輪とペンダントは恋人の蛍に。   鳳に…
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