【ETS】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇虹・グリーゼ中尉……凰の副官
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス
〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット
〇ディル・エルブ中佐……後方支援部隊副隊長
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
凰はユーレックによってニグラインの待つグランディス・コンピュータ・ルームに瞬間移動されていた。地球本部にある白銀のマイスター・コンピュータと対になるような漆黒に耀くグランディス・コンピュータは、神々しいまでに美しい。
「凰くん、こっちに来てくれるかい?」
グランディス・コンピュータの内部からニグラインの声が響いた。マイスター・コンピュータ同様に、おそらくニグライン以外に開ける事の出来ない扉が音もなく開く。漆黒の外観に溶け込むような光のない内部に足を踏み入れると、別空間に繋がり視界が瞬時に開ける。
「これは……」
凰の視界の先にはメタリックブルーの戦闘艇が一艇、ほのかな光に照らされていた。静かにたたずむ姿はまるで誰かを待ち焦がれているように見える。アキレウスより一回り大きいがボディはシャープな流線形を描いており、重量感を感じさせない。水平翼は可変式で今はデルタ翼になっている。外見的なアキレウスとの最大の違いは垂直尾翼だ。アキレウスには垂直尾翼が二枚付いているが、これは三日月のように弧を描く一枚尾翼となっていた。前方に伸びる弧の先端は鋭く光り、まるで獲物を狙う隼の爪のようにも見える。
「気に入った?」
機体に魅せられ、今の戦争中という状況を僅かな時間忘れていた凰はニグラインの声で我に返った。いつの間にか間近まで来ていたニグラインに凰は非礼を詫び、胸に拳を当てて敬礼する。
「──失礼致しました、レイテッド司令」
「いいよ、気に入ってくれたのなら嬉しいから。これは単独でも大気圏突出入可能な大気圏内外両用機だ。直接〝ETS〟からエネルギーの供給を受ける事により、半永久的に単機で活動する事も出来る。もちろん、空間バリアを中和して突破することも可能だよ」
ニグラインは楽しげに笑いながら、凰の青虎目石さながらの瞳を見やる。もともと戦闘艇乗りの凰は、洗練された機体外観だけでなくその性能にも心を奪われた。
「乗りたい?」
聞くまでもない答えを問う藍碧い瞳は、いたずらな笑みを浮かべている。凰の心を読んでいるわけではなく、凰が戦闘艇への想いを隠し切れていないためだろう。
「機体ネームは〝ファルコンズ・アイ〟──凰くん、キミの専用機だよ」
ニグラインの言葉に凰は思わず戦闘艇に歩み寄った。凰の青虎目石さながらの瞳に、ファルコンズ・アイのメタリックブルーの光沢が呼応するように反射する。手が触れる位置まで近づくと涙滴型の風防が開き、タラップを降ろして凰を招く。
「乗ってみて」
ニグラインに促されるまでもなく、凰の身体は自然に機体へと吸い込まれるようにタラップを登って行った。コックピットに乗り込むと暖かい安堵感に包まれる。〝専用機〟と言うだけあり、シートも操縦桿も微調整すら必要ない状態になっていた。
「これで、何をすればよろしいのですか?」
凰はファルコンズ・アイですぐにでも飛び立ちたい衝動を押さえながら自分の任務を問う。これだけの機体を用意されて何もしないはずはない。
『思う存分、戦わせてやる』
おそらく碧藍の瞳のニグラインの言葉を実現させるべく与えられた機体なのだろう。だが〝何のために〟造られ、自分は〝何を〟すればいいのか……予想出来る範囲のミッションのために造られたものとは思えない。凰がファルコンズ・アイから降りると、ニグラインは静かな笑みを浮かべて歩み寄って行った。
「……さっき、赤針からぼくに直接伝達があったんだ」
「直接?」
ニグラインは不思議と嬉しそうに『敵』の正体を告げようと口を開いたが、外部から艦隊のセキュリティにかからずに直接艦隊司令官であるニグラインに接触出来る者がいた事に、凰は驚きを隠せず言葉を遮る。
「うん。ぼくに会いたいって言うから、これから会いに行く」
凰の疑問には答えず、何の問題もないとばかりに微笑むニグラインの言葉に凰はあからさまに顔をしかめた。司令官室に呼ばれたのはアサギが消えた件だと思っていた凰は、その話題を出す事もなくそれ以上の重大事項を軽く口にするニグラインの真意を模索せねばならなかったのだ。
「そんな顔されると困るなぁ。キミには、一緒に行ってもらおうと思っているのに」
如何なる理由があれ、敵意剥き出しの敵の元へ司令官を行かせるなど誰が認められようか。凰は返事をしない事を返答とし、押し黙ってニグラインの藍碧い瞳に視線を固定する。
「アサギくんのことはユーレックくんに頼んだから心配しないで。それとファルコンズ・アイは凰くん専用機だけど、ぼくも操縦できるよ?」
凰の真意を理解しつつも、ニグラインはやわらかい笑顔で絶対逆らう事を許さない言葉を述べる。この機体があれば、あの要塞に乗り込むのは容易だろう。何しろ相手が〝会いたい〟と言っているそうなのだから。
「──了解しました。ですが、せめてカルセドニー少将と月に残っている陸戦部隊を一緒に……」
凰は自分が行かなければ単身で敵陣に乗り込むという司令官に逆らう事は出来なかった。しかし、自分一人が付いて行ったところで戦闘力としてはたかが知れている。ニグラインを守るための兵力の同行が最低限の条件だと、凰は返す。
「ダメだよ。他の人は連れて行かれな──」
「何をふざけたことを!」
最低限とした条件すらも拒むニグラインに凰は冷静さを保てず、胸ぐらに掴み掛かった。11才の少年の身体は軽く、このまま握り潰す事も出来そうだ。普段の……特に戦闘中の凰ならばここまで気を乱す事などないのだが、何故かニグラインの前では感情が押さえ込めずに平静を遠ざけていた。自分が不敬罪で投獄され、ニグラインが単身で敵陣に乗り込んでしまう事態だけは避けねばならないというのに。
「──放せ」
一瞬息が詰まったような素振りを見せたニグラインは胸ぐらを掴んでいる凰の腕を掴み返すと、碧藍の瞳に絶対光度の強い光を灯し凰の瞳を射ぬいた。
「ふざけてなどいない。最善策だ、ラリマール」
強い力もないニグラインに掴まれた凰の腕に痺れるような感覚が走る。凰の手の力は自然と抜けていき、ニグラインはゆるやかに解放されるとひとつ大きく息を吐き出す。
「ご無礼を──」
「謝らなくて、いい。納得のいく説明をしなかったボクの責任だ──全てを話す……だから、一緒に来てくれないか?」
襟元を正しながらニグラインは呼吸を整え、凰の謝罪を不要とした。〝全てを話す〟と言ったニグラインはグランディス・コンピュータ内部から出ると、ルーム全体に宇宙空間を映した。続いてグランディスから出た凰の正面にはETSが輝く。満月ほどの明るさがあるが、昼をもたらさない距離は淋しさを誘う。それでも見つめていると暖かさを感じるのは、潜在意識によるものなのか。
「少し時間はかかるが順を追って話す。いいかい?」
ニグラインはそう言うと静かに瞳を閉じた。次に瞳を開く時は藍碧い瞳のニグラインが穏やかに微笑むのだろう。そして凰はその微笑みからは想像も出来ない言葉を、幾度と聞いて来た。
「まず〝ETS〟のことを知ってもらわないとね」
凰の予想通り藍碧い瞳のニグラインは穏やかな微笑みを浮かべて話し始め、やはり想像出来なかった言葉を発する。
「人造太陽──〝Eternal The Sun〟を制御しているのは〝ヒトの意思〟なんだ。ETSから発せられる〝意思〟により、人造太陽内の核融合を調整している。物質や熱のバランスを保ち不足分は直接宇宙空間から補充されて、永遠に輝くように」
ニグラインの言う〝ヒトの意思〟とは何なのか分からず、凰はただ話に聞き入るしかなかった。ETSに内蔵されたシステムを通じてL/s機関が運用しているのではないという事だけ伝わったが、ETSは人間が計算によって管理していると思っていたため理解に及ばない。
「わかりにくいと思うけど、例えば宇宙の膨張により地球と太陽の距離が離れ過ぎた場合、ETSが〝地球が寒そうだ〟と思えばその分強く輝くことも出来る……まぁ、大気ドームがあるから相当離れない限りそんなことにはならないけれど」
〝思えば〟という表現を聞き、ここで初めて凰に形のある疑問が生まれ、困惑も併せて深まる。
「司令の言い方では、まるでETSに〝心〟があるように聞こえますが」
「心、か……そう言ってもらえると、嬉しい気もする」
そう言ったニグラインがやんわりと口元を緩めETSを仰ぎ見ると、僅かに光が明るくなったような錯覚に見舞われた。
「Dr.クラストの考案した、恒星を吸収して新たに〝人造恒星〟にする〝Black・Planet・Seed〟のことは知っているよね? でも、それだけでは恒星の寿命を延ばすだけで〝永遠〟にはならないと……永遠の太陽を完成させるためには、本来〝星〟が持ち得ない〝意思〟が不可欠だと、学者たちは結論を出したんだ」
凰はニグラインが語る内容を予測して息を飲む。Eternal The Sunを創造した3人の学者しか知らないとされる〝ETSのコア〟。それをニグラインは口にしようとしているのだ。ニグラインから笑みが消え、藍碧い瞳は閉じられた。
「機械には〝自ら考えたり成長したり出来ない〟という欠点がある。予測をして成長しているように見せかけることも、人工知能を植え付けて〝ヒト〟のように考えさせる事も容易いが、所詮〝過去に基づいた知能〟であり予期せぬ事態に対処するのは難しい。人間が見ていれば状況に応じてシステムを組み直せるが、当然ETSの中にヒトは存在出来ない。そこで、彼らは人造太陽にヒトの意思を持たせる術を思い付いた。ただ──」
流暢に話していたニグラインはそこで一度口にするのを躊躇い言葉を切ると、覚悟を決めたかのように目をうっすらと開いた。碧い藍い瞳の奥で、絶対光度の冷たい光が弱々しく揺れる。
「ただその為には、それまで開発された最先端の機器を凌駕する演算能力を備えた頭脳と、状況を見極めコントロール出来る判断力を持ち、そして……何よりも太陽系の全てを愛する者が必要であった」
淡々と綴られるニグラインの言葉を理解しようと、凰は最大限の努力をしていた。しかしひとつとして成功せず、動悸だけが激しくなっていく。
「人造太陽の設計図は、ETSが起動する30年ほど前にすでに完成していた。学者たちは自分たちの仲間を含め、天才と呼ばれる人間を次々に人造太陽のコアにすべく粒子化した。ところが、粒子の状態では一人として意識を保てる者がいなかった。ある者は狂い、ある者は消滅を選んだ。学者たちは考えた。生まれ出でた人間では駄目ではないかと。人の手に触れてしまうと〝人間〟としてしか生きて行かれないのではないか……と。そして、知能の高い〝胎児〟を探し始めた。彼らは自分の妻や恋人だけではなく愛人を多く作り妊娠を迫った。うまく行けば自分の嫡子が救世主になるのだからな。妊娠しても見合うだけの知能がないとわかると堕胎を強要した」
おぞましい歴史の一端を聞き、凰は寒気を覚えて僅かに身を強ばらせる。人類は終わっている……と、そこに第三者がいれば思ったに違いない。〝希望の太陽〟の、欲望とエゴで血塗られた史実。そんなものを守るために自分はここにいるのかと、凰は奥歯を噛み締めた。凰の気持ちを捉えたニグラインは切なそうに天を仰ぐ。
「……そして、とうとう運命の子が現れた。ETSを完成させた学者の中の、生物学者の子だ。彼は妊娠した妻にETSのことは告げなかった。〝ヒト〟であらねばならぬため、自然に生まれる直前までは母親の胎内で育てさせなければならなかったからだ。何も知らない母親は、初めての妊娠に幸せな日々を過ごしていた……臨月が来て、我が子を体内から抜き取られるまでは。子どもは誰にも触れられることなく健やかに成長していった。人造太陽に関するものだけではなく、ありとあらゆる知識と太陽系に対する愛情を植え付けるために10年の歳月をかけて育て上げられた。そして、更に彼らは考えた。人類を愛してもらうため、永遠にETSを保つためにはコンピュータを操作し続けなければならない。それにはやはり地上に存在する〝本人の肉体〟は不可欠だろうと。しかしクローンはオリジナルに牙を剥く。では、どうしたらいいか?」
ニグラインは問うような視線を凰に向けた。当然答えなどわかるはずもなく、凰は乾いてほとんど出ない唾液を大きく飲み込んだ。その様子にニグラインはかろうじて笑みと思える表情を見せた。
「人間の内臓にはそれぞれ意思があると言われている。彼らはオリジナルを複数作り出すために10才になったその子の首を切り落とし、心・肺・膵・腎・肝の五臓を取り出してそれぞれ別々に新しい身体を生成する〝種〟にした。オリジナルの脳は種が人型になるまでの記憶媒体となった。首だけで生きていた少年は、自分の内臓が人の形になっていくのをずっと見ていた。複雑ながらも兄弟が出来たようで嬉しい気持ちすらあったと思う。そして五臓から生成された者たちは一人を残し他の系外惑星にバラバラに送り込まれた。おそらく〝一人の人間に戻らせない〟ように、だ」
ETSについて話し始めてから感情を殆ど表す事のなかったニグラインが表情を歪ませ、語尾を吐き捨てる。ニグラインは苦しむように顔を手で覆うと肩を震わせた。
「……五臓から少年を生成し終え、最後に首だけが残された。最終段階を迎えた学者たちは、皆それまでの惨業などなかったかのように歓喜に沸き上がった。『もうすぐ人類の夢が叶う』と」
凰は『人類の夢』という言葉に吐き気を覚えた。罪もない多くの胎児を犠牲にして何が『夢』なのかと。お腹の中の愛しい我が子を殺められ正気を失った母親もいたに違いない。唯一殺されなかった少年は自分が『残虐』に塗れているとも知らずに偽りの『愛』の中で育てられたのだ。
「首だけになった少年の脳は脳幹を残し粒子化された。粒子化された脳はブラック・プラネット・シードに組み込まれ、時空間コーティングにより人造太陽内の熱も受けずに中心部でコアとなった。首だけの少年の頭蓋骨内は空洞になったが、後で1体目のオリジナルに移植して時空間で繋げる予定の脳幹だけではなく、まだ眼球も生きていた。そのため学者たちはゴミとして消却する予定だった眼球からも、少年を生成しようと試みた」
ニグラインの投薬により落ち着いていたはずの凰の心臓が痛み始めた。〝余程の事がなければ〟というニグラインの言葉通り〝余程の事〟が起こっている今、痛むのは当然と言える。
「実験のつもりで眼球から生成された少年の脳を破棄し、オリジナルの脳幹を移植して粒子化された脳と時空間で繋げたところ、予想を遥かに超えたものが出来上がった。少年は〝太陽の意思〟を持ったのだ。星にも意思があったのだと、誰もが驚愕した。ありがたいことに、太陽は広い心と慈愛に満ちていた。太陽にとっては人間のいざこざなど幼子の喧嘩みたいなものだったんだ」
凰は痛む胸を押さえた。ニグラインの話しを〝理解したくない〟という拒否反応にも思える。息をするのがやっとの状態の凰を見て、ニグラインは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「しかし少年の意思も生きていた。少年はその時、脳を抜き取られたことによって初めて湧き上がった怒りと悲しみで壊れそうだった。だが決して言葉を発するわけではない太陽の〝太陽系の全てを愛する〟という感情が彼を癒した。太陽の意思は共存を望んだのだ。そして少年も太陽を受け入れ、事実上ETSは完成した」
人造恒星完成への道のりを話し終え、ニグラインは大きく息を吸い空間モニターに昂々と映えるETSを見据えた。凰は感想を述べる事も出来ずに、太陽を見ているとは思えない冷えきった瞳のニグラインを見つめるしかなかった。凰はニグラインが次に発するであろう言葉を、聞きたくないとすら思った。ニグラインは凰に向き直ると、背面に輝くETSと同等の光度で華やかに微笑んだ。
「〝Eternal The Sun〟──あの中に、ボクの〝脳〟がある」
◇
「来たか」
月艦橋で代理指揮を取っていたユーレックがそう言っておもむろに総隊長席から立ち上がると、その直後に後方の扉が開き、第一宙空艇部隊隊長のランがパイロットスーツのまま駆け込んで来た。
「ユーレック、遅くなってすまない」
凰から指揮権を引き継いでいるランは、つなぎとして指揮してくれていたユーレックに感謝の意を込めて詫びる。艦隊指揮に関係のないヘルメットを抱えたままである事が、いかに急いで来たのかを物語っていた。
「いや。前線から休憩もなしで代行をさせて悪い……と、凰も言ってたぜ」
「そうか」
ユーレックから伝えられた凰の労いに、ランはヘルメットを総隊長席のデスクに置きながらふと笑みをこぼす。
「なぁ、おまえ、凰に……」
その笑みに普段見る事のないランの『女』を感じたユーレックは、今まで気付かなかったランの真意を尋ねようとして、止めた。本人も気づいていないように思え、聞いたとしても答えは返って来ないだろう。能力を開放されているユーレックならば本人に自覚のない内面を読む事も可能だが、ユーレックは任務以外では絶対にそれをしない。第一知ったところでどうなる? 自分とて、螢に何も伝えてはいないのだ。
「凰総隊長に、なんだ?」
女であっても戦闘能力に特化したランは、人並みに恋愛もして来なかったのかもしれない。訓練に明け暮れ、男性兵士にも負けない力を付けてきた。何よりも自覚したところで凰相手では実る可能性も低く、辛いだけだろう。
「いや……何でもない。俺はアサギのアキレウスを回収してから司令と凰の所に戻る。何かあったら特殊能力部隊も遠慮なく動かしてくれ」
「そうさせて貰う。ユーレック……アサギのこと、何か分かったら──」
ランは立ち去ろうとするユーレックにアサギが消えた理由が分かり次第、真っ先に知らせて欲しい旨を伝える。消えた部下の心配もすれど、消えた理由によっては……。
「ああ」
短く答え、ユーレックは月艦橋を後にした。
◇
小惑星型要塞『赤針』内部では、陸上戦闘部隊DLであるドリテックの拳が見えない扉があるであろう厚い壁を容赦なく砕いた。凄まじい破壊音と共に粉塵が舞い上がり、白兵戦部隊の隊員たちの視覚と聴覚が一瞬奪われる。
「生きた重機ですねぇ。退役しても、身一つの解体屋で食っていけますよ~」
「その時は真っ先に貴様を解体してやる!」
陸戦部の誇る装甲機キーロンが同行しているにも関わらず、自らの拳で壁を破壊したドリテックの腕力をランディが心の底からのんびりと褒め称えると、ドリテックは砕け損ねた壁の一部を握り潰してランディをどやす。
「ひどいじゃないですかぁ、褒めてるのに~……あ」
一応ドリテックに握り潰されないように気を張りつつ、開けた視界の先を目視したランディは軽い驚きの声を出す。
「どうした?」
「う~ん……進むべき……ですか、ねぇ?」
ドリテックに問われたランディは、前方を指差して真面目に困った表情を見せた。ドリテックは砕いた壁の方に視線を向けると、苛立ちを忘れて拳を降ろす。
「本物……か……?」
「さぁ?」
ドリテックも後方の隊員たちも、壁の向こう側に視界が届いた者は一人残らず目を見開いた。そこは要塞内部ではなかった。空は青く広がり、見慣れたビル群が立ち並ぶ。その中のひときわ高くそびえ立つ白い建物。
「……地球……本部……」
誰ともなく呟き、一様に声を失った。
「ドリテック少将より入電!」
現状を伝えるべく、ドリテックは月艦橋に連絡を取った。緊急を知らせる赤色のライトが点滅し、総隊長席のランに直接交信が繋がる。
「マーシュローズか! 総隊長と司令は!?」
「司令官室だ。何があっ……──」
ランはドリテックの後ろに広がるキーロンから送られて来た光景を確認すると、やはり声を失った。紛れもなく、あれは地球に置かれた太陽系近衛艦隊の本部ビルだ。
「本物だとしたらまずいぞ! 要塞は途中から無人だった!!」
最初から要塞が少人数だったとは考えられない。現に戦闘艦や戦闘艇には兵が乗っている。ほぼ総員で要塞を残して敵陣に赴くはずもない。全てが陽動で、要塞にいた兵がここを通り地球に侵入する事が目的だとすれば……。
「──至急、地球本部に連絡を取れ! ドリテック、そのまま地球に行ってくれるか?!」
「おお! 任せておけ!! 揚陸部隊全隊員時空間トンネル座標に急行せよ!! 各隊歩兵が揃い次第編成を整え地球本部へ向かえ! 装甲機隊は兵を転送した後直ちに追って来い!!」
ランの指令にドリテックは腕を掲げて応え、陸戦部白兵戦部隊は前方に開かれた時空間トンネルから地球へと向かった。
「くそっ! 主砲を撃って来なかったのは時空間トンネルを開くためだったのか!! 地球はどうなっている?!」
焦りを隠せないランの声が艦橋に響く。時空間トンネルを開くには膨大なエネルギーを使う。ここから地球までの距離を考えると主砲に当てるエネルギーは残っていなかったのだろう。
「ラン、落ち着いて」
オペレーターたちが答えるより先に、地球で特命任務中のリーシアの声がランに届いた。
「地球本部正面に時空間トンネルが開いてるわ。宇宙協定なんか無視ね。さっき特命で歓楽街のビルをひとつ潰したんだけど、どうやら元はそこに繋げようとしていたみたい」
外敵との戦乱に乗じて内乱を起こそうとしていたどころか、外敵と通じていた……或いは、長きに渡って周到に計画されていたのか。他星へ時空間トンネルを繋げることも、もちろん無断で侵入する事も宇宙協定で禁じられているが、戦争となれば話は別である。
「今、外から地球本部内への通信が取れないわ。中の様子はわからないけど、うちの大隊も本部に詰めてるからそう簡単にはやられないはずよ」
リーシアは地球本部艦橋の警護を後方支援部隊・第一大隊隊長を務めるエルブに任せて来た。信頼できる男なだけに、命を賭してでも任務を遂行しようとするだろう。
「私は螢のところに行くわ。レイテッド司令が月にいる以上、こっちでの狙いはマイスターだろうし」
ついでに、現状唯一マイスター・コンピュータを操作出来る螢も狙われるだろう。友を〝ついで〟などで失うわけにはいかない。例え誰が敵として現われようとも、それが本人の意思でなくとも。場合によってはリーシアが自らの手を血に染める事になるだろう。
「タイムラグ12分で、ドリテックが隊を連れてトンネルを抜ける。リーシア……すまないが、地球と螢を頼む」
月を離れる事の出来ないランは、リーシアやドリテックにただ頼むしかなかった。
「そっちこそ月を任されてるんでしょ? それに、螢が危ないとか言ってユーレックが暴走しないように見張っていてよ」
「ユーレックを?」
意味がわからず問い返したランに、リーシアは微笑みだけを残して敵陣へと足を向けた。大切な人を失う事に恐れを抱き、想いを心の中で押し殺して生きる者。戦いに明け暮れその想いに気付く事すら出来ない者……。平和な時代であれば、その想いに身をゆだねて前に進む事も出来たのだろうが。例え、気持ちが届かなくとも。そんな人間ばかりがリーシアの周りに集まっている。
「私も、誰かに恋しようかなぁ……レイテッド司令、年上は嫌いかしらね」
想いの届く相手でリーシアの認める者を探すのは至難の業に違いない。何しろ、リーシアは片想いをする気はないのだから。リーシアの問題発言は幸か不幸か後ろで聞いていた隊員たちの緊張を解いた。同時に士気は極限まで下がるに至ったが。
「後方支援部隊、みんな聞いているわね? 敵と思われる者は全て排除。──それが見知った者だとしても」
隊員たちの表情を見て心中を察したリーシアは珍しくやわらかい笑みを浮かべ、その笑顔にそぐわない言葉を述べた。その笑顔で後方支援部隊の隊員たちの落ちていた士気は一気に高潮し、任務遂行に最高のコンディションで挑む事が可能となった。
「単純じゃない、先の楽しみな男……か。顔も、大事よねぇ」
今度は誰にも聞こえないように、リーシアはそっと異性の好みを呟いた。現状、太陽系近衛艦隊には凰以上の男は見受けられない。だが凰は非の打ち所がない反面〝すでに完成された男〟であり、リーシアのように〝自分の好みに育てたい〟と思うのであれば、対象にはならない。虹などはリーシアの好みに当てはまるため時々捕まえては食事に誘ったりしているが彼にはネリネという想い人がおり、かつ恥ずかしがって目も合わせてくれないため実現した事がない。
そこへ現れたのがニグラインだ。年は若過ぎるが、容姿も才能も今まで出会ってきた誰よりもリーシアの心を踊らせる。とは言えリーシアはニグラインを振り向かせる算段を見つけられずにいた。年齢的なものではなく、根本的な何かがニグラインと自分では違う気がするのだ。
「片想いって、切ないのね──」
リーシアは自分でも本気なのかどうか分かりかねるセリフを楽しむように呟く。そして楽しみを邪魔する外敵を排除するために、地球本部ビル内部へと足を踏み入れた。
◇
その頃、ユーレックはパイロットが消えて宙を彷徨っていたアキレウスのコックピットに空間移動していた。消えたアサギの残留思念を探りある程度の状況が読み取れたユーレックは頭を抱え、大きなため息を吐く。
『ラン、聞こえるか?』
ユーレックは、他の者に聞かれないように、ランの意識に直接語り掛ける。ランの前に置かれた空間モニターにはアサギのアキレウスが映し出されており、ユーレックがコックピットに着いた事を示していた。
「ユ──」
急に脳裏に伝わってきたユーレックの言葉に、ランはつい『声』で応答しそうになったが、ユーレックがわざわざ能力を使うのだから、相応の理由があるのだろうと口をつぐんだ。
『……アサギは〝ツカイ〟だった』
ランは予想されていた中でも最悪の結果に肩を落とした。自分の直属の部下が裏切り者だった事に気付けなかった己を悔やむ。
『おまえの失態じゃない。あいつはツカイと言っても〝モグリ〟だ。覚醒も消える直前が初めてだったらしい』
〝モグリ〟──自らの意思ではなく、長い時間をかけて何者かにじっくりと洗脳され、気付かぬうちにツカイとされた者。通常のツカイと違い、覚醒後も人格がある。ただ、たいていは残忍な人格を植え付けられているため、本人の意思でないとわかっていてもその場で拘束されるか、状況によっては処してもよいとされている。
『ワープで何処かへ飛んだようなんだが、可能性としては赤針だろう。今、内部を探るが──』
そこまで言って、ユーレックの表情は強ばる。無人の要塞……地球本部前に繋がれた時空間トンネル……。
「なっ……!」
自らのスキャンと同時に、ランからも情報としてそれらが伝わってきた。
「すまない、ユーレック。おまえからの通信の直前に入って来た情報だ。ドリテックの隊にはそのトンネルを使って地球に行ってもらった。リーシアにも──」
ランはリーシアの言葉を思い出し、明らかに動揺を見せるユーレックを落ち着かせるように冷静に話す。しかし──。
「おい! ユーレック!!」
慌てて座席から立ち上がったランが制止する間もなく、ユーレックはアサギのアキレウスごとその空間から姿を消した。
「マ、マーシュローズ隊長……カルセドニー少将は……」
後ろに控えていたランの副官が、突然モニターから消えたアキレウスの状況確認としてユーレックの所在を問う。
「ああ……地球に向かったんだろうな……」
リーシアの忠告を破る形になったランは、心境そのままに力なく腰を降ろした。脱力感に苛まれつつも、ランにはやらねばならない事がある。地球の事は幸か不幸かユーレックが地球側に参戦した事により心配は格段に減った。月も敵要塞内が無人であるなら、宙空で捕獲済の戦闘艦・戦闘艇を逃がさないようにしておけばいい。後は揚陸艦に収監された敵兵を月に連れて来るだけだ。その後については、ニグラインか凰の指示を待たなくてはならないだろう。現状二人と連絡が取れない。理由は知らされていないが、間違いなく凰には極秘の大きな任務が課せられるに違いないと、ランは直感していた。彼らからの指示が来るまでに、出来る事は進めなければ……ランは自分の任務遂行に集中する事にした。何しろ、先が読めない状況の中で敵味方合わせて10万の命を預かっているのであるから。




