【慈愛と業】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫
〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ビローサ・ルビア……セラフィスの参謀。ネリネの幼馴染みでもある女性。
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇キーロンJr.……3/4サイズの小型キーロン
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
〇マンデルリ……ネリネやビローサの出身星。
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
スリープモードが解除され、ニグラインはまどろみの中、うっすらと目蓋を上げた。
藍碧い瞳が、コックピットの低い天井を映す。ファルコンズ・アイのエネルギーゲージはFULLを示しているが、全方向モニターに切り替わっていないという事は、凰はまだ目を覚ましていないのだろうか。
「…………」
ニグラインは無言のまま操縦席を覗き込む。声をかけるのに躊躇いがあった。〝友情〟という感情を凰とユーレックに出逢って初めて知ったニグラインでも、彼らのそれが特別なものであるのはわかる。
人と人の繋がりなど、ちょっとした事で壊れるものだ。しかし、彼らは違う。何があっても、遠く離れていようとも、きっと変わらなかったであろう。
凰は、かけがえのない相棒を失ったのだ。
ユーレック・カルセドニーのいない世界。
ニグラインでさえまだ受け入れられていない現実に、凰がどう向き合っているのか。……向き合えているのか。
「──司令のせいではありません」
ニグラインの気配に気付いた凰が、重く口を開く。
凰は空を見つめていた。虚空ではない。確かにそこにあったものを、記憶を通して見つめていた。だが、まだコックピットのモニターを起動して、何もない宙を見る事が出来ないでいる。
現実だと理解していても、感情が、心が、受け入れる事を拒んでいるのだ。
「私も軍人です。多くの仲間が散って逝くのを見て来ました。家族、恋人──友人。大切な人を亡くした者も、嫌になるほど……」
凰は後ろに倒していた操縦席を起こし、操縦桿に手を添えて額をつけた。
「ですから、自分だけが特別だと思っていません。自分だけが、失うことがないなどとは」
額をつけている手が震えている。顔を顰めて震えを抑えようとしても、止まらない。涙でも流せばいいのか? そうしたら、楽になれるのだろうか。凰は歯を食いしばり、自ら口にした言葉が嘘であると認めるしかなかった。
ユーレックだけは、決していなくならないと思っていたのだと。
一度命を落としていると言われているが、実際に遺体を見たわけではない。どこか頭の片隅で、ニグラインがいれば何かあっても……と思ってしまっていた事を恥じる。
行かなければ。動き出さねば──。
凰はファルコンズ・アイを起動させた。操作パネルが各色に光り、コックピットの蓋部分が全面モニターとなり、宇宙空間を映し出す。
目には見えないが、粒子となってしまったユーレックが漂っているかもしれない。凰はここの座標を記録した。ファルコンズ・アイの機首についた傷と共に、胸に刻む。
出来る事をする。出撃前に、ユーレックとそう決めた。そしてユーレックは、彼にしか出来ない事を、命をかけて実行したのだ。凰は、次は自分がなすべき事をしなければ……と、正面に見えるガニメデに焦点を合わせる。
「ファルコンズ・アイ。目標、ガニメデ」
凰は低めの深い声で再出撃を唱えた。窮地に陥る度に救ってくれていた友はもういない。頼れるのは、自分の腕だけだ。ニグラインを守るという使命を果たす。例えひとりであっても。
「そうだね……進もう」
ニグラインは、ユーレックについて何も言わなかった。二人の間に、入ってはいけないと感じたのだ。何より、今の凰に言葉など不要だろう。彼は自らの意志で進もうとしている。ただの任務ではなく、ニグラインのために。
◇
ガニメデはダイモスと同じく有人星ではないため、人工大気はないが、固有の薄い大気に覆われた星である。
ファルコンズ・アイは大気圏に突入したあと、慎重にガニメデ上空を旋回して、ガニメデを管理しているコンピュータ、グランディスⅡの収納されている施設の直上で空中停止する。
上空にいるときは暗くて見えなかったが、近くまで降りたとき、驚くものが見えた。
夥しい数の、小型補給艦。
間違いなく、これがファルコンズ・アイに撃たれたガニメデ砲のエネルギー源だ。
長い、長い時間をかけて、気付かれないように、1隻ずつ運び込んだのだろう。
ただ一矢を撃つためだけに。
もう1隻多ければ、ファルコンズ・アイは消滅していたかもしれない。
もう1隻少なければ、ユーレックは消滅しなかったかもしれない──。
近衛艦隊がセラフィスと戦っている間に、補給艦からエネルギーを移し替えたのか。抜かりのない、卑怯と罵りたくなるが、効果的な戦略だ。
現に、太陽系は最も大きな被害に遭った。類を見ない特殊能力者であったユーレックを失う事は、艦隊をひとつ失う以上の損失である。それも、代替えのきかない損失。
戦力としてだけではなく、凰を筆頭に、彼の明るさと笑顔に助けられていた者も多い。
ユーレックを葬ったエネルギーの運び手を目の前にして、凰の胸の奥を冷たい炎のような何かが彼を支配しようとした。あれはただの使い捨てられた、憐れなガラクタだ──凰は胸に手を当てて自分に言い聞かせる。
新しいものもあるが、何十年も……もしかしたら100年以上も前から用意されていたような、表面が凍り付いていてもはや航行不能に見える艦も多数見受けられた。
腎臓のニグライン・レイテッドの執念。人類の業の深さを表しているようでもある。
「着陸します」
凰が入口近くの空いているスペースにファルコンズ・アイを着陸させると、地表を覆っていた氷が細かく砕かれて、ダイヤモンドダストのように巻き上がった。
だが、凰もニグラインも、それを美しいと思う心境にない。ひび割れた氷が心の傷に刺さるようだ。そして、そうした感傷に浸る余裕もない。
張り詰めた精神のタイムリミットが近づいている。精神が限界を迎える前に、グランディスⅡで待ち受けているであろう、腎臓のニグライン・レイテッドの元へ行かねば。
「凰くん、これ」
操縦席から外に出ようとした凰に、ニグラインが数本の粒子ペンと、警棒ほどのサイズのスティックが2本刺さっている腰ベルトを差し出す。
「粒子ペンと、粒子スティック。ここにはトラップはないし、ぼくのクローンが大量に襲って来ることもないだろうけれど、念のため」
「ありがとうございます」
凰はベルトを腰に装着すると、タラップを降りてガニメデに足を着けた。
粒子ペンは、前の戦争で、敵の小惑星型要塞『赤針』に赴いた際に使用した、粒子化した物質が圧縮されている自由変型モジュールである。
大量に生産された〝肺〟のニグラインのクローンを始末するために刀に変形させ、その首を全て切り落とした。凰の精神力をもってしても、ニグラインの前でニグラインの首をはね続ける所業は、彼を狂気に陥れたのだ。
もう二度とニグライン・レイテッドを殺めたくないと思わせるのに充分過ぎる血が、床を真紅に染めていたのを、凰は思い出す。
「──スティックを、試してもよろしいでしょうか?」
凰に次いでガニメデに降り立ったニグラインに、凰は粒子スティックの威力を確かめたいと、試用を求める。
「いいよ」
ニグラインには、凰が何をしようとしているのか予想がついた。時間は惜しいが、その上で許可を出す。凰には、それが必要だと感じたからだ。
凰は粒子スティックを腰から引き抜くと、アーム固定式の100mm口径の砲塔に変化させ、右腕に装着する。そして、ブーツに組み込まれている重力装置の出力を上げ、一番手前にあった小型補給艦に向けて高粒子砲を放つ。
重力を上げていたとは言え、反動で凰は後ろへ吹き飛んだ。幸いにもファルコンズ・アイに受け止められ、パイロットスーツが衝撃吸収をしてケガもない。砲塔は耐えうる物を創造したため無事であったが、凰の腕には痺れと痛みが走る。
粒子スティックでの最大と思われる攻撃で、小型補給艦は、3分の1ほどがえぐれて消失していた。
生身の人間が使うような兵器ではない。こんなものが横行すれば、市街地での戦闘は史上最悪のものになるであろう。
ニグラインが粒子ペンでさえ「認めた」者にしか渡さないと言ったのは、実に正しい判断だと凰は実感する。
「……スティック1本では、1発しか撃てないね。もう1本使う?」
「いえ──」
凰はニグラインの申し出を断り、粒子が減ったスティックをペン型に変えてベルトに戻す。本当は、1隻だけでも消し去りたかった。だが、意味のない事に貴重な武器をこれ以上無駄に使うのを理性が止めた。今更1隻消したところで、ユーレックは生き返らないのだ。
だが、この1発を撃った事により、凰の胸の冷たい炎は段々と小さくなり、やがて鎮まった。凰は宙を仰いで深く息を吸い込み、目を閉じる。それからゆっくりと息を吐き出しながら目を開くと、青虎目石さながらの瞳は戦士の光りを取り戻していた。
「はい、予備のスティック。使いたいときに、好きに使って」
時にニグラインは残酷だ。凰の押し殺した激情を起こそうとする。信頼されているのだと思いたいが、試されているようにも思う。凰の精神が崩れたとき、ニグラインはどうするのだろう。〝太陽系の近衛隊長〟の資格を失ったとしたら、不要のものとされるのか。
これは予備のスティックなどではない。ユーレックの分のスティックだ。
「凰くん、大丈夫だよ。キミはさっき、ETSを停止させようとしたぼくを止めてくれた。あの状況でも、正気を失わずに」
ニグラインは凰の手を取ってスティックを握らせながら、やわらかな笑顔を向ける。
あの時、凰はユーレックを失った喪失感に苛まれながらも、絶対的な絶望を回避するために身体が動いた。
「そうですね。私も、たまには格好付けないと」
何故かニグラインの前では〝人の弱さ〟を晒してしまう凰は、ユーレックの最後の雄姿を思い出して、もう一度意志を固める。
「凰くんは、いつもかっこいいよ。人間らしいところもね」
「……恐れ入ります」
渡された粒子スティックを腰ベルトに装着しながら、凰は華やかな笑みを伴ったニグラインの言葉を素直に受け入れる事にした。
人間らしく弱さもあり、人間らしく自力で乗り越える。そして、強くなっていく。
そうして誰よりも強くなった凰を、ニグラインは太陽系近衛艦隊の総隊長に選んだのである。己の弱さを認めない人間は、如何に力が強くとも脆い。弱さや痛みを知っているからこそ、人望もあり、多くの人間をまとめる事が出来るのだ。
「さあ、行こうか」
「は!」
凰とニグラインは、ユーレックの想いと共に、薄暗い施設の入口に向かった。
◇
施設の中は、エネルギー不足のため、辛うじて5メートル先が見える程度の明かりしか点いていない。当然、各所にある転送装置は作動しておらず、2キロ近く歩かなければならなかった。まだ生命維持モードにはなっていないとは言え、いつまで保つのか。
酸素も十分ではなく、動かずにいれば問題ないかもしれないが、歩いているだけでも息苦しくなってくる。それでもパイロットスーツの酸素を温存した方がいいと、二人は酸素ボンベをオフにして、外気を取り入れる事にした。
トラップはないとニグラインは言ったが、敵が何か仕込んでいる可能性もあるため、凰はニグラインと並んで歩く。ダイモスの施設と同様の設計となっており、グランディスⅡのある部屋まで行く経路も同じだ。ニグラインに案内させずとも辿り着ける。凰は進む方向を考えずに済む分、周囲に危険がないかと、暗い道中に目を凝らし気を張っていた。
特に動くものもなく、そのまま目的の部屋まで行かれそうであったが、ニグラインの歩く速度が次第に遅くなっていく。
「司令、大丈夫ですか?」
肩で息をするニグラインの顔色は悪くなっている。体力のない小さな身体のニグラインには、この酸素量では登山をしているかのごとく、厳しいようだ。
「……ごめん、少し、休ませ──」
「失礼します」
ニグラインが立ち止まり、呼吸が整うまで暫しの休憩を申し出る言葉を言い切る前に、凰はその場で床に座ろうとしたニグラインの身体を軽々と逞しい腕で抱き上げた。
「まだ半分も来ていません。お嫌でしょうが、目的地までお運びいたします」
流石に鍛えている凰は余裕である。軍では非常時を想定した低酸素下での訓練も行っているため、多少息苦しくとも戦う事も可能だ。
「ふふ。凰くんに『お姫様抱っこ』されるの、3回目だね」
「──そうですね」
1度目のときにユーレックにからかわれた事を思い出し、凰は一瞬口を開くのが遅れたが、表面だけの微笑みに隠して足を進める。
凰は今までもこうしてニグラインを助けて来た。死ぬ事のないニグラインだが、前線に出られるような体力も身体能力もない。太陽系随一の頭脳を持っていようとも、人を従わせる絶対光度の瞳を持とうとも、ひとりでは戦えないのだ。
もし、凰やユーレックがいなかったら、前回と今回の結末はどうなっていただろうか。肺にも腎臓にも辿り着けなかったかもしれない。腎臓はいつか向こうからやって来たかもしれないが、肺とは永遠に融合出来なかったであろう。
「また、嫌なものを見せちゃうけど、いい?」
肺のニグラインとの融合は、凰にも衝撃を与えた。人類の業を一身に受けるニグラインに対して、人類である事に嫌悪感すら抱いたのだ。
「嫌とは思いません。何も出来ない自分に腹は立ちますが、司令の背負っているものの、ほんの一部でも共に背負わせてください」
凰の言葉に偽りはない。肺のニグラインとの融合を見たときも、代わりになれない事を口惜しく思った。これだけ太陽系のために尽くしているニグラインが、何故、誰よりも苦しまねばならないのか──と。
「凰くんは、やさしいね。そして頼もしい」
「……司令は、私を買いかぶりすぎです。それと、ご自身を大切になさってください」
やわらかい微笑みで凰を褒めるニグラインに対して、凰はニグラインを窘める。
ユーレックならば、こんな硬い物言いではなく、もっと上手い言葉をかけるのだろう。ユーレックと話しているときのニグラインは、いつも楽しげであった。凰もユーレックには心の棘を抜いてもらっていたのだ。
今、凰はニグラインの笑顔にも癒やされている。ユーレックを失ってからのニグラインは、凰を気遣うように笑みを見せているように感じる。ニグラインも辛いはずだが、太陽の慈愛が他者への想いを優先するのだろう。
「前にも言ったけど、凰くん、もう少し自信を持った方がいいよ。ぼくは、ずっとキミに助けられているんだから」
「──努力はします」
「絶対だよ!」
凰とて、総隊長という立場にありながら、一般兵と同等とは思っているわけではない。しかし、それは『軍人』としての自分であり、外に出てしまえば、つまらない人間なのだと思っている。そう思ってしまうところが悪いのだと、ユーレックにも言われていた。
変わらなければ。この先ニグラインを支えるために。ニグラインの笑顔を絶やさないために──。凰は人間としてのニグラインも笑っていられるようにと、決意を胸にした。
「着きました。認証したら、すぐに私の後ろに隠れてください」
「うん」
腎臓のニグラインがいるであろう、グランディスⅡのある部屋の前でニグラインを降ろし、凰は2本の粒子スティックを構える。
道中はニグラインの予想通り、敵襲はなかった。最後のガニメデ砲に全てをかけていたのかもしれないが、油断は出来ない。何より、腎臓のニグラインを凰が倒せないのが厄介だ。
融合するためには、ニグライン同士が生きたまま直接触れなければならない〟
「開けるよ」
ニグラインの認証は、手をかざすだけだった。おそらく、身体のどの部分でもいいのだろう。もう少し背が高ければ、手を伸ばさずとも顔で認証出来そうだ。
扉が、薄く開く。中は廊下よりは明るく、光が漏れ出す。凰は粒子スティックをそれぞれドーム型の『レーザー用のバリア』と『粒子砲と実弾用のシールド』にして重ねた。
「いらっしゃ~い!」
中から聞こえて来た歓迎の挨拶と共に、扉に仕掛けられていたグレネードが降り注ぐ。実弾対策をしていて正解だった。辺り一面、煙が充満して部屋の中が見えなくなる。凰はヘルメットのスコープで室内の様子を探った。実弾の武器はサーチ出来ないため、シールドは外せない。敵の位置は──。
「──二人?!」
対人センサーが、敵を二人感知した。一人はニグラインと凰の間くらいの身長だが、もう一人は小さい。1m程度の幼子のサイズだ。
ここには、他の人間はいないはず。まさか、腎臓のニグラインだけではなく、心臓のニグラインも一緒なのか?
武器を持っているのは大きい方だけだが、大きくてもニグラインはニグラインだ。重い武器は持てないのだろう。ブラスターを構えている。小さい方のニグラインは、屈んでいるが、怯えているなどと言う事はなさそうだ。おそらく、設置型の武器を使おうとしているのだろう。
敵方のニグラインたちは、無駄に攻撃をして来ない。こちらのエネルギーが切れるのを待っているのか。
煙が晴れていく。目視でも人影が確認出来るようになった。左側には大きい方。右側には小さい方。完全に視界がクリアになると、プラチナブロンドのニグラインたちが楽しそうに笑みを浮かべているのがわかった。
Illustration:切由 路様
「司令、幼子が対重装甲機砲を撃って来ます。シールドを狭めて二重にするので、ブラスターの方はパイロットスーツのバリアで防いでください。私は、あの対重装甲機砲を無力化しに行きます」
凰は、このまま待っているわけにはいかないと、行動に移る。先ずはパイロットスーツのバリアでは防げない対重装甲機砲だ。
凰が動くと同時に、敵ニグラインが攻撃を始めた。幼子の手では対重装甲機砲は瞬時に照準を凰に変えられず、そのままニグラインに向かって第1射を放つ。持ちこたえはしたが、二重のシールドの一層目が消された。
ブラスターの攻撃は駆ける凰を狙う。それをパイロットスーツのバリアが全て弾く。だが、そのバリアも有限だ。バリアが切れる前に片を付けなければ。凰は粒子ペンを5本を使い、レーザーの大剣を作った。
対重装甲機砲が、真っ直ぐ向かって来る凰に照準を定める。しかし、凰の方が1歩速かった。2射目が撃たれる寸前、凰は大剣を振り下ろし、対重装甲機砲を破壊する。
「うわぁ!」
対重装甲機砲の破壊の衝撃で、幼子が飛ばされて横の壁にぶつかる。ケガはしただろうが、命に別状はなさそうだ。
その間もブラスターの攻撃は途絶えない。大きなニグラインは、二十歳くらいの青年だろうか。凰は大剣をレーザーライフルに変え、自分を狙うブラスターを撃ち抜く。
「うっ……!」
持っていたブラスターを撃たれ、手の痛みで顔を歪める青年のニグラインに、凰は一瞬の間も置かず詰め寄ると、拘束バンドを投げて動きを封じた。
ニグラインが見惚れるほど、凰の洗練された動きは軽やかだが雄々しく、見事としか言いようがない。相手が戦闘員ではないとは言っても、あまりにも早い決着だった。これで「何も出来ない」などと言うのだから、後でまた「自信を持つように」と言わなければなるまいと、ニグラインは苦笑する。
「司令、終わりました。念のためスティックのシールドは張ったまま来てください。パイロットスーツのバリアもそのままで」
凰が気を失っていた幼子も拘束バンドで縛り、小脇に抱えて青年のニグラインの隣に座らせる。ニグラインよりも遥かに小さく軽い。4・5才に見えるその顔に、先ほど出来た擦り傷が痛々しく、凰は応急キットを出して血の出ている頬を消毒した。
「痛い! ……って、何これ!?」
幼子は、傷に染みた消毒液の痛みで目を覚ますと、拘束されている自分に驚いて、青年のニグラインを見上げる。
「負けたんだよ。……まぁ、わかっていたことだけど」
青年のニグラインは、観念したように言う。
「当たり前だよ。ぼくたちの戦闘力なんか、ないようなものなんだから」
そこへ、シールドを収めたニグラインが、目の前に立って呆れた口調で加わった。
「最後の遊びだよ。あの戦闘艇を落とせなかった時点で、僕らに勝ち目はなかったんだ。まさか、たった0.1%の出力とは言え、ガニメデ砲を防がれるなんて思わないじゃないか。何あいつ。とても人間とは──」
「……黙れ」
空気が固まり、亀裂が入るような感覚が、ニグライン以外の三人の背筋を冷たくさせる。ニグラインの瞳が怒りで碧藍に燃え、絶対光度の光で青年のニグラインを睨んだ。青年のニグラインは、従う事以外許さない碧藍の瞳と、殺気の含まれた重い声に従い、口を閉じて息を飲む。
凰に出る幕はなかった。ニグラインのひと言が、すべて代弁してくれたのだ。
ユーレックの事を、この二人には口にさせるかと。
凰とて、湧き上がる復讐心を抑えるのがやっとであった。
復讐はしてはならない。軍人が殺人者になってはならないのだ。
先ほど応急処置をしたのは、ニグラインの顔をした幼子の見た目に騙されたに等しい。どのみち融合するのだから放っておけばよかったのだが、凰は見過ごせなかった。
「何なんだよ! 何でおまえだけが守られるんだ! 僕たちだって、〝ニグライン・レイテッド〟なのに」
幼子の叫びが、凰の心に突き刺さる。
〝予備〟としてオリジナルのニグラインの臓器から生成され、1000年以上も蔑ろにされ続けて来た彼らを、憐れにも思う。だが、いくら人類の業だと言っても、やはり凰は人間だ。無関係の人々の命を奪う所業を許すわけにはいかない。
「おまえたちが、〝ニグライン〟……だと?」
ヘルメットを叩き付けるように脱ぎ捨てたニグラインの、輝度を増した碧藍の瞳が、二人のニグライン・レイテッドの顔をした者たちを射る。
「以前はそうだったかもしれないが、おまえたちは『右腎』と『左腎』のクローンだ。ボクの目は騙されない。違うか?」
右腎と左腎のクローン。腎臓と心臓のニグラインではないのか? 凰は、ニグラインの言葉に驚き、幼子からニグラインへと視線を移す。
凰の視線に気付いたニグラインは、ひとつ息を吸い込み目を閉じる。そして目蓋を上げると、藍碧い瞳が凰に微笑みかけた。
「寂しかったんだよね? だから右腎と左腎に別れて二人で過ごして来た。そして、太陽系に来た後、ぼくに悟られないようにオリジナルの腎臓を抜き取った。そうだね?」
右腎と左腎のクローンへと向き直ったニグラインから殺気は消え、今度は穏やかに、やさしく二人に問う。
『寂しかった』。肺のニグラインにもかけていた言葉だ。では、ニグライン自身も寂しさを感じているのか? 太陽の慈愛に包まれているニグラインなら、そう思う事はないのだろうか。
凰でも、1000年も他者と関わり合いを持たなければ、孤独感に苛まれるだろう事は考えられる。たかが100年程度の寿命でも、若い内からその感情を抱く者も多いのだ。家族がいても、恋人がいても、友人と過ごしている最中でさえ、ふと孤独はやって来る。
だから、腎臓のニグラインは自分を二人に分けた。
「そうだ……僕が右腎で、幼い方が左腎だ。二人になって、楽しかったよ。だけど、結局他の臓器はまがい物で、寂しさは埋まらなかった。おまえは、他の臓器を取り込んでどうだ? 少しは孤独が薄れたのか?」
右腎だと言った青年は、ニグラインの藍碧い瞳を見つめて言う。
「もうひとつ訊きたい。さっきと今と、同一のニグラインとは思えない。臓器を取り込んだことで、人格が乖離しているのか? 主人格の心臓は、どっちだ?」
「それ、僕も訊きたい! あと、なんで髪の色違うの?」
右腎のクローンに続き、左腎のクローンも質問を投げる。拘束され、先がないとわかっていても、長い間追い求めて来た『主』たるニグラインについて知りたいのだろう。二人とも、どこか嬉しそうだと、凰は感じた。
「ぼくは、心臓じゃないよ。キミたちが他星へ送り込まれた後、アンテナになっていた脳幹が視覚に作用してね。この瞳が、太陽から太陽系全域を視られることがわかったんだ。だから、新たに眼球からもニグラインを生成した。それがぼくだ。そして、今のぼくは、太陽の意思を有している。髪の色はね、まぁ、ひとつくらい年相応なものがあってもいいかなって」
暖かみのある笑顔で語るニグラインの言葉を、右腎と左腎のクローンは興味深そうに聞いていた。自分たちの知らない、太陽の意思と共存している眼球のニグラインの存在。美しいプラチナブロンドを捨て、白金の髪を揺らすニグラインは、他のどのニグラインでも取って代われない、唯一無二のものなのだと知った。
「……そうか。なら、脾臓は正しかったのか。僕らは近い恒星系に送られたから、うまく出会うことが出来た。一緒にエウロパに辿り着き、僕らをこんな目に遭わせた太陽系に復讐しようと持ちかけたが、『自分はなくてもいい臓器だから』と、君の元へ行ってしまった。仕方なく、太陽系にいるのがバレないようにオリジナルの腎臓を取り出して、クローンになったけれど……その時点で、僕らは〝ニグライン・レイテッド〟ですらなくなっていたんだな」
ニグラインの顔をした青年が話し終えて俯くと、幼子は諦めたように青年にもたれかかった。
「腎臓はどこ?」
話しを聞き終えたニグラインが、オリジナルの腎臓の所在を問う。
「──グランディスⅡの、保冷庫の中。コールドボックスに入ってる」
幼子のあどけないニグラインの顔が、隠した宝物の場所を教えるように言った。
ニグラインは凰が二人を見張っているのを視認して、グランディスⅡの保冷庫へと向かう。暫くした後、コールドボックスを持って戻って来た。
「大事にしてくれていたんだね。ありがとう。──じゃあ、終わりにしようか」
腎臓を確認したニグラインは、両手のグローブを外しながら右腎と左腎のクローンに近づく。
「レイテッド司令。融合は……」
腎臓は凍結されている。肺のときのように、不純物を取り除くための融合は必要ないのではないかと、凰は思った。
「うん。彼らとは融合しないよ──と言うか、クローンだから、出来ない。でもね」
ニグラインは藍碧い瞳をまっすぐに右腎のクローンに向けると、拘束されて動かせない彼の手をやさしく取る。
「銀河法で、クローンは禁止されているでしょう?」
その言葉を言い終えるのとほぼ同時に、ニグラインに握られた右腎のクローンの手が溶け出す。
「う、うわあああっ!」
右腎のクローンは激痛と恐怖で叫ぶ。手の先から、腕、身体と、溶けていく。皮と肉と骨と血液が混ざった物体が、床に落ちて広がる。胸の悪くなる匂いが部屋に充満して、空気が淀む。
「本当ならね、ぼくも一緒に溶けて融合するんだ。融合は、もっと時間がかかるから苦しいんだよ? でも、ぼくたちが背負ってる業だから、いつも耐えてる。完全に混ざり合ったら、必要な分の粒子だけが生成カプセルに収納されるんだけど、キミたちオリジナルの臓器持ってないから、これで終わり」
ニグラインがまだ残されている右腎のクローンの顔半分に、人類の業なのだと伝える。悲鳴が段々と細くなっていく。人の形を成さなくなり、拘束バンドが緩んで床の物体の上に粘着質のある嫌な音を立てて落ちた。
「ひ……ひぃ……っ」
左腎のクローンである幼子が、その様を見て、身動きの取れないまま顔を引きつらせる。幼子が、隣に立つ凰を見上げた。怯えた瞳は、凰に「ひと思いに殺してくれ」と訴えかけている。
「──凰くん。辛かったら、外に出てていいよ。実際の年齢はともかく、幼い子がこんな姿になるのは見たくないでしょう?」
目を逸らさず、右腎のクローンの最期を見届けてくれた凰に、ニグラインはもう充分だと感謝の意を込めて言った。
「それに、キミに殺させるわけにはいかない」
凰の手が粒子ペンを握っているのに気づき、ニグラインはきつく言い放つ。
「……失礼いたしました。見届けます、最後まで」
肺のニグラインのときに、約束したのだ。手を出さず、見届けると。凰は粒子ペンを腰ベルトに差し戻して、ニグラインの横に立った。
「ありがとう。なるべく、苦しませないようにするね」
ニグラインは、幼子に目線を合わせるように屈み、愛おしそうに頭を抱きしめる。
「嫌、だ……あ、あ……──」
抵抗する幼い声が、凰の胸を締め付けた。それでも、凰への配慮だろう。ニグラインに隠れて、幼子の顔は凰には見えない。
左腎のクローンである幼子は、頭から──脳から先に溶けてゆく。痛みも恐怖も感じなくなった小さな身体は静かに溶け落ち、床で右腎のクローンと混ざり合った。
「終わったよ」
固唾を呑んで見守っていた凰に、ニグラインは陽光の笑みをたずさえて振り返る。
溶けたクローンの一部がニグラインの顔にも手にも付着していおり、その穏やかな笑顔が、凰の背中と胸の傷をクロスさせて心臓に痛みを与えた。だが、ニグラインたちの苦しみはこんなものではない。ニグラインの笑顔の裏には、到底想像の及ばない苦悩が隠されている。
だからこそ、藍碧い瞳の──太陽の意思であるニグラインは笑みを絶やさないのだろう。人間の、碧藍の瞳のニグラインの気が触れないように。
「彼らを落として来るから、ちょっと待ってて」
「はい……」
顔と手を洗いに行ったニグラインは、『汚れ』とは言わなかった。無残な最期を与えたが、例えクローンであっても、ニグラインの心を持っていた者に対する思いやりなのだろうか。
肺のニグラインのクローンに対しても、数が多すぎて自分では対処出来ずに凰に任せたが、同じように手を握り、抱きしめたかったのかもしれない。
だが、業を慈愛で包むのにも限界があるように思える。その考えが杞憂であるように願いながら、凰は右腎と左腎のクローンに黙祷を捧げた。
◇
凰とニグラインは、言葉も交わさずにファルコンズ・アイに乗り込んだ。
二人きりで帰る事になるなど、思ってもいなかった。様々な出来事が、二人を無言にさせている。空席となったユーレックの座席が物悲しい。
「凰くん。白号に戻る前に、ダイモスに寄ってくれるかな?」
出立直前に、ニグラインが静寂を破り、凰に話しかける。ユーレックのいない空間に触発されたように、声も小さく笑みもない。
「了解しました。私からもひとつよろしいでしょうか?」
「いいよ。何?」
「ミッシングマン・フライトを、させてください」
ダイモスに行く理由は訊かず、凰はニグラインにユーレックの弔いを申し出た。
「……そうだね。ぼくからも、お願いするよ」
「ありがとうございます」
ニグラインは「お礼を言われる筋合いはない」と思ったが、口に出さなかった。今の凰は、ひと言話すのも辛いだろうと、返答が必要になるような言葉を避けたのだ。
ファルコンズ・アイが起動すると、再び凍り始めていた地表が細かく割れる。
垂直離着陸も可能なファルコンズ・アイが垂直に浮き上がると、砕かれた氷がファルコンズ・アイを巻くように散りばめられた。着陸時には余裕がなく、何とも思わなかったが、ライトに照らされて煌めく氷の粒を美しいと感じるくらいには、緊張が解けている。
ユーレックが見たら大げさに喜ぶのだろうと考えると、また気が沈む。
ダイヤモンドダストがおさまると、凰が粒子スティックで作った、アーム固定式の100mm口径の高粒子砲で船体をえぐられた小型補給艦が見えた。空いた穴が自分の心を映しているようで、凰の胸に虚しさが込み上げる。
こんな星からは早く離れたいと、凰は最速でガニメデの薄い大気圏を抜けた。
暫く進んだところで目的の座標に着き、凰はファルコンズ・アイを一時停止させる。
ユーレック・カルセドニーが消滅した場所。目に見える塵さえない。
「始めます」
凰はそう言うと、機体を右にバンクさせて旋回を開始した。
太陽系の追悼飛行は、通常9機で行われる。8機がそれぞれ太陽系の惑星の軌道を描き、最後に隊長機がETSのある中央を天に向かって限界まで垂直に翔ぶのだ。
1機で行う場合は、人類発祥の星である太陽系第三惑星の地球までの、3つの輪を描き、最後に中央から垂直に上がる。
だが、凰は9機編成での飛行を単独で行った。まるで、宙域に霧散したユーレックの粒子を集めるかのように。
「垂直上昇します」
8惑星分旋回したファルコンズ・アイは、輪をくぐるように中央まで来ると、機首を真上に向けて急上昇を始めた。三日月型の垂直尾翼が青白く輝き、光の尾を引いている。魂というものがあるならば、このようなものなのか。
下方向にかかるGが凰の脳から血液を奪っていく。宇宙空間で上も下もないかもしれないが、凰は上と信じて操縦桿を握る。このまま自動操縦に切り替えれば、永遠に上に向かって翔び続け、いつかユーレックに出逢えるのではないかと思ってしまう。
意識が朧気になり、宇宙の漆黒と視界の色が同調しようとする寸前、凰は機体を水平飛行に戻した。
凰の精神力は、まだ枯渇していない。友を失い、ニグラインだった者たちの凄惨な最期を見届けても、自我を保っている。
〝まだ出来る事がある〟
自信を持てとニグラインは言った。凰は、自分にしか出来ない事あると信じて進む道を選んだ。
「ファルコンズ・アイ、ダイモスへ向かいます」
「──ああ、頼む」
いつの間にか碧藍の瞳に変わっていたニグラインが、宙を見上げながら呟くように返答した。
人として、凰と共に初めて友と呼べる存在であったユーレックを、言葉には出さないが偲んでいたのだろう。
ユーレックの残したものはあまりにも大きかった。
功績だけではない。沈んだ気持ちを吹き飛ばしてくれる、いたずらな猫のような笑顔も、人を勇気づける心意気も。
忘れてはならない。伝えていかなければならない。
ユーレック・カルセドニー。彼が生きて残していったもの全てを。




