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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
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第1章【藍碧(あお)い瞳の少年】

 すっきりとしたビルが立ち並び、人々も忙しそうに行き交っている。

 人造恒星〝Eternal(エターナル) The() Sun(サン)〟が完成する前200年ほどは、太陽の恩恵よりも乱れる磁場や気候の変動の方が大きく、生物が生き残るべく『惑星』全体を大気ドームで保護して人工的に災害の出ない程度の気候を保っていた。惑星内部に大気安定装置を組み込む事に成功した現代もそれを受け継いでる。

 一見ビジネス・オフィス街のようだが、立ち並ぶビルの中でも一際大きい白いビル、〝太陽系近衛艦隊地球本部〟は〝太陽系近郊宙域統括軍〟の本部さえもしのぐ軍事的システムと恒星間戦争まで取り締まる事の出来る〝戦闘・制圧部隊〟を有していた。更に、このビルの上層部には近衛艦隊旗艦・戦艦(びゃく)号が鎮座しており、戦闘時にはビルの上から流麗な純白の巨躯を現し、宙空へと出立するのだ。艦隊独自の戦闘艇や装甲機も天の川銀河内でも特出した性能を持つ。近衛艦隊の管下に置かれた『月』に至っては、太陽系の中でも抜きんでた迎撃設備を誇り〝防衛衛星〟の肩書きはあれど外敵となる者には〝武装要塞〟と呼ばれている。


「知ってるか?  遥か昔、月や火星にようやく人類が移り住めるようになった頃、『月・火星に兵器や争いを持ち込んだ者は地球に追放する』という法律があったんだとよ」


 と、都市伝説のように面白半分に言う者もいるが、紛れもない事実であった。

 だが、地球からの移住者にそれを呵したところで系外惑星に移住していた者たちが侵略者となって攻撃を仕掛けてくるようになったとあれば、必然的に迎撃拠点にせざるを得ない。太陽が人造恒星になって太陽系を守るように、月も防衛衛星となって地球を守護しているのだ。

 〝ETS〟さえなければ、こんな戦争など起こらないのに……と言う者もいるが〝ETS〟がなかったとしても、あと数千年は天の川銀河系内で特出して潤うハビタブルゾーンが存在していたのであるから、その間は同じように侵略者が訪れ、末期には自分たちが侵略者となるために系外惑星を求めてさ迷う事になったであろう。

 故に〝人類〟という種族が存在する限り〝人類の業〟として争い事を受け入れなければならない。〝人〟である事の喜びを求めて、生きて行くのであれば。


          ◇


 夕焼けに染まる地球は美しい。青い空は茜色に燃え、碧い海へと溶け込むことを拒む。わずかな抵抗の後は歓喜の光を散りばめて静かに同化を受け入れる。夜の始まりはドラマチックでなければいけない。明日の朝を迎えるためには──。


「いつも、そんなくだらないセリフで女を騙しているのか?ユーレック」

 太陽系近衛艦隊総隊長ファル・ラリマール・(オオトリ)が、近衛艦隊地球本部艦橋最上部の総隊長席で今日の任務の確認をしながら僚友のくだらない自伝を聞いて素直な感想を述べた。

 凰は今年26歳になる青年だが、5年前の大規模な戦争の最前線において陣導指揮を誤り戦死した上官に代わり迅速かつ的確な指示を出し壊滅寸前だった自軍を救った……否、救ったどころではない。敵からすれば最後の一手を四方どこからでも打てるほど余裕があった。だがその全ての手を潰し、更に中枢を壊滅させ勝利へと導いた。

 その功績により翌年〝太陽系近郊宙域統括軍〟から独立する形で発足した〝太陽系近衛艦隊〟の総隊長にわずか21歳で任命され、この4年間不動の地位を守っている。

 若いとは言っても長身を引き立てるバランスよく筋肉の付いた肢体は理想的であり、加えて青虎目石(あおとらめいし)さながらの瞳は不可思議な色彩を伴って鋭く光り、彼の戦士としての力量を表している。更に紺瑠璃を基調とした近衛艦隊の制服は彼のためにデザインされたかのようにその肢体をぴたりと包み込み、凰を〝(ちょう)〟として認めているようであった。その外見だけでも、太陽系近郊宙域統括軍に残された老兵たちに「若造が」と反発する言葉を失わせていた。

「騙しているとは何だ。いい夢を見るための儀式だろうが」

 最高の口説き文句だと自負していたセリフを一蹴され、ユーレック・カルセドニー少将は納得がいかずに反論する。

 太陽系近衛艦隊はファル・ラリマール・凰を総隊長とし、8大部隊にそれぞれDL(Division(ディビジョン) Leader(リーダー))と呼称する部隊長を備えている。ユーレックは念動力(テレキネシス)瞬間移動能力(テレポーテーション)精神感応(テレパシー)など、複合的に超能力(EPS)を有する特殊能力者で、近衛艦隊8大部隊のひとつ、特殊能力部隊の隊長だ。

「まぁ、凰総隊長なら何も言わなくたって女性から好意を持たれるでしょうけど」

 と、凰の副官を務める(コウ)・グリーゼ中尉が凰を支援するように呟いた。

 カルセドニー少将では、少しでも気の利いたセリフを言わないと……と言う言葉は流石に笑顔で抑えたが、戦闘時以外は能力を制御されているとはいえ、それでも常人より遥かに勘の鋭いユーレックの心には届いたようだ。

 虹はまだ18歳になったばかりだが、士官学校時代から文武ともに抜きん出た才能を発揮しており、地球の士官学校を2年早く主席で卒業し特待生として火星の幕僚養成専科に2年間通い、昨年度から近衛艦隊本部に凰の副官として配属された将来有望な士官である。現代は幼年学校に10歳から入学すると成績次第では13歳から士官学校に入る事も出来るが、その中でも虹は特に優秀であったのだ。

「……そういえば、カフェの子とはうまくいってるのか?」

 かわいげのない虹の毒づきに、ユーレックは大人げなくからかうように唇の端を少し上げて切り返す。ユーレックとてまだ27歳である上に凰よりも3センチほど高い身長を誇り、割りと整った顔立ちをしている。ただ、引き締まらない表情が外見的好印象を損なわせていた。

「カ、カカ、カルセドニー少将には、関係ないでしょう!」

 年齢の割には冷静な虹が、耳まで赤く染めてユーレックの問いかけをはね除ける。

 虹にはもっか片思い中の相手がいる。近衛艦隊御用達のカフェ・セラフィーナのウェイトレスだ。会議の時などにドリンクのデリバリーを頼むのだが、艦橋の一角に作戦会議室があるためにそれなりの権限のある者が同行しなくては外部カフェの店員では入る事が出来ない。そのため総隊長の副官という立場的に虹が同行する事が多く、その時に恋に落ちた──というわけである。

「なんだ、まだキスもしてないのか?」

 ユーレックはいたずらな猫のような瞳を輝かせ、まともに言葉も発する事が出来ない虹を触発する。

 告白もしていない意中の相手にキスなど出来るわけもない──いや、ユーレックならする事もあるだろうが普通はやらない。常識のズレた相手と言い合うのは、まったく不毛である。しかも相手が8大将官のひとりとあっては、たかだか尉官の虹がこれ以上大口を叩くなど(はばか)られて然りだ。

「ユーレック! 虹をからかうのやめなさいよ!」

 そこへ、IT支援部隊隊長の(ホタル)・クラーレット准将がやわらかい頬を膨らませて虹に救いの手を差し伸べた。

「まったくだ。小等部の子どもじゃあるまいし……」

 更に、第一宙空艇部隊隊長ラン・マーシュローズ准将が女性にしては短過ぎる髪を掻き上げながら援護する。

「そうね。あんまり、私のかわいい虹くんをいじめないで欲しいわ」

 そして追い討ちをかけるように、後方支援部隊隊長のリーシア・テラローザ少将が豊かな胸を邪魔そうに腕を組んでユーレックに非難の視線を向けた。

 太陽系近衛艦隊は、『特殊能力部隊』『第一宙空艇部隊・バリュウス』『第二宙空艇部隊・クサントゥス』『後方支援部隊』『IT支援部隊』『陸上戦闘部隊』『諜報治安部隊』『メカニカル・サポート部隊』の8大部隊で構成されている。

 その8大部隊長の内女性はこの三人だけだからなのか、見た目も性格も趣味さえ共通点はないが時間があればよく三人で集まっている。

 螢とリーシアは基本的に地球本部勤務だが、ランは単座式戦闘艇に乗り込み最前線の宙空で部隊を動かしている。それ故に、背も高く顔立ちも凜々しいランはユーレックよりも遥に女性からの支持が多い。そして、その事実をユーレックだけが認めていない。

「ひどいなぁ。先輩としてふがいない後輩に、恋愛のノウハウを伝授してやろうとしているんだが……」

 三人の若い女性から抗議を受けたユーレックは、被害者を気取って自分を正当化する。

「恋愛のレクチャーなら、私がしてあげるのに」

 ユーレックに便乗したわけではないが、リーシアも虹への恋愛レクチャーを申し出る。

「リーシアちゃんも! 虹、困ってるじゃない!」

 ユーレックに女性関係をからかわれただけでも赤面してしまうような虹が、艦隊一と言われる美貌とスタイルを兼ね備えたリーシアに言い寄られては、一溜まりもない。全身(・・)サイズ(・・・)も面立ちも幼い螢は、地球本部で唯一自分より若く見える虹を弟のように思っているらしい。

「いや。そのレクチャー、是非とも受けさせてもらおう。な? 虹」

 ユーレックは虹と肩を組み、リーシアからの恋愛レクチャーを下心のみで所望する。滅多に見せない真面目な表情が、なおさら不真面目さを引き立てる。

「……虹、悪い見本が見られてよかったわね」

 螢はそう言うとユーレックの真面目な不真面目さに、大きなため息をつく。

「そうだな。完璧な反面教師なんて、なかなかお目にかかれないものだ」

 恋愛には関心のないランだが、ユーレックの腕から逃れようともがく虹に同情の視線を向け螢に同意する。

 朝から艦橋で仲良く後輩の恋愛相談をしている部隊長(D L)たち……初めて見た者は、ここ(・・)は本当に太陽系を守る最前線なのか?……と、問わずにはいられない光景だろう。だがこの余裕こそが彼らの強さを立証していた。総隊長である凰自身も時には彼らの悪ふざけに乗る事もある。虹の恋愛問題に関しては、成就させてやりたい気持ちもあってか参戦率も高い。しかし、

「おまえら、いい加減に……」

 それまで傍観していた凰だが、流石に大事な副官が身を震わせるほど困っているのを見兼ねて仲裁に入ろうとして立ち上がった。その時、


「おもしろそうな話だね。ぼくもまぜて欲しいなぁ」


 と、場違いな明るく幼い声が割り込んできた。

 場違いなのは声だけではなかった。ふわりとした白金(プラチナ)色の髪にはゆるいウェーブがかかり、少し長めのそれを軽く後ろでまとめている。大きな瞳の色は深い海から宇宙へと続くように藍碧(あお)い。まだ発達途上と思われる小柄な身体に、幼さの残る端正な顔立ちが愛くるしい。


「キミが凰くんかい?」


 藍碧(あお)い瞳の少年は、部下たちを諫めるために立ち上がった凰を40cm以上見上げて、不敬とも言える言葉をかける。だが少年の言葉は単なる不躾ではなく、明らかに凰よりも上の立場の者にしか許されない言動であった。

 凰以外の面々は、少年の外見への好意的なまなざしを驚きに変えた。ここで、総隊長を『キミ』呼ばわりできる者など一人としていない。ましてや、こんな少年がそれをしていいはずがないのだ。

「総隊長に対してその口の利き方は無礼だろう! どの隊の見習いだ?!」

 それまでユーレックから逃れる事も出来なかった虹が、少年の非礼を制するためにユーレックの腕を一瞬で払いのけて、少年の前に歩み出た。

「無礼なのは、おまえだ。虹」

 少年に掴みかかろうとする虹の手を凰の言葉が阻んだ。虹は納得がいかず更なる抗議のために口を開きかけたが、それは更に驚くための動作に変わった。

「キミは驚かないのかい? 凰総隊長」

 凰は、右腕を水平にし、拳を胸の太陽の紋章を支えるように当てた完璧な敬礼をする。少年は、その凰を少し意外そうに見上げた。

「いえ。部下の非礼をお詫び致します──総司令官殿」

「総……司令……?」

 虹は凰の少年に対する呼称を、意味のわからないまま繰り返す。

 しかし少年の面立ちに気を取られ、見ようとしていなかった少年の〝服装〟が、虹だけではなくその場にいた者全てに凰の対応を理解させた。

 通常の近衛艦隊員の制服は紺瑠璃で、胸の中央には太陽を模した刺繍があり、左胸には金糸で羽の刺繍が施されている。詰襟の左側に階級章、右側に近衛艦隊章。そして、太陽系近衛艦隊・総隊長、太陽系近郊宙域統括軍・統括長官など、組織をまとめる〝(ちょう)〟に階級はないため、凰の場合は左側に長章、右側に近衛艦隊章が付いている。

 この少年のまとう純白の制服には、右側には凰と同じ近衛艦隊章、左側には統括軍章、そして胸元に〝長〟を表す両翼が、羽ばたくように金糸で美しく施されていた──。


「ニグライン・レイテッドです。今日付けで、近衛艦隊および統括軍の総司令官として着任しました」


 少年の華やかに咲き誇る笑みに、誰一人として笑顔を返せる者はいなかった──。


          ◇


 太陽系近衛艦隊地球本部艦橋の広いフロアは、動揺で空気が揺れていた。

 皆、仕事をしつつも気持ちは〝マイスター・コンピュータ・ルーム兼司令官室〟に向けられ、同じ思いを共有する者と視線を合わせては首を振り合った。

 太陽系近衛艦隊を司る〝マイスター・コンピュータ〟は、近衛艦隊が発足してから今日に至るまで、誰もその姿を見た事はない。近衛艦隊も統括軍も、実質的には太陽系の政府的科学組織である〝L/s機関〟の配下に置かれている。わざわざ司令官を配置しなくとも、近衛艦隊はマイスター・コンピュータが、統括軍はメイン・コンピュータがその任を補っていたのだ。

 それが、何故急に〝司令官〟を送り込んで来たのか。しかもあのような年はもいかぬ少年を──。

 当たり前の疑問が艦隊に溢れて兵士たちの胸を騒めかせていた。総隊長である凰があの少年に対してどのような判断をくだすのか──その答えを、皆一様に待つしかなかった。


「……虹、本当にアレが司令官なのか?」

 近衛艦隊地球本部艦橋において唯一虹と同期入隊のアサギが、デスクの下に身を隠すようにして総隊長席の隣にいる虹のところまで様子を探りに来た。

 同期とはいっても虹は士官学校を経て幕僚養成専科から、アサギは宙空専科からの入隊のため訓練兵時代に出会う事はなく入隊式で初めて顔を合わせた。階級も最初から尉官の虹とは違いアサギは末端の二等兵だが、新兵で本部艦橋に配属されたのは二人だけだった故に何かと連れ合うようになった。

 アサギも第一宙空艇部隊でラン直属の部下となって本部艦橋に席を置いたのだから、その腕前は同期の中でもトップクラスだが所詮は一介の兵士である。本来なら総隊長席に近づく事すらかなわない。凰不在のときに虹に会いに来るにしても、床を這って来る始末である。

「総隊長が敬礼していたから、間違いないと思う」

 年齢や能力はわからないが、現時点であの少年(・・・・)が司令官である事に違いはなかった。

「虹がそう言うなら、やっぱりそうなのか~」

 アサギは自分の席から辛うじて見えた光景に驚きを隠せず休憩時間を待てずに虹に会いに来たのだが、驚きが真実だと肯定され更に驚く羽目になった。

「……あ」

 驚いて床に仰向けに転がったアサギの頭が、スラリとした長い足にぶつかった。見上げると見慣れた凜々しい顔に微かに怒りを浮かべたランの姿があった。

「マ、マーシュローズ隊……長……」

 瞬時に起き上がる身体能力はあるがずだが、アサギは小麦色のはずの顔色を青くしてその場で固まった。

「──虹、すまんな。うちのバカが邪魔しに来ていると思ったのだが(・・・・・・)……」

 ランは足下にいるアサギに目を向けず、虹に笑顔を向けた。そして、

「私の視界の範囲内にはいないよう、だ──!」

 と、アサギの青くなった顔面の上に力強く一歩踏み出した。

「すみません! すみません! すぐ自席に戻ります! 待機します!!」

 寸でのところでアサギは硬直を解き、床の一部と化す事から逃れ慌てて自分の席に帰って行った。虹はアサギの慌てぶりについ声を上げて笑いそうになったが、ランの手前何とか笑いを噛み殺している。

「まったく……」

 軽いため息をついて部下の姿を見送ったランは真面目に凰の帰りを待っている虹に向き直ると、表情を和らげた。

「笑ってもいいんだぞ?」

 虹は常に高官に囲まれている。凰を含めて近衛艦隊には部下に威張り散らすような者はいないが、気楽に話せる相手はアサギくらいしかいないだろう。こういう時くらい年相応に笑ってもいいと、ランは思う。

 ランもアサギと同じように宙空専科から二等兵で入隊して、5年前の戦争時はまだ大尉であった。近衛艦隊の発足で部隊長に任命されなければ、将官になどなれなかっただろう。それも『8大部隊隊長は将官以上』という規定があったからだ。それがなければ、数年後には虹の方が階級が上になっていたはずである。

 軍において階級制度は必要ではあっても、この艦隊では感情まで押し殺す必要はない。何しろ、総隊長がそういった過去の意味のないしきたりを嫌っているのであるから。

「はい。そうします」

 虹はランの気遣いに素直に応え、人懐こい笑顔をみせた。


          ◇


 凰は若い司令官に続いて、マイスター・コンピュータが置かれている司令官室に足を踏み入れた。実のところ『司令官』という存在自体が太陽系近衛艦隊にはなかったため、ここが『司令官室』であるとは今日まで誰も知らなかったのだが。


「今はぼくが凰くんを認証したけど、これからはここで認証を受けて」

 ニグライン・レイテッドはドアの中央付近を指し示した。

 名乗ってドアを開ける過程で、声紋・虹彩・網膜・掌紋が認証を受ける。その時、脈拍・心拍数・体温なども計測されて異常がなければ入室許可がおりる──という無駄のないセキュリティは、煩わしくなくありがたい。薄そうな扉に見えたが、太陽系近衛艦隊の司令官室だ。おそらく、今が述べられた以外にも隠されたセキュリティ機能があるのだろう。

 司令官席と思われる一角の背後にそびえ立つ白銀の塔にも見えるものが、近衛艦隊をコントロールしているマイスター・コンピュータだろうか。〝ETS〟についで周辺宙域が驚異を抱き、またこれを手中に収めようとする者も後を絶たない。もしこれの管理者が平和を否とするならば、今後太陽系の辞書に〝平和〟の文字は刻まれる事はないであろう。あるいは〝戦乱や独裁がなかった安定した過去の時代〟と注釈されるか。


「さて」


 ニグラインは司令席の前まで行くと凰に向き直り、やわらかな笑みを浮かべて藍碧(あお)い瞳を伏せ、一呼吸置いた。

 一瞬にも満たない時間がゆるりと流れ、空間にひびが入ると危惧するほど、空気が張り詰める。


「──改めて、本日から司令官を務めさせてもらう、ニグライン・レイテッドだ」


 ゆっくりと開かれた碧藍(へきらん)の瞳に、凰は全身に突き刺さるような寒気を受けた。最前線に立った時のような、緊張感。敬礼で胸に当てた手に力がこもる。

 同時に、二度目の自己紹介であったが凰は初めて聞くような……否、初めて会うような違和感も感じた。

 ニグラインは凰の受けた感覚を解しているのか先ほどまでのやわらかい微笑みではなく、不敵な笑みを口の端に浮かべる。

「その感性は称賛に値するね」

 ニグラインはおもしろそうにそう言うと、敬礼を解くように合図を送った。

 幼い見た目すら気にさせないほどの、圧倒的存在感。碧藍の瞳の奥には、何者にも消す事が出来ない絶対光度が煌めく。人格が入れ替わっているのか?それとも、どちらかがまやかしなのか……。

 凰の戦士としての血が、身体の芯で騒めいている。心臓が大きな鼓動を打つ。胸と背中の傷が心臓でクロスしたように、鋭い痛みが放たれた。

「素直だね……ラリマール(・・・・・)くん」

 ニグラインは辛うじて自分を殺しにかからないでいる凰の様を、楽しげに称して笑った。

 〝ラリマール〟と呼ばれ、凰は鈍い怒りを青虎目石さながらの瞳に宿した。母親に名付けられたミドルネームは、母に死を望まれたあの日以来凰の心を蝕む忌まわしい呪印として刻まれている。

「本当に素直だ──。ボクを敵だと思うかい?」

「いえ」

 そう思ったなら、すでに行動に出ているだろう。ただ、仕留められるのかと問われると自信はない。今まで戦場で敗北した事など一度としてないというのに。試され、心を乱した凰はニグラインの嘲笑めいた笑みに屈辱感を噛みしめるはめになった。

「キミが敵にならなければ、ボクはキミの敵にはならない」

 傲慢とも思える言葉は、不思議とやさしい響きを持っていた。絶対光度の煌めきの前に、凰は〝従う〟以外の選択肢を見出だせなかった。胸を貫く痛みは増し、冷や汗が滲む。

 ニグラインは凰の心を読み取ったかのように笑むと、碧藍の瞳を閉じ、再び開かれた瞳は穏やかな藍碧い色に戻っていた。

「ぼくは統括軍の司令官でもあるけど、基本的には近衛艦隊に常駐させてもらうから、よろしくね」

 部屋全体が明るくなるような華やかな笑みに、凰の心は癒されなかった。かえって胸の痛みは強くなり、息苦しさも増していく。

「凰くん調子悪そうだから、また後にしようか」

 痛みにより息があがりかけている凰を案じて、ニグラインは退室を促す。

 凰はニグラインに聞きたい事が幾つもあったが、今は好意に甘んじるしかなかった──。


          ◇


 司令官室を退出した凰は、視界が揺らめいている事に気付いた。胸の痛みから来る目眩だと容易に理解出来る。

「……っ!」

 凰は、深く刻まれた傷口を忌々しげに押さえた。死神の鎌で斬られ、死に損なった者に架かせられた戒めのごとく、肉を切り裂き臓器をえぐられるような苦痛に襲われる。


『すまない……』


 母に捨てられ、被弾した凰を治療した医師の言葉が頭を過る。あの医師はその後どうしたのだろうか?敢えて捜す事もしなかったが、胸が痛む度に思い出す。

 当時の記憶がほとんどなく、医師の顔も年齢も性別すら判らない。そもそも医師だったのかどうかも確認したわけではないが、心臓に達するほどの傷を治したのだ。職業的に医療従事者でなくとも、医師と呼ぶのはおかしくないだろう。

 意識が戻ったときには太陽系近郊宙域統括軍の医療施設に保護されており、身寄りのない凰は動けるようになったと同時に統括軍に見習いとして入隊した。幸い、凰は兵士として才能が開花したため生きるのに苦労はなかった。

 あの医師にしてみれば、戦乱の中で傷を負って一人きりになった少年が幸せに暮らせるとは思っていなかっただろう。それでも、医師は凰を助けた。恨まれる事も少年が更に辛い思いをするかもしれない事も承知した上だったのだろうか。

「……恨んじゃ、いないさ」

 誰に聞かれる事もなく、凰は命の恩人に向けて呟いた。

 凰は途切れそうになる意識を気力だけで繋げていた。今までも多少は古傷として痛む事はあったが、このような激しい痛みに襲われた事はない。肉を裂き骨を砕いた直接の傷による痛みより、遥かに苦しい。

 医療部にヘルプを求めればよかったのだが、総隊長の凰が救急搬送されたとあっては艦隊内外に影響が及ぶ。普段の何倍も長く思える廊下を壁伝いに歩く。ありがたい事に誰にも会わずに医療ベースにたどり着いた凰は倒れ込むようにドアにもたれ、認証を受けた。司令官室や他の認証システムと違うのは〝体調不良でないと入れない〟というところだ。

「やぁ」

 開いたドアの向こうで、白衣を着た者が手を振っている。ぼやけた視界を振り払い何とか判別した凰は一瞬だが痛みを忘れそうになった。間違って何かの病原菌に医療従事者が感染するのを防ぐため、この医療ベースに人間は常勤していない。当然、患者に手を振るような医療ロボットもいない。

「ここで、何を……」

 先ほどまで司令官室にいたはずのニグラインがやんわりと微笑んでいる。ニグラインの藍碧い瞳に見つめられて一層苦しさが増し、壁伝いに座り込む。

「薬、作ってたんだ」

「薬……?」

 何のと続くはずの言葉は、凰の意識とともに失われた──。


 気が付くと、凰は白い天井の下で治療用カプセルに横たわっていた。先ほどまでの痛みも苦しさもなく、不思議なほど身体が楽になっている。〝痛みがない〟からではなく、完璧に調律されたような安定感に包まれていた。

「目、覚めた?」

 ぼんやりと心地よさに浸っていた凰を藍碧い瞳が覗き込む。

「……レイテッド……司令──」

「もう、大丈夫なはずだよ。完全ではないけれど、DNAの感情は治まったから」

 ニグラインは白衣を脱ぎながら『DNAの感情を抑える薬を調合して投与した』と、治療内容を伝えた。

「ごめんね……多分、ぼくのせいだ」

 ニグラインが申し訳なさそうに凰の胸の傷に触れると、再び軽い痛みが背中の傷に向かって貫く。

「キミが、ぼくを警戒している痛みだよ」

 凰はニグラインの〝DNAの感情不安〟という不可思議な診断が妙にしっくりと来て納得する。今までこれほどの苦痛に見舞われた事はなく、ましてや意識を失う事などなかった。〝ニグライン・レイテッド〟を生物として遺伝子レベルから恐れているというのか……。凰はニグラインの手を振り払い、身体を起こす。

「古傷としての痛みや今みたいな軽い痛みは残ると思うけど、余程のことがない限りさっきのような状態にはならないと思うから安心して」

 そう言いながら振り払われた手を握りしめたニグラインの笑顔が、切なく見えた。

「司令は──」

 何者なのか。という問いを口にする事ができず、凰は唇を噛む。

「……ここの医療システムを人間が使用するには、L/s機関の許可が必要だと聞いておりますが」

 その代わり〝薬を調合した〟と言う若き司令官に、矛盾点を尋ねる。

 いくら司令官といえど、厳重にセキュリティがかかっている医療システムを勝手に利用する事は出来ない。新薬を作るなどそう簡単に許可が降りるわけもなく、また許可が降りたとしてもこの短時間で作れるものなのだろうか。

「あぁ、それなら問題ないよ。ぼくはマイスターも医療システムも、自由に使えるから」

 さも当然と微笑みながら言うニグラインとは相対的に、凰は驚きのあまり声は封じ込めたものの表情までは隠せず、上官であるニグラインに非礼とも言える視線を向けてしまった。

「〝こんな子どもが〟って、思った?」

 この宙域を統括する、太陽系近衛艦隊のマイスター・コンピュータ。銀河系内において絶大な支配力を誇るその全貌は、未だ謎に包まれている。〝ETS〟を制御しているのではないか──と噂されているため〝ETS〟を狙う者から常にハッキングをかけられているが、僅かにも侵入を許した事がない。

 そして、艦隊医療ベースに設置されている医療システム。研究から実際の治療まで全てここで行う事が出来、使いようによっては質の悪い生物兵器や猛毒類を容易く製造出来るほどの設備のためにどこよりもセキュリティが厳しい。

 それら全ての管理者はL/s機関にいるはずだと、その人物を特定するためにどれだけの人間がどれ程の時間を費やした事か。費やした挙げ句、不慮の事故などで人生が終わる者も多いという。ニグラインは〝管理者〟であるとは言わなかったが、絶対的な権限を持っているのは確かだ。〝ただのお飾り〟などであろうはずはない。

「……ご無礼を」

 怒りを伴わないニグラインの言葉に、凰は治療用カプセルから出て自身の軽率さを詫びる。

「気にしないでいいよ。キミは驚きはしたけれど、疑わないでくれた」

 ニグラインは偽りなく、華やかに笑う。

 その笑顔に封じ込められている過去に受けてきた偏見や嫉妬、謀略は計り知れないだろう。常軌を逸した才能は疎まれ、利用されるか葬り去られるか……。歴史は、そんな汚泥にまみれている。この少年が今まで普通に生活して来た訳はない。例え外見的年齢がまがい物だとしても。L/s機関において重要な地位にいたとあれば、全て納得が出来る。しかしニグラインを手元から放して、L/s機関は何をする気なのか?

 あるいは、近衛艦隊そのものが彼を閉じ込めておく〝鳥かご〟なのか。それとも、この艦隊すらニグラインに与えられたおもちゃなのだろうか。

「おもしろいね、凰くんは」

 たどり着けない答えを探して彷徨う凰の意識を、ニグラインの明るい声が呼び戻した。微笑むニグラインの藍碧い瞳に心を見透かされているようで、凰は一瞬戸惑う。

「素直で思慮深い。とても歴戦の勇者とは思えない」

 嬉しそうに笑う司令官に、もはや疑問をぶつける術はなかった。

「そうそう。志気に関わりそうだから、凰くんが通って来た通路は閉鎖しておいたよ」

 誰にも会わずにここまで来られたのは奇跡ではなくニグラインの配慮だった事実に、凰はまたしても己の未熟さを思い知った。ニグラインは司令室にいるとき、すでに凰の体調異変に気づいていた。だが、あの場でニグラインに手を差し出されたとしても凰は治療を受け入れなかっただろう。

 全てを見透し、最善の策を見出だし実行する。司令官としてこれ以上の人材はいない。同様に、独裁者となったならば近郊銀河すら容易く支配出来るやもしれないが。

「ご配慮、感謝致します」

 この時、凰のニグラインへの警戒心は解かれ奇妙な昂揚感を感じていた。ニグライン・レイテッドを司令官と認め、仕える意を込めて再度胸に拳を当てて敬礼する。凰はこの4年間、艦隊の責任者としての任に着いていたが、自分はトップに立つ人間ではないと常に違和感を持っていた。L/s機関の真意はわからないが〝ニグライン・レイテッド〟が太陽系の未来を握っている事は間違いなさそうだ。この少年に仕える事こそ、凰が望んでいた境遇なのかもしれない。

「ファル・ラリマール・凰、太陽系近衛艦隊総隊長として、ニグライン・レイテッド総司令官の着任を心より歓迎申しあげます」

 自分の目では見られない何かを〝ニグライン・レイテッド〟という少年を通して見る事が出来る……と、凰は確信を抱いた。

「うん。ありがとう!」

 友だちを得たかのような笑顔をみせたニグラインにつられ、凰も僅かに微笑んだ。


          ◇


「凰! どうだった?!」

 医務室から艦橋に戻った凰は、好奇心のみで飛びつこうとしてきたユーレックを華麗に交わすと最高会議室で待っているユーレック以外のDLたちの元へと向かった。

 医務室から出る際、凰はニグラインに「この後DLさんたちに挨拶したいから、最高会議室に招集頼むね」と〝お願い〟された。〝命令〟ではなかったな……と思いながら、虹に8人のDLを艦橋の最高会議室に集めるよう指示を出した。もし、虹が会議室に7人しか集められなかった事を悔やんでいたらユーレックはある種の危険に晒される事になるのだが、当の本人は凰の後ろを楽しげに歩いている。だが、ユーレックの笑顔の裏には大きな苛立ちが見て取れた。

「……何が言いたい?」

 凰はユーレックの苛立ちの原因を問う。

「だって、おまえ楽しそうだからさぁ。ズルいなぁ……と」

 ユーレックに隠し事は出来ない。能力は制御されているのだから心を読まれるわけはないのだが〝楽しそうな事〟への嗅覚は特殊能力とは別にあるようにも思える。

「すぐに、わかる」

 凰は口元に浮かぶ笑みを隠す事なく、ユーレックの好奇心を焦らす。

 〝ニグライン・レイテッド〟を言葉で表すのは難しい。この後の会議でどこまで他の者に晒すのかはわからないが、おそらく容易に『司令官』である事は認めさせるだろう。8大将官はそれぞれクセも意志も強い。ニグラインが全員を納得させるだけの能力を持っているのは確かだが、どうやってそれを行うのか……。その時の将官たちの顔を想像するだけで、楽しいというもの。ただ〝碧藍の瞳〟のニグラインに関しては不安もある。8大将官の中に畏怖するような惰弱な者はいないが、警戒から疑念が生まれるかもしれない。『支配』を望む者は、ここにはいないのだから。


挿絵(By みてみん)

Illustration:切由 路様

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― 新着の感想 ―
[良い点] 冒頭の引き込まれる語り、そして何らかのSF的な事情を匂わせる若き将校や司令官など、好奇心を刺激するスタートが素晴らしい。ご挨拶のために改めて読み返してみましたが、よく練られているなぁと感心…
[良い点] 人類〟という種族が存在する限り〝人類の業〟として争い事を受け入れなければならない。〝人〟である事の喜びを求めて、生きて行くのであれば。 ここが一つの答えとして書かれていますね。夕焼けか…
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