【訓練】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
太陽系近衛艦隊は、本部ビルに座する総旗艦『戦艦白号』を修理・改造すると共に他の艦艇も改修していた。
艦の性能が上がる事は喜ばしいと思いながらも、前の戦いに置いて出撃する事なく、戦争が終結するまで地球護衛艦隊として地球で歯がみするしかなかった艦隊の隊員……特に艦長たちは慰霊式典の後に会合を開き、不完全燃焼した闘志を零し合ったそうだ。中でも第一宙空艇部隊第一大隊──つまりランのアキレウスを搭載する『航宙空母艦赤号』艦長のコキーヒ大佐は、戦闘終結まで宙空艇部隊の活躍を座って見ていられなかったくらいである。
ランとコキーヒは太陽系近衛艦隊が発足する以前、太陽系近郊宙域統括軍時代から同じ宙空母で共に過ごしていた。当時まだランは少尉で一介のパイロットであったが、コキーヒはすでに副艦長としてアキレウスの管理を任されており、パイロットたちとは懇意にしていたため尚更想いは強い。
「そういきり立つな艦長」
前の戦争から4ヶ月経った今でも、整備のために訪れるランにコキーヒはランの機体を赤号から出撃させられなかった無念の意を述べる。その度にランはコキーヒの肩を叩きなだめるのだが、治まる気配はない。
「俺じゃない。赤号がそう言っているんだ!」
コキーヒは自身の言葉でなく、宙空母赤号の意思だと強く言う。それは間違いではないのかも知れない。通常搭載しているアキレウスの半数を〝月〟に持って行かれ、空いた空間はそのまま心の穴となっていたと言われれば、納得してしまう。艦艇乗りならば、皆わかるだろう。
「私も赤号から出撃出来なくて、残念だったよ」
だが、ランが心からそう言うと、コキーヒは黙るしかなかった。アキレウスにとって宙空母は我が家であり、アキレウス乗りにとっては宙空母の隊員たちは皆家族なのである。その家族を戦闘で失う事が多いからこそ、余計に絆は深い。月から出撃して還って来られなかった家族を思うと、怒りすら覚えたほどだ。
「レイテッド司令を恨まないでくれよ」
ランはコキーヒだけでなく艦隊員たち全員の心情を心配する。ニグラインの戦略は最善のものだった。今まで通りの艦隊戦を行っていたら、犠牲は何倍でもあったろう。
「……理解はしているさ」
コキーヒとて、犠牲を承知で戦争がしたいわけじゃない。本来は喜ぶべき事なのだ。彼は着任の挨拶をしに来たニグラインと一度だけ話しをしたが、見た目の幼さに戸惑いしか生まれなかった。そして多くの者がそうであったように、戦争が終わる頃にはその実力を認めざるを得なかったが、それでも抑えきれない感情もある。
「これからも私たちの家を頼むよ。艦長」
ランはアキレウスと自分の還る場所である赤号をコキーヒに任せると、愛機に暫しの別れを告げ、軍港から近衛艦隊本部への転送装置に向かった。その前で、ランは大きな溜め息を吐くアウィンを見付けて声を掛ける。
「おまえも艦長に掴まってたのか? アウィン」
アウィンのアキレウスは宙空母緑号に所属しているが、緑号の艦長、柳大佐はコキーヒ以上に根に持つタイプだと聞いていた。おそらくランがコキーヒをなだめている間、アウィンは柳に愚痴を吐かれ続けていたのだろう。
「柳艦長の気持ちは嬉しいんだがなぁ……」
想ってくれるからこそだとわかってはいるが、何しろもう4ヶ月もこの調子である。戦争が起こって欲しいとは思わないが、航宙空母艦から出撃して無事に帰還するまでこれが続くとなると流石に溜め息も出るというものだ。
「本当にありがたいことだ。それでいいじゃないか!」
ランはアウィンの背中を思い切り叩くと、偽りのない爽快な笑顔で言った。
宙空母「赤号」
Illustration:梶一誠様
◇
正面入口と壁を二面失って壊滅状態だった近衛艦隊本部艦橋は、最新の設備を整えて復旧している。一番変わったところと言えば、以前はなかった司令官席が総隊長席の隣に設けられている事であろう。
「訓練……ですか?」
隣でくつろぐように座っていたニグラインの突然の申し出に、凰は困惑した。ニグラインが艦橋に来ている間は決して自席に座ろうとせず凰の後ろに控えているロカも同様である。
「うん。ぼく、兵暦ないから。みんなが辛い訓練をしているのに、司令官が何もしないわけにはいかないよ」
ゆるやかな笑顔からは本気なのか気まぐれなのかは読み取れなかったが、司令官相手にそもそも反対する権限もない。新兵見習いの中には今のニグラインと同年代の少年少女もいるのだから、身体的な意味では訓練に参加する事自体は可能だ。しかし近衛艦隊は精鋭のみで編成されているため、本部に配属されている兵の訓練は見習いといえども他より厳しい。新兵見習いはまず体力作りであるが、戦闘兵でもない11歳の小柄な少年には触りだけだとしても過酷極まりなく、また〝司令官〟には必要ないと思われるが故に、凰にはニグラインの真意が読めなかった。
「無意味だと思う?」
凰の表さない感情を捉えたニグラインは、意味ありげな眼差しを青虎目石さながらの瞳に向ける。ニグラインがこう言うからには、何か意図があるのだろう。碧藍の瞳のニグラインを知らず、目に見えない場所で未だ外見だけで判断している連中に対しても、効果があるかもしれない。
「いえ、了解しました。では、基礎訓練場へ参りましょう」
「あ。基礎訓練場じゃなくて、陸戦部の実戦演習用ドームに行きたいんだ。ロカちゃんも一緒に来てね」
基礎訓練場へと立ち上がりかけた凰は、流石に驚きを隠せなかった。陸戦部隊の実戦演習用ドームは、実戦に最も近い訓練を行う場所だ。命の危険はないが、非戦闘兵が参加するようなところではない。しかも、ニグラインよりは遥かに訓練をこなしているとはいえ、ロカまで同行させようとは。
「いい物があるんだ。興味あったら来てもいいよ? ユーレックくん」
凰とロカがニグラインの発言で顔を見合わせている最中、いつの間にか……否、いつも通りいたずらな猫のような目を輝かせて話を聞いていたユーレックに、ニグラインは声をかけた。もちろん、返事はわかっている。
「ありがとうございます、レイテッド司令!」
何か楽しそうな事をしようとしているニグラインに、ユーレックが付いて行かないわけはなかった──。
「うわぁ、汗臭そうだね」
陸戦部隊の訓練エリアに足を踏み入れたとたん、ニグラインが大きな瞳を丸くして呟く。
「司令……」
「ごめんなさい。失礼だったね」
ニグラインの汗とは縁のなさそうな笑顔に、凰は気疲れを隠せなかった。後ろでユーレックが口を押さえて笑いを堪えている。ドリテック辺りに見つかったら大変だろうが、むしろ見つかってしまえばいいと凰は思った。
太陽系近衛艦隊・陸上戦闘部隊、実戦演習用ドーム──。
兵士の心身ともに強靭化するために、実戦に近い演習を繰り返す施設である。陸戦部の兵士は最高レベルの演習で必ず10回以上〝生き延び〟ないと、戦場には出られない。数十分から数日に及ぶものまで、あらゆる戦闘を想定した演習が用意されており、レベルに応じて危険度も高くなる。最高レベルの演習では昼夜を問わず攻撃を受け、限界を越えるまで戦い続けなければならないのだ。
演習は実物がヒットしたときのダメージを計算し、各兵の身体能力値から弾き出された〝生命の限界〟を越えた時点でロストとなる。殺傷能力がないとはいえ、かなりの衝撃はあり、近衛艦隊の中でも群を抜いて体格のいい者たちが実戦さながらに命をかけて汗を流しているのだ。一般人が見たら〝汗臭い〟などと形容出来るような甘いものではなく、かえってその度胸に驚くだろう。
「お待ちしておりました! レイテッド司令」
ニグラインたちの姿を目視して駆け寄ってきたのは陸戦部の隊員ではなく、メカニカル・サポート部隊のDL、スマルトだった。スマルトが陸戦部にいるのはおかしな事ではない。彼は自ら設計した陸戦部の重装甲機キーロンの調整や改修のため、毎日のようにここを訪れている。
「出来たって連絡もらったから、すぐに見たくて来ちゃった」
「今ドリテックの野郎に話をつけていたんですが、なかなか聞き入れてくれませんで……」
ニグラインとスマルトのやり取りを暫く黙って聞いていた凰だったが、流石に何もわからないために話に割って入ろうとした、その時。
「スマルト! どういう事だ!!」
白兵戦の訓練をしていたであろう出で立ちのドリテックが、通信じゃ埒があかないとドームに駆け込んで来た。ドリテックは直ぐさまニグラインと凰、そして階級が上になったユーレックに気付いて敬礼をしたが、ユーレックの緊張感のない緩んだ表情を見て、心の中でユーレックへの敬礼だけは解いた。
「レイテッド司令! 一体どういうことでありますか?!」
凰が口にしたかった問いは、ドリテックが大声で代弁してくれた。ロカはこの中で一番回答を聞きたいであろうが、立場をわきまえて黙って立っている。凰の副官だからという理由で連れて来られたのではない事は明白であるのだから。
「ドリテックくん、今からぼくとロカちゃんでキーロンの訓練をするから、装甲機の一番簡単な演習を頼むね」
楽しげに白金の髪を揺らして笑む司令官に、ドリテックはますます悩まされる。
「司令……申し上げにくいのですが、キーロンに搭乗するには……」
身長が足りない。という言葉は控えたが、ロカならまだしも、ニグラインの身長ではキーロンの操縦は不可能であった。
「大丈夫! スマルトくん、お願い!」
「了解!」
事態を理解出来ない数名を余所に、メカニカル・サポート部から陸戦部へ直通の転送装置が作動した。そこに現れたのは──。
「うわぁ! かわいいねぇ!」
人馬フォームで現れた小型のキーロンを称揚し、ニグラインは満面の笑みで駆け寄る。それは陸戦部のキーロンの4分の3程度のサイズで、全く同じ形をしていた。
「キーロン……なのか……?」
ドリテックは己の屈強な体躯では搭乗できそうにない小型サイズの機体を見て唖然とする。
「キーロンJr.だよ。ぼくとロカちゃん専用に造って貰ったんだ」
ニグライン曰く、万が一自分やロカが戦闘に巻き込まれたとき足手まといにならないように本部艦橋に置く……との事だ。確かに前の戦争では本部艦橋は壊滅状態にされた。あの場にニグラインやロカがいたら真っ先に狙われていたであろう。そして、この2機は基地からのエネルギー電導を受けず、個別にエネルギーを供給されるようになっているという。つまり、前回のような事になってもこの2機だけは動く事も、搭乗者の身を守る事も出来るのだ。だが──。
「心配しないで。もしぼくやロカちゃんがモグリにされていても、その時はこの機体がそのまま拘束具になるから」
さらりと言うには重すぎる言葉を、ニグラインは当然のものとして口にした。モグリとして覚醒する前に搭乗すれば、罪を犯す事もないのだ。しかし、聞いた方は心に少なからず痛みを感じずにはいられない。敵対勢力にモグリにされ、今も流刑星で罪を償い続けている凰の前副官、虹・グリーゼを思い浮かべない者はいなかったからだ。
その中でもロカは自分の前任者としてだけではなく、虹には複雑な心情を抱えている。ロカは虹と士官学校で1年間だけ同級生であった。現在の士官学校は10歳から幼年学校に入って軍に所属していると成績次第では13歳から入学出来る。そこから通常であれば4年間学ぶのであるが、優秀であればスキップして短縮する事も可能だ。ロカも1年スキップしているが、虹は異例とも言える最短の2年で先に卒業して行った。虹が去った後は常に主席であったロカだが、一度として彼を抜く事は叶わなかったのだ。唯一、射撃だけは彼よりも成績が良かったとはいえ、その腕を発揮した事はない。凰の副官としてもまた、彼の背を追わねばならないのである。
「キーロンJr.の練習をしたいんだよ」
子どもがはしゃいでいる……としか見えない些か不謹慎とも思える笑みを伴っていたが、実戦で使えるようになっていなければ意味がないからと、凰やロカを説得する必要のない理由をニグラインは述べた。
戦場においては、時にはキーロンから離れて生身での戦闘もあろうが、ここでならキーロンのみの訓練も可能である。キーロンが実際に破壊されるような事もない。そして、機械操作能力が長けている者であれば、キーロンの操縦者として適任であるのだ。実例としては、前線には決して出ないIT支援部隊の肉体的にはやわな連中もキーロンの訓練を受けており、その誰もが陸戦部装甲機部隊に引けを取らないほど操作は一流であった。ユーレックの超常能力とは違うが、ある意味ニグラインの特殊能力が活かされる。ロカにしてもそうであり、彼女の機械操作能力は高い。
「凰総隊長……よろしいのですか?」
ニグラインに聞こえない様に、ドリテックは凰に今の状況の是非を問う。
「聞いたままだ。司令がリトゥプス中尉とご自分専用のキーロンで訓練をするのだから、異論はない」
凰の青虎目石さながらの瞳が、楽しげに揺れる。ドリテックは、凰が総隊長といえどもまだ25歳の若い青年なのだと改めて認識した。平和な時代であれば、まだ社会に揉まれておらず趣味や友人との交流が日常のほとんどを占め、日々笑って過ごしていてもおかしくない年齢なのだ。戦争のない間は日々単調な職務の繰り返しである。その中に楽しみのスパイスが振りかけられたら、迷わず楽しむ事くらい許されるだろう。
Illustration:ギルバート様
「そうそう!レイテッド司令が言うんだから、楽しまないとな!」
凰の後にユーレックが続く。ドリテックは、スパイスがなくても楽しんでいるユーレックは許していいのかと言う疑問が湧いてしまったのだが、仕方がないと受け入れる事にした。
「じゃあ始めようか!ロカちゃん、先ずは生体認証して」
先にキーロンに乗り込んだニグラインは、すでに飛び跳ねて遊んでいる──ように見える。
「ずいぶんと簡単に扱っていますな」
ドリテックが感心して言うと、凰も同じくと頷いた。いくら機械操作が常人離れしているとはいえ、最初から手足のように動かせるとは。ロカも最初は辿々しくあったが、さほど苦もなく普通に操作出来るようになった。とは言っても、武器の使い方は演習場に入ってから覚えるしかないのだが。
「ロカちゃん、そろそろ演習始めても大丈夫?」
「はい。行けます」
ロカが操作に慣れてきたのを見計らいニグラインが声をかけると、ロカも躊躇なく返事をする。若き司令官はやる事が読めない人物だと耳にしていたため、ロカは全くその通りだと思いながらも必要な事をしているのだと実感していた。まだ実戦に出た事のない未熟さ。虹と同じ状況になった時のための対応。それらを回避するために、今こうしているのだと。
『レベル1ノエンシュウヲカイシシマス。スタンバイ』
システム音声がそう告げると、演習場のゲートが開いた。レベル1の演習では、バリアを使わない射撃のチュートリアルのようなもので、最初は参加機体と同数の無人装甲機が敵となる。被弾も衝撃のみで実際に機体が損傷する事もなく、ダメージは数値だけで加算されてゆく。最初の敵機を倒すと、ダメージはそのままで倍の敵機が現れる。これを全て倒すとレベル1はクリアとなるが、倒した機体が2機以下の者については再度レベル1をやらなければならない。
『──3、2、1、Go!』
演習場に入ると、市街地を模したマップが現れた。ビルが並び飲食店などもある。レベルが上がるとバーチャルで人物なども置かれ、被害を出さないように戦わなければならない。機体のバリアとノーバリアを使い分けながら戦うのはレベル2からであるため、レベル1ではバリアは張れず、民間人の居そうな背後に気を配りながら戦うしかない。
「4時方向! 敵機発見!!」
先に敵を見付けたのはニグラインであった。その声にロカは直ぐさま機体を動かし銃を構えるが、一瞬の差で側面から一撃受けてしまった。
「──っ!」
疑似被弾とはいえ、かなりの衝撃が身体に伝わり、撃たれたロカの手は汗ばむ。今まで受けてきた訓練とは比較にならない、『戦闘兵』としての訓練──命を狙われている感覚が全身に走る。それでも怯まずに体勢を戻し第一射を発射したが、敵機の表層をかすめただけであった。「外した」と思う間もなく敵の第二射がロカの機体に撃ち込まれ、再びロカの機体は大きく揺らいだ。衝撃音よりも自分の心臓の音の方が大きく感じる──このままではまずいと後退し、ビルの影に身を隠す。操作には大分慣れて来ている。外したのは動揺したからだ。射撃の成績など、実戦では意味がないのだと思い知った。
ロカは「落ち着け」と自分に言い聞かせ、息を整えて敵機に向かう。今度は攻撃を避けながら照準を定め、先ずは銃を撃ち落とすと直ぐさま詰め寄り、次の一撃で心臓部を貫いた。敵機がダメージオーバーで沈黙したのを確認したロカは力が抜け、肩で息をする。そして操作パネルから手を放して汗を拭ったロカは、もう1体の敵を思い出した。
「レイテッド司令は──」
まだ戦っているのだろうかと思って探して見ると、攻撃を避けるばかりで戦おうとしていないニグラインの機体が見えた。それどころか、後ろの建物を庇って何度も被弾している。
「司令!」
ロカは慌てて銃を持ち直すと一撃でもう1体の敵を倒したが、直後に次のステージに入り4体の敵機に囲まれてしまった。ニグラインは銃すら構えておらず、まるで攻撃をする気がない事を悟ったロカは、一人であと4体の敵を倒さねばならないと気付いた。自分が受けているダメージはまだ2撃分であるが、ニグラインがどれだけダメージを受けているかわからない。今はただの演習だが、ここで司令官を守れずしてこの訓練に何の意味があるのかと、ロカは心を入れ替えて銃を構えた。
「ロカちゃん、お疲れ様!」
「……ありがとうございます」
演習が終わり、機体から顔を出したニグラインに労いを受けたロカだが、言葉と一緒に向けられた「楽しかった」と言わんばかりの笑顔に、かえって疲労が蓄積されただけであった。ひたすら戦い続けたロカに対して、ひたすら避けて逃げ続けたニグライン。ニグラインも相当に疲れたとは思うが、精神的疲労はロカしか受けていないようだ。
演習の結果は『敗北』──当然の結果である。初の演習の上、共に戦うはずの者が攻撃に参加しなかったのであるから。それでもロカ一人で6機中4機の敵機を倒したのは見事であった。
「射撃の腕はトップクラスだな」
ドリテックはロカの射撃の腕を絶賛した。いくらレベル1の演習と言っても、初めてキーロンに搭乗した者がここまで正確に敵機を撃ち抜く様は、滅多に見られるものではない。
「司令もよく逃げ切りましたね~。いや流石!」
ロカの腕に感心しているドリテックの肩に手を置き、ユーレックが愉快そうに笑いながら言う。事実、初めての操縦でここまで自在に操るのは至難の業である。ロカに助けられていたとはいえ、一度の攻撃もせずにロカより先にはロストしなかったのだ。
「これなら、艦橋に敵兵が攻め入って来ても安心だな」
ニグラインとロカの初演習の結果に、凰は満足げに笑みを浮かべた。凰とユーレックには、ニグラインとロカの決定的な違いがある事はわかっている。ニグラインには生命の危機感がない。故に、ロカのように精神的疲労も緊張もないのだろうと思う。それでも機体操作については驚異的としか言い様がない。
何にしても、キーロンJr.を造った意味も訓練の理由もわかった。他の隊員にニグラインが粒子になる様を見せるわけにはいかないのだ。キーロンで空間バリアを張っていたとしても中和砲を撃たれて撃破された場合、ニグラインは戦死した事になってしまう。艦橋にはニグライン専用のマイスター・コンピュータ・ルームへの転送装置も設置されているのだが、何故か大きめに作られているそれがキーロンJr.のためだったと、先ほど知るに至った。
「今ねぇ、螢ちゃん用のキーロンも造ってもらってるんだ。特殊コンピュータも搭載しないといけないから、ちょっと形変わっちゃいそうだけど」
演習場から出てきたニグラインが、満面の笑みで出迎えたユーレックに向かって言った。これも前の戦争でマイスター・コンピュータを守るために螢が危険に晒された事を踏まえての事であろう。今後、また近衛艦隊本部に攻め込まれるような事態になっては困るが、最悪の場合を仮定として対応策を実行する司令官を否定する者はいない。
「それは螢が大歓喜しますね!」
ユーレックも大事な想い人の安全を確保する考案に大賛成をする。あの時は自分とリーシアが間に合ったからいい。だが、一歩遅ければ螢は命を落としていたのだ。二度と彼女をそんな危険に遭わせたくはないと、ユーレックは軍人としては甘い考えだとわかっていてもその思いを捨てる事は出来ない。
「まぁ、こちらとしてはクラーレット准将に塩を送るような気持ちがしなくもないんですがねぇ……」
そこへ、螢とは毎度キーロンを巡って火花を散らしているスマルトが、演習を終えたキーロンJr.たちの点検のためにやって来て微妙な面持ちで言った。螢としてはキーロンの性能を認めてこそ解体して分析したいのだから、むしろスマルトを認めている証しだと言っては待機しているキーロンを自前のツールキットでバラそうとするのだが、無論そんな事をされては困るスマルトは迷惑だと突っぱねる。これまで一度としてキーロンの解体に着手出来ていない螢にとって、自分専用のキーロンが与えられるのは至福であろう。
「キーロンJr.、乗り心地最高だったよ! ありがとう!!」
「それは、どうも……」
そのスマルトの手を取ってニグラインが藍碧い瞳を輝かせて感謝を述べる。これにはスマルトも螢との確執など小さなものとして処理するしかなく、僅かに苦み走ってはいたが笑顔で応えた。スマルトにとってニグラインは唯一尊敬できる機械設計者であるのだ。そのニグラインにこう言われて悪い気などしない。
「ドリテック少将、また演習をさせていただけませんでしょうか?」
ニグラインとスマルトのやり取りを横目に、レベル1では足りない。実戦で戦えるレベルにならなければと、ロカはもっと厳しい訓練をしたいとドリテックに申し出る。
「おう、次はクラーレットと来るといい。司令は、まぁ……あの調子だからな」
ニグラインにこれ以上キーロンの訓練は必要なさそうだと、ドリテックは螢との演習を勧めた。
「はい。よろしくお願い致します!」
ロカは自分が守られる立場ではない事を痛感したのだ。最初は自分の身を守るためにキーロンを与えられたのだと思った。だがニグラインの行動を見て、身を守り切れない者が周りにいる場合は、この機体でその者たちを守らなくてはならない──とロカは胸に刻み込んだ。
「頼もしい副官になりそうじゃないか」
ロカの実力と気概を目の当たりにしたユーレックが、同じ事を思っているだろう凰に声をかけた。
「そうだな」
ニグライン・レイテッドが、何も考えずに事を進めるわけがないではないか。副官を持つ事への不安を払拭され、凰は己の小ささを自覚せざるを得なかった。ニグラインが特出しているだけであって、他の誰も凰を小さい人物などとは思ってはいないが。それでも自身を過大評価するような愚かな者にはなりたくないと凰は思う。そうなってしまった時は、ニグラインよりも先に今隣にいる僚友が許してくれないに違いない──そんな考えに妙な安心感を得ながら、新たな副官を心から歓迎した。




