【不穏な噂】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
「ロカちゃん、キーロンのことも話したいし、今日は一緒にランチしようよ」
ニグラインは陸戦部の演習場から戻ってひと息吐くと、ロカをランチに誘った。ニグラインが誰かを食事に誘うのは今や珍しい事ではないが、そばで聞いていた凰は誘われたロカの心情を思って同情する。突然司令官に食事に誘われたのだから、尉官であるロカが困惑するのは当然だ。しかしロカは無下に断るわけにも行かず、かといって即承諾する事も出来ずにいた。
「ちゃんと士官レストランに行くから安心して」
ニグラインは高官専用のレストランには行かないから大丈夫だと軽く述べたが、ロカとしては何も安心出来ない。一士官の自分が総司令官と二人でランチをするなど、常識ではあり得ないのだ。凰でさえ初めてニグラインの誘いを受けたときは多少であったが躊躇した。あの時は拉致されかけていたニグラインを救った凰とユーレックの労をねぎらうために、ニグラインが自宅へ招待したのだが。こういった事で動じないのはユーレックくらいであろう。
「レイテッド司令、私もご一緒してよろしいですか?」
そこへ、ちょうど赤号から帰って来たランが困惑しているロカに気付いて同席を申し出る。
「うん? あ、そうだよね。女の子と二人きりはまずいよね」
ランの申し出とロカの表情を見て、何を勘違いしたのかニグラインは迂闊だったと反省した。ロカにしてみれば、ニグラインは故郷の弟を思い出すような年齢である。性別の問題ではない。何故この司令官はそう思わないのか──と悩みが増えただけであった。
ニグラインたちが士官レストランに入ると、近くにいた隊員たちは司令官のニグラインと将官のランに驚き、一斉に胸に手を当て敬礼をした。遠くにいた者もその様子に気付くと慌てて敬礼する。
「お邪魔するね。みんな気にせずごはん食べて~」
ニグラインの言葉で隊員たちは敬礼を下げたが、落ち着けるはずもなく皆なるべく離れたところへと席を選んだ。その中にはニグラインとランの後ろに立つロカを見付けて、何やら小声で話し合う女性隊員たちもいた。ロカは統括軍長官の孫であるというだけで特別視されて来たため、陰口を言われる事に慣れている。近衛艦隊に配属されてからは凰の副官になった事でますます陰口は増えたが、1であれ10であれ変わらない。今の状況で更に多くなるだろうが、気にしても仕方がないと思った。
ロカが黙ったまま口をきつく引き締める様を見て、ニグラインは優しく微笑む。
「本当に、みんな気にしないで?」
偏見を持つな──と言う意味合いも含ませ再度告げられたニグラインの言葉に、ロカに対して偏見でしかない事を話していたと思われる女性隊員たちはびくりと肩を震わせて押し黙った。藍碧い瞳の穏やかなニグラインの言葉が、まるで碧藍の瞳のニグラインの言葉のごとく息を飲む緊張をレストランに走らせる。
「じゃあ、Aランチ3つ! ひとつは少なめにしてください」
次の瞬間、ニグラインがにこやかに注文をすると、張り詰めていたレストランの空気が軽くなった。
ニグラインは政府的科学組織であるL /s機関を通じ、長い時間をかけて差別や偏見がなくなるように努めてきた。貴族などの特権階級をなくし、血筋による優遇も最低限に留まるようにし、能力も努力も認められる世の中を作って来たのだ。もちろん特権のあった者たちの反発は大きく、私財をそのまま持つ事は許されたとはいえ、権力で威張り散らす事が出来なくなり不満を大きく膨らませたが、虐げられていた者の方が遥かに数が多く、その殆どが政策に賛同した事により徐々にそれも少なくなっていった。
それでも小さなところでは消えるわけもなく、ロカのように特別な経歴を持っていると普通の友人関係を持つ事すら難しい。友人になれぬのなら放っておいてくれればいいものを、わざわざ聞こえるように陰口を言うのだから始末が悪い。
「レイテッド司令、私は向こうで食べることに致します。ごゆっくりどうぞ」
ランチプレートを受け取ったランはそう言うと、ロカへの嫉妬の陰口を言っていたであろう女性隊員たちのテーブルへと向かう。ランに声をかけられた女性隊員たちも最初は戸惑っていたが、ランの気取らない態度を受け、すぐに肩の力を抜き楽しげに談笑を始めた。
「ランはこうなることがわかっていたから、一緒に来たんですよ」
凰に匹敵する憧れの的であるランと席を共に出来た女性隊員たちは、おそらくもうロカへの嫉妬を露にしないだろうと、こっそり後を付けてきたユーレックが言った。何しろ、ランとお近づきになれたのはロカのおかげなのであるから。ユーレックは自分ではランのように場を納められないと自覚しているため何もしないが、思いは同じである。
「ユーレックくん、やっぱり来たんだね」
ユーレックの登場に驚きもせず、ニグラインはいつも通りと受け入れる。
「司令もロカが理不尽な扱いを受けないように牽制しに来たんですよね?」
流石に碧藍の瞳で威嚇したりはしなかったとはいえ、司令官が目を光らせているのを実感した隊員が、この先もそれを続ける事はないだろう。例え艦隊の外では変わらないとしても、それでもロカが勤務中に嫌な思いをしないで済めば上々だ。
「──……」
司令官と将官が自分のために動いてくれた事態に驚きを隠せず、ロカは黙って立ち上がり頭を下げた。そしてニグラインの邪気のない笑顔が原因とはいえ、弟のような──などと僅かにでも思った自分を恥じる。実家の茶畑で茶摘みを手伝っている弟と、太陽系を統べる軍の司令官を務める人物を比べるなど。
「ロカちゃんは何も悪くないんだから、そんなことしないで?」
むしろ迷惑をかけているのはぼくだし。と迷惑とはほど遠い笑顔でニグラインは言う。凰の副官に任命したのは他でもない、ニグラインだ。家柄・経歴・役職と、全てが揃ったロカがどういう風に見られるかなど、わかっていた。それでもロカの人格・才能を買って任命したのだから、ニグラインには責任がある。
「いえ、司令は悪くありません。任命して頂いたことにも感謝しております」
ニグラインの言葉に、普段は寡黙なロカが反論をした。ニグラインは自分の能力を認めて凰の副官に任命してくれたのだ。自分を誇るべきだと認識したロカの表情に曇りはなかった。
「うん。これからもよろしくね」
ニグラインはロカの能力と為人に、自分の選択は正しかったと微笑んだ。
◇ ◇
近衛艦隊が大きく再編をしてから小さな戦争も起こらず、平和な月日が流れていた。平和だと言っても軍隊であるから、日々の戦闘訓練は欠かせない。戦闘兵でなくても基礎訓練はあり、戦闘兵であれば実戦に劣らない過酷な演習も行っている。
その中で、本来戦闘兵ではない二人の隊員が、陸戦部の実戦演習用ドームで重装甲機キーロンでの演習最終段階を終えようとしていた。
「どぉ? もう完璧よ! ロカちゃんの射撃はキーロン乗りの中でもトップレベルだし、あたしもこれで戦えるわ」
演習が終了し、自分専用キーロンから顔を出した螢は誇らしげに親指を立てて言うと、機体に頬ずりをしながら共に訓練をしていたロカの事も褒め称える。
「まさか5ヶ月足らずで全ての演習をクリアするとは……」
螢とロカの最終演習を見届けたドリテックが、心底感心した面持ちで言う。陸戦部のキーロン隊に選抜した者たちでも、これだけ短い期間でクリアした者は少ない。如何に機械操作の練度が意義深いかが証明されたのだ。
「専用キーロンの性能がいいからな。これくらいやって貰わないと困る」
ドリテックの言葉を若干置き換えるように、一緒に見ていたスマルトが憮然として続けた。設計者のスマルトとしては、螢とロカ、それぞれの専用キーロンなのだから使い勝手もいいのは当然であると言いたいのだ。それでもその性能を活かし切った操縦テクニックを否定は出来ず、これでも宿年の敵である螢を褒めているつもりだった。
「レイテッド司令が攻撃を是とするのであれば、この二人の上を行くのかと思うと恐ろしいな」
「まったくだ」
ドリテックが最初の演習でニグラインが一度も攻撃せずに長時間ロストしなかった事を思い出し、訓練を続けていたら操縦テクニックなら艦隊一になるであろうと言うと、スマルトもそれに同意する。
「今日は司令も総隊長も長官との会議で留守だからな。何かあったら迷わずあの二人に艦橋を任せることにしよう」
「それがいい」
何かが起こる事を望みはせず、ドリテックとスマルトはただの笑い話に出来るようにと願った。
◇
「螢ちゃんとロカちゃんの演習、見たかったなぁ」
ニグラインはそうぼやくと、大きく溜め息を吐いた。通常勤務であればそれも出来たのであるが、近郊宙域統括軍地球本部での会議があり、叶わなかったのだ。今日は統括軍の最高会議室での会議のため、メイン・コンピュータ・ルームを出てからは警備兵の先導で最高会議室へと向かっていた。統括軍の本部ビルも近衛艦隊のそれと違わず、整備の行き届いた無駄のない造りをしているが、要所要所に警備兵が立っている。
「そうおっしゃるなら、ご自身も演習に参加なさればよかったではありませんか」
近衛艦隊総隊長として会議に同席する凰が、残念そうに唇を尖らせるニグラインを見て苦笑交じりに口にした。ニグラインが演習に参加するのであれば、演習の予定を後日に回す権限はある。ただ「見たい」というだけでは、流石に職権乱用になってしまうため諦めたのであった。
「俺も見たかったっす……」
続いて、護衛として同行しているユーレックが、自分も螢の演習が見たかったと肩を落とす。総司令官・近衛隊長・近衛艦隊中将の会話とは思えぬ話の内容に、前を歩く警備兵は内心穏やかではなかったが、そんな事は知らない三人はいつも通りに話し続け、程なくして最高会議室に到着した。案内をしていた警備兵は心を落ち着かせるように敬礼をし、ドアの前の警備兵にニグラインたちを託すとその場を去った。後に若き司令官たちについて同僚に尋ねられたとき、どう答えればいいのかと悩みながら。
「こっちはシステム警備にしないんすか?」
「お仕事減っちゃうからね」
ユーレックが警備兵に聞こえないようにニグラインに耳打ちすると、ニグラインも小さく答えた。数年前に新設された近衛艦隊の方はこういった警備に兵士を使う事がなく、人材は最小限で後はシステムに任せているのだ。だが、統括軍の方はシステムに切り替えてしまうと、今まで従事していた者を減らさなければならなくなるため、そのままの体制を取っている。
「ご足労ありがとうございます。レイテッド司令」
ドアが開くと、統括軍長官のリトゥプスが敬礼をしてニグラインたちを出迎えた。その後ろには、いかにも武人という風体が衰える事なく勇ましい副長官のセネシオ大将が控えて敬礼している。セネシオは統括軍火星本部に身を置いているが、今回の会議の内容が通信で話せるようなものではないと地球本部へと足を運んで来たのだ。
「今日はゆっくりお茶出来ないのは残念だけど、リトゥプス長官もセネシオ副長官も元気そうで何より」
総司令官を迎えるのが統括長官と副長官だけという状況は異常である。それだけで会議の内容の重大さが知れるが、ニグラインの微笑みは変わらず緩やかであった。その微笑みに慣れないセネシオの胸中に靄が揺らめく。しかし、ユーレックはともかく凰とリトゥプスが気にかける様子が微塵にもないため、自らの意思によって靄を取り払うと、一歩前に出てリトゥプスに並んだ。
「レイテッド司令、わざわざお越しいただき、恐縮であります。こちらへどうぞ」
セネシオはそう言うと、ニグラインを奥へ通した。統括軍の会議室にも導入したマイフィットチェアは、発明者であるニグラインを快く受け入れた。
「ありがとう。では、状況を聞かせてくれるかい?」
ニグラインの言葉に合わせて全員が着席すると、セネシオが重い口を開く。木星の衛星・エウロパに不穏な噂がある──と。太陽系の人口が少なくなり、かつては政令指定衛星であったエウロパも居住人口が激減し、今や辺境の衛星として火星の管理下にある。噂の出所は密告であり、統括軍の内部に叛旗を翻す勢力がエウロパにあるというものだった。統括軍の諜報部隊が真偽を探ってはいるが、軍内部の事であるがため、どんな調査結果が出ても全面的に信用する事が出来ない。それ故、リトゥプスが自ら出向く必要があると言うのだ。ただ、いきなりエウロパに行くのは危険と見做し、先ずは近場である火星まで赴いて情報を集めるつもりらしい。
「危険なのは承知していますが、残念ながら誰を信用していいものか分かりませんゆえ」
自分以外の誰も信用出来ない状況に、自分で行くしかないと考えるリトゥプスの意見は正しいだろう。とは言え、それを言うならばここにいるセネシオや、リトゥプス自身はどうなのか。
「それでぼくを呼んだんでしょ?どちらかがモグリだったり、ましてや首謀者だったりしたら困るもんね」
言葉を濁そうともせず、ニグラインはこの会議の主旨を述べた。それを避けるために、ニグラインは呼ばれたのだ。例え二人共が裏切り者で、今ニグラインを人質に取ろうとしても、ユーレックがいる限り叶わない。メイン・コンピュータ・ルームへテレポートさえすれば、簡単に逃れられる事がわかっていての招待なのだから、二人共に首謀者である可能性はないだろう。
「じゃあ凰くん、あれを」
「はい」
凰はニグラインに促され、持っていたケースからバングルのようなものを4つ取り出した。
「二人には、これを両腕に付けてもらう。もしキミたちに反逆の意志ありと判断したときは、これで拘束する。あと手動で簡単に外せるけど、両方同時には外れない。お風呂に入るときは片方ずつ外して洗ってね」
「ありがとうございます」
リトゥプスとセネシオは、衛生面での気遣いまでされている拘束具を受け取りそれぞれ装着する。これで自分たちはモグリにされていても大丈夫だ。出来れば全ての隊員に装着させたいところであるが、人権問題になってしまうためそうもいかない。第一、エウロパの件はまだ一部の者しか知らないのだ。
「凰近衛隊長。近衛艦隊の手を煩わせずに済ませたいところであるが、もしものときはよろしく頼む」
凰を〝近衛隊長〟と呼ぶのは統括軍の人間だけだが、リトゥプスがそう呼ぶのは余程重要なときだけである。今回の件がただの噂ではなかった場合、最悪を想定するならば統括軍と近衛艦隊での全面戦争になりかねない。
「そうならないことを願いますが、お任せください」
凰の戦闘本能も、流石に同胞相手では疼かなかった。そして言葉にはしないが、ロカの祖父としてのリトゥプスの身を危惧する。リトゥプスも立場を重んじてロカについては何も言わない。それでも、普段より一呼吸分ほど長く視線を合わせた事で、充分にロカへの想いは伝わった。
「ぼくは近衛艦隊にいた方がいいよね?」
統括軍の非常時なのだから、統括軍司令官でもあるニグラインは統括軍の指揮を執るべきなのかもしれない。しかし噂が事実であるなら、ニグラインが真っ先に標的になる。近衛艦隊にいるのが、一番安全なのだ。
「勿論ですとも、レイテッド司令。近衛艦隊でお待ちください」
セネシオが厚い胸を叩き、最悪の事態を回避するために全力を尽くすと立ち上がった。
「……待つ?」
セネシオの言葉に、ニグラインは溜め息を添えて失笑する。同時に、碧藍の瞳がセネシオを見上げた。空間をも支配するような碧藍の瞳のニグラインと初めて相対したセネシオは、大きく唾を飲み込んだ。リトゥプスも同じく初見だったため、目を見開いて息を飲む。
「ボクが待つためだけに近衛艦隊にいるのだと、本気で思っているわけではなかろう?」
先程までの穏やかなそれとは異質のニグラインの笑顔が、リトゥプスとセネシオの背に汗を伝わせる。長年武人として功績を挙げてきた熟練の者たちが、11歳の少年の姿をしたニグラインに畏敬の念を抱く。
「失礼しました。離れてはおいでですが、反逆者がおりました場合、討伐の指揮をお願い致します」
リトゥプスも立ち上がり、頭を深々と下げると、セネシオもそれに倣った。
「──やだなぁ、お二人とも頭を上げてください。ぼくは統括軍の司令官でもあるんだから、近衛艦隊にいても放置したりしないよ?」
藍碧い瞳のニグラインがやわらかに微笑むと、元の緩やかな空気が流れる。リトゥプスとセネシオは胸をなで下ろす思いで深く息を吐いた。ニグラインの背後には太陽系を統率しているL /s機関が付いている。それだけでも脅威だというのに、あの威圧感は──。
「じゃあ、そろそろお暇しようかな。ユーレックくん、お願い」
ニグラインがそう言うと、ユーレックの特殊能力がテレポート分だけ解放される。ニグラインが手を振った次の瞬間、リトゥプスたちが言葉を発する前に、ニグラインたち三人は会議室からメイン・コンピュータ・ルームへと消え去って行った。
「……これは、参りましたな」
先に口を開いたのはセネシオだ。身体を沈めるようにマイフィットチェアに身を落とすと、碧藍の瞳のニグラインを思い起こして宙を仰ぐ。
「ただの智将ではないと言うことか」
近衛艦隊のクセの強い将官たちが従っている理由が見えたと、リトゥプスも腰を下ろした。前の戦いで示されたニグラインの能力については、統括軍にも伝わって来ている。完全有利に整えられた戦場を作り、大きな敵を数時間で鎮圧した。地球での暴動も予期しており、被害を最小限に留めたのだ。
そして、何よりも評価すべきは統率力であった。如何に完璧な戦略を立てても、その通りに兵士たちが動かなければただの駄策に終わってしまう。近衛艦隊は若い艦隊だ。各部隊の隊長たちも若い。それをまとめ上げるのがどれだけ大変な事か。だが、碧藍の瞳のニグラインを目の当たりにして、理解が出来た。〝長〟として生を受け、統べるものとしての才覚を持ち合わせていると、ひと目でわかったのだ。
「あの凰やカルセドニーが忠誠を誓うほどだ。実力は聞いているより遥かに高いのだろう」
リトゥプスはそう言うと、ニグラインと同じ年頃の孫息子を思い浮かべ、複雑な心境になる。「孫に特別な才能がなくてよかった」と口には出来ないが、そう思わざるを得ない。自分の背を追い、立派に軍務に就いているロカに対してさえ、出来れば軍人になどなって欲しくはなかったと思っている。
「セネシオよ、我らは老害と言われぬよう努めねばならんな」
若い者ばかりを前線に立たせるわけにはいかないと、リトゥプスの意志は極まった。
◇
統括軍のメイン・コンピュータから近衛艦隊のマイスター・コンピュータへと空間移動した三人を、司令官室長であるオウムフィッシュのクラックと、改良型マイフィットチェアが迎える。
「オカエり・ぃ! オカエり・ぃ!」
「ただいま、クラック」
クラックはニグラインの腕に停まって挨拶すると、直ぐさま凰に向かって緋色の翼を広げピチピチと飛んでいく。
「ファル・ぅ! オカエり・ぃ!」
「ただいま戻りました。クラック司令官室長」
肩に停まったクラックのやわらかい冠羽根をなで、凰も挨拶を返す。その様を見たユーレックが「室長は俺のところには来てくれないんすかね?」と呟いたのを聞いて、クラックの赤虎目石のような瞳が一瞬ユーレックを見やったが、凰の肩から動こうとはしなかった。
「もう少し会議を続けたいんだけど、いいかい?」
微笑ましくそれを眺めていたニグラインはそう言うと、マイスター・コンピュータに付属しているキッチンでドリンクを用意し始めた。
凰には苦めでコクが深いコーヒー。
ユーレックにはまろやかでほろ苦いコーヒー。
どちらもニグラインが二人のためにブレンドしたコーヒーであり、この三人での鼎談時の定番となっている。
「ぼくはどうしようかなぁ」
並ぶ茶葉の瓶を見渡し、数種類の瓶を手に取ると慣れた手つきでティーサーバーに入れていく。
「そんなに色んな種類入れるんですか?」
「うん。相性のいいハーブを組み合わせると、美味しいんだよ。コーヒー豆も同じでしょ」
ユーレックがニグラインの手元を覗き込みながら訊くと、ニグラインはハーブに興味のないユーレックにもわかりやすいように答えた。
コーヒーとハーブティーの香りが混ざらずに部屋に満ちてゆく。ニグラインがカップに注いだものを控えていた凰が運び、ユーレックは満面の笑みを浮かべて丁寧に受け取る。彼らの後ろを付いて回っていた改良型マイフィットチェアはやっと三人に腰掛けてもらうと、ドリンクを置けるようにテーブルを用意した。
「今日は飲みながら話そう」
いつもは一杯飲み終わる頃まで会議を始めないニグラインだが、早急に始めたいと発話する。
「さて。二人は統括軍が近衛艦隊を敵に回すと思う?」
ニグラインの問いかけに、凰とユーレックは顔を見合わせた。リトゥプスたちの話では、統括軍内に反対勢力があるかもしれないというだけで、近衛艦隊を狙っているとは言っていなかった。
「いえ。統括軍全軍が同一意志を持っていれば別ですが、それはないと思います」
個人個人の心内ではそう思う者もいるかもしれませんが──と、凰は言う。精鋭たちで固めた近衛艦隊にやっかみを持つ者は確かに存在する。しかし、少なくとも統括軍地球連合艦隊や統括軍火星連合艦隊が総力を上げなければ戦いにもならないだろうと。
「そうだね。なのに何故エウロパ程度の軍勢にあんな噂があるのかな?正規軍に牙を剥くという事は、L /s機関への反逆でETSを狙っているってことだよね。天の川銀河の中で最も豊かな生命生存可能領域を培っているL /s機関に叛旗を翻す理由を持つ太陽系人は、なかなかいないと思うんだけど」
そこまで聞かされて、凰とユーレックはある組織の事を思い出した。太陽系の人々はL /s機関が独裁政治を行っているからといって何も不自由はない。誰もが豊かに暮らし、系外への進出をしない事で平和を保っている。それでも起こる内乱や外からの攻撃に対しても、統括軍や近衛艦隊が撃退して来た。太陽系の歴史の中で、今以上に平穏な時代はない。その平穏に意味を見出さない者。太陽系内に反対勢力を作り、L /s機関を潰してETSを手中に収めたい者が、確かにいた。前の戦争で近衛艦隊がやられたように、統括軍がそうされないと、誰が言い切れる?
「セラフィーナ……ですか?」
忌々しいその名を、凰とユーレックは同時に声に出す。
セラフィーナ──民間の優良なカフェという蓑に身を隠し、同じ意志を持つ者たちをツカイにして太陽系内に内乱を起こした組織。ETSを考案したDr.クラストの子孫であるネリネ・エルーシャ・クラストを総代としたセラフィーナの者たちは〝セラフィス〟と呼ばれ、ETSの真の所有者は〝クラスト〟にあると信じる〝クラスト信仰〟を持つ。前回の戦争で露見したばかりであるが、人造恒星を独占している太陽系を良く思っていない他恒星系と手を組み、過去に幾度も攻撃を仕掛けて来ている。その中でも、生き別れたニグライン・レイテッドたちが関与したときは大規模な戦争となり、太陽系にも多大なる被害が及んだのであった。
「しかし、セラフィーナは前の戦争で壊滅状態になったんじゃ……」
ユーレックがあり得ないとばかりの声を出したが、ニグラインの困ったような笑みがそれを否定した。
「首謀者であるネリネ・エルーシャ・クラストは逃走して、セラフィーナの構成員共々行方不明だ。そして太陽系から出た形跡がないとなれば、可能性はある」
ニグラインに代わり、凰が言葉を綴る。近衛艦隊地球本部近くのカフェであった拠点に時空間トンネルを開け、そこからどこへ向かったのかは、途中でトンネルが封鎖されていたため結局わからず終いだったのだ。太陽系の外に出ようとすればニグラインが感知出来るのだが、それは未だにない。つまり、太陽系のどこかに身を潜めているという事だ。エウロパ辺りの辺境ならば、身を隠すのには都合が良いだろう。そのまま、大人しくしていればなお良いのであるが。
「わかりました。捕らえてあるセラフィスに尋問しても無駄でしょうから、諜報部にエウロパ方面を探らせます」
凰がそう言うとニグラインは笑顔を消し、危険地域へ赴くリトゥプスとセネシオの無事を案じる。彼らの身を憂慮するだけならば、この事を伝えて行かせなければよかった。だが〝不確かな考え〟の域を出ない状態で、それを押しつける事は出来ない。「セラフィスと手を組んでいる可能性があり、信用できない」と言うようなものであり、彼らの──引いては統括軍の尊厳を傷付けるわけにはいかなかったのだ。
「エウロパの人口って、今3000万人くらいしかいませんよね?もういっそ居住区域でなくした方がいいんじゃないですか?」
一都市分ほどまでに人口の減った衛星が危険勢力の隠れ家になるのならばいっそ──と、ユーレックが言う。
「そうだね。今回のことが落ち着いたら考えるよ」
人々を監視して自由を奪うような真似はしたくないが、太陽系の安寧を損ねるようならば、管理しやすいように居住範囲を狭めるのは得策である。これまでも長い年月をかけてやって来た事だ。人々に故郷をなくして辛い思いをさせたくはないのだが、世の中の安定の方が遥かに重要であるのだから。




