【来客】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫
〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
太陽系近衛艦隊最高会議室でのセラフィス迎撃会議が終わり、リーシアが会議室から出ると、副官のブリック中尉が待っていた。右腕を水平にし、胸に拳を当てて敬礼をした彼に、リーシアは返礼をする。
「テラローザ隊長、会議お疲れ様でした!」
「ありがとう。何かあったの?」
余程の緊急性がなければ、会議が終わるのを副官が待っている事はない。近衛艦隊では、最高会議中、各副官は隊長が戻って来るまで自席で待機しているのが通例である。
「実は、今、受付にエルブ准将の幼馴染みだという女性が来ておりまして……」
「エルブの?」
ディル・エルブは、前の戦争で殉職した後方支援部隊の元副隊長だ。任務とは言え、自分の命令を守り命を落とした彼に、リーシアは今でも自責の念を抱いていた。エルブだけに限った事ではないが、自隊の者の死を、リーシアが軽んじる事なく背負っているのを皆知っている。だからこそ、ブリックはこうして会議が終わるのを待っていたのだ。
「わかったわ。応接室にお通しして」
「は!」
ブリックは、再度敬礼をしてその場を去る。その後ろ姿を目で追いながら、リーシアはエルブの最期の姿を思い出していた。自ら与えた命令を全うし、惨殺された彼の姿を。偽りの命令だと知りながら、偽物のマスターキーを守り抜いたエルブ。そのおかげで、彼女の成すべき作戦は成功したのだが、リーシアは彼の開かれたままの、虚ろな眼を忘れる事はない。そのエルブの親近の人物が自分に会いに来ているとあれば、リーシアにはその来訪を断る理由はなかった。
応接室は、各部隊にそれぞれ設けられている。一般兵の家族などが面会に来たときは面会室が使われるが、部隊長が対応するような重要な来客のときは応接室が使用されるのだ。
応接室の内装は落ち着いた木調の暖かみのある造りで、マイフィットチェアほどではないが、ゆったりと寛げるソファーが低いテーブルを挟んで置かれている。寛ぐために来訪する者はおらず、むしろ8大将官に面会するという事で、緊張しながら来室する者の方が多いだろう。それは民間人でも違わず、エルブの幼馴染みだという女性の表情も硬く、額から汗でも流しそうであった。
「初めまして、リーシア・テラローザです。どうぞお掛けになってください」
ブリックに連れられて来た女性は、ややふくよかな優しい顔立ちをしており、まだ生まれたばかりに思える赤子を抱いていた。リーシアは女性と赤子の身体の負担にならないよう、遠慮せずに寛ぐよう促す。
「……初めまして。突然来てしまって、申し訳ありません。リアン・……エルブと申します」
名前を聞いて、普段冷静なリーシアでも流石に驚いた。エルブの幼馴染みとして来訪した女性が、『エルブ』姓を名乗ったのだ。親戚ならば幼馴染みとは言わないだろう。軍規により、兵士たちにもしもの事があったとき、親しい家族にはもちろん弔慰金と遺族年金は支給されるが、それ以外にも婚約者や恋人、恩人などにも、それなりの弔慰金が支払われる事になっている。だが、支給対象は本人からの申告のみになっており、例え親兄弟であっても本人にその気がなければ支給される事はない。それ故、時には酒にだらしのない親が泥酔状態で「何でうちに金が入って来ないんだ!」と怒鳴り込んで来る事もあり、それを見て申告しなかった理由に納得したりするのであった。
リーシアは、エルブが作戦開始前夜、急に「もう一人申告したい」と申し出て来たのを思い出す。確か、名前は……「リアン・ルコラ」。大切な幼馴染みだと言っていた。だが、彼女は「エルブ」を名乗ったのだ。それがリーシアが困惑した理由であった。
「──私が、エルブ姓を名乗ったことが、不思議でしょうね。私、エルブ家の養女になったんです。ディルは死んでしまったから結婚は出来ないけれど、嫁いだ気持ちでエルブの姓を名乗って欲しいと……ディルの子にも、エルブ姓を継いで欲しいと、彼のご両親に頼まれまして」
リーシアの心を読んだわけではないだろうが、リアンは疑問の答えを口にする。それにより、赤子を愛おしそうに撫でるリアンがエルブ姓を名乗った理由はわかった。しかし、恋人すらいなかったはずのエルブに、子どもがいるとは……。リーシアがまだ理解しがたいと思っているのを察し、リアンは言葉を続けた。
「軽蔑なさるかもしれませんが、あの出征前夜、私から彼を無理やり誘いました。今思えば……もう、帰って来ない予感があった気がします。彼も同じ気持ちだったのでしょう。長年、幼馴染み以上の関係にならなかった私の気持ちに、応えてくれました」
リアンは幸せと悲しみが入り交じったような複雑な感情を乗せながら、言葉を綴る。
「……そうでしたか。エルブは……エルブ准将は、とても勇敢でした。彼のおかげで、この地球が守られたと言っても過言ではありません。それと、形式的なことでしかお返し出来ないのが申し訳ないのですが、ご家族であれば弔慰金の額も変わってきます。もちろん、お子様の養育費と遺族年金も支払われます」
リーシアは、誠意を込めてそう言った。例えそれが何の解決にもならないとわかっていても、それしか言えなかった。──言える事がなかった。「ご出産おめでとうございます」など、口が裂けても言えない。祝福の言葉など、最悪の言動でしかないのだ。
「いいえ。あなたはディルに素晴らしいものをくださいました。私などでは出来ない、とても素晴らしいものを」
リーシアの言葉に、リアンはよく眠っている赤子をソファーに降ろしながら言う。俯いていて、どんな表情をしているのかはわからなかったが。
「本当に……まさか隊長さんがこんなに若くて美しい方だとは、慰霊式典に行くまで思ってもみませんでした。おそらく、ディルは、あなたを愛していました。──敬愛と、それ以上の愛を。……だから」
リアンは赤子を撫でる手を止め、言葉も止めた。そして──。
「だから! 死んだのでしょう!? あなたのために!!」
そう言ったかと思うと、リアンは産後の女性とは思えぬ動作でテーブルを乗り越え、いつの間にか手にしていた刃渡り20センチほどの刃物でリーシアの豊かな胸を突き刺す。刃物は肋骨の隙間を抜けてリーシアの肺を貫いた。
「…………っ!」
リーシアは、声にならない微かな呻きを漏らす。血に濡れた刃物から手を離したリアンは、悲願を達成したと笑いながら涙を流している。リーシアは怒りと悲しみで止めどなく流れるリアンの涙に目と心を奪われ、自身の刺された胸から溢れ出る血液に気付かない程だった。紺瑠璃の軍服が血液で赤黒く染まってゆく。控えていたブリックが直ぐさま気付いて、興奮しているリアンを力ずくで取り押さえようとしたが、リーシアはそれを制する。
「ダメよ! ……丁重に、やさ……しく──……」
そこまで言って、リーシアは大量の血を吐いて床に倒れ込んだ。騒ぎで起きた赤子が大きな声で泣いている。父を知らぬ子ども……。自分がそうさせてしまった。リーシアは薄れゆく意識の中で、エルブとリアンが幸せそうに赤子を抱く姿を見る。……それを、自分が奪ってしまったのだと、刺された傷よりも深く胸に刻みながら、自らが流した血の海に沈んでいった──。
リアン・エルブは、産後である事を利用して近衛艦隊本部来訪時の身体検査をすり抜けたのだ。西暦の時代から、今でも利便性がよいとして使われているX線検査でリアンの腰に20センチほどの異物が映ったが、身体検査の結果、産後に巻くコルセットの芯であると認められた。彼女は後方支援部隊の応接室に行く途中、「すみません。おむつを替えていいでしょうか?」とトイレに行ったそうだが、おそらくその時にコルセットに隠していたセラミック製の刃物を取り出したのだろう。そして、赤子を包むおくるみに隠したのだ。
彼女は、前の戦争の慰安式典に遺族として参列し、リーシアが鎮魂歌を歌う姿を見て、エルブの想いに気付いたと言っている。リアンは拘束されてからも「悔しい、悔しい」と繰り返し言いながら涙を流しているそうだ。
緊急で医療ベースに運ばれて来たリーシアを、知らせを聞いたニグラインと凰が待っていた。
止血の施せない傷を負ったリーシアの顔は蒼白で、いつも艶やかな唇は自らの血液で紅いが、生気が見られない。意識があればエルブの血で同じく紅く染まった唇を思って、報奨の口づけをした事を悔やんでいるかもしれないが、それは誰にもわからない事である。今も突き刺さったままの刃物の隙間からの出血は多く、乗せられたストレッチャーから血が滴っていた。
「ごめん、凰くん。ここからは、ぼくだけで」
8大将官の一人が刺されたとあって、近衛艦隊本部は殺伐とした空気に満たされていたが、ニグラインはあくまでも落ち着いている。ただ、表情は険しい。凰はニグラインの手助けをする事も出来ないため、ただ、リーシアの容態を心配する面持ちであった。
「お願い致します」
治療室に入るリーシアとニグラインを見送り、凰は深く頭を下げる。ここには、ニグラインと医療ロボット、そして患者しか入れない。──否、必要ないのだ。ニグラインが救えないのなら、誰であっても不可能だと、自身も治療を受けた凰には考えるまでもなかった。だが、そのニグラインが厳しい顔をしていたのだ。リーシアがどれだけ危険な状態なのか、素人でもわかる。
「リーシアちゃん! リーシアちゃん!」
リーシアが危篤状態だと聞いて、ランと一緒に駆け付けて来た螢が、医療ベースの長い廊下に響き渡るほどリーシアの名を呼びながら泣き叫ぶ。ランは親友の予断を許さない状態に涙を堪えながら、もうひとりの親友である螢を抱きかかえて耐えている。その後ろから、ユーレックも走って来た。
「ユーレック……。螢を、頼む」
「ああ」
ランはひと足遅れて来たユーレックに気付くと、泣きじゃくる螢を託す。今の螢には、親友であるとはいえ、自分よりユーレックという愛しい者の存在が必要だろう。ランに螢を託されたユーレックは、立っている事さえ危うい彼女を強く抱きしめた。
「ラン──」
ひとりになり、ただ親友の無事を祈って治療室のドアを見つめるランの肩に、凰がそっと手を置く。最前線で戦闘艇アキレウスに乗って戦っているときには勇敢な彼女の肩が、小刻みに震えている。それでも気丈に立ち、拳を握りしめているランの精神力は流石だと、凰は思う。弱い面を見せる事があっても、それ以上の強さを持っている。だが、時には誰かに頼ってもいいのではないか? ──そう、思ったが、その役目は決して自分ではないため、凰は何も言わずに隣にいる事しか出来ない。
リーシアに付き添って来たブリックとその他の兵士たちは、凰の目配せにより、敬礼後黙ってその場を去るしかなかった。ブリックは足の震えが止まらず、よろめきながらその場を離れる。凰としては、せめて副官のブリックだけでも残してやりたかったが、幾多の戦争を乗り越えてきた8大将官がこの様だ。あまり見せられたものではない。
戦場で流されるのとは違う血。それが、こんなに重いとは。戦場での命が、どれほど軽いのか。戦争がどれだけ劣悪なものかと、改めて思う。人の命は、とても重い。誰の命であっても。
凰は、ニグラインが常にこんな思いをしているのかと思い、唇を噛む。ニグラインは人類だけではなく、太陽系で生まれた全ての命に対して、このように思っているのだ。それでも、自分たちに出逢って……もしくは、肺のニグラインとの融合によって、ヒトに近くなった気もしていた。近しい人間に対して、より強い思いを抱くようになっている……。おこがましいかもしれないが、凰はそう感じていた。
待っている時間の流れは遅い。実際の何倍にも思える。それでも、数時間はかかるのではないかと思われていた手術は思いのほか早く終わり、1時間ほどで治療室のドアが開く。手術が成功しての早さなのかどうかはわからず、凰たちは開いたドアの先を息を飲んで見つめる。
「ああ、みんな待っていてくれたんだね。手術は無事に成功したよ」
手術着を脱ぎながら、ニグラインは人を安心させる柔和な笑顔で言った。
安堵から崩れ落ちるように床に座り込んだ螢の背をユーレックが優しく抱くと、螢はユーレックに向き、胸に顔を埋めて笑顔で涙を流す。ついこの間までなら見られなかった光景だ。戦闘中で自分の気持ちを抑え切れなかったからこその幸せも、確かにある。だが、命を踏み台にしていいわけはない。ユーレックと螢は、自分たちの幸せの前に、多くの命が失われた事を忘れはしないだろう。そして、今自分たちがこうしていられるのが、リーシアのおかげだという事も。
あの時、絶望の中にいたユーレックと螢を救ったのはリーシアなのだ。なのに、リーシアが生命の危機にあっても、自分たちには何も出来なかった。凰と同じように、ニグラインに任せるしかなく、ただ祈る事しか。だからこそ、リーシアの命が助かったと聞いて、ユーレックと螢は心の底から喜んだ。ランも安心して肩の力を抜いたが、彼らの想いとは違い、親友の無事を喜ぶに留まる。それが悪いとは思わないが、リーシアに対して、何か申し訳なさを感じてしまったのも事実だ。ランの感情に気付いた凰が、再びランの肩を叩く。何を言うでもなく、ただ、同じ思いを感じた者として。
「数日間、医療用カプセルで安静にする必要はあるけど、もう大丈夫だから。みんな安心して仕事に戻って」
ニグラインの言葉で、集まっていた者たちに笑みが漏れる。だが、彼らの「仕事」は、誰かの命を救う事でもあり、また奪う事でもあった。笑顔の後に気を引き締めた表情でニグラインに敬礼し、凰以外の三人はその場を離れた。
「レイテッド司令……」
凰が留まったのは、ニグラインの言葉をそのまま受け取る事が出来なかったからだ。何か、重要な事柄が秘められているような気がした。感でしかないそれに、ニグラインは悲哀を込めた微笑みを向ける。
「──凰くんにはかなわないな……。いいよ、入って」
ニグラインはそう言うと、自分以外の健康な者は入れない治療室に、凰を認証して招き入れた。
医療用カプセルで眠るリーシアの赤みのある顔色を確認した凰は、ニグラインの言葉を待つ。足下では掃除ロボットが忙しなく血を拭き取ったりしている。ニグラインは手に持っていた手術着をダストボックスに入れ、手の洗浄を終えると凰に向き合った。手術着を着ていたとはいえ、血痕のひとつも付いていないニグラインの白い軍服が、この場に相応しくないように見える。
「リーシアちゃんは、肺の動脈を刺されて出血多量で心肺停止だった」
ニグラインの藍碧い瞳が、凰の青虎目石さながらの瞳を真っ直ぐに捕らえて言う。
「医学では助からない状態だったから──医学的手術ではなく、科学で救った」
「科学で救った」その言葉に、凰は言葉を失う。「医学では助からない」つまり、医学上は死んでいた……という事だ。しかし、リーシアは生きている。『科学』によって。
「……凰くんの考えている通りだよ。ぼくは、リーシアちゃんの肺を生成し直して、生き返らせた」
実際は、生命反応の全てが失われたわけではない。だから『死』ではないといえばそうかもしれないが、それは、生命の倫理に反している行為だ。だが、その行為のおかげで生きながらえているものたちがいる。──そう、太陽系全ての生命。ニグライン・レイテッドがその行為によって生き続けているからこそ、太陽系の全てが生きているのだ。だが、それは『ニグライン・レイテッド』だけに許された行為ではなかったか? 全ての太陽系生命のために、永遠に生き続けるという枷を付けられている代償として。
「ここまで言ったら、もう隠しておくわけにはいかないね。キミには、全てを伝える約束だ」
ニグラインは医療用カプセルで眠るリーシアをやさしい笑みで見つめ、一呼吸置いて目を瞑る。そして数秒置いて開いた瞳は絶対光度を静かに煌めかせ、凰の瞳をを射貫いた。
「……ラリマール、キミにも──いや、キミたちにも、同じ処置を施した」
絶対光度が、鈍く光る。そんな輝き方をする碧藍の瞳を、凰は初めて見る。これまで見て来たその瞳は全ての者を圧倒し、心を捕らえてきた。それでも目を離す事の出来ない光りに、凰は肺が痛くなるほど息を吸い込み、言葉を発する。
「それは、前の戦争で、私と……カルセドニー中将が命を落としていた──ということでしょうか」
疑問形は使わず、凰ははっきりと口にした。凰には、ファルコンズ・アイを月に帰還するよう自動操縦に切り替えた後、目覚めるまでの記憶はない。ニグラインに「治療をした」と言われていたが、『医学』ではなく『科学』によって生かされたとは思ってもみなかった。だが、ユーレックの「全てやり切った」と安心して眠りについた顔。自分の意識が落ちていく感覚──あれは『死』だったかもしれないと、納得も出来るのだ。
「すまない……」
ニグラインは、碧藍の瞳を伏せて静かに言う。人類の身勝手により、終わりのない命を与えられた彼は、終わるはずの命を救う事に罪悪感を持つ。
凰は、ニグラインの言葉に、かつて自分を助けた医師を思い出した。あの医師も、こうして凰に詫びたのだ。戦乱の中、僅か10歳の子どもが親を亡くして生き残っても、幸せになれるとは思えなかったに違いない。凰の背中の横一文字の傷と、胸の縦一文字の傷がクロスして、あの時の痛みを思い出させ心臓が疼く。だが凰は、あの医師の事を恨んでなどいなかった。そして、ニグラインの事も──。
「レイテッド司令、私は司令に付いて行くと決めました。カルセドニー中将も同様です。司令が私たちを必要とし、助けてくださったのであれば、恨むことなどありません」
永遠の太陽そのものであるニグラインに望まれて生きている──。こんな光栄な事などないではないか。太陽系の大きな秘密を共有し、永遠からみれば僅かな時間かも知れないが、その間だけでもニグラインの役に立てるのであれば。例え、ヒトの道から外れたとしても。
「ありがとう。そう言って貰えると、楽になる──」
ニグラインはそれだけ言うと、再び瞳を閉じる。次に開かれるときは、また穏やかな藍碧い色をしているのだろう。凰にとって、そのどちらもが従うべき象徴であった。太陽として、人として、この太陽系を守るためだけに存在する『ニグライン・レイテッド』を、ただ守りたいと思う。
そのためにも、今回の戦争も負けるわけにはいかない。ニグラインの望まない血を流す役目は、自分がやればいいと、凰は救われた命の使い道を定めたのだ。
◇
統括軍火星本部の喧騒は、太陽系近郊宙域統括軍設立以来もっとも激しいものであった。
モグリの存在、クラスト信仰者の反逆、エウロパからの3000万人の移民。そして、セラフィスの宣戦布告。未だ覚醒していないモグリがどれ程いるのかと神経を尖らせながらの行動に、統括軍火星本部の隊員たちの精神的消耗は著しく、体力すら奪っていく。
統括軍長官のリトゥプスと副長官のセネシオは、火星本部の最高会議室でこれまでにないほど頭を悩ませていた。
「リトゥプス長官、移民の居住する区域の整備はほぼ終わりました。今は元住んでいた家と同等かそれ以上の家屋の提供を精査しているところです」
セネシオは、かつて栄えていた居住区域を民間の建設業者に委託し、何とか人が住まう事が出来るまでに整えられたと報告した。火星も地球も、幾多の戦争によって人口が激減したあと、焼け野原になった区域をそのまま放置せずに、いつでも移民・難民を受け入れられるようにはしていたのだ。空間圧縮装置が開発されたおかげで、建物一軒丸ごと圧縮して保管する事も可能になり、建設会社は大量の家屋を保有している。今回、セラフィスが避難民に配ったのはその小型版で、家財道具と自家用車くらいは圧縮できるが、家屋その物は置いて来なければならなかった。
「セラフィスめ……! こちらが避難民の対処で人員を割いている間に、何を企んでいるのか」
リトゥプスはセネシオの報告に頷くと、リトゥプスの意思に反応して固めになったマイフィットチェアの背もたれに身体を預け、腕を組んで思考する。エウロパから火星への移住に10日間と期限を設けたセラフィスだが、それ以降特に何かを発信する事もなく、移住が完了するのを待っているようである。
その間、近衛艦隊の助力もあってクラスト過激派の検挙も進んでいるが、モグリだけは見つけようもなく、統括軍の艦隊も地上に被害を出さないために出航して、宙空で待機しているしかない事態だった。ニグラインからの通達で、本日18時までに全艦出航するようにとの事だが、問題なく間に合うはずだ。
「レイテッド司令がお出でになりました!」
会議室前の警備兵の報告で、リトゥプスとセネシオは立ち上がる。ニグラインは凰とユーレックを護衛に付けて、約束の時間ぴったりに統括軍火星本部の最高会議室に到着した。警備兵に通された三人は、前回と違って気を引き締めているように見える。凰はいつも通りであるが、ニグラインに笑みはなく、ユーレックもにやついていない。リトゥプスとセネシオは、敬礼をもってニグラインたちを迎えた。
「やあ、リトゥプス長官、セネシオ副長官。忙しいところ申し訳ありません」
敬礼を返したニグラインは、慌ただしい中わざわざ時間を取ってくれた事に、謝辞を述べる。
「とんでもございません。こちらこそ、大変なことがあった後ですのに、ご足労頂いて恐縮であります」
リーシアの事件は当然統括軍にも伝わっており、「来てやったんだ」と偉そうにしてもいい立場のニグラインの低い姿勢に、リトゥプスとセネシオはまだ慣れない。そして、見た目の幼さにも。ゆるくウェーブのかかった白金の髪をいじる仕草や、幼さの残る大きな藍碧い瞳を見ると、どうしても感情が追い付かないのだ。それでも、この少年の頭脳に太陽系の存亡がかかっている事実は立証されている。リトゥプスとセネシオから見れば、孫ほどに年の離れたニグラインの戦略を信じるしかない。
「ご心配痛み入ります。お互い時間もないので、早速ですが予知を伝えますね。凰くん、よろしく」
「は!」
ニグラインは自分仕様に座面も高く、足乗せも付いたマイフィットチェアに腰掛け、リトゥプスとセネシオにも着席を促すと、会議の進行を凰に一任した。ユーレックもニグラインを挟むように凰と立っているが、ニグラインと一緒に座ろうとして凰に睨まれたため、真面目そうな顔をして姿勢を正したのであった。
「まず、小規模ですが、五日以内に民間人のクラスト過激派と穏健派の衝突があるようです。こちらは、統括軍の地上警備兵だけで対応できると思いますので、手配願います。問題なのは、火星艦隊のうち、本日18時までに出航しない艦艇が数隻あるとのことです」
「何と! やはり艦長級にオーナーがいるということですか!」
セネシオが大きな音を立てて立ち上がり、デスクを拳で叩いて言葉を荒げた。クラスト派同士の衝突は、予知がなくても想像出来ていた事だ。しかし、自軍の艦艇が敵に回るとなると、問題どころの騒ぎではない。出航しないと言う事は、本部ごと街を吹き飛ばし、統括軍の中枢を壊滅させる気なのだろうか。
「セネシオ、落ち着きたまえ」
眉間にシワを寄せたリトゥプスが、深い息を吐きながらセネシオを窘める。考えてはいた。だが、事実になって欲しくないと思っていた事が、現実になってしまったのだ。リトゥプスは自らの気も落ち着かせるように、整えられた口ひげを指で一撫でする。
その様を見た凰は、間髪入れずに言葉を続けた。
「出航しない艦艇は、同時刻をもってエネルギー電導を凍結しますので、地上での反乱は出来ません。同時に、近衛艦隊の陸戦部を突入させて制圧しますので、ご安心ください」
凰は、ニグラインの戦略を間違う事なく伝え、それを聞いたリトゥプスとセネシオは安堵する。エネルギー電導が凍結してしまえば、地上で主砲を放つような悪手も打てない。何も成せぬまま、近衛艦隊に拘束されれば被害は出ないのだ。
「モグリに関しても、レイテッド司令が開発した記憶制御閃で洗い出せます」
メモリーコントロールフラッシュの説明を聞き、リトゥプスたちも目を見開いて驚いた。覚醒してからでないと成果は出ないとは言え、モグリが誰であるかをその場で判断・拘束が出来るのであれば、無用な血を流さずに済む。これまでは、モグリにされた者たちの大量の血が流されて来た。さぞや無念であったろうと思う。生きながらえても、終身刑になる者が殆どだ。──凰の前副官、虹・グリーゼや、ランの隊の新兵だったアサギのように。
「近衛艦隊には、頭が上がりませぬ。なにとぞ、よろしくお願い申し上げる」
リトゥプスが深々と頭を下げると、セネシオもそれに倣った。統括軍だけでは解決できないと、苦渋を飲んでいたところだったのだ。
「お二人とも、頭を上げてください。ぼくは統括軍の司令官でもあります。今回は統括軍に的を当てられているから近衛艦隊が加勢に入ったのです。逆の立場であった場合、統括軍に近衛艦隊を守ってもらわねばなりません」
ニグラインは当然のように言うが、統括軍から見れば近衛艦隊は特別であった。事実、『近衛』というだけで特別なのだ。象徴君主であるETSを──太陽系を守護する艦隊。それが太陽系近衛艦隊だ。その近衛艦隊に守って貰うというのは、統括軍としては些か情けなく思う。しかし、そんな事を言っている状況ではない。一滴でも流れる血が少なくなるよう、尽力せねばならないのだ。
「は! ……よろしくお願い申し上げます。こちらも、最善を尽くします故」
リトゥプスは起立してそう言うと、今一度恭しくセネシオと共に一礼する。彼らには、若者を前線に送り出さねばならない──という後ろめたさもある。近衛艦隊の総隊長である凰が、まだ26歳という若さなのだ。本来なら、自分たちが守らねばならないというのに。
「長官……決めたのは、L /s機関です。あなたたちのせいじゃない。どうか、心を痛めないでください」
リトゥプスの心情を察して、ニグラインは最上の笑みをもって言葉を放つ。だが、それが更に重くのし掛かる。11歳の少年の姿をした司令官に、リトゥプスとセネシオは頭を垂れるしかなかった。




