【真相】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫
〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ビローサ・ルビア……セラフィスの参謀。ネリネの幼馴染みでもある女性。
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
「……あら? 敵の将を守ってくださるとは。マーシュローズ准将、相変わらず人がいいですね」
ランの行動を見て、ビローサは殺戮に狂った形相から一転し、ウエイトレスだった頃のやわらかい笑みをみせた。
ランは鮮明に覚えている。かつて憩いの場だった『カフェ・セラフィーナ』。幾度も通う中で、このビローサが紅茶を提供してくれたのは二度や三度ではない。初々しさが残るネリネと違って、ビローサは落ち着いた雰囲気の、美しいウエイトレスだった。
彼女は、ハニーティーが好きなランに、よく季節に合わせたフレーバーのはちみつを勧めてくれたのだ。
ニグラインが司令官として着任し、最初の会議の時にデリバリーをしに来たのはビローサだった。あの時は、冬限定だというアップルジンジャーのはちみつを入れてくれた記憶がある。
香りだけで心まで暖まるような、そんな紅茶だったと、その香りを吸い込むように息を吸う。
「こちらにとっても、大切な人なんでね」
そして、ランは思い出したアップルジンジャーティーの香りの記憶を封印し、ビローサにきつい眼差しを向け、意思を告げた。
クラスト派を暴走させないためだけではない。ランの心情では、ネリネは今でも虹の想い人なのだ。再び会う事は叶わないとしても、モグリから解放された虹がネリネにまだ想いを抱いているかもしれないと思うと、ネリネを憎みきれない。
それに、先ほどのネリネとビローサのやり取り。そして、ビローサの軍服にはマンデルリ軍と同じ型の、右肩から胸の前に垂らされている金色の参謀飾緒が掛けられている。
ネリネもビローサも、まるで正装のような軍服だ。それだけ、この戦争に全てをかけているのかもしれない。
だがそのおかげで、セラフィス軍の参謀はビローサだとわかった。この戦争で多くの命を奪ったセラフィスの策略。それらは、おそらくネリネの作戦ではなく、参謀であるビローサの考えたものだろう。
しかし、何故ネリネがいるとわかっていて、ビローサは8連レーザーランチャーを乱射したのか。一見ネリネを助けに来たようだったが、ランが庇わなければ、ネリネの命はなかったかもしれない。ネリネが動く事は考えなかったのだろうか? いや、あれだけの愚劣な……だが効果的な作戦を練る頭脳を持つ者が、その危険性に気付かないわけはないはずだ。
だとしたら……。と、ランはビローサの成そうとしている事を想定し、緊張を高めた。
◇
ロカが艦橋の入口に着くと、通路には倒れ込む兵士たちの姿があり、セラフィス兵の中には、拘束ベルトを巻かれた状態で装甲機に踏み潰されたような遺体もある。
近衛艦隊の装甲機の中では、自分が最速で辿り着いたはず。何より、人を踏み潰すような残忍な事を、近衛艦隊の者はしない。では、セラフィスの装甲機が味方を無残に踏み潰したというのか。
ロカは人型であったモノを直視出来ず、目を背ける。
それでも、手は休めずやるべき事に着手した。ここでは、手を差し伸べられない味方兵の生存確認ではなく、敵兵の生存確認。固く閉じられた扉を開くためには、敵兵を使って生体認証をさせるのが一番早い。
しかし、残念ながら敵兵に息のある者はいなかった。それが、セラフィスの装甲機が味方を踏み潰した理由であろう。
生体認証が使えれば、すぐに開ける事が出来るのに──。ロカは焦る気持ちを抑えつつ、機体に収納されている50mm口径のグルーガンを取り出す。
このグルーガンからは、熱すると硬めのジェル状になる爆薬が放出される。起爆剤となる化学物質をジェルに埋め込むと、3秒ほどで爆発する仕組みだ。このジェル状爆薬は、扉を吹き飛ばすほどの威力はない。周囲を巻き込まないように作られた、比較的新しい爆薬である。
その代わり、少なくとも二・三回は繰り返さないとならないだろう。
ロカはジェル状爆薬を扉の縁に塗ってゆく。
扉の向こうで、先ほど何かが崩れるような音が聞こえた気はするが、艦橋の中の様子は何もわからない。
早く……早く……!
ロカは起爆剤を埋め込み、扉から数歩下がる。3秒後、起爆剤を埋め込んだ箇所から爆発を起こし、扉が僅かに軋んだ。
「よし!」
これなら、もう一度爆破させれば扉は外れる。そう確信して、二度目のジェルを塗ろうとしたとき、キーロンJr.がアラートを鳴らした。
◇
「近衛の装甲機か」
ビローサが爆発音に気付き、扉の向こう側のエネルギー反応を確認する。エネルギー反応は小型の装甲機ひとつだと示され、ビローサはほくそ笑んだ。それなら、この顔の見える装甲機でも倒せる──と。
とは言え、後続のキーロン隊が来る前に片を付けねば。通路の両側から同時に来られては、ビローサ一人ではどうにも出来ない。ビローサは目先の敵を討伐するために、爆発で出来た隙間から煙を吐く扉へと向かう。
「待って! ビローサ!」
置いて行かれるのに不安を感じたのだろう。ネリネがすがるような声でビローサを呼ぶ。
その声を聞いて立ち止まったビローサは、肩を落として深く息を吐き、温度を感じない瞳でネリネを一瞥すると、戦争中の兵士には似つかわしくない、鮮やかな紅の引かれた美しい唇の端を上げ、何も言わずに扉へときびすを翻した。
冷たい表情だ──。ビローサのネリネに向けた瞳を見て、ランはカフェでの姉妹のように仲のよかった二人の姿からは考えられない……と訝しむ。
一方、ネリネにはビローサの言わんとする事がわかった。
ビローサは外の敵とひとりで戦うのだ。他の多くの同胞も、ネリネのために命をかけて戦った。それなのに、王になるべき者が戦わないでどうする──と。
ビローサの姿が扉の向こうへ消え、静まりかえった艦橋内で、ネリネはランに気付かれないよう、音を立てずにゆっくりと後ろに下がり、近くに落ちているレーザーライフルに手を伸ばす。今までに持った物の何よりも重い。両手で持つのがやっとだ。
武器など扱った事のないネリネは、命あるものを狙う事も、初めてである。
ランに銃口を向けたが、手が大きく震え、自動照準すら定まらない。それでも、揺れるスコープにランの姿が映ったとき、ネリネは撃った。
ネリネの生まれて初めての発砲は、急所こそ外れたがランの右上腕に当たり、上腕の殆どをレーザーが焼きちぎる。残った肘から先の腕が、無残に転がった。
「ぐっ……!」
ランの端正な顔が苦痛で歪む。腕をなくした肩からおびただしい血が流れる。息が荒くなり、痛みと多量の出血で意識が飛びそうになる。
ランの意識を繋ぎ止めているのは、自身から離れてもなお、操縦桿を掴もうとしているかのような己の手。二度と自分の手で操縦桿を握れない──その現実が、傷以上にランの心を痛めていた。
「ひっ、ひいっ……」
後ろから聞こえる怯えたような息の上がった声が、崩れ落ちそうだったランの身体を動かす。支えになっている左手を使ってどうにか振り返り、声の主であるネリネを視界に捕らえると、彼女は撃たれたランよりも青ざめているように見えた。
「ひっ!」
ランと目が合ったネリネは小さく叫ぶ。震えはますます大きくなり、手からレーザーライフルを落とすと、か細い腕で自身の身体を抱えて、震えを止めるように身を縮める。恐怖で見開かれた目からは大粒の涙が止めどなくこぼれ、自身の行動を水に流そうとしているかのようであった。
やはり、ネリネも『クラスト』の名に踊らされた被害者なのだ。自分の手では、人を殺める事も出来ない。
クラストの血を引いていなければ……クラストの家系が野心を抱かなければ、心優しい、普通の少女であったはずなのに。
「……大丈夫……大丈夫、だか、ら……」
ランは身体を引きずりながらネリネに近づき、左手をネリネの頬に当てて、安心させるように微笑んで言った。
視界が暗い。天井のライトが壊れたせいかと、ランは暗闇でネリネが不安にならないように、力の入らない左腕で抱きしめようとしたが、そのままネリネの膝に倒れ込み、意識を失ってしまった──。
ネリネの膝に、ランの流す血液が染み込んで広がっていく。
赤い、生温かい、赤い、生温かい、赤い、赤い、赤い──……。
「い、い、いやぁあああ……っ!」
ネリネの叫びを聞く者は、もう、ここにはいない。
◇
ロカのキーロンJr.のアラートは、内部から扉に接近しているエネルギー反応があると知らせていた。空間モニターには、キーロンJr.よりも小型の装甲機と、機体にそぐわない大出力エネルギーの武器が映っている。
ロカは瞬時に扉の横へ身を隠す。扉が開いた途端に攻撃されるのは容易にわかった。どのような武器かは判断が付かないが、この狭い通路で使われたら、おそらく逃げ場はないだろう。
しかし、悩んでいる暇はない。通路にいたら逃げられないが、一箇所だけ死角はあった。
扉が開き始める。先ほどの爆破の影響か、扉の動きが鈍い。おかげで、タイミングを計る余裕がある。
敵が出て来ると同時に、ロカのキーロンJr.は扉の真上に飛び上がり、天井に反重力装置で足場を固定した。
扉が閉まると同時に気付いた敵機は、ロカに8連レーザーランチャーを向けようとしたが、ロカはジェル状爆薬をランチャーに素早く塗り、起爆剤を埋め込む。
キーロンJr.よりも小さい顔の見える装甲機には、8連レーザーランチャーは重すぎたのだ。咄嗟に上に向けるには時間がかかった。それが、ロカに勝機をもたらしたのである。扉は一度で崩せなくとも、敵の武器を破壊するには十分であった。
そして、ロカは反重力装置を解除したキーロンJr.で、機械と思えないほどにしなやかな四つ足を使って、武器を失った敵の装甲機を背中から挟み込み、床に組み敷く。更に、間髪入れず敵装甲機の両腕の付け根にジェル状爆薬を貼付して、起爆した。
床に押しつけられたビローサを、彼女に踏みつけられて死したセラフィスの武装兵の眼球が、嘲笑うように見ている。
「貴様ぁ!」
ビローサは激高し、抵抗して起き上がろうとしたが、装甲機の両腕は爆破によって辛うじて数本のコードで繋がっているだけで機能しない。
なおも組み敷いたままのキーロンJr.を睨み付けていたが、ふと表情をゆるめた。
「あなた、私を知らないの?」
ビローサはやさしく微笑んで、ロカに話しかける。近衛艦隊の者であれば、自分を見知っているかもしれない。そこに油断が生じれば──と思ったのか。
「知りません」
だが、返ってきたのは聞いた事のない若い女の声。
ビローサは歯噛みし、それでもこの状況から抜け出そうと画策する。
「……そう。ああ、いいことを教えてあげるわ。ネリネも知らないことよ。私にもクラストの血が流れているの。直系ではないけれど。でも、クラストに変わりないわ。あなたたちは、クラストの血を引く人間を殺すことは出来ないでしょう? それだけじゃなく、私はね、マンデルリ王の落とし胤なのよ。私を殺せば、クラスト派だけではなく、マンデルリ王も黙ってはいないわ」
まくし立てるように、ひと息で言い放ったビローサの言葉を長し聞きしながら、ロカはビローサの装甲機の、透明強化鋼材で出来ている頭部分をキーロンJr.のアームに装備されているナイフでこじ開けた。
そして、操縦席の固定ベルトを引き千切ると、ビローサを装甲機から引きずり出す。
「聞いてなかったの? 私はクラストの子孫でマンデルリ王の──!」
「だから、何ですか?」
ビローサの言葉に、ロカの行動を制する効力は何一つない。
彼女の言葉は、この戦争の背景にマンデルリが関与しているのを明白にしただけである。マンデルリ軍の兵士がセラフィスに多くいたというだけでは、マンデルリの悪意を証明する証拠としては弱かった。
だが、ビローサの遺伝子を調べ、彼女の言う事が事実だと証明できれば、マンデルリが太陽系に戦争を仕掛けて来たと決定づけられる。
表向き、ビローサは自分の出生を知らず、ネリネというクラスト直系の幼馴染みのために太陽系に赴いたのだと言うはずだったのだろう。
それならば、マンデルリ側は関与を否定できる。まさか、己可愛さに素性を明かすような愚かな女だとは思わずに。
それも、記録装置の付いている装甲機に向かって。
元々、ビローサが処刑されようが、幽閉されようが、無事にマンデルリに帰って来ようが、マンデルリ側はどれが理由であってもよかったのだ。
『太陽系が、マンデルリに牙を剥いた』
おそらく、その理由を得るためだけに、マンデルリ王はクラストの血を引く女性に子を産ませたのだろう。
酷い話だ──。ロカはこの女に微かな同情はするが、今は急がねばならないと、拘束ベルトを巻き付けてアームでつまみ上げる。
「何を……!」
「あなたが他の兵士を踏み潰したみたいですから、仕方ないでしょう?」
そう。この場に生体認証で扉を開けられるのはビローサしかいない。
グルーガンを使うより早いと判断したロカは、屈辱だと喚くビローサの顔を扉に押しつけて生体認証をさせると、ビローサの紅で汚れた扉は軋みながら開いていく。
全開になった入口から艦橋内の映像が映し出される。ランたちが攻め入ったはずの艦橋は薄暗く、静かであった。
ロカはキーロンJr.で艦橋内を照らし、生体反応をサーチする。
艦橋は、この宙空母セラフィーナが航行不能であると、ひと目でわかるほど損傷していた。一人として動く者はいない。ロカの鼓動が大きくなっていく。
中央付近に、生命反応が認められた。一人は無事だが、もう一人の反応が弱い。手前に、小さな何かもある。
そして、瀕死の兵士に識別番号があった。
識別番号は──。
「マーシュローズ准将……っ!!」
ロカはキーロンJr.から飛び降りると、機体が用意した救命キットを両手に持つ。急いでランの元へと駆け寄ると、右腕をなくしたランが、おびただしい量の血液で真っ赤に染まっている。
華やかな赤い色が似合うと言われているランに、もっとも似合わない赤い色であった──。
今戦争においての首謀者とされていたネリネが、ランを膝に乗せたまま、焦点の合わない瞳で身を震わせている。気が触れているのか、聞き取れない小さな声で、何か言葉を言い続けていた。何も出来ないのであれば都合がいい。ネリネの拘束は後にして、今はランの救命が最優先だ。
『冷静であれ』
ロカが軍人になると決めたとき、当時まだ太陽系近郊宙域統括軍の副長官であった祖父、ジュレイス・リトゥプスが、たったひと言だけロカに告げた言葉だ。
一秒が生死を分けるとき、冷静である事が何よりも重要だと。
ロカはその言葉を心の中で復唱しながら、震えていた手を深呼吸で止め、ランの治療に取りかかった。
キーロンJr.が用意した救命キットで、傷口の消毒と止血を済ませ、輸血と痛み止めの点滴を開始する。酸素メットを被せ、これ以上身体が冷えないように、温熱布で全身をくるんだ。
ロカがランに出来る処置はここまでだ。
あとは、もうひとつ見えていた、小さな生命反応──ランのちぎれた手にも消毒と止血処理をして、コールドバッグに収めた。繋がるかどうかはわからないが、キーロンJr.がコールドバッグを用意したのだ。可能性はある。
「こちらリトゥプスです! 艦橋に重体者1名。至急救援願います!!」
ロカは唇を噛んで祈りながら、近くまで来ているであろうキーロン隊に通報した。
◇
「宙空母赤号、コキーヒ大佐より入電!」
太陽系近衛艦隊総旗艦・戦艦白号に、第二艦隊旗艦・宙空母赤号の艦長であるコキーヒから連絡が入ったのは、敵旗艦攻略部隊がセラフィーナに突入してから90分を過ぎようとしていたときである。
その18分程前には、後続で乗り込んだキーロン隊の隊長から、セラフィーナ制圧の報が入っていた。
それ以外の詳細は、攻略の指揮を執っていたコキーヒから伝えられる事になっており、白号の指揮官席で、総隊長の凰は眼前にいるセラフィスの小艦隊に睨みを効かせながら待っていたのだ。
しかし、10分経っても、15分経っても連絡は来ず、凰は形の良い眉を僅かに顰めて腕を組み、深く座っていた。
「凰だ。何があった?」
コキーヒが無駄に時間を使う男ではないと知っている凰が、緊急性のある問題が生じていたのだと結論づけて問う。
「申し訳ございません! つい先ほど、負傷者をすべて各母艦に収容し、現在治療を行っております。首謀者のネリネ・エルーシャ・クラストと、作戦参謀のビローサ・ルビアも無傷で捕らえました!」
ネリネを無傷で捕らえたという報告に、艦内は安堵でざわめく。当初の目的が果たせたのだ。これでクラスト派の暴動は抑えられるだろう。
だが、凰だけは違った。
指揮官席の椅子を押しのけるように立ち上がり、空間モニターに映るコキーヒに詰め寄る。
「──何があった?」
再度、低めの深みのある声が、更に低く問う。
負傷者の収容が終わるまで通信しない、などという決まりはない。ネリネを捕まえたのであれば、尚のこと迅速に報告をあげるべきであろう。未だ、凰率いる第一艦隊は、敵艦隊と向き合っている。
敵が無謀な策に出る前に、ネリネの拘束を伝えて降伏勧告をする事も出来るのだ。それを知らぬはずのないコキーヒの行動。凰の胸と背中の傷が重なり、心臓に嫌な脈動を打たせる。
「……マーシュローズ准将が、意識不明の重体です──……」
殉職した兵士も多い中、『命』の重さで見ればランだけが特別というわけではない。しかし、ランは近衛艦隊の8大将官のひとりである。ならば、前線に行かせなければよかったとは、誰も言わない。
多くの兵士たちを率いる力があるからこそ、その地位にいるのだ。彼女を失った場合、近衛艦隊の戦力も、兵士たちの士気も大きく下降する。
「レイテッドです。至急、マーシュローズ准将を白号へ転送してください。急いで!」
「は!」
凰が次の言葉を発する前に、ニグラインが通信に割り込む。コキーヒはニグラインと凰に敬礼をし、直ぐさま通信を切った。
「ぼくが治療するから!」
ニグラインは凰の握りしめた拳を両手で包み、力強い眼差しで凰の青虎目石さながらの瞳を見やる。
「お願い、いたします……!」
凰は深く頭を下げ、ニグラインにランを託した。
凰にとって、ランは航宙専科学校からの盟友である。立場上、友人だからと特別視は出来ない。殉職した隊員たちも多くいるのだ。表情に出す事すら憚られる。頭ではわかっていても、凰とて人間だ。感情を表に出さないよう奥歯を食いしばり、辛うじて〝総隊長〟として立ち続けている。
「凰」
その凰の心情を理解して、後方にいたユーレックが凰の肩に手を置く。凰が視線を後ろに向けると、滅多に見る事のない真面目な面持ちのユーレックがそこにいた。
他の言葉を発せず、ただそれだけであったが、凰にはユーレックの思いが伝わる。
「……ああ、そうだな」
凰は軽く息を吐き、己のやるべき事を実行するため、気を引き締めた。
ニグライン・レイテッドにとって、息のある人間を救うなど、造作もないだろう。ニグラインを信じ、自分は総隊長としての任務を果たせばいいのだ。
「──セラフィス艦隊へ告ぐ。私は太陽系近衛艦隊総隊長、ファル・ラリマール・凰である。ネリネ・エルーシャ・クラストと参謀のビローサ・ルビアは捕らえた。もはや貴殿らに勝機はない。降伏を勧告する」
もう、待つ必要はない。いや、待たせる必要はない──と言った方が的確か。
少数の残存艦隊が、何倍もの数で包囲されていてもなお、逃げも特攻もせずにいたのは、ネリネの脱出を待っていたからだろう。太陽系近衛艦隊は、攻撃しなければ迎撃して来ないと知っているからこそ、時間を稼げると。
だが、それも失敗に終わった。降伏してくれれば、戦争は終結する。主と共にあらんとすれば、降伏する選択肢しかない。だが──。
「近衛の若造め! 我らを敵に回したことを後悔するがいい!!」
返ってきた言葉は、太陽系の人間の常識で考えれば、耳を疑うものであった。
そして、その言葉を合図に、セラフィス残存艦隊は全艦一斉攻撃を開始する。
「愚かな……」
凰は、戦争を仕掛けてくる側の者は、何故こんなにも命を無駄にするのかと、怒りを口にした。
勝ち目などない攻撃。近衛艦隊側は何もせずとも、バリアを張り続けるだけで勝利出来る。エネルギーが枯渇すれば、相手は動けなくなるのだ。それでも攻撃して来たのは、武人の信念か。
もし、尊厳死を求めていない者がいたとすれば、この2時間、何もしなかったとは考えにくい。艦長に降伏を勧めた者や、脱出を試みた者もいただろう。
そしてその者たちは、おそらくもう生きていない。ならば応戦するのが、せめてもの情けだ。
「第二戦隊、第三戦隊。下部より接敵し、殲滅せよ」
凰に指定された戦隊は、旗艦である白号を始め、バリアを張り続けている前衛艦の下をくぐり、敵艦隊へと向かった。
近づいてくる近衛艦隊の艦艇に爆雷を発射する艦もあったが、そんなものではシールドを張った艦艇にキズも付けられない。
「迎撃、始めーーーっ!」
各戦隊長の号令で、迎撃戦隊は遊撃システムを作動させ、敵艦の腹部を貫いた。
数瞬、小さな新星爆発が連なって起こったかのように、暗い宇宙空間が多くの命を伴って明るく照らされ、また、暗い静寂を取り戻す。
この戦場に残るセラフィスの艦艇は、主をなくした総旗艦・宙空母セラフィーナ一隻のみとなった。
「──全艦、弔砲用意」
「弔砲、用意! 発射まで30秒!」
凰の、命の重さで深みの増した声での指令で、各艦のオペレーターが弔砲発射のカウントダウンを始める。
「3、2、1……敬礼!」
敵味方など関係なく、弔砲が撃たれると同時に、全ての失われた命に弔意の敬礼を行う。真上に放たれた弔いの光が、遙かかなたで闇に消えるまで。




