【守るべきもの】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇虹・グリーゼ中尉……凰の副官
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス
〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット
〇ディル・エルブ中佐……後方支援部隊副隊長
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
太陽系近衛艦隊・地球本部艦橋は外壁1面が消失し、内壁2面が大きく損傷していた。後に砕けた方の内壁だった箇所に数十人の白兵戦用スーツを身にまとった人影が粉塵で揺れて見える。18才の虹に力で勝てない螢と能力を使い果たして身体を動かす事も出来ないユーレックは目を凝らし息を飲む。もし敵であるならばマイスター・コンピュータの外部端末機を手放してしまった事を後悔するしかない。もう、地球本部を守る手立てがないのだ。
「間に合った?」
瓦礫と化した壁を乗り越えて現れたのは後方支援部隊DLのリーシアと、月から白兵戦部隊を引き連れて来た陸上戦闘部隊DLのドリテックだった。
「リーシアちゃん!」
螢は僚友の名を叫び、安堵の笑みを浮かべる。白兵戦用スーツの空間バリアは機能しないとはいえ、エネルギーの恩恵なしで戦える最強の部隊が来たのだ。敵がどれ程決死の覚悟で来ようとも負けはしないだろう。ドリテックは一個小隊のみを同行させ、他の兵士たちは本部ビル内に蔓延る敵に向かわせていた。
「ここの敵は一人だ! 第一分隊以外はビル内の敵の討伐を命ずる、行け!!」
「は!」
艦橋内の敵が旧型兵器で武装した虹ひとりだと確認したドリテックは一個分隊のみを残し、他の兵士は先に本部ビル内で戦闘を行っている隊員たちの後を追わせる。現状どれだけ敵がいるのか分からない。通ってきた通路だけでも双方にかなりの犠牲者・負傷者が出ており、本部にある医療カプセルだけではとても足りないと思われた。その医療カプセルもエネルギーが通らないと機能を果たせない。少しでも早く事態を収束させねばならないのだ。
「──あら? 三面に穴が空いちゃったわね……経理部に怒られそう」
リーシアは変貌している虹には一瞥もくれず、艦橋を見渡してその変わり果てた姿に眉をひそめてため息をつこうとしたが、ユーレックの乗って来たアキレウスを見て軽く吹き出す。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
螢は助けに来てくれた友人の危機感のなさに呆れたが、その余裕が頼もしくありがたかった。その気持ちを察したリーシアは螢に微笑んで応える。
「ごめんなさい。正面ドアが〝モグリ〟ふぜいに破壊されたなんて、ちょっと報告書に書き辛いだろうと思って」
現場責任者として報告書を書かねばならない螢にそう言うと、リーシアは虹に冷ややかな視線を投げ付けた。
「……え?」
螢はリーシアの言葉を聞き違えたと思い、問い返す。リーシアは本当に虹をモグリと言ったのか? 視線は確かに虹に向けられたが、アサギがドアを破壊したと勘違いしているのではなかろうかと。
「虹も、モグリよ」
冷静に、だがはっきりと答えたリーシアの口調は内容が覆される可能性を否としていた。
「虹がモグリって……」
てっきり虹がオーナーだと思っていた螢やユーレックには、リーシアの言葉が理解出来なかった。虹のアサギに対する言動はまさしくオーナーのものだった。何よりユーレックの精神感応も虹がオーナーだと判断したのだ。
「……嘘だ」
だが一番理解出来なかったのは虹本人であった。虹は目を見開いてリーシアの言葉を否定する。自分がアサギをモグリにし、艦隊の人間をツカイにした。間違いなく。その記憶は確かなものであるというのに、何故モグリだなどと言われているのか。
「僕がモグリだと?! そんなはずはない!! 僕は──」
〝オーナー〟だと続けようとして、脳裏に過ったネリネの笑顔がそれを阻んだ。僅かだが回復してきたユーレックは虹の思考を読もうとしてそのネリネの笑顔を共有し、虹と同じように声を発する事を阻まれた。
──全てのものを見下す様な、闇を思わせる笑顔に。
「彼のオーナーはネリネよ。もっと早く正体がわかっていたら、こうなる前に押し倒してでも覚醒させたのに、ごめんなさい」
哀れみを帯びたリーシアの物言いが、虹に絶望を与える。虹を今回の事件におけるツカイたちのオーナーに仕立て上げ、飼っていた人物が存在したとは。虹の純粋な想いを利用して心深くまで闇を浸潤させた、カフェの可愛らしいウェイトレスという仮面を被った少女、ネリネ・エルーシャ。
「リーシアちゃん……本当に、ネリネが……?」
あのおとなしそうな少女がオーナーだったなど、螢には信じられない。頬を染めて虹に向ける眼差しすら、まがい物だったと言うのか。二人を知っている誰もが二人の幸せを願っていた。近衛艦隊総隊長である凰でさえも。
「ネリネだけじゃないわ。あのカフェそのものが、反乱分子の巣窟だったの」
民間から唯一、近衛艦隊本部に出入りが許されていた『カフェ・セラフィーナ』。艦隊の人間にとって、あのカフェは和みの場所でもあったというのに。何年も、あるいは何十年もかけて太陽系近郊宙域統括軍内部に入り込む算段を立てていたに違いない。4年前に新設された近衛艦隊本部にまでモグリを仕込む事に成功したのだから。
「おそらく、レイテッド司令は気付いていたんじゃないかしら?あり得ない早さでセラフィーナのユニフォームを新調したり、わざわざ虹を地球に残したり、アサギのアキレウスをユーレックに取りに行かせたり──偽物のマスターキーを虹に渡せって言ったり……ね?」
やはり、ニグライン・レイテッドは最高級の男だ……と、リーシアは心から思う。そして自分レベルの人間ではニグラインに釣り合うはずもないとも思った。そもそも人間ふぜいがニグラインに想いを寄せるべきではないのかもしれない。セラフィーナのユニフォームは近衛艦隊本部ビルにいる間に異変を察知した場合、着ている者を拘束するように作られていた。偽のマスターキーもニグラインが月に行く直前、内密でリーシアに渡したのだ。ニグラインは敵に気付かれぬように近郊宙域統括軍にも調査を要請しており、リトゥプス長官からは統括軍本部近くにあるセラフィーナの姉妹店からも数々の証拠が挙がったとの報告が入っている。
「よかったわね。このマスターキーをマイスターに使っていたら、その場で裁判を受ける権利すらなく極刑に処されていたのよ」
リーシアは反応をみせる気力すら失った虹から偽のマスターキーを取り返すと優しい言葉をかけた。この緊急事態用マスターキーをマイスター・コンピュータに使用した者は精神の波長を読み取られ、異常が感知された場合はリーシアの言葉通りマイスターに処刑される様になっている。太陽系に害をもたらそうとした罪は軽くない。
「ドリテック、虹とアサギをお願い」
気力を失ってうなだれている虹と気を失って壁に凭れているアサギは、非常用に備えられていたロープで捕縛された。艦橋の外にいた他の敵兵も生死を問わず捕縛される。
「ユーレック、特能部の制御装置を解除するわ。指示を出して」
リーシアは本物のマスターキーで艦橋に設置された螢のコンピュータを起動し、地球防衛任務に充てられていた特殊能力部隊の能力制御装置解除キーを入力した。ユーレックはまだ動ける状態ではないが、同じビル内にいる隊員に思念を送るくらいは出来る。エネルギー電導が凍結されている間は捕縛した敵兵を牢獄に転送出来ないため、漏らさずに監視するには特能部の力が必要なのだ。
「おう」
ユーレックは一個小隊ほどの念動能力者を艦橋に呼び寄せた。ユーレックのように複合的に能力が飛び抜けている者は少なく、殆どの兵士は瞬間移動能力者によって送られて来たのであるが。特能部の兵士は能力制御装置を解除されるまでは非戦闘員として扱われるが故に皆シェルターに匿われていた。能力制御装置は個別に機能しておりエネルギー電導が凍結されても機能は失われず、外では他の隊の兵士たちが血を流し肉片となりながら戦っていても何も出来ずにいたのは悔しかったであろう。
「カルセドニー隊長! アキレウスで突っ込んでご帰還とは流石です!!」
艦橋に現れた特能部の隊員たちは、口々にユーレックの行動を賞賛する。いくら敵が繋げた時空間トンネルがあったとはいえ、遥か宙空から本部ビルの壁を取り払ってアキレウスごと艦橋に降り立つなど、ユーレック以外の者には不可能であった。
「おまえら絶対褒めてねぇだろう……まぁいい、艦橋に精神感応と瞬間移動使えるやつ含め3人残して他は本部内の掃除に当たれ」
「了解しました! カルセドニー隊長、お幸せに!!」
特能部の隊員たちは螢の膝枕から指令を出すユーレックにそう言い残し、それに対して螢が反論する隙もなく本部ビルで戦っている戦友たちを援護すべく立ち去った。
「俺も艦内の後始末に行くが、おまえはどうする?」
ドリテックが分隊と共に残党を根絶やしにすべく艦橋を出る際、自部隊から孤立しているリーシアに声をかけた。
「私も同行させて貰うわ。エルブたちを捜さないといけないし、ユーレックもこんな状態なら誰かに見られて困る様なことを螢に出来ないだろうから」
冗談とも本気とも取れない言葉を言うと、リーシアは床に転がったまま螢に介抱されてにやけているユーレックに感謝の笑みを向ける。ランにはユーレックが暴走しないように気を付けてと言ったが、ユーレックが来なければ螢の命はなかった。しかし戦闘が続いている以上、最大の戦力でもあるユーレックに寝ていられては困る。少しでも早く本部内の敵を制圧してエネルギー電導を復旧しユーレックをヒーリングカプセルで回復させなければならないが、晴れて想いの通じあった僚友たちにしばしの時間幸せを味わって貰いたいのだ。
「リーシアちゃんったら!」
からかわれた螢が顔を赤く染めつつも嬉しそうな表情を見せると、リーシアもその螢の表情に心が暖かくなるのを感じ自然と顔がほころんだ。そして友の幸せがこんなにも嬉しいものだと初めて知り、僅かに鼓動の早くなった胸を押さえた。
「……気を付けて」
艦橋を出ようと背を向けたリーシアに、螢は少し表情を強ばらせて言う。艦橋は静けさを取り戻したが外の様子はわからない。陸戦部と特能部の精鋭が急行したとはいえ、本部に詰めていたリーシアの後方支援部隊とは連絡も取れない状態なのだ。
「わかってるわ。ありがとう」
そう言って艦橋から出たリーシアに、ある決意が芽生える。それはとても戦闘中とは思えないものであったが、それを叶えるために生き残るという大きな意志も伴った。
「次は、ランの番ね」
もう一人の友にも幸せになって貰おうとリーシアは思考をめぐらせる。だがどれだけ考えても、残念な事に彼女の場合はまず失恋しなければならないのだが。
「……アウィンとか、どうかしら……?」
第二宙空艇部隊DLのアウィンを候補に上げて余計なお節介を楽しそうに焼きながら、リーシアは自分の部下たちの安否を確認するためにドリテックの後に続いた。
◇
月のグランディス・コンピュータを通じて異空間に格納されていた〝ファルコンズ・アイ〟は、やっと出逢えた主人たる人物をコックピットに乗せて満足そうに輝いているように見える。コックピットに乗り込んだ凰もまるで自分が帰るべき場所を見付けたかのような心地よさに包まれていた。
「ぼくもコックピットに乗ろうかなぁ」
コントロールパネルを確認する凰の背後から、ニグラインがやわらかい白金の髪を揺らしながら顔を出した。機体に内蔵されたヒーリングカプセルに乗り込むという話であったが、凰の操縦テクニックを間近で見たいと興味津々に操縦席を覗き込む。ファルコンズ・アイは、パイロットだけは機体に脳波を連動させるゴーグルだけは付けなければならないが、ヘルメットやパイロットスーツがなくとも完璧に空調・重力が制御された機体のため軽装のまま搭乗しても問題はないのだ。そして単座式に作られてはいるが操縦席の後ろが広く開いており、作った本人が「コックピットに乗りたい」と言うならば補助席くらい出て来るのだろう。
「ご自由に」
複座式を好まず独りで翔ぶ事しかなかった凰だが、機体の生みの親であるニグラインの希望を拒否する気にはなれなかった。初飛行を披露するのも、この機体を与えてくれた恩返しのひとつかもしれない。
「やった!」
嬉々としてニグラインがコックピット後方の壁を手でなぞると、コントロールパネルが現れた。パネル操作により現れた座席は補助席と呼べるようなものではなく〝簡易司令席〟と容易に判る仕様になっている。
「……最初から、ここに乗るつもりでしたね?」
「ばれた?」
子どものように舌先を出して笑うニグラインに、凰はそれ以上何かを言えずにため息を洩らす。だがここまで整えられた環境が、これから行われるミッションの重大さを物語っていた。脅威となってしまったニグライン・レイテッドの分身が待つ要塞へ乗り込むのだ。相手の戦力が分からない上に護衛は凰ただ一人である。
「当然……か」
凰は改めて自分の置かれた立場を認識して気を引き締めた。今までの戦闘とは違う。太陽系そのものの存亡が凰の肩にかかっているのだ。股肱之臣として選ばれた事を誇りに思う余裕すらない状況だが、血は沸き上がる。
「あ、凰くん。ぼくね、遊園地って行ったことがないんだ」
戦闘に集中しようとする凰を気遣う様子もなく、ニグラインは突然思い出したようにあまりにも場にそぐわない話しを始めた。緊張をほぐすためなどという一般的な感覚での発言ではない。
「今度一緒に行って欲しいな。お弁当は作るからさ」
せめて戦争が終結してから言うべきであろう内容だったが、凰はユーレックがニグラインの手料理を食べている時に見せる、いたずらな野良猫が初めて美味しいエサを貰ったかのような笑顔を思い出した。僚友と遊園地に行ってニグラインお手製の弁当を食べる──『太陽系を守る』というご大層な大義名分より、帰って来るための理由としてむしろ上等ではないか。
「カルセドニー少将たちも、一緒でよければ」
それならば一人でニグラインの弁当を食べるわけにはいかないと、ユーレックだけでなく他の僚友たちの同行も求める。出来うる事なら全ての隊員にニグラインの手料理を食べさせたいと思うが、不可能な話である。ならば重責を背負う将官たちにだけでも……と、希望を伝えた。
「いいよ。ちょうど、三ヶ月後にオープン予定の遊園地があるんだ。プレオープンに招待するね」
毎度の事とはいえ、さらりと想定以上の事を言うニグラインに凰は苦笑を隠せなかった。招待すると言うからには、どういう立場でなのかは分からないがニグラインが建設に携わっているという事である。太陽系経済を豊かに回しているのも紛れもなくニグラインなのだから、悪い方向に使用しなければ誰にも文句は言えないだろう。経済的・軍事的に独裁を夢見た人物たちがニグラインに逢ったら、やはり取って代わろうと目論むだろうか。それとも、圧倒的な敗北感に絶望するのだろうか。これから逢いに行く〝肺から生成された〟というニグライン・レイテッドは、太陽の意思を持った分身をどう思うのか。
「スタンバイOKです。隊には出撃すると伝えてよろしいですか?」
その答えを確認しに行くために思考を切り替えると、凰は手に馴染む操縦桿を握り締めて指示を求めた。
「赤針内の偵察をしに行くって伝えて。その他は内緒ね」
ETSとニグラインの関係も、敵の要塞にニグライン・レイテッドの分身がいる事も軽々しく伝えられるものではない。太陽系を平和的に維持するためには、ニグラインの言う通り黙っておくべきだろう。
「──こちら凰。これからレイテッド司令と共に赤針内部の偵察に向かう。増援の必要なし」
凰が月艦橋に通信を繋げると、艦橋は一斉にどよめいた。グランディス・コンピュータ・ルームにいるはずの総隊長と総司令官が揃って何をしようとしているのかと。
「総隊長! 司令とお二人では危険です!! 今部隊を編成しますから──」
月艦橋で総隊長代行を務めているランが慌てて通信に入る。地球では非常事態が起こっているが、月は平穏を取り戻しつつあった。兵士にも十分余力がある。小惑星型要塞の処遇についてはニグラインの指示が必要だと思っていたが、まさか凰を引き連れてニグライン自身が探索を行うなど考えもしなかった。
「大丈夫! もう赤針に敵さんいないでしょ? ちょっと偵察をしたら帰って来るよ」
見慣れないコックピットに座る凰の後ろからニグラインが顔を出す。いつも通りの笑顔に曇りもなく、むしろ楽しそうにも見える。すでに発進直前と思われる機内の状態が増援を拒否していた。
「この機体なら単体で赤針に突入出来る。時空間ワープも可能だ。ラン、もうしばらく月を頼む」
ニグラインに続いて凰が単機での出撃を今一度伝える。ここまで言われてはランにはもう止める手立てがない。単体で空間バリアの張られている要塞に突入出来、時空間ワープすらも可能だという、アキレウスを遥かに超える性能を持つ機体に太陽系一のパイロットが乗っているのだ。要塞内にはもう敵の存在は皆無であり、万が一に多少いたとしても凰がニグラインを護衛しているならばヘタに部隊を動かすよりは効率もいい。
「……了解しました。月のことはお任せください──お気を付けて」
ランは自分をふがいなく思いながら承諾する。月を任されていてもその思いは拭えない。せめて敵艦の収監を急ぎ終わらせ、凰の足を引っ張らないようにしなければならなかった。地球と連絡が取れずアサギの行方も分からないが、気を乱している訳にはいかないのだ。
「よ~し、出撃!」
ニグラインのゆるい出撃指令で凰に太陽系の未来が重くのし掛かり、今まで出陣した数々の戦闘など遊びだったと思えるくらいの緊張感を得る。これまで太陽系の命運を支えて来たニグラインに感謝すべきであるが、おそらくニグラインは何も望んでいない。ただ太陽系がそこにあるためだけに生きているのだから。
「ファルコンズ・アイ、出撃する」
凰が低めの声で囁く様に唱えると、風が吹き抜けたかと錯覚するような感覚と伴に凰とニグラインを乗せたメタリックブルーの機体は月から宇宙空間へと翔び立った。
「目標、小惑星型要塞『赤針』。ワープ、スタンバイ」
官制役を楽しそうにこなすニグラインの明るい声とは裏腹に、息苦しい人工大気から解放されたファルコンズ・アイは太陽系外のものである『赤針』がETSの光を受けて輝く事を是とする気はないと、正面を見据えて尾翼の牙を向ける。
「……3、2、1、GO!」
遊園地でジェットコースターに乗るシミュレーションとも思える軽快な号令に、凰も気分の昂揚を隠せずに口元を緩めた。視界はリアル・ワープの白い光に包まれ、機体は宇宙空間を翔る。だが、アトラクションと呼ぶには生々し過ぎる闘いが凰を待っているのだ。眠ったふりをしていた本能が解き放たれ、青虎目石さながらの瞳の奥に鋭い覇気が揺れた。
「ボクが止めない限り遠慮はいらない。本当のキミを見せてもらうとしようか──ラリマール」
凰の覇気に触発されたのか、ニグラインの瞳が絶対光度を放つ碧藍の瞳に変わる。気の引き締まる重力がかかるコックピット内に研ぎ澄まされた空気が満ち、全身の血が沸騰するかのような熱さに凰の本能が奮い立つ。
「敵はボクを生け捕りにしようとしているはずだが、おとなしく捕まるわけにはいかないからね。ここから先はキミの好きにして構わない。『血を流したくない』などとは、もう言わないよ」
月艦橋での約束が直に叶う。生け捕りが友好を示すのなら別だが、太陽系を乗っ取るつもりであろう輩にニグラインを引き渡せるはずもない。
「思う存分、闘いたまえ」
約束を果たす合図のようにニグラインの瞳がこれまでとは比較にならない輝度を放ちETSがファルコンズ・アイに惜しみなくエネルギーを供給すると、ファルコンズ・アイの三日月型の垂直尾翼がプロミネンスを彷彿させる青白い光に包まれた。
「ワープ完了10秒前。空間シールド展開。ファルコンズ・アイ、ファイティング・モード発動」
凰と戦場を共にした事のある誰もが待ち受ける敵を哀れと思うに違いなかった。凰の青虎目石さながらの瞳が捕らえた敵は、無事に生還する事を許されはしない。
「ワープ完了。正面に敵影確認、会敵まで180秒」
ワープ空間から赤針の裏側の宙空に出たファルコンズ・アイを十機以上の戦闘艇が出迎えていた。要塞内で別空間に格納されていたのだろう。この分では無人との報告を受けている赤針内にも敵は確実にいる。そして考える間もなく敵戦闘艇の攻撃が開始された。コックピットを狙って来ず、両翼に砲撃が集中される。攻撃の仕方からして、やはりニグラインを消滅させる気はないとわかる。だが、凰はニグラインだけでなく愛機となったファルコンズ・アイを傷付ける気もない。舞うように旋回して敵機を正面に捕らえると、空間シールドを解いて反撃に出る。
反撃に移った数秒後には照準補足の音が鳴りファルコンズ・アイから記念すべき第一射が発せられ、目標の敵戦闘艇は抗う軌道を見せたが逃れる事は叶わずに撃墜された。ファルコンズ・アイは正面の敵機を撃ち抜き、上下から翼を狙ってくるエネルギー砲をかわしながら一機ずつ確実に、だが間を開けず次々に敵機を墜としていく。
「……9……10。流石に早いな」
凰の撃墜を数えていたニグラインが感嘆の言葉を漏らす。無限のエネルギーが凰の能力を最大限に引き出し、惜しみない加速は敵の追従を許さない。最高出力の砲撃は敵機を一矢で貫く。それに対し敵は制限付きの攻撃を余儀なくされていたが故に数に任せた集中攻撃も出来ず、全ての敵戦闘艇は太陽系のエースパイロットの手腕にひれ伏しファルコンズ・アイに一撃も与える事なく散り去った。
「本気で来てくれれば、もう少し楽しめたものを」
ニグラインの発した言葉を凰は口には出さずに心で留める。『生け捕り』の制限は敵の攻撃を鈍らせ、凰に圧倒的な勝利をもたらした。それでも機体に一縷の傷も受けず、全ての敵機をほぼ一撃で仕留めるテクニックはニグラインに少なからず満足感を与えはしたのだが。
「赤針の裏側に開放されているゲートがあるから、そこに着陸してくれ。着陸したらその先は白兵戦になるだろう。キミなら大丈夫だと思うが、何事にも惑わされずに進んで欲しい」
「──了解しました」
ニグラインの含みを伴った物言いを敢えて聞き流し、凰は冷静に答える。何があるのかと問いかけたところで、進むしかない。凰は羽根を休める様にファルコンズ・アイをゲートに着陸させると、名残惜しそうにゴーグルを外した。
「白兵戦より宙空戦の方が好きなのはわかるけど、そんな顔しないで」
〝翔び続けたかった〟という感情を隠せなかった凰をからかうように、穏やかさを取り戻したニグラインは凰の顔を覗き込んで言う。そう思わせるような機体を作ったのは誰だ。と言いたい気持ちを押さえ込み、ニグラインの藍碧い瞳を見ない事でそれを訴えた。今まで操縦して来たどの機体よりも、ファルコンズ・アイは凰の心を掴んだのだ。
「素直だね。ベリル中将がキミをかわいがるのも、わかるよ」
現在は諜報治安部隊のDLであるベリルは凰が宙空艇部隊に新兵としていた頃、現役のパイロットとして大隊長を務めていた。抜きん出た才能を持つ凰をベリルがトップパイロットまで鍛え上げたのだ。優秀な愛弟子を今でも特別に思っていると安易に見て取れた。
そんなベリルの事を思い出して軽やかに笑いながら、ニグラインは白兵戦用の装備を凰に手渡す。装備は凰も見た事のないもので、従来型の白兵戦用の重厚なスーツとは違い、ペンのような形状の何かが腰ベルトに数本挿してあるジャケットにしか見えないもので重量も軽く動きやすさだけでも格段に上だ。
「……巻き込んじゃって、ごめんなさい。でもお願いします」
自分の都合で命をかけさせるのだからと申し訳なさそうに言い、ニグラインはジャケットを着終えた凰に頭を下げる。戦争がどれだけ多くの血を流そうとも、ニグラインと太陽系の真実から見れば地球で生まれた一・生物の小さな争いでしかない。それでもニグラインは命がひとつでも失われると自身を責めるのだ。
「私は太陽系近衛艦隊の総隊長です。司令をお守りすることが太陽系を守ることならば望んでお供します。お願いされるまでもありません」
断る理由はないと凰は再度応じる。近衛艦隊総隊長の肩書きがなかったとしても答えは変わらないだろう。任務でなくとも大切な仲間がいる太陽系を守りたいと思っているのであるから。




