【総旗艦・戦艦白号、抜錨】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫
〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
火星統括軍の軍港は、未だ反乱艦に取り残された者の救助活動で喧騒としていた。命ある者がいると信じて、電導系凍結の解除された艦内で重装甲機部隊が奮闘している。人馬フォームでは動きの取りにくくなった、天井も柱も瓦礫と化した艦内を履帯フォームで慎重に進みながら生存者を探していく。だが、救助開始から1時間近く経ったが、出口近くまで自力で辿り着いた者以外、救助は出来ていない。奥へ進めば進むほど状態は酷く、救助という言葉すらキーロンのパイロットの脳裏から消えそうであった。それでも、瓦礫の隙間に挟まって動けないでいる生存者がいるかもしれないと、彼らは命じられるまで救助活動を止める事はない。そして、救助活動の終了を命じられた後は──遺体の収容活動となる。
軍港の緊迫した状況に対して、エウロパからの移民を受け入れている民間艇用の宙空港はにぎやいでいた。先に移住していた者たちが、後から火星へ来る家族や恋人を迎え入れるために大勢集まっているのだ。皆、早く愛しい人に会いたいと、本日分の避難艦が到着するのを待ちわびている。
しかし、その民衆を抑えるように、隊長のドリテックが指揮を執る近衛艦隊の陸上戦闘部隊と、統括軍の陸上戦闘部隊がアーマードスーツで立ち並んでいた。兵士たちは記憶制御閃を握り、遮へいゴーグルを装着している。避難艦の着陸ゲートには近衛艦隊のキーロン部隊が人馬フォームで構えており、民衆からは邪魔だと言う声も上がっているが、避難艦で武装兵が大量に責め込んで来た場合、民衆を守りながら宙空港で無力化させないとならないのだ。
ドリテックは自隊の兵士を2000名近く……もしくはそれ以上に亡くしたばかりだが、弔っている時間すらない。今は、予想が外れて、避難艦からただの避難民が降りてくるのを願うだけである。
「来たぞ!」
目視出来るところまで、避難艦が数隻降りて来た。大勢の民衆から歓喜の声が発せられる。
避難艦が順番に、ゆっくりと地上に降り立つ。数からして、これでエウロパの民が全て火星に到着すると思われる。先に移住して来ていた民衆がこうして集まっているのも、それがわかっているからだ。離れていたのは数日であっても、戦争を起こすと予告されている状況で──否、すでに火種は撒かれている状況で、大切な人と距離を置いていたのは不安だったに違いない。それ故、暴動を惧れて宙空港を民間人が入れないように封鎖する事が出来なかった。キーロン部隊のすぐ後ろまで、民衆は詰めかけている。
「パパだ!」
最前列で母親に抱きかかえられた幼い少女が、避難艦の扉が開いて歩み出て来た男性を見て嬉しそうに叫んだ。
「ママぁ、パパ、なんでロボットにのってるの?」
避難艦から出て来たのは、顔の見えるように頭部が強化ガラスで作られた、二足歩行の小型装甲機であった。全ての避難艦から、小型装甲機が姿を現す。少女を抱えた母親は顔を恐怖で引きつらせ、我が子を強く抱きしめてその場から逃げようとしたが、足が震えて人混みを掻き分ける事が出来ず座り込んでしまった。あちらこちらから、悲鳴が聞こえて来る。装甲機に恋人が乗っているのを見て、気を失った女性もいた。
「民衆を避難させろ!」
ドリテックは後方の歩兵に向けて、パニックを起こして逃げ惑う民衆の誘導と、動けなくなっている者の救助を命じる。前方の兵士たちはMCFを投げたが、装甲機の中にいる者には声が届かないのか、または全員が自らの意思なのか、おすわりをする者はいなかった。
「キーロン部隊! 搭乗口を塞げ!!」
すでに各避難艦から相当数の装甲機が降りてしまっている。ドリテックはこれ以上地上に出すまいと、キーロン部隊に搭乗口を塞ぐよう命令した。各キーロンは壁になるように搭乗口から避難艦に入るが、中の装甲機は先頭のキーロンに容赦なく攻撃をして来る。それでも押し出されぬよう、キーロンは搭乗口を塞ぎ続けた。幸い、キーロンの空間シールドは活きている。小型装甲機の攻撃程度では、そう容易く損傷は受けない。しかし、これがいつまで持つのか……。火星軍港の悲劇が、キーロンのパイロットたちの頭を過ぎる。
「パパー! パパー!」
幼い少女が母親に抱きかかえられたまま、父親の乗っている装甲機に笑顔で手を振る。だが、装甲機に乗る父親はそれに応えない。不快な笑みを顔に張り付かせ、キーロン部隊の隙間を抜けて歩兵に襲いかかってきた。
「腕か足を狙え! 殺すな!!」
例え義勇兵であっても、今ここにいる民衆の家族や恋人、友人なのだ。ドリテックは彼らの目の前で命は奪えないと奥歯を噛みしめる。これ以上、防御力の高い装甲機はないだろう。民衆のいるところで、その誰かの大切な者の顔が見えている装甲機を、無残に破壊するわけにはいかないではないか。本来であれば、こんな強化ガラスなどレーザーブレードを使わずとも、ハンマーアックスでも叩き壊せるのだが。
まさか、民間人が装甲機で来襲するとは思いも寄らなかった。装甲機を操縦するには、それなりの訓練が必要なのだ。それを考えると、モグリであるとは考えにくい。家族や恋人に「仕事に行く」と偽って訓練をしていたのか。
小型とは言え、レーザー砲を撃ってくる装甲機に対して、アーマードスーツの薄い空間シールドでは分が悪い。連射されれば、徐々に破壊されてしまう。対して、歩兵の持つ重ブラスターでは、装甲機の腕を撃ち抜く事も出来ない。近接して、ハンマーアックスで戦う他ないが、向かっていく間に倒されていく。僚友の屍を越え、少しずつ装甲機に近づいていくしかなかった。
「やめてー! パパをいじめないでーーーっ!!」
幼い少女の父親の装甲機まで辿り着いた歩兵がハンマーアックスを振り上げたとき、少女が叫んだ。兵士はハンマーアックスを振り下ろす事が出来ず、動きを止めてしまった。その隙に、少女の父親が目の前の兵士に向かってレーザー砲を連射する。兵士は胸を撃ち抜かれ、苦悶の声を上げて絶命した。彼の後ろには、同じように命を絶たれた僚友が並んで道を作っている。次は自分の番──と、その後ろにいた兵士が、自分は迷うまいと、ハンマーアックスを握り締めた。その瞬間。
少女の父親だけでなく、他の敵装甲機の武器が一斉に消えた。
「お待たせ!」
その言葉と共に空間から現れたのは、近衛艦隊特殊能力部隊。
念動力者は敵の持つ武器を弾くと、衝撃波を放って敵装甲機を吹き飛ばした。そして、装甲機用の拘束装置で身動きが取れないようにしていく。敵装甲機のパイロットは為す術もなく、悪態を吐いているようだが、声は外に聞こえて来ない。ただ、聞こえずともわかった。「L /s機関の犬め!」と言っているのであろう。他のクラスト過激派と同じように。
「避難艦と装甲機に仕掛けられていた自爆装置も回収しました!」
瞬間移動能力者が、部隊をテレポートさせて来たあと、透視能力チームと連携を取り、避難艦と敵装甲機に設置されていた自爆装置を撤去した。これにより、火星軍港での惨劇の二の舞は起こらない。いや、起こさせない。と言った方が的確だろう。
「おまえたち、どうして……」
ドリテックは、突然現れた特能部に驚きを隠せなかった。彼らは、近衛艦隊の艦艇に乗り込み、セラフィス艦隊と戦うはずではなかったか──と。
「艦艇制圧が出来なくなったんで、凰総隊長の命令を受けて、急いで翔んで来たんですよ」
ドリテックの言葉に答えたのは、特能部の大隊長を務めるシーモス中佐であった。彼の話によると、火星軍港での艦艇自爆の報により、セラフィス艦隊でも同様の事が起きるであろうとして、特能部による艦艇制圧は見送られたとの事だ。地上でならともかく、宇宙空間では流石の特能部でも対処が出来ないからである。その代わり、民間人の武装兵が乗って来る避難艦にも自爆装置が付けられている可能性が高いとして、一刻も早くと凰が特能部を火星に送り込んだのだと言う。
「地球から来たので、遅くなって申し訳ありません──」
シーモスは、倒れている……二度と動く事がなくなった陸戦部の兵士たちを見て、力なく頭を下げた。不可能ではあったが、もっと早く来られたならば、彼らも命を落とさずに済んだのだ。仕方がなかった。最速での任務遂行だったと思っても、彼らの命が戻る事はない。
「いや、十分だ……礼を言う」
特能部のおかげで、民間人の犠牲者は出なかった。部下の殉職に目を瞑る事は出来ないが、受け入れるしかない。勇敢な者から命を落としていった。それを、ドリテックは生涯忘れはしないだろう。せめてもの供養として。
◇
「読まれたねぇ!」
民間艇用の宙空港を3Dタブレットで見ていた顔を見せない若い男は、悔しさは滲ませず、むしろ楽しげに破顔した。
「何を笑っているの? 作戦は失敗したのよ!」
ネリネはモニターの向こうで笑う若い男を咎める。口には出さなかったが、男はいつもと違う場所にいるようだった。見た事のない背景に、ネリネは怪訝そうに眉をひそめる。
「そっちこそ何言ってるの? キミが統括軍に自爆なんてさせなければ、救援は来なかったんだよ」
若い男はネリネの表情で彼女が言及しなかった事を察したが、敢えて無視した。自分がどこに居ようと、彼女には関係ないからだ。どこに居ても、やる事は変わらないのであるから。
「じゃあ本番いきますか? ネリネ・エルーシャ・クラスト。キミは旗艦に乗るの? それともエウロパで隠れてる?」
唇を噛んで睨み付けてくるネリネを気にも留めず、若い男はタブレットをスリープさせて問う。本番とは、ETSを守護する太陽系近衛艦隊を撃破する事。民衆に近衛艦隊よりも強いと知らしめ、ETSを守るに相応しいと誇示するためである。民間艇用の宙空港では失敗したが、統括軍と近衛艦隊陸戦部には甚大な損害を与えられた。あとはこの本番で、勝利を掴むのみ。
「〝王〟が乗らなくては旗艦とは言えないでしょう?」
ネリネが王になる者として成すべき事をやると、可憐な容姿には些か不釣り合いな妖艶な笑みを浮かべて言い切る。
「ふぅん。まぁ、頑張ってよ」
顔を見せない若い男は通信を切り、安全な場所で隠れていると言わなかったネリネに多少感心した。王など、兵士をただの駒として見ているものだと思っていたのだ。とは言っても、指揮を執るのはネリネではなく、おそらく側近のビローサが参謀として艦隊を動かすに違いない。ビローサと多くを話した事はないが、彼女の方が戦術に優れていると見て取れた。
「さて。ニグライン・レイテッド──どう、出る?」
木星防衛衛星ガニメデで、グランディス・コンピュータⅡを起動させながら、顔を見せない若い男はこれから起こる戦乱に心躍らせる。それに乗じて、やっと……やっと会えるのだ。きっと彼はどんな方法を使っても会いに来る。生き別れた自分たちに何を思っているのだろう。ひとつに戻りたいと、それだけを願っているのか。第一のニグライン・レイテッドとして選ばれた者の思いを確かめるべく、身を潜めて200年の時を過ごしたのだ。
「楽しみだね」
モニターに映らないようにしていた幼子が、プラチナブロンドの髪を揺らしながら笑みを漏らす。
「うん。楽しみだ」
若い男も、同じように笑った。
二人は、第一のニグラインに会える日を、ひたすらに、待ち続けている──。
◇
セラフィス艦隊への迎撃に赴く太陽系近衛艦隊前線艦隊は、戦争開始予告日を明後日に控え、木星方面への出航を開始しようとしていた。
月で出撃した前回と違い、今回はいつも通り地球の軍港からの出撃である。総旗艦、戦艦白号だけは、70階建ての近衛艦隊地球本部ビルの上層に鎮座しているため、そこからの出航を近隣の住民はわざわざ家から出て見送るのが習わしのようになっている。「太陽系を守ってくれ」と。
「出力よし! エネルギーシステム異常なし! 進路オールグリーン」
白号艦橋で、オペレーターが準備が整った旨を声にする。エネルギーシステムは、ETSからのエネルギー供給を受けて、航行・砲撃・バリア・電気系統の全てを担うためのシステムだ。太陽系の艦艇は、ETSがなければただの特殊合金の塊だが、ETSがあれば、最強の艦となれる。メカニカル・サポート部隊によって入念に整備された艦艇は、太陽系を守るために宇宙空間へと飛び立つ。
「太陽系近衛艦隊総旗艦・戦艦白号、抜錨する!」
凰の低めで深みのある声が、白号を目覚めさせる。白号は勇ましくも洗練された美麗な白い巨躯を、なめらかに泳ぎ出すように浮かび上がらせ、宙へと向かった。
見物していた住民から歓声が上がる。前の戦争で月に祈りを捧げたように、白号に手を合わせる者も多い。軍港から他の艦艇が出航するたび、また歓声が起こる。数百隻の出航を最後まで見送った住民は、涙ながらに無事を祈った。彼らに命運を託すしかないのだ。自分たちは祈りを捧げ、信じて待つ以外出来る事はない。視界から消え、大気圏を飛び出した近衛艦隊が今まで通り勝利して戻って来るのを。
戦艦白号を旗艦とした第一艦隊。宙空母赤号を旗艦とする第二艦隊。宙空母緑号を旗艦とする第三艦隊は、一隻の漏れもなく全隻出航した。艦艇が飛び立ち、軍港は閑散としている。そこには前線艦隊が留守の間地球を預かる兵士たちがおり、敬礼をもって彼らを見送ったのであった。
「大気圏脱出。宇宙空間に出ました」
白号は大気圏を抜け、オペレーターが再び声を発する。
「よし。では火星方面の時空間航路に突入する」
それに対して、凰が次の指令を言い渡す。後続の艦も、同じように行動している。遠く離れた宙域の艦艇から、「健闘を祈る」と信号が送られて来た。統括軍地球艦隊からだ。艦艇に関しては、すでに念入りに調べ上げられている。幸い近衛艦隊にも統括軍地球艦隊にも自爆装置は仕掛けられておらず、セラフィスが手を下したのは、火星の統括軍だけと見られた。だが、覚醒していないだけで、統括軍地球艦隊にモグリが潜んでいる可能性もある。統括軍地球艦隊は、近衛艦隊に全てを任せて、引き続き宙空で待機しているしかない。
「その闘志、謹んで貰い受ける」
凰は同じ思いで宙にいる彼らの意志を背負い、呟いた。本来なら、自分たちで戦いたいであろう。同胞である火星艦隊の艦艇が、悲痛な最期を遂げたのだ。その思いを、凰だけではなく、全ての兵士が受け取った。
太陽系近衛艦隊は、太陽系に牙を剥く者に向かって、ETSの光を受けて美しく輝く総旗艦白号を先頭に、雄々しく飛び立って行く。
まずは、敵が木星の防衛衛星ガニメデを動かすと睨み、こちらも火星の防衛衛星ダイモスで応戦するために、ダイモスを火星軌道から切り離さねばならない。そのため、本日中に前線艦隊は火星近郊まで赴き、一時停泊する事となったのであった。
Illustration:梶一誠様
◇
火星のメイン・コンピュータ・ルームには、ダイモスが火星から引き離される際の引力等の調整のため、近衛艦隊IT支援部隊のDLである螢が地球から派遣されている。ダイモスは月よりも小さく、遠い位置にあるため、月を切り離すよりは影響は少ない。それでも、下手をすれば火星に激甚な災害が起きてしまう。ニグライン以外で、高度なメイン・コンピュータを操作できる能力があり、かつ、任せられる者は螢しかいない。マイスター・コンピュータが白号と共に地球を離れたため、螢は専用キーロンと共に火星のメイン・コンピュータ・ルームに来ていた。
火星のメイン・コンピュータ・ルームも、マイスター・コンピュータ・ルーム同様、ニグラインの許可なしでは入室できない。現在、この部屋には艦艇規模のバリアが張られており、外から地上の武器を使っての侵入も不可能である。螢は念のためと専用キーロンを連れて来ているが、活躍する場はないだろう。
「それにしても……」
そう言いながら、螢はメイン・コンピュータ・ルームを見渡す。
落ち着いた銀色のメイン・コンピュータⅡが天井を抜けてそびえ立ち、簡素な司令官席があるだけの部屋……のはずであった。しかし、今はマイフィトベッドが用意され、ゆったりと入れるバスルームがあり、好きなものが好きなだけ出て来るインスタントキッチンがある。この作戦中、螢が寛げるには十二分な部屋となっていた。もちろん、改良型マイフィットチェアもいる。付け足して言えば、マイスター・コンピュータ・ルームとの大きな違いは、司令官室長のオウムフィッシュがいない事だろうか。
「自宅より快適だわ~!」
螢は改良型マイフィットチェアで身体を伸ばし、ニグラインが螢のために用意したカロリー少なめのスイーツを頬張りながら、近衛艦隊の到着を待っているのだ。
前回の戦争のように命を狙われる事がないとはいえ、重要な任務を任されている。副官すら同席させず、たった一人で戦争が終わるまでこの場にいなくてはならない。ランはいつも通り前線に赴き、リーシアは今もニグライン管理下の医療用カプセルで眠っている。通信は出来るが、誰にも会う事なく、いつ終わるかもわかならい戦争中、何も出来ないのは苦痛であろう。ニグラインはせめて快適に過ごせるようにと用意したのだが、自分だけが優雅に過ごす事も、また心が痛む。
それでも、自分にしか出来ない任務なのだから──と、螢は気を引き締める。そう思うと、オリジナルのコンピュータ言語で高速思考する彼女の脳が糖分を欲して、螢はまた次のスイーツへと手を伸ばすのであった。
◇
地球を後にして数時間後。近衛艦隊前線艦隊の全艦艇は、火星の木星側近郊に到着した。各艦艇の正面モニターには、小惑星帯の向こうにガニメデ・エウロパ、そして木星が大きく映し出されている。
報告によれば、火星の民間艇用の宙空港に降り立った義勇兵の装甲機は、避難艦8隻で800名ほど。本来なら1隻につき400名は搭乗しているはずだった。それで、全てのエウロパ民の移住が完了すると思われていたのだ。では、残りの2400名は何をしているのか。装甲機に乗った者たちを、ただ笑顔で見送ったとは考えられない。もはや考えられる事は1つしかなく、装甲機に乗っていた者たち同様に、セラフィスに加担していると思われる。
それ故、近衛艦隊の兵士たちは義勇兵になったとはいえ、民間人の乗っているであろう艦隊と戦う事に対して強い抵抗を感じていた。セラフィス艦隊の姿はまだ見えない。このまま現れなければどれだけいいか……。多くの兵士たちは一様に思っていた。
「ユーレック、おまえの出番だ」
「ん~……? ……うん……」
戦艦白号の艦橋で、前回同様に体力温存のため、改良型マイフィットチェアでだらしなく居眠りしているユーレックに、凰が声をかける。ユーレックは眠気が覚めず、まともに言葉も発せないまま呻くように返す。
「カルセドニー中将! 任務ですぞ!!」
そこへ、聞き慣れた──ユーレックにとってはあまり聞きたくない声が降って来た。
「ベ、ベリル中将!? おはようございます!」
普段、白号の艦橋にはあまりいないベリルに驚き、ユーレックは飛び起きる。諜報治安部隊のDLであるベリルは、基本、近衛艦隊地球本部の諜報治安部隊隊長室から動かない。常に地球本部近郊の治安に目を光らせ、近衛艦隊の作戦に支障が出ないようにしているのだ。
「ランは赤号から出撃だからな。今回はベリル中将に指揮官の代行をしていただく」
ユーレックの疑問に、凰が笑いを堪えながら答えた。今回、地球ではさほど大きな問題が起きないだろうからと、宙空母赤号に詰めているランの代わりに、ベリル中将を招いたのだと言う。ベリルはもともと凰の上官でもあり、艦隊戦を極めているわけではないが、戦況を見極めて部隊を動かす腕前は、凰が一番よく知っている。
「十分に休めたであろう? カルセドニー中将。ダイモスの件、貴官にしか出来ぬのだ。任せたぞ」
ユーレックが昇進し階級が並んだからではなく、ベリルはユーレック自身を認めるようになったのだ。前の戦争での、月を出撃させた事に加え、地球本部を守った事。更にその後、敵小惑星型要塞赤針からニグラインと凰を救出した功績は見事であった。
「あ……はい! 任せてください!」
ユーレックは眠気の覚めるベリルの言葉に、胸を張って応える。以前までは、ユーレックの若干不真面目な態度に対して、眉間に深く皺を寄せていたベリルからの賛美を秘めた物言いに、ユーレックは嬉々とした。責任と礼儀を厳としている凰と比べるわけではないが、ベリルは統括軍長官のリトゥプス同様、ユーレックに再三苦言を言って来たのだ。しかし、彼のゆるい明るさに助けられている者も大勢いるのだと、若い近衛艦隊に対しては自分の考えは老害に過ぎぬと考えを改めたのである。
ユーレックは、月で出撃したときと同じように、火星からダイモスを借りるという大きな任務を成さねばならない。今回はダイモスに艦隊が控えているわけでもなく、防衛機能を備えただけのダイモスを火星軌道から切り離し、敵が使用する可能性のあるガニメデに対抗するためのものである。ダイモスよりガニメデの方が遥かに大きいが、防衛衛星としての性能は変わらないのだと、ニグラインは言っていた。
「あれ? レイテッド司令は?」
目の覚めたユーレックは、司令官席にニグラインがいない事に気付く。居眠りを始める前までは、確かにいたのに……と、辺りを見回す。
「先に司令官室に行っている」
ユーレックの問いに、凰が答える。本来であれば、凰とユーレックが護衛に付いていないといけないのだが、「キーロンJr.に乗って行くから護衛はいらない」と言って艦橋を出たとの事であった。ユーレックには、時間が来るまで休んでいて欲しいという、ニグラインの気遣いであろう。
「じゃあ急いで行かないとだな」
ユーレックは微かに残る眠気を払うように伸びをする。
「ベリル中将。しばらく白号をお願い致します」
凰はそう言って、ベリルに恭しく頭を下げた。
「無論だ。気を付けて行って参られよ」
ベリルは総隊長になってもなお、自分に敬意を抱いてくれる凰に、まだ10代で自分の部下だった頃を思い出す。あの頃から、パイロットとしても中隊長としても優秀で、兵士としては非の打ち所がなかった。だが、ひとりの人間として、もう少しくらいくだけていいのでは──と、お堅いと言われるベリルにすら思われるほど凰は真っ直ぐな軍人なのだ。だからこそ、この若さで太陽系近衛艦隊の総隊長に任命されたのだが、年配のベリルとしては些か哀れにすら感じるのであった。
そんなベリルの気持ちをありがたいと思いはするが、凰は今の姿勢を変える気はない。上官であったときも部下になった今も、ベリルには大きな感謝をしている。もちろん、命をかけて戦ってくれる全ての兵士にも。だからこそ、総隊長という立場になってからは、全隊員の命への責任を背負う覚悟をしているのだ。失われた命を無駄にはしないと──太陽系を守ると、強い意志を持って生きている。ニグラインの秘密を知った今、それはより大きなものとなっていた。
「リトゥプス中尉、ベリル中将の護衛と艦橋を頼んだぞ」
凰は、副官であるのに付いて行かれないと人知れず歯がみするロカに、要用の任務を与える。本来であれば、専用キーロンまで宛がわれているロカは、副官として凰を守るべき存在なのだ。凰は、そんなロカの心情に気付いたからではなく、彼女にしか任せられないとして任命した。
「は、はい! 了解しました!」
自分では艦隊の役に立てないのか──と下を向いていたロカは、凰の言葉で前を向く。ロカの銃とキーロン乗りとしての腕前は周知の事実。出番がないからといって、役に立っていないわけではない。「何かあったときに頼れる」……こんな重要な役割はないのだ。厳しい訓練をして来た理由はそこにある。
「ロカちゃんがいれば艦橋も安心だな!」
「ああ」
そして、ユーレックが凰の肩を叩いてロカを称賛する。凰もユーレックの言葉に賛同して、笑みを浮かべて頷く。
「では、行ってくる」
凰は緊張感を高めて言うと、ユーレックと共に艦橋からマイスター・コンピュータ・ルームへと向かった。




