第2章【新体制・太陽系近衛艦隊】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇虹・グリーゼ……凰の元副官
〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット
〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
◇ ◇
先の戦争から四ヶ月ほど過ぎ、太陽系は静かに日々を重ねている。
太陽系近衛艦隊は戦死・離脱・反逆により失った人材を補うべく、太陽系近郊宙域統括軍からの転属や民間で就業していた予備役兵などからも人選を行っていた。重要な立場にあった者もいたため、それは慎重に時間をかけて行われている。
半壊した太陽系近衛艦隊・地球本部艦橋は70階ある本部ビルの上層3階分が大気圏を突破して宇宙に出られる戦艦でもあるため、元よりも性能が格段に上がった設備へと改造された。屋上でもある甲板から伸びる塔は、近衛艦隊が誇るマイスター・コンピュータ・ルーム兼司令官室である。
その司令官室に、近衛艦隊総隊長の凰は呼び出された。
「ファル・ラリマール・凰、入室します」
セキュリティ・チェックをクリアして入室許可された凰は室内に入り、右腕を水平にして拳を胸に当て敬礼すると、その腕に司令官室長のオウムフィッシュが緋色の羽根をピチピチと羽ばたかせて飛んで来て停まり、やわらかい金色の冠羽根を頬に擦り付ける。
「クラック、ぼくより先に挨拶するのずるい」
凰が冠羽根の心地よさに意識を捕らわれていると、藍碧い瞳の少年──ニグライン・レイテッドがふわりとしたウエーブのかかった白金の髪を揺らしながら、白銀に輝くマイスター・コンピュータの奥にある司令官席から立ち上がり、オウムフィッシュのクラックに苦言を述べた。
「ズルい・ぃ? ズルい・ぃ?」
「ずるい!」
その苦言をクラックが繰り返すと、ニグラインは僅かに頬を膨らませてもう一度言う。
気のせいかもしれないが〝肺〟のニグライン・レイテッドを取り込んでから、ニグラインは以前よりも感情が豊かになったように見える。戦争を共に乗り越え、少しは距離が縮まったのだろうか……と凰は思った。
「さて、凰くん。キミはいつになったらそこで待っているマイフィットチェアに腰掛けてくれるんだい?」
ニグラインに言われて、凰は健気に待っているマイフィットチェアに視線を落とす。座れと言われたならそうするのだが、司令官が立っているのに勝手に座れるわけもない。相変わらずの対応に凰は苦笑する。
「あ、ぼくが立ってるからか! ごめんなさい、座って」
凰の表情に気付いて、ニグラインは慌てて司令官席に座り着席を促した。少しは上官としての立場を理解してくれたらしい。
「では、失礼致します」
待ちきれずに手を広げている──かのような錯覚を起こさせる肘掛けの付いたマイフィットチェアに凰が腰を下ろすと、マイフィットチェアは不快感を与えない動きで司令官席の近くまで移動し、静かに止まる。そして側面から簡易テーブルが現れ、コーヒーが転送されて来た。ニグライン自ら豆を調達してブレンドしているコーヒーは、毎度躊躇わずに口に運んでしまうほど凰の舌との相性がよい。
「凰くん、本当においしそうにコーヒー飲むよね。いいなぁ」
「イイナぁ・ぁ? イイナぁ・ぁ!」
つい頬を緩めてしまった凰に、コーヒーをブラックで飲めないニグラインが微笑みながら羨ましそうに言い、クラックが続く。
「司令も……」
いつか飲めるようになりますよ──と言いかけて、凰は口をつぐんだ。目の前の11歳の少年の姿に惑わされ、未だに忘れてしまいそうになる。ニグラインがこの太陽系で誰よりも長く生きていると言う事を。そう言えば、青年に見えた肺のニグラインに〝成長しすぎ〟だと言っていた。融合などをしなかった場合、どこまでで成長をやめて生成し直すのだろうか。訊けば答えて貰えるであろう疑問を、凰はコーヒーで喉の奥まで流し込んだ。
「お茶なら苦くてもおいしく飲めるのにな」
熱いのも苦手らしいニグラインは、冷たいミルクをたっぷりとコーヒーカップに注ぎながら言う。こんなところは子どもらしい。凰は見た目と行動が合っている事に安心感を覚えた。
「じゃあ、用件だけど」
凰がコーヒーを飲み終えたのを視認したニグラインは、カップをデスクに置いて口を開いた。ニグラインは重要な話であっても、余程急ぎでなければひと息吐くまで話し始めない。ユーレックなどはニグラインとのティータイムを少しでも長く取ろうと、わざとゆっくりドリンクを飲んだりする。
「凰くんの新しい副官を選任したから、今度部隊長さんたちを集めて紹介するね」
ニグラインの言葉に、凰は形のいい眉を一瞬しかめた。
前副官であった虹・グリーゼは、人造恒星〝Eternal The Sun〟を手中に収めようとする敵対勢力によって〝モグリ〟とされ、近衛艦隊に甚大な被害をもたらしたのだ。自らの意思でなかったとは言え、近衛艦隊の多くの隊員を死に至らしめた事実は、彼を無罪には出来なかった。長い、長い時間、虹は罪を背負い続けなければならない。刑期を終えたとしても、おそらくは生涯自責の念に堪えていかなければならないであろう。
それは凰も同様で、虹がモグリになった事に責任はないと言われても、自分の副官であったが故に標的にされた虹を思うと胸が痛む。そう考えると、副官を持つ事自体に抵抗を感じても仕方がないと言えるが、現実的な面で総隊長に副官がいないのは仕事に支障がある。四ヶ月間、黙って見守ってくれていたニグラインに感謝こそすれ何か言い返すような言葉はない。
「了解しました。いつ、着任しますでしょうか?」
「……『誰?』とは訊かないんだな──ラリマール」
空気が静まりかえり、ニグラインは碧藍の瞳を開いた。心を見透かされた凰は未熟な感情を恥じる。凰の心を感じ取ったのはニグラインだけではなかった。クラックが心配そうにピチピチと飛んで来て凰の肩に停まり、冠羽根を擦り付けて赤虎目石のような瞳で凰の青虎目石さながらの瞳を見つめる。
「司令の選任であれば、異存はありません」
これは本心であった。もし数人の候補者が出され「選べ」と言われていたら、経歴や人柄などではなく、一番年長の者を選んでいただろう。それは虹の事が大きく影響しており、若い者が理不尽に利用されたやるせなさからでしかない。年長の者ならいいのかと問われれば、否──であるのだが。
「責任のある身だからな、自分を責めてもかまわない。だが、その思いを活かせ」
凰の未熟さをニグラインは咎めない。4年前に発足した太陽系近衛艦隊の総隊長の座に21歳の若さの凰を任命し、太陽系の半分を背負わせたのはニグラインなのだから。あれから4年経たといっても当時まだ大尉であり士官学校を出ていない凰では、本来なら中隊長レベルであったはずだ。
「は!」
ニグラインの闊達な笑いに、凰は立ち上がり敬礼で応えるしかなかった。ユーレックのように常に肩の力を抜いて受け答えが出来ればいいのだが、軍人気質の凰には難しい。
「固いな~! 仲良くしてくれない罰として、副官さんを誰にしたのかは当日まで内緒ね」
ニグラインは形式を崩さない凰に僅かながら寂しさを覚えつつ、穏やかな藍碧い瞳で見た目通りの11歳の少年を思わせる笑みを浮かべて言った。
◇
数日後。近衛艦隊の最高会議室に招集された8人のDLと凰は司令官命令の下、自席の横に立ったままニグラインの到着を待っていた。ニグラインは凰の新しい副官の出迎えのため、護衛として陸上戦闘部隊のランディ・リューデス少佐と共に本部の受付に赴いている。ニグラインは護衛を付けずに歩き回る事はしなくなったが、自分で動く事はやめない。凰に新しい副官を──と言いながら、自身には副官を付けようとはしないのだ。その旨を凰が進言したが、そもそも司令官室には8大将官ですら滅多に足を踏み入れる事はなく、艦橋などにいる時は凰やユーレックが付いているため、クラックがいれば十分だと押し切られた。それでも流石にオウムフィッシュでは出来ない仕事は多く、結局ニグライン自ら行動するので凰の心配は尽きない。
「ランディ……羨ましいわね」
暇を持て余した後方支援部隊DLのリーシア・テラローザ少将が呟く。リーシアにとって、ニグラインは凰に並ぶ最上級の男性であり、どちらもリーシアの美貌と才覚を以てしても難攻不落であるのは承知の上だが、近くにいる事くらい許されるだろうと思っている。だが、立場上二人で行動する事などそうそうない。その至福の時を謳歌している──わけではないだろうが、リーシアはニグラインと二人でいる時間を得ているランディを羨む。
「リーシアちゃんたら!」
そんなリーシアの不謹慎な呟きを、IT支援部隊DLの螢・クラーレット准将が咎める。
「なんだ、リーシアは司令と一緒に行きたかったのか」
理由は考えず、第一宙空艇部隊DLのラン・マーシュローズ准将が続いた。ランは人間の感情にはあまり興味がないため、リーシアの言葉をそのまま受け止めただけであるが。
「なんであの二人ばっかりモテるんだ」
ここにもいい男がいるのに──と、特殊能力部隊DLのユーレック・カルセドニー中将がぼやく。ユーレックは先の戦いにおいて絶大なる功績をあげ、8大将官の中で唯一昇進して中将となっていた。ユーレックがいなければ月で出撃する事は叶わなかった事も、彼が地球本部の危機を救った事も、更にはニグラインと凰を敵小惑星型要塞・赤針から救い出した事も周知である。それだけでも十分昇進に値するが、実際はもっと大きな功績を成し遂げていた。彼は凰と二人で太陽系そのものを守ったのだ。機密事項でなければ二人には勲章が授与されたはずだが、代わりにニグラインは自宅で手料理を振る舞った。そしてそれは、勲章よりも凰とユーレックを満足させたのである。
そんな会話を面白おかしく聞いていたのは陸上戦闘部隊DLのデン・ドリテック少将だけであり、第二宙空艇部隊DLのアウィン・バーント准将とメカニカル・サポート部隊DLのオーランド・スマルト准将は興味ない風体であった。残る諜報治安部隊DLのクルス・ベリル中将は相変わらず眉間にしわを寄せ、緊張感のない戯言を聞き流している。
「まあ、カルセドニー中将なんぞに惚れるような物好きもいるのだから、いいじゃないか」
ドリテックがそう言って参戦すると、ユーレックの下がり気味の目元はだらしなく緩み、螢は耳まで赤くして言葉を失った。先の戦いに置いてユーレックの最大の功績は太陽系を救った事ではなく、螢というかわいい恋人を得た事なのかもしれない。凰も普段ならユーレックをからかう言葉のひとつくらい口にするのだが、これから来る新しい副官への思いの方が強く何も言わないでいた。
「お待たせ!」
そういう緩やかな空気の流れる最高会議室に、明るさと共にドリンクのワゴンを押したニグラインが現れた。後ろには司令官にワゴンを押させている事で怒られまいかと心配しているランディと、若い女性士官が立っている。室内にいた全員がニグラインへ向けての敬礼を終えると、ランディの直属の上官であるドリテックが口を開こうとした。
「ぼくがワゴン押したいって言ったんだから、ランディくん叱らないでね」
その口からランディへの叱咤の言葉が出る前に、ニグラインが止める。今に始まった事ではないが、こういったニグラインの行動にはユーレック以外の誰も未だに慣れずにいた。ランディはニグラインに一礼すると、自分への怒声を喉元に詰まらせているドリテックにのんびりと手を振って退出したが、その態度が後の訓練の時にどう作用するのかまでは考えていなかった──。
「次回からは彼女に頼むけど、今日はお披露目だからね」
ニグラインはそう言いながらワゴンを奥へと運び、女性士官を自分の席の隣へと案内した。ニグラインが着席すると、凰と8大将官も静かに腰を下ろす。女性士官はニグラインに促され、恭しく顔を上げた。
「ロカ・リトゥプスであります。本日付で凰総隊長の副官を拝命致しました。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」
そして凰を始めとする将官らに敬礼と自己紹介をして頭を下げた。凜とした敬礼が彼女の聡明で実直な人柄を示しており、軍人であるからという理由だけではない華美を好まぬ様相は、職務を重んじる表れのように思える。
「リトゥプス……って──」
ユーレックが聞き覚えのあるファミリーネームに興味を持つ。
「うん。ロカちゃんはリトゥプス長官のお孫さんだよ」
ニグラインがそう言うと、やはりそうかとその場にいる者たちは頷いた。
ロカ自身は太陽系近郊宙域統括軍長官、ジュレイス・リトゥプスの孫である事を表に出すのを控えている。血筋やコネで立場が約束された古の時代とは違うとは言え、関係をない事には出来ない。すでに凰の副官に選ばれた時点で──特に同年代の女性隊員たちに陰口を叩かれている。そういう事も相まって士官学校の頃から殆ど人と交流を持って来なかった。それでも尊敬している祖父の事が関わって悪く言われるのは気持ちのいいものではないため、過去の記憶からロカは口元を僅かにきつく締めた。
「周りのこと、気になる?」
その表情を読んだのか、ニグラインがロカの顔を覗き込みながら心配そうに問う。
「いえ、気にしておりません。お気遣い感謝致します」
ここは優しいだけのところではない。実力社会だと、誰もが知っている。やっかみを受けても、己の実力だと自信を持っていいのだ。むしろ、それで何か問題行動をする者がいれば排除対象となる。友人は出来ないが、ここは職場。それも軍隊なのだから、必要はない──と、ロカは思っていた。返礼を笑顔をで返す技量があればなおよかったのだが。
「リトゥプス中尉、総隊長の凰だ。面倒をかけると思うが、よろしく頼む」
敬礼を解いたロカに凰が手を差し出すと、ロカは一層気の引き締まった表情でその手を取った。
「はい。至らぬ身ではありますが、精一杯務めさせて頂きます」
ロカの手は細く、凰は不安を感じずにはいられない。戦闘になったときに彼女は身を守れるのだろうか……と考えてしまう。もちろん軍人であるのだから相応の訓練は受けている。ニグラインの人選なのだから、きっと戦闘にも長けているに違いないが──。
「ロカちゃんは昨年度地球の幕僚養成専科を首席で卒業して、昨日まで統括軍の事務次官補佐をしていたんだ。あと、お茶を煎れるのがすごい上手! 今配るから飲んでみて」
ニグラインはロカの紹介を簡単に済ますとおもむろに立ち上がって配膳を始めようとしたが、ロカの手がそれを止めた。
「レイテッド司令、これはもう私の仕事です」
着任の挨拶を済ませた今、ロカは自らの職務を果たすのは当然であり、ニグラインとしてもそれを阻害する気はなく快く任せた。着任早々に見せた毅然とした態度に、皆一様に感心する。これなら総隊長の副官を任せられそうだ、と。
「カルセドニー中将のいい手本になりそうだな」
ロカの申し分ない姿勢に、ベリルが珍しく笑顔を見せて言う。周りの者もそれに合わせて笑い、ユーレックだけが面白くなさそうに口の端を引きつらせた。
こうして、太陽系近衛艦隊は艦隊陣営の再編成を終え、新体制での歩みを始めたのであった。
ようやく第2章の始まりです。
相変わらず更新はゆっくりだと思いますが、よろしくお願い申し上げます。




