【セラフィスとの開戦】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫
〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ビローサ……セラフィスの参謀。ネリネの幼馴染みでもある女性。
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
「敵影、確認! 総数──約700隻!」
太陽系近衛艦隊、各艦橋でオペレーターが声を荒くしてセラフィス艦隊の出現を述べる。
本来なら、特攻爆雷艇で近衛艦隊の数を相当数削り、優位に立とうとしていたに違いない。だが、凰の計らいで小惑星帯を粉砕されてしまったため奇襲はかけられず、撃沈数は予想より遥かに下回ったはずである。
それでも、近衛艦隊を自軍と同等まで減らしたのだ。悪策と称される戦略であったが、凡策ではなかった。
オペレーターの声に、総隊長席で目を閉じて休んでいた凰は瞬時に目を覚まし、艦橋の全面モニターを確認する。
エウロパを背景に、700隻の艦艇が近衛艦隊を見据えていた。向かって右側だけが中央に向けて斜めに陣形を取っている。おそらくあの角度がガニメデ主砲の射程範囲なのだろう。ならば、近衛艦隊もそれに倣えばいいのか。──否。それを好機に、がら空きの右側からセラフィス艦隊が火星に攻め入らないとは限らない。火星に近い宙域をセラフィスに明け渡し、火星を危険に晒す事になる。
「総旗艦の特定は?」
凰はオペレーターに敵の総旗艦の識別を聞く。今回はただ敵を壊滅させればいいのではない。太陽系に未だ多く存在するクラスト派に暴動を起こさせないように、ネリネ・エルーシャ・クラストは生きたまま捕らえる事が必須だ。王になると言うのだから、まさかエウロパに隠れている……という事はないだろう。総旗艦に乗り、兵士を鼓舞する事も出来ずに、誰が彼女を王と認めようか。
「右側最後部。深い緑色の宙空母です。戦艦や巡洋艦に護衛されています」
「わかった。引き続き動向を見張るように」
「は!」
敵総旗艦は右側最後部──。ネリネを捕らえるためには、右弦の第二艦隊をどう動かすかが鍵となる。ガニメデの主砲を目の前にした第二艦隊に、最も重要な行動もさせなくてはならないとは。
「凰くん。ユーレックくんと一緒に、司令官室に来てもらえるかい?」
凰が形の整った口元に手を添えて思案をしていると、襟章の通信機からニグラインの声が入った。当然、ガニメデに対しての戦略を伝えられるのだろう。
「了解しました。すぐに向かいます」
凰は背後に用意されているマイフィットチェアで寛いでいるユーレックの肩を叩き、二人で司令官室に向かった。
マイスター・コンピュータ・ルームに着くと、二人が認証を受ける前にドアが開く。1秒でも会議の時間が惜しいのか……と思ったが、室内には上質なコーヒーの豊かな香りが漂っている。その中、いつも通りのニグラインのやわらかい笑顔と、彼の右肩に乗っている司令官室長であるオウムフィッシュのクラックが二人を迎えた。いつもの光景だが、今日はそのニグラインの両手に、何か木製のオブジェのような物が乗せられている。
「何ですか? それ」
ユーレックが尋ねると、ニグラインは二人の元へと歩み寄り、彼らが見やすいように「ほら!」と言って高く持ち上げた。
それは、一番大きな光る球体を中心に、八つの大きさの異なる球体がそれぞれ別々に周っており、それを動かすのに必要と見られる小さいレバーが台座の右側にある。台座の正面には今や骨董品屋でしか見かけないような、針の付いた時計が付いていて、秒針が一秒ごとに何故か落ち着く音を立てて進んでいた。
「太陽系儀だよ。中心で光っているのが太陽……ETS、だね。ぼくが作ったんだよ。かわいいでしょ?」
「確かに、かわいいですね」
「すごいッス! ちゃんと周ってる」
二人に褒められ、ニグラインは満足げな笑みを浮かべる。
太陽を〝ETS〟と言い直したニグラインの表情はどこか悲しげであったが、小さな太陽系を見る眼差しには深い愛情が感じられた。ニグラインが愛情を持って包み込む太陽系。それはまさに今の太陽系そのものであると、凰は思う。そして、これを守らなければ──と、戦闘を前にして改めて意志を固めた。太陽系近衛艦隊の総隊長としても、凰個人としても。
太陽系儀
3Dモデリング:切由 路様
「取り敢えず、座って」
「スワッて・ぇ? スワッて・ぇ?」
暫く太陽系儀を眺めていた凰とユーレックだが、ニグラインとクラックに促されるまま、後ろに歩いて来ていた改良型マイフィットチェアに腰掛ける。そして、当たり前のように付属のテーブルが現れ、コーヒーと食事が転送されて来た。
「二人とも、どうせ食べてないんでしょ?」
「ナインデしょ・ぉ? ナインデしょ・ぉ!」
凰とユーレックが席から離れなかった事を知っているニグラインは、これからの戦闘のために食べて欲しいと、それぞれが好むメニューを用意していた。食事を採っていない事を、クラックにまで注意される始末だ。
1時間後には戦闘が始まる。他の兵士たちは交代出来るが、彼らは休む事が出来ない。戦争の終結まで、不眠不休で戦わなければならないのだ。ユーレックは凰の後ろで休んでいられるが、流石にゆっくり眠りにつくのは無理だろう。後で能力を使う事を考えれば、しっかり休息を取らなければならないのだが。
「申し訳ございません。いただきます」
「どうぞ」
凰がニグラインの気遣いをありがたく受け取り、先ずは香り高いコーヒーに口を付ける。以前、凰が気に入った豆であった。眉間に寄せていた皺も、コーヒーの香りに包まれて消えていく。
「……あ! オレも、いただきます!」
ユーレックは、すでにフォークに刺していたスパイシーに味付けされている肉を口に放り込むのを寸でで止め、ニグラインに頭を下げる。
「うん。ごゆっくり」
ニグラインは笑顔でそう言うと、太陽系儀を司令官席のデスクに置き、自分用のハーブティーを淹れるためマイスター・コンピュータの簡易キッチンへと向かった。
ハーブティーを淹れて席に戻って来たニグラインは、すでに空になっている二人の皿を見て、ゆっくりと言ったにもかかわらず、10分も経たずに食べ終わった二人に、もう少し味わって食べてもいいのに……と思いながら軽く溜め息を吐く。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様でした~!」
ニグラインの姿を確認した凰とユーレックは、頬を緩ませて感謝を述べる。クラックは食事の邪魔にならないように、司令官席の背もたれに停まって太陽系儀のレバーを器用に操作し、惑星の動きに合わせて首を振っていたが、凰の食事が終わったのを確認すると、嬉しそうに緋色の羽根を広げてピチピチと飛んで凰の肩に停まり、やわらかい金色の冠羽根を凰の頬に擦り付けた。
「お粗末さまでした。今度また、家でご馳走するからね」
それでも、お腹の満たされた二人の表情を見て、ニグラインも笑みで返す。
「期待してます!」
元気いっぱいに答えるユーレックに、凰も同意して頷いた。最初の頃に比べて、随分と距離が縮まった気がする──。ニグラインは心なしか胸の辺りが温かくなるのを感じて微笑んだ。
そんな穏やかなひと時を終えて、ニグラインは現在の状況の整理と、ダイモスをどう動かすかについて話し始める。
木星の防衛衛星・ガニメデは、現在エウロパの左前方──近衛艦隊から見れば、エウロパの右手前に位置している。
それに対して、ニグラインの操作する火星の防衛衛星・ダイモスは、近衛艦隊の右側後方に座し、ガニメデを射程に捕らえている。近衛艦隊の前に出られればよいのだが、こちらも万が一火星に攻撃の手が及んだときの事を考えての配置だ。
ニグラインは、水星と金星に蓄積しているETSのエネルギーを全てダイモスに送るようにシステム操作をしたと言う。これでダイモスは常に最大出力で空間シールドを張り続ける事が出来る。備蓄エネルギーしかないガニメデが、エネルギー切れになるまで抑えればいい。だが、空間シールドも万能ではないのだ。
「マイスターでガニメデを無力化することは出来ないんですか?」
改良型マイフィットチェアで寛ぎながら、コーヒーでひと息吐いていたユーレックが遠慮もなく問いかける。その隣でコーヒーも飲み終え、背筋を伸ばして座っていた凰が「出来ればとっくにやっているだろう」という顔をしてユーレックを睨む。
「通常なら出来るんだけどね……直接操作している方が優先されるから」
ニグラインはリラックス効果のあるハーブティーに息を吹きかけて冷ましながら、ユーレックの問いに答え、ユーレックを睨む凰をほのかな笑みで諫めた。
「ガニメデ主砲の射程距離はどのくらいなのですか?」
凰は戦況に直接問題となるガニメデの威力を聞く。惑星を守るほどの主砲だ。一撃でどれだけの艦艇が沈められるのか──防衛衛星としての性能は同等というダイモスの空間シールドが、それをどれだけ防げるのか。艦隊の総指揮を執る凰にとって、最も重要な情報である。
「広角最大出力で撃った場合、今の陣形で、右弦の第二艦隊全てと中央の第一艦隊の後方まで破壊し尽くす。ただし、それはダイモスの空間シールドで防げる。狭角最大出力だった場合、現陣形で左弦第三艦隊まで全て貫く。まともに受ければ一撃で100隻は撃破される威力なんだ。でも、空間シールドも狭角で厚くすることも出来るから、ガニメデの主砲が放たれる前に角度を予測出来れば、ある程度は防ぐことも可能。基本的に、シールドの方が強く作ってあるんだよ。──正直、ぼく一人では難しいけれど」
「ダイモスが狙われるってことは……?」
「それは大丈夫。防衛衛星の主砲では、防衛衛星のバリアは破壊出来ないから。でも、そのことは知らないだろうし、一発無駄打ちしてくれるとありがたいね」
ユーレックがダイモスが墜とされたら、大変だ──と口にすると、ニグラインは問題ないと返答する。
バリアを張り続けるのにもエネルギーが大量に必要なのだ。エネルギー枯渇のないダイモスと違い、ガニメデの方はおそらく攻撃に全てを注ぐだろうと思われる。そのためには、先ず邪魔なダイモスを狙って来ると言うのも、あり得なくはない。
「ダイモスを狙わないとしたら、白号ですかね?」
次いで出たユーレックの意見も尤もだ。総旗艦を失えば、短時間であれ指揮系統は乱れ、艦隊の機能は低下する。しかし。
「いや、それはないだろう。何しろ、相手は──」
凰は、ユーレックの予測を否定し、口をつぐんだ。口に出してもよかったとは思う。「相手はニグライン・レイテッドだ」と。あちらのニグラインは、今ここにいるニグラインを待っているのだから。
「──そうだな。ボクなら、考えずに適当に撃つ」
戦闘の話をしているからであろう。凰の音にしなかった言葉に呼応して、碧藍の瞳のニグラインが突如として現れた。背筋に走る、氷にひびが入るような感覚に、凰とユーレックは反射的に立ち上がって胸に手を当て敬礼をする。藍碧い瞳のニグラインに敬意を表していないわけではない。それでも、絶対光度を放つ碧藍のニグラインを前にすると、戦士としての自分が奮い立つ。
「敬礼はいい。そろそろ慣れてくれないか?」
未だに碧藍の瞳のニグラインに対して距離を置いた態度を取る二人に、ニグラインは苦笑する。どちらも同じニグライン・レイテッドであり、ニグライン曰く「機嫌がいいとき」と「気分がいいとき」程度の差なのだと言われているのだ。
「失礼しました」
凰はそう言うと、ニグラインの意を汲んで自ら着席をした。それを見たユーレックも、表情を崩しして座ったが、改良型マイフィットチェアは少し固い仕様に変わっており、気持ちの切り替えが出来ていないとわかる。
「まぁ、キミたちと知り合って、まだ一年足らずだ。気長に待つさ」
ニグラインはハーブティーを口に含み、香りを楽しむように目を瞑る。そして、ハーブティーを飲み込んで咽喉を潤すと、絶対光度を消さぬまま目を開いた。
「──先ほども言った通り、予測不可能な攻撃をボク一人で対応するのは無理だ。だが、近衛艦隊には頼もしい頭脳を持った将官がいるだろう?」
それを誇らしいと言うような笑みを伴い、ニグラインは言う。
「クラーレット准将ですね」
「螢か!」
凰とユーレックは同時に言い、腰を浮かせたユーレックは慌てて座り直す。
「そうだ。彼女には『目』になって貰う。最初は、最大の被害が出ないように広角のシールドを張っておくが、クラーレット准将がガニメデ主砲の向きと、広角か狭角かを的確に伝えてくれれば、即座に対処が出来る。ただし、主砲が固定されてから発射するまでと、シールドを狭角にして角度を変えるまでの時間差は殆どない。故に、対象の艦艇にも回避して貰わねばならないが」
艦艇はそれぞれガニメデとの位置関係が違うため、口頭で指示するよりもガニメデ主砲直線上に位置する艦艇には緊急アラートが鳴り、どの箇所に当たるか可視化出来るよう、ニグラインは各艦のシステムに書き加えたのであった。だが、その指示を出している時間は空間シールドを張り直す遅れにしかならない。その為、螢に指示を出す役目を任命したのだそうだ。
あとは、それぞれの艦の操舵技術に託すしかない。セラフィス艦隊と戦いながら、どれだけ的確かつ迅速に回避行動が出来るか──。特に、主砲中央に位置している艦は、上下左右、どこに回避しても被弾を免れない可能性も高い。ワープが出来ればいいが、そんな余裕はないだろう。
「それと、ガニメデ主砲の発射回数は5回。100%出力で4回、充填まで5分かかる。最後の1発は40%程度で、充填時間は3分足らずだ。発射するにも基地を動かすにもエネルギーは使うからな。エネルギーの備蓄がある間は充填が100%にならないと発射出来ないが、備蓄がなくなった場合は残りのエネルギー全てを充填すれば発射出来るようになっている」
5発。少ないようだが、威力を考えれば大きな脅威だ。先ほど話したように、ダイモスを狙って1発無駄打ちしてくれれば、どれだけありがたいか。
「私からもひとつよろしいでしょうか?」
「なんだい?」
凰がニグラインの説明の節目に、発言の許しを請う。自由に発言してもよいのに──と思いながら、ニグラインは耳を傾けた。
「ガニメデが沈黙してからになりますが、ネリネ・エルーシャ・クラストの確保は第二艦隊の第一宙空艇部隊にやって貰おうと思います」
敵の総旗艦は宙空母だ。敵の戦闘艇が出ているときは、着艦デッキが開いている。そこにアキレウスで突入するのがベストだろうと、凰は言う。パイロットたちもこういう時のために白兵戦訓練をしているのだ。突撃用のパイロットスーツと武器もある。
「そうだな、それがいいだろう。全面的に、艦隊運用はキミに任せるよ、ラリマール」
「は!」
ニグラインは、過去のどの戦闘においても見事に艦隊指揮を執り、近衛艦隊に勝利をもたらした凰の手腕に口を挟む気はないと、全てを託す。
「まぁ、実際に戦闘が始まってからは現場の判断で動いて貰うしかないからね。それより、今からキミたちには15分だけでもヒーリングカプセルで休んで欲しいんだけど」
ひと通り話し終えたニグラインは、安らぐような藍碧い瞳に戻ると、デスク上の太陽系儀を指先でつつきながら、この後行われる激戦の事を考えて二人に休息を促す。
「了解しました。司令も、お休みください」
「うん。そうするよ」
確かに、この二人が倒れてしまったら近衛艦隊は痛恨の打撃を受ける。当然、ニグラインが疲労して動けなくなればダイモスを動かせなくなり、戦況は圧倒的に不利になるのだ。
ニグラインも休むという言葉を受けた凰とユーレックは、司令官室を後にしてヒーリングルームに向かった。
「カプセルじゃなくて、ベッドで寝てぇな~。聞いたか? 螢とリーシアにはマイフィットベッドが用意されてるんだぜ?」
ヒーリングルームへ向かいながら、ユーレックは螢から聞いた火星のメイン・コンピュータ・ルームの仕様を凰に話す。その中でも、マイフィットベッドは格別羨ましいと、ユーレックはぼやく。
確かに、マイフィットチェアですらあれだけ寛げるのだ。そのベッドバージョンともなれば、快適な眠りは約束されたようなもの。ユーレックが羨ましがるのも無理はない──と、流石の凰も思う。
「今回もおまえはダイモスを火星から切り離す活躍をしたんだ。もしかしたらボーナスで戴けるかもしれんぞ?」
「マジか?! あ~……でも、カクテルとベッドのどっちかって言われたら、どうしたらいい?」
「知るか。俺はカクテルを取るがな」
そうだよな~……と、ユーレックはヒーリングルームに着くまで、両手で頭を掻いて天を仰ぎながら悩み続けたが、ヒーリングカプセルに入りスリープするまでに、答えは出なかった。
◇
凰たちがヒーリングルームから艦橋へ戻ると、総隊長代理を預かっていたベリルが普段よりも堅苦しくない表情で二人を迎える。
「少しは休めましたかな? 凰総隊長」
「おかげさまで。十分戦えるくらいには休ませて貰いました」
「オレはもう少し寝ていたかったッス……」
ヒーリングカプセルでの睡眠は、10分で1時間熟睡した時と同等である。15分では1時間半の睡眠にしかならないが、疲れは普通の睡眠より取れるのだ。
ベリルの言葉に、凰とユーレックは各々正直な言葉で答えた。ユーレックの返答に眉根の皺を深くしたベリルだが、敢えてそれには触れずに凰に向き合う。
「戦略は固まりましたか?」
ニグラインとの戦略会議の内容をまだ聞かされていないベリルは、凰に艦隊の行く末を問う。
「はい。これから全艦艇に向けて発信します。諸手を挙げて喜べるような内容ではありませんが」
「そうか……厳しそうであるな」
凰の伏せがちの目に、ベリルは状況の厳しさを感じ取った。
実際、セラフィス艦隊に勝てないとは思っていない。だが、ガニメデの攻撃で被害がどれほど出るか……各艦の練度は高いとは言え、簡単に回避出来るものではないだろう。その事を、兵士たちに伝えなければならない。火星を守りながらでなければ、ダイモスでガニメデの攻撃など全て防げる上、陣形も変えられるというのに。しかし、統括軍火星艦隊が機能していない今、他に方法はないと。
ベリルとの会話の後、すぐに凰は近衛艦隊の艦艇間のみでしか使えない伝達方法で、全艦艇へ向けて最終的な戦略を通達した。
それを受け取った艦隊員たちの間でどよめきが起こる。皆、ある程度は覚悟していた。何しろ、目視出来るところにガニメデがあるのだ。中には、ダイモスが全面的に守ってくれると思っていた者もいたようだが、火星を守るため……と言われてしまえば、納得するしかない。
特に、ガニメデに近い宙空母赤号を旗艦とする第二艦隊の面々は、動悸が抑えられなかった。ガニメデの主砲が襲い来る様を、間近で体感する羽目になる。だが、安全な戦争などない。一番危険な場所に配置されたからといって、泣き言を言うような兵士は近衛艦隊にはいないのだ。そういう者は、戦争が始まる前に退役する権利もある。故に、残っているのは、命を張って太陽系を守ろうとする者だけであった。
戦略通達が全隊員に渡り、それぞれ気を引き締めて戦闘に集中しようとしていた頃、セラフィス側から太陽系全土に向けて再び発信がもたらされる。
太陽系近衛艦隊が、セラフィス側の開戦宣言を待たずして砲撃して来たという、ネリネの声明であった。
「クラストへ忠誠心を抱いていた者たちを弔うために、本来の予定より10時間早く、30分後に戦争を開始する!」
ネリネは開戦宣言を太陽系全土に向けて言い放つ。時間にして、太陽系標準時、近衛艦隊地球本部時間では午後11時近くにあたる。セラフィスのエウロパの拠点も夜中に差し掛かり、通常であれば、セラフィス側の兵士たちも眠る時間だった。だが、すでに火蓋は切られたと、決行を決めたのだ。
しかし、太陽系民は戦争時の中継放映により、近衛艦隊は小惑星帯を排除するために砲撃しただけなのを知っている。そして、「確実に命を落とす特攻をさせておいて何が弔うためだ!」と怒りが湧く。
だが、クラスト過激派及び、エウロパの移民からは抗議の声が上がっていた。エウロパの義勇兵による特攻は、例え近衛艦隊が迎撃しなくとも義勇兵たちの命があったはずはない。それでも、エウロパ民の感情は収まらなかった。本来であれば、そのような戦略を立てたセラフィスを罵倒するべきだが、実際に命を奪った近衛艦隊を許す事など出来ようもなく、「虐殺だ」と騒ぎ立てる事で親しい者を亡くした悲しみを誤魔化しているに過ぎないのであるが。
それに対して、火星・地球の両惑星の民からはエウロパの者たちへの非難が容赦なく浴びせられていた。太陽系民でありながら、太陽系の平和を乱す反逆者だと。
火星の太陽系近郊宙域統括軍は、速やかにエウロパの民に居住区から出ないよう通告し、元々火星に住む者との衝突をさせないように防波堤を張った。艦艇が轟沈した近衛艦隊の兵士たちの遺族や友人は、セラフィスとエウロパの民を処罰してくれと叫ぶ。
「セラフィスめ……! どこまでも卑怯な真似を!」
統括軍火星本部で状況報告を逐一受けていた、統括軍副長官であるセネシオ大将は、作戦会議室のデスクを叩いて語尾を強めた。
「セラフィスはともかく、攻撃的な言葉を発しているだけのエウロパの民を処罰することは出来ぬ。今は暴動が起きぬよう、警備を手厚くしておくしかないだろう」
セネシオに続き、統括軍長官のリトゥプスが、普段は丁寧に整えられているが、戦争の火種が散り点き始めてから乱れつつある口髭を触りながら深く息を吐く。
まだ戦争も始まっていないのに、民間人の感情は限界を迎えている。それが全てセラフィスの卑劣な戦略だとわかっていても、加担したエウロパ民のせいで、関係のないエウロパ民まで非難の対象となってしまっているのは問題だ。ただ、クラスト過激派に関してはどうしたものか。このまま行動せずにL /s機関を誹謗中傷しているだけならよいのだが。
「宙で待機している者たちは、もっと歯がゆいのだろうな」
リトゥプスは地球と火星の統括軍の艦隊が、何も出来ずに戦況を見ているしかない現状を思い、自らも奥歯を噛みしめた。
しかし懸念はある。火星軍港で自爆した戦隊の残存艦。それがもし、モグリに占拠されているとしたら……。いや、そういう意味では、他の艦ですら信じ切る事は出来ないのだった。
「──リトゥプスだ。統括軍全艦艇に告ぐ。万が一、僚艦が攻撃を仕掛けて来た場合、躊躇なく迎撃せよ。繰り返す。攻撃を仕掛けられた場合、躊躇なく迎撃せよ!」
リトゥプスは統括軍全艦艇に向けて指令を出す。残酷な指令であるが、元僚艦だからといって攻撃を甘んじて受ければ撃沈されるだけだ。リトゥプスの指令がなくとも、誰もがわかっている。それでも、指令があるのとないのとでは、隊員の心持ちが違う。彼らの迷いを断つために、リトゥプスは厳として指令を出す。
当初は、統括軍火星第一艦隊旗艦・戦艦紅号の艦長であるフェロックス中将が言った通り、僚艦が攻撃して来てもバリアで対抗し、迎撃しない事になっていた。だが、特攻をして来るとなると、そうはいかない。双方轟沈するか、どちらかが生き残るかの選択になるのだから、選ぶまでもないだろう。
「了解しました!」
モニターに映し出された敬礼をする各艦長の表情は、険しくはあるがいつもの出陣前と変わらなかった。モグリとして覚醒するとすれば、戦闘開始が鍵となるのだろうか。この者たちに再び会える事を信じ、リトゥプスも敬礼で返す。最悪の事態の回避を願って。
◇
「我はネリネ・エルーシャ・クラストである。我々は、太陽系を正当な持ち主の──クラストの元へ取り戻すために、これより正義の戦争を始める!」
30分はあっという間に過ぎ、ネリネの開戦宣言が太陽系中に向かって発せられた。
兵士たちだけではなく、民間人にも緊張が走る。前線からは遠く離れた地球の民ですら、寝ずに中継を見ている者も多い。火星の民に至っては、近衛艦隊とダイモスが守ってくれると信じてはいるが、それでも恐怖で眠れない者が殆どである。エウロパから移住して来た者たちは、もはや戦争の行く末などに興味はなく、ただ「エウロパに帰りたい」「近衛艦隊を倒してくれ」と、それだけを思っていた。
「始めてもよろしいですか? ネリネ様」
「頼むわ」
セラフィス艦隊総旗艦・宙空母セラフィーナの艦橋で、司令官席に座るネリネの後ろから、参謀であるビローサが問う。ネリネが振り向きもせずに即答すると、ビローサは一歩前に出てネリネと並ぶ。ネリネが自分で戦闘指揮を執らないのは、ビローサの方が戦術に優れているとわかっているからである。自分の臣下が自分のために働くのは当たり前だ。有能な人物を使いこなしてこそ、王である。なんら恥じる事はない。幼い頃と違いビローサを姉のように慕う事はなくなったが、信頼できる臣下がいるのは心強いものだ。
「全艦! 主砲・中和砲一斉射! 撃てーっ!!」
ビローサの力強い声が、セラフィス艦隊に轟く。
セラフィスの各艦艇から、主砲と対になって先行するバリア中和砲が、近衛艦隊のバリアを破る。しかし、近衛艦隊の艦艇は二重のバリアを張っており、主砲は二層目のバリアで弾かれ、光が霧散した。二重のバリアを張れるのは、エネルギーの枯渇がないからこそ。ETSの恩恵を受けている太陽系近衛艦隊にしか為し得ない、強固な守りである。
近衛艦隊側は直ぐさま破られたバリアを張り直す。セラフィス側の第一射は、近衛艦隊にかすり傷ひとつ付けられなかった。
「二隻連動攻撃! 一隻ずつ潰せ!!」
ビローサは二重のバリアを破るため、二隻ずつの攻撃に改めた。一隻目が一層目のバリアを破り、二隻目が二層目を破る。そこへ二隻同時に主砲を撃ち込む算段だ。だが。
「凰だ。これより迎撃を開始する」
敵が先に攻撃して来るまで静寂を守っていた近衛艦隊が動き出す。凰の低めで深みのある声が、隊員たちの士気を上げた。
「セラフィスは二隻連動攻撃の陣形を取っているが、なに、いつも通りだ。油断はするな。迷わず、迎撃せよ」
近衛艦隊の全方位遊撃システムは、敵艦に囲まれても対抗が可能だ。敵の砲塔が向いている箇所だけバリアを張る事も出来る。
戦艦白号を筆頭とした前衛の艦艇は短距離ワープにて敵陣に入り込み、今まさに近衛艦隊に向けて砲撃しようとしていたセラフィスの艦艇の前衛部隊を、全方位遊撃システムを使って撃ち砕く。砲撃のためバリアを張っていなかったセラフィスの艦艇は、無防備なまま抗う術もなく破壊され、艦内での爆発音や隊員の叫び声は、その身と共に真空へと吸い込まれて行った。
凰は、少しでも早く敵総旗艦に近づけるように、開戦直後に敵陣へ入り込む作戦に出たのである。それには、ガニメデ主砲を撃ちにくくする効果もあるはずだ。混戦してしまうため、一度で全ての艦艇が敵陣へと入り込むのは不可能だったが、それも数度に分ければ完結する。
ただし、ガニメデを操るのはセラフィスではなく、腎臓のニグラインであるというほぼ確定している状況は、敵陣内にいても主砲の餌食にならないという確証は取れない。ガニメデを自転させ、セラフィス艦隊ごと殲滅しようとしてもおかしくないのだから。
今回が初陣であるセラフィス艦隊の隊員たちは、混乱していた。艦隊戦とは、主砲の撃ち合いではではないのか?! ──と。まさか、自軍の中に入り込んで来るとは。太陽系近衛艦隊の全方位遊撃システムは、特攻爆雷艇との交戦で見た。だが、敵陣の真っ只中まで突っこんで来るとは思いも寄らなかったのだ。
「これが、太陽系近衛艦隊──……」
セラフィスの兵士が、誰ともなく力なく呟いた。
今回登場した「太陽系儀」ですが、Twitterの方で動画にて投稿してあります。
惑星が周っているところをご覧になりたい方は、@mau_kiriyuにいらしてください。
よろしくお願い申し上げます。




