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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
35/42

【長官の決意】

<登場人物等>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長(DL)

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長

〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫

〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官


(コウ)・グリーゼ……凰の元副官

〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット


〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔

〇ビローサ・ルビア……セラフィスの参謀。ネリネの幼馴染みでもある女性。


〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者

〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者

〇オーナー……ツカイを使役する者


〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇

〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機

〇キーロンJr.(ジュニア)……3/4サイズの小型キーロン

〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇


〇マンデルリ……ネリネやビローサの出身星。


※DL:ディビジョン・リーダー

         ◇


 火星の統括軍は、近衛艦隊が戦っている間も、被害の出た地域の救助・復旧活動を行っていた。

 幸い地球は無事であったが、火星は甚大な被害が相次いだため、昼夜問わず対応に追われている。整地をして建物などを建て直すだけなら、今の技術なら数ヶ月もかからない。

 しかし、救助は別だ。命のあるものは当然の事ながら、瓦礫となったシェルターの穴から、亡骸も傷付けないように運び出さねばならない。例えそれが、欠片であっても。

 統括軍のキーロン隊が休む間もなく瓦礫を排除する作業を続けている。兵士たちは〝DNA感知器〟を持ち、一人分(・・・)の身体がほぼ揃うまで捜索する。ペットも住民登録されていれば、同じように。

 だが、艦艇が落下した範囲は、形と言える状態のものは何もなかった。血液さえも蒸発しており、そこに避難していたであろう住民の代わりに、人数分の瓦礫の欠片を遺族に渡す事になる。

 中には、「こんなものいらない!」と、瓦礫を兵士に投げつける者もいるだろう。

 それでも、やるしかないのだ。どんな理不尽な扱いを受けても。


 その終わりの見えない活動の最中(さなか)、セラフィスの首謀者とされるネリネ・エルーシャ・クラストと、作戦参謀のビローサ・ルビアが拘束され、木星宙域会戦が終結したという報が太陽系全土に伝えられた。

 特に、(こん)戦争はセラフィス側の非道な作戦が、民間人にまで多くの犠牲者を出したのだ。作戦を立てた人物が捕まったとあれば、太陽系の民が心穏やかでいられるわけもない。

 更に、セラフィス側にだけではなく、軍に対しても誹謗の声が上がっていた。


 『何故、統括軍の兵士にも〝モグリを抑え込むバングル〟を着けさせなかったのか』


 これは、火星軍港で統括軍の戦艦が反旗を翻したときから、統括軍の兵士たちの間で囁かれていた。しかし、すでに戦争の火蓋は切られており、「今からでも着けさせて欲しい」と思う者はいても、間に合わない事は明白であったため、口をつぐむしかなかったのである。

 その兵士たちの言葉は、火星に駐在している統括軍長官、ジュレイス・リトゥプスにも届いていた。

 だが、開戦前にニグラインらとの会議の折り、バングルを着けるよう告げられた護衛兵の一人がクラスト信仰者でリトゥプスを射殺しようとした出来事と、ニグラインの言葉を思い出し、火星本部の長官席でリトゥプスは髭を触りながら深い溜め息を吐く。

 今回のバングルだけの話ではなく、そもそも全人類に脳内チップを埋め込んで管理すれば平和であろうが、それでは人類が存在する意味などない。〝人が人として生きるためには、自由が不可欠〟だとニグラインは言った。

 とても11才の少年の言葉とは思えなかったが、リトゥプスの頭が上がらないほど重くのし掛かった言葉である。

 とは言え、この犠牲者の数だ。人権との天秤にかけて、系民の賛同を得られるとも思えない。「民間人は自由のまま、軍人だけ管理しろ」と言い出すだろう。


「やはり、戦時においてはバングルの装着が必要であるな……」


 リトゥプスは、統括軍の艦艇が衝突した地域の終わらぬ救助作業の映像を見ながら、もう一度溜め息を吐く。

 兵士たちも今回の惨事を経験して、なおもバングルを着けるのを拒む者はいないだろう。むしろ「着けさせてくれ」と懇願するはずだ。それならば、ニグラインの言う「自由を奪う」事にはならない。

「私が考えていることなど、すでにおわかりか」

 次に会ったときに説得しよう──と一度は思ったリトゥプスだが、あれほどの頭脳と判断力を持った人物が、凡人でも考えつく事を考えないわけがないのだ。

 ならば、ニグラインが出来ない事を遂行するのみ。リトゥプスは老いてもなお衰えない眼光を光らせ、意を決して立ち上がった。


         ◇


 総旗艦・戦艦白号の医療ベースは重体の兵士で埋め尽くされ、医療ロボットが替えの臓器や輸血用の血液を持って走り回り、手術ロボットが施術している。他の艦艇にも同様の医療設備はあるが、ニグラインの指示により、ランだけではなく、特に命の危険がある者は白号へ転送されて来たのだ。

 臓器移植程度の施術は手術台に寝かせれば、手術ロボットが完璧に行ってくれるため、人間の医者は出番がない。最新の医術を常にアップデートされ、人間には難しい細部の神経や血管の縫合も出来る。

 では、何故ニグラインが重体者を集めたかというと、アップデートの元になる最新の医術を行うのがニグラインだからだ。

 ニグラインがプログラムされていない状態の者はいないかと見て回った中、唯一直接手を施したのは、ロカが持ち帰った〝ランの手〟だった。

 ラン自身は、命を助けるだけであれば医療ロボットで充分であったが、手の方はレーザーによる損傷が、指先の神経にまで及んでいた。

 ロボットでも、私生活には支障の出ないくらいには治療が可能である。しかし、それでは駄目なのだ。8大将官として、第一宙空艇部隊、バリュウスを率いるエースパイロットとして助けなければならない。

 義手でも十分操縦出来るが、果たしてランはそれでパイロットを続けるだろうか。同じ8大将官のベリルは、目を負傷してパイロットを引退した。彼は義眼を入れる事すらも拒んだ。

 ランも、()の部分は自分のものではなくなる。だが、操縦桿を握る()があれば──。

 科学で治療(生成し直)してしまえば簡単なのだ。凰やユーレック、そしてリーシアにしたように。それをランにしない自分を責めながら、ニグラインはランの手の治療を始める。


「絶対に治すから」


 ニグラインは、隣の手術台で治療を受けている意識のないランにそう言うと、目の前にある〝エースパイロットの命〟の手術に集中した。


         ◇


 戦闘の終結した近衛艦隊だが、(さき)の戦争のように民間人に被害がなければ、暫しの休暇を兵士たちに与えられたのであるが、今回はそうもいかないのだ。

 いくら交代制とはいえ、前線で戦った者たちの疲労は大きい。それでも、火星の状況を考えれば、何もせずに休暇を取るわけにはいかなかった。

 近衛艦隊は、宙空に散らばった僚艦やアキレウスの回収に当たっている。

 悲しむべき事に、ガニメデ砲の直撃を受けた艦艇は残骸すらなく消え失せていた。反面、被弾で半壊した艦から宙に投げ出された者も多くいる。

 艦艇で勤務していた者は宇宙服を着ておらず、彼らは宙に出てから僅かな時間で息を引き取った。その数秒、どれだけの恐怖と苦しみを味わった事か。ガニメデ砲にて、一瞬の苦しみすら知らずに済んだ方がよかったかもしれない。宙を漂いながらも助かったのは、宙空用のパイロットスーツに身を包んでいたアキレウスのパイロットたちだけであった。

 地上と違い、広大な宇宙で欠片となった人体まで収容する事は不可能である。兵士たちは、もとよりその覚悟を持って戦闘に赴くのだ。そのため、前もって〝自分の遺品〟を用意しておく。

 軍服に着替える直前まで着ていた服や、髪の毛の一部、結婚指輪など。

 遺体が返って来なかった遺族は、それらを受け取り、心の傷と共に生きて行く。

 破砕した艦艇に関しては、デブリとして残らないように回収され、僚艦たちと共に圧縮されて小さな星となる。

 その小さな星は衛星となって、母星の周りを回る兵士たちの墓標になるのであった。


 問題は火星統括軍の艦艇だ。統括軍同士の戦闘の末、破片が混ざり合ってしまっている。

 命を賭して反乱艦が火星へ衝突するのを防いだ艦艇と兵士たちを弔わないわけにもいかず、かといって反乱艦には〝オーナー〟やクラスト派が必ずいた。

 大勢の命を救った者たちと反逆者を一緒にするべきではないが、そのままにしてもおけない。結局、遺族の「うちの人は違う」と信じる思いを受け入れ、圧縮星として火星の軌道に乗せる事となった。


 敵艦に関しては、唯一形の残る宙空母セラフィーナからは、攻略部隊のアキレウスを所属の宙空母に帰還させた後、ブラックボックスなど証拠となり得る物は運び出され、その後で他のセラフィス艦艇とまとめて圧縮される。

 関与していたマンデルリが引き受けてくれるならば、長い年月をかけてでもマンデルリ星系に送るのだが……おそらく、拒否されるだろう。

 そういった物は太陽系の軌道から外され、永遠に銀河を彷徨い続けるのであった。


 一番議論が大きかったのは、元エウロパの民が乗っており、開戦前に遭遇した特攻爆雷艇の処遇だ。

 特攻爆雷艇はデブリ自体少なく、星と言えるような大きさにはならなかったが、「搭乗員がモグリにされたエウロパの民であるならば、エウロパと並べて木星の衛星にするべきだ」──という意見と、「義勇兵に違いない。敵艦もろとも太陽系から追い出せ」という意見に分かれてしまっている。

 しかも、火星に移住していたエウロパの民に対しては、すでに「太陽系から出て行け!」とデモが起きていた。民間人の間では、もはや同じ太陽系の民として扱われていないのだ。

 エウロパの民たちは、エウロパに帰る事を切願している。二度とエウロパから出ない、太陽系に居させて欲しい……と訴えていた。太陽系に未練があるわけではない。出来れば遠く離れた星系で静かに暮らしたいと思うが、行く場所がないのだ。

 彼らのような者を受け入れてくれる星などない。行ったところで、酷い差別を受ける事は目に見えている。ならば、差別をよしとしないL /s機関が統べるこの太陽系に居た方がましというもの。

 大きな事案ではあるが、今は火星の救助・復旧が先として、エウロパの民たちは肩身狭く火星に身を置いているしかなかった。


 最終的にはL /s機関が指示を出し、太陽系の民はそれに従う。

 それが一番合理的であるとわかっている。

 平和でいる道だと知っている。

 今まで1000年以上そうであった。


 だが、これからもそうであろうか──。


 太陽系の民の中で、疑問を抱く者が現れ始めた。


         ◇


 何時間経っただろうか。

 宙空を漂うデブリとなった艦艇の収集作業は、失われた命の欠片を捜すようなものだ。隊員たちの心は集めた分だけ消耗している。それでも、セラフィス艦隊の後方で戦っていた第二宙空艇部隊、クサントゥスのパイロット生存報告が入電する度に艦橋は湧き上がった。

 しかし、パイロットスーツの酸素が尽きる時間になり、これ以降の生存者の救助は見込めなくなったときに希望が失われ、救助に当たっていた者は悔しさを吐き出す。

 だが、凰は救助打ち切りの指示は出さなかった。

 他の部隊も、生存者がいないのをわかって作業をしている。戦争とは、そういうものだ。生き残った者の責任として、やるしかない。怒りと虚しさと悲しみと、後悔に苛まれながら。


「レイテッドです。ラン・マーシュローズ准将および、他の重体者の手術が終わりました。全員、状態は安定しています」


 そこへ、宙域を蝕む負の感情を押しのけるように、白号の医療ベースからニグラインの明るい声が、全艦・全戦闘艇に響く。それは、疲弊していた兵士たちの顔を上げさせるだけの効果があり、安堵の笑みも溢れた。


「凰です。お疲れさまでした。この後、マイスター・コンピュー(司令官室)タ・ルームにお戻りになりますか?」

「うん。みんなも、少し休んで。まだ先は長いから」

「了解しました」


 ニグラインとの通信を切った後、凰は改めて総員に向けて交代・休憩の指示を出す。

 交代の指示が出た事で、白号のゲストルームで待機していたベリルも艦橋に呼ばれた。

 凰が席を離れる際の指揮官代行として同乗しているベリルだが、戦争中にその機会はなかった。開戦前に凰たちがダイモスに行く際に代行したのみだ。(さき)の戦争での代行はランが務めたが、そのときも戦争が終わってからだったと聞いている。

 司令官であるニグラインと、総隊長である凰の二人だけで、敵の小惑星型要塞に向かったと。そして、経緯はわからないが、戦場を飛び回っていたユーレックも、凰の戦闘艇に乗って月に帰って来た。

 今回、ユーレックは総隊長席の後ろに設置されたマイフィットチェアでくつろいでいるだけである。だらけている……とも言える態勢だが。体力を消耗しない事が彼の任務であるのだから、誰も苦言を言いはしない。


「行くのか?」

 指揮官席に着いたベリルは、敢えて敬語を使わず、かつて凰が自分の隊の隊員であったときのように、親しみのある声で問いかける。

「──はい」

 凰も、そんなベリルの問いかけに、立場による堅苦しさのない口調で答えた。

 ベリルは凰が席を離れる理由を聞かない。言えないほど重要な任務なのだと理解している。おそらく、太陽系の存続に関わるほどの。

 そうでなければ、司令官が自ら──しかも、武の腕が秀でているとは言え、総隊長の凰と、太陽系最強の特殊能力者であるユーレックと三人だけで敵陣に赴くのはおかしいではないか。

 向かう先は、無人となった宙空母セラフィーナなのか、エウロパなのか、それともガニメデなのか……今聞いても凰は答えないであろう。それでもいい。無事に帰って来てさえくれれば。


「そうか。レイテッド司令を頼むぞ」

「はい。艦隊をお願いいたします」


 ベリルは凰との短い会話を終えると、凰の肩に軽く手を置き、譲られた総隊長席でもある指揮官席に腰を下ろす。太陽系近衛艦隊、総隊長席──ベリルは開戦前と違って、周囲とは明らかに異なる重圧を感じた。

 近衛艦隊は、有能な若い人材を集めて設立されたとはいえ、(よわい)26才の青年が座るような席ではないように思う。それでも、彼以上にこの席で責務を果たせる人材はいないだろう。

 8大将官でただ一人、元から将官であったベリルでさえ、ここまでの才覚はないと自覚している。かつて部下だった凰の才能を、最初に見出したのはベリルであった。パイロットとしての腕前だけではなく、判断力、決断力、人望。

 〝(ちょう)〟となるために必要なものを、全て持ち合わせていたのだ。

 近衛艦隊の総隊長となり、その才を存分に発揮させるに至ったが、ベリルには、凰がどこか長である事に違和感を覚えていたように見えた。

 そして、総司令官としてニグラインが着任してから、彼は今まで以上にその才能を開花する事になる。仕えるべき人物のために、太陽系を守護する艦隊を動かした。

 ニグライン・レイテッド──L /s機関が送り込んで来たと噂される、天才という言葉では量りきれない頭脳を持ち、ETSすらもコントロールする権限を持つ、11才の少年。

 その少年が、凰の能力を全て引き出している。


 ベリルは、ユーレックと共に艦橋から出て行く凰の後ろ姿を見送りながら、穏やかな藍碧(あお)い瞳のニグラインと、()の者を従える絶対光度の光を放つ碧藍(へきらん)の瞳のニグラインを脳裏に抱く。

 そして、L /s機関を探るのが禁忌であるように、白金(プラチナ)の髪の少年が何者であるかという疑念を、脳裏の奥にしまい込んだ。


         ◇


 凰とユーレックは、足早にニグラインの待つマイスター・コンピュータ・ルームへと向かっていた。

 足並みを揃えて……ではなく、犠牲者を数えたくないほど出してしまった事から、苦渋に歪ませた表情で普段よりも歩幅広く歩く凰に、ユーレックが合わせて付いて行っている。


「なあ、凰!」


 目的の扉が視界に入ったとき、ユーレックが凰の腕を掴んだ。

 ユーレックの力のこもった制止に、凰は今ひとりではなかった(・・・・・・・・・)事を思い出すように、少し驚きを見せた。

 いつもならユーレックがくだらない話をしながら隣を歩く。だが、軽はずみは会話をしているときではないと押し黙っていた。何より凰の気持ちが急いていたため、一度もユーレックに振り返る事さえしなかったのだ。


「オレたちに出来ることをしようぜ」


 振り向いた凰に、ユーレックは持ち前の明るい笑顔で、しかし凰の胸を指すような真剣な眼差しで言った。


 〝今から自分たちに出来る事〟


 それは、影でこの戦争の手を引いていたマンデルリへの復讐や、ガニメデにいる腎臓のニグラインに敵愾心(てきがいしん)を向ける事ではない。

 復讐は絶対にしてはならないと、軍人になるときに叩き込まれている。復讐で人を殺したとき、太陽系を守るために存在する軍人ではなく、ただの殺人者となる──と。

 憎悪を抱く事も同様である。太陽系の人柱となり、人類に憎悪を向けても許されるであろうニグライン・レイテッドが、人類に怒りを向けず、見捨てる事をしないのだ。

 だからこそ、凰もユーレックも、太陽系そのものであるニグラインを守り、支えると決めた。

「ああ……そうだな。悪かった」

 凰は強ばっていた身体の力を抜くように軽く息を吐き、ユーレックに詫びる。

 ユーレックの方が余程歯がゆかったろう。凰のように艦隊指揮を執っていたわけでもなく、何も出来ずに被害の報告だけを聞いていたのだから。

 特にセラフィーナ攻略など、ユーレックが行けば、もっと簡単に完遂出来たはずだ。他の特殊能力者では、艦艇に備えられている特殊能力制御装置で無力化されるため、先ず制御装置の破壊をしなければならないが、並の制御装置程度では、ユーレックには効力が薄い。

 最初の作戦では、ユーレックも艦隊戦に参戦する予定だった。それが、敵の自爆騒動で白紙になり、他の特殊能力部隊の隊員は、別の任務に就いた。

 ユーレックだけ体力を温存させたのは、ガニメデ攻略が最大の任務であるからだ。直前のセラフィーナ攻略に行かせると回復の時間が短くなるため、待機となった。能力制御装置の制御を突き抜けて戦闘をするのは、流石のユーレックでも消耗が激しい。

 (さき)の戦争で、ユーレックは能力の使いすぎのために、実質命を落としている。凰の心臓も鼓動を止めてしまった。月のグランディス・コンピュータ・ルームまで辿り着けなければ、二人とも今ここにはいなかったのだ。

 ニグラインによって生かさせた命。その使い方を間違えはしないとお互いの瞳を見て誓い合い、凰とユーレックはニグラインの待つマイスター・コンピュータ・ルームの扉の前に立った。


「入って」


 凰が扉の認証を受けようとしたとき、ニグラインの声が襟章の通信装置から届いて、扉が静かに開く。凰とユーレックの接近を感知していたニグラインが、予め入室許可を出していたのだ。

「ハイッて・ぇ? ハイッて・ぇ!」

 中に入ると、司令官室長(チーフ・オフィサー)であるオウムフィッシュのクラックが、緋色の羽根を羽ばたかせて凰に向かって飛んで来て、敬礼しようと上げた凰の腕に停まり、金色の長い冠羽根を頬に擦り付けた。いつもは嬉しそうに見える赤虎目石のような瞳は、どこか困っている風に見える。

「ファル・ラリマール・凰および、ユーレック・カルセドニー中将、参りました」

「うん……」

 普段なら明るい笑顔で出迎えてくれるニグラインだが、今は司令官席に座ったまま、細い指先でゆっくりと太陽系儀を回していた。自らの統べる太陽系を見て、何を思っているのか。俯いていて表情は見えない。ただ、笑顔ではないのは確かだろう。

 戦争の被害が大きかったからだけではなさそうだ。

「司令、何かあったんスか?」

 凰がどう声をかけるかと思案していると、ユーレックが先に心配して声をあげた。

 こういうとき、ユーレックの立場をわきまえない言動はありがたい。他でやると非難をあびる事もあるが、この三人であれば問題はないのだ。むしろ、気持ちを素直に声に出せない凰が見習うべきであろう。

「さっき、長官から連絡があってね。……ちょうど始まる。見て」

 その証拠に、ニグラインはユーレックが心配している事を受け止め、作った表情ではあったが笑顔を見せた。そして、司令官席の後ろにある大きなモニターのひとつを起動する。

 そこには、多くのドローンカメラに囲まれた、神妙な面持ちのリトゥプス長官がいた。

 西暦の頃とは違い、現代はマスコミというものが存在しない。その代わり、重要な声明があるときや裁判などに、一般人もカメラを持ち込めるようになっている。

 当然プライバシーは守られ、虚偽の情報を流させないために、動画の編集は認められていない。それをした者は、ETSの恩恵を受けられないという、死刑にも近い罰則が与えられる。太陽系では、ETSの恩恵を受けられなければ生きて行かれないのだ。


「私は、太陽系近郊宙域統括軍長官、ジュレイス・リトゥプスである」


 三人がモニターに注目していると、リトゥプス長官が重い口調で話し始めた。

 目の下のクマが酷く、ろくに寝ていないのがわかる。やつれた顔をしているが、それでも生気は失われていない。


此度(こたび)、統括軍の艦艇による火星への被害の責任を取り、今、このときを持って統括軍長官の任を辞退させていただく」


 簡潔に述べられたその言葉は、おそらくニグラインに前もって伝えられていたもの。凰とユーレックが入室したときのニグラインは、この事について考えていたのだろう。


「後任には、現副長官であるセネシオ大将が就く。ただし、任は辞しても、復興が済むまでは尽力させて頂きたい」


 辞めたからと言って、自分だけ何もせず隠居する事は出来ないと、リトゥプスは語尾を強く言い放つ。これから何年も、無給で働くというのだ。ボランティアではなく、思い責務を負いながら。

 責任を取っての退役の場合、退職金は出ない。年金も半分に減らされる。長官の年金であれば半分でも生活はしていけるであろうが、質素な生活は否めない。

 リトゥプスは元々、優雅な生活をしない人物であった。妻を亡くしてからは一人暮らしが出来る程度の家に住み、豪遊もせず、豪華な調度品も持ち合わせてはいない。貯金も老後に必要な分だけ残し、あとは戦災孤児たちへ寄付していた。

 その事は、太陽系の誰もが知っている。今回の事に関しても、リトゥプスを責める者は少ないだろう。だが──。


「一部で噂になっている、モグリを抑えるバングルについてだが」


 リトゥプスがそれを口にしたとき、ニグラインの顔が苦悶に歪んだ。


「あれは、近衛艦隊と私を含む統括軍の上層部だけにあてがわれたが、決して他の兵士たちを蔑ろにしたわけではない。……生産が、間に合わなかったのだ」


 どこかで聞いた言葉だ──と、凰は前の戦争を思い出した。

 敵の小惑星型要塞赤針(あかしん)へ赴いたときに渡されたジャケット。あれもモグリを抑え込めるものであった。あのとき、ニグラインは同じ事を言ったのだ。

 では、何故「人権を奪いたくないから」などと言って、統括軍の兵士に着けさせないと明言したのか、今ならわかる。他の者に責任を(・・・・・・・)取らせないため(・・・・・・・)だったと。

 そして、実のところジャケットよりバングルの方が機能性がよく、ニグラインがモグリに対しての対策を常に考えていたと知った。

 人権を優先するにしても、無理やり着けさせるのではなく、同意を得られれば問題はない。それでも、敢えて統括軍の兵士たちに配らなかった責任を自身で受けるために、ニグラインは「人類が存在する意味がない」とまで言ったのだ。


「L /s機関は、今まで不可能であったことをやってのけた。近衛艦隊の分だけでもバングルがなければ、ガニメデ砲により火星が塵になっていたやもしれぬ。覚醒したモグリを洗い出すMCF……メモリーコントロールフラッシュもバングルも、開発したのはニグライン・レイテッド司令である。L /s機関がどれだけ我々太陽系の民を守るために動いているか、今一度、胸に問うて欲しい」


 この言葉を持って、リトゥプスの会見は終了した。

 リトゥプスの声明を聞いた者は、怒りに震えていた系民も、悲しみに暮れていた被害者遺族も、L /s機関やニグラインへの不信感を抱く者はほぼいなくなるに違いない。「もっと早く」と思わずにはいられないだろうが、それでも対策を怠らずにいたL /s機関を恨むべきではないと。


「……長官にね、頭を下げられたんだ」

 モニターが暗転し、ニグラインは立ち上がって凰とユーレックのもとへと歩み寄った。

「『バングルは、統括軍の分も用意して欲しい。太陽系を、頼みます』──ってね」

 リトゥプスはニグラインの正体を知らない。しかし、L /s機関から遣わされただけだと思っていても、ニグラインがいなければこの戦争はもっと悲惨な結果になっていたのは明らかだ。

 今後も、ニグラインの頭脳は太陽系を救うだろう。軍にいる者には周知であるが、民間人は知るよしもない。L /s機関が子どもを総司令官などにしたために、こんな悲劇が起こったのだと憤慨していた。

 それを、リトゥプスはこの会見で一掃したのだ。

 リトゥプスは、民間人からの信望も厚かった。そのリトゥプスの言葉だったからこそ、系民は納得したのである。例えニグラインが同じ事を言っても、着任して1年足らずの子どもの言葉など、誰にも響かなかっただろう。

「仕方がなかったとは言え、せめてキミたちよりも大人の姿だったら、長官に責任を取らせずに済んだかもしれない」

 ニグラインは己の小さな手のひらを見ながら、悔やんだ。その瞳は碧藍(へきらん)に変貌していたが、輝きが揺らいでいる。

 実際、統括軍の人数は多すぎて、バングルの生産はしようとしても間に合うものではなかった。メモリー()コントロール()フラッシュ()は、逆に悪用される危険性が高く、バングルを着けていない者に渡す事は出来ずに、結果があの惨劇だ。

 ニグラインがリトゥプスに言った言葉は真意であるが、今後はそれを曲げてでもリトゥプスの言う通りにすべきなのだろう。──人類を生かしたいのであれば。


「人類の存在意義……か」


 ニグラインは見つめていた手のひらを握り、凰たちには聞こえない声で小さく呟いた。

 その瞳は、碧藍から藍碧(あお)く変わっており、太陽が人類に対して(・・・・・・・・・)考えを改めようとして(・・・・・・・・・・)いる兆候(・・・・)のような、危うい色を浮かべていた。


「レイテッド……司令……?」


 ニグラインから陰りを帯びた心情を敏感に感じ取ったために、凰の胸と背中の傷が心臓でクロスして痛む。顔に出すのは、辛うじて形の良い眉を僅かに顰めるだけに留めたが、強い動悸が肩を上下させた。

 〝DNAの暴走〟と診断された心臓の痛み。ニグラインの感情に接すると、今でも針で十字に傷を付けたような痛みが走る。

 ニグラインの感情は、太陽系の全てを背負った感情なのだ。凰は受け止め切れていない自分の未熟さに歯噛みをする。

「ファル・ぅ……」

 そんな凰を慰めるように、クラックは冠羽根を擦り付けた。やわらかい感触とクラックの思いやる気持ちが、凰の痛む心臓をやさしく撫でる。飼い主であるニグラインを心配せず凰を心配するあたり、確かにニグラインと意思が通じているのだと、凰は改めて思う。


「あ、ごめん! 落ち込んでる暇なんかないよね」


 そのクラックの行動に気づき、ニグラインは慌てていつものニグライン(・・・・・・・・・)の調子に戻し、笑顔を添えて次の任務への意気込みを見せた。


「そうっスよ! 早くガニメデに行かないと!!」

 ユーレックは、ニグラインの「落ち込んでいる」と誤魔化した言葉に気付かないふりをして、声を大きめにやるべき事を進言する。そして、凰より一歩下がったところにいたユーレックは、凰の背を押すように軽く拳を当てた。

 クラックとユーレックのぬくもりが凰の痛みを取り払い、凰は己の情けなさを恥じるのではなく、周囲のあたたかさに頬が緩むのを隠せなかった。


 『弱いところがあってもいいじゃないか。必要なときには誰よりも強く、艦隊を引っ張ってるんだからよ』


 以前、いつまでも人を殺める事に慣れない凰に、ユーレックはそう言いながら凰のグラスにウイスキーを注ぎ、自身のグラスを一気に煽った事があった。ユーレックは自分にも言い聞かせていたのだろう。それを凰は思い出し、今度は強い意志を込めた果敢な笑みで前を向いた。

 ニグラインは、その凰の笑みを横目に捕らえると、今度は演技ではなく穏やかに微笑んだ。


「そうだね。戦闘用パイロットスーツ用意してあるから、急いで準備をしようか」


 そして、凰たちから離れてマイスター・コンピュータの前に着くと、振り向いて手を差し伸べ、凰専用機であるファルコンズ・アイの元へと、二人を(いざな)う。


「さあ、行こう。ガニメデへ」


 (こん)戦争の最後の敵である〝腎臓のニグライン〟のいる木星の防衛衛星ガニメデ。

 最終決戦の場に、三人はそれぞれの意志を持ち、迷いなく踏み出した。

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― 新着の感想 ―
ニグラインの積年、あだや疎かには語れない重みがありますね…。幾度投げ出したくなる事があったでしょうか。
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