【開戦】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇虹・グリーゼ中尉……凰の副官
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス
〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット
〇ディル・エルブ中佐……後方支援部隊副隊長
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
「ユーレックくん、お待たせ。ご飯足りた?」
月艦橋から出てきたニグラインが、まるでこれから遊びにでも行くかのような軽快な口調で護衛のために待機していたユーレックに声をかけた。ニグラインは敬礼するユーレックの腕を降ろさせ、任務を遂行するためのエネルギーが足りたかどうかを確認する。この後ユーレックには戦闘が終わるまで能力を全解放して貰わねばならないからと、月移動の時と同じようにニグラインの手料理が振る舞われたのだ。
「はい! 最高にうまかったです! ご馳走様でした!!」
常識的に言えば司令官に向けるべきではない言葉使いだったが、ユーレックの素直な言葉はニグラインの笑顔をいっそう明るくさせた。ユーレックはニグラインに〝部下〟としての態度を貫く気にはなれなかった。その性格と能力のためそもそも誰に対しても敬意を払わない事が多いのだが、今までのそれとは違う。『ニグラインがそれを望んでいない』と感じるために唯一敬意を払ってもいい、と思う相手ではあるが接し方を変えないでいる。冷めた眼で見ていた未来がニグラインを通す事で楽しみになった。舌先だけで味わっていた食事も心からうまいと思えるようになった。
「そっか、よかった!」
ニグラインもユーレックの感情を感じ取り、喜びを覚える。その特出した能力がある故に周囲との関係に見えない溝があるという意味では同じなのだ。だからと言って二人とも自分自身を蔑み運命を呪うほど弱くはない。
「レイテッド司令」
ユーレックの呼び掛けにニグラインは進めようとした足を止め、ユーレックのいたずらな猫のような瞳を見上げた。
「地球に帰ったら、螢たちにも司令の手料理を食べさせてやって頂けないでしょうか」
ユーレックは凰との目論見に他の僚友たちも加えてニグラインに申し入れる。真っ直ぐな眼差しはニグラインの藍碧い瞳を見据え未来を託している事を告げていた。
「うん、皆でパーティーしようか。螢ちゃんスイーツ大好きだったよね。カロリー控えめにして、いっぱい食べて貰おう」
太陽系の存亡を賭けた戦いの最中である事を忘れてしまいそうな華やかな笑顔でニグラインは快諾する。図々しい部下の申し入れをこんな風に喜んで受け入れてくれる上官が他にいるであろうか。『何があっても守らなければ』と思わせる策略だとしたら、適う者はいないだろう。
「ありがとうございます!」
未来に楽しみがある。そのために生きようと思う。〝Eternal The Sun〟が、未来を明るく照らす存在となるように。それ考案したDr.クラストが目指した永遠の太陽は、平和と恵みの象徴だったのだ。
「さぁ、行こうか」
そう言ってふわりと笑ったニグラインに、ユーレックは〝永遠の恵みの太陽〟を重ね合わせた。
◇
戦闘宙域では太陽系近衛艦隊の前衛部隊と敵要塞・赤針の要塞砲が交戦を繰り広げていた。近衛艦隊の後方には戦いを見守るように月がETSの光を受けて輝いている。
最前線では特殊能力部隊念動力チームが能動バリアで前衛部隊を守りながら敵要塞砲を弾き返しているため、近衛艦隊側はまだひと擦りの損傷も受けずに赤針の要塞砲を減らし続けていた。能動バリアは空間バリアとは違い弾き返すだけではなく内側からも攻撃が出来る。それにより自機の空間バリアを使わず攻撃に専念出来るアキレウスと戦闘艦は的確に目標をひとつずつ潰していく。更に作戦では要塞砲を狙うのは前衛部隊のみでよいとされていたが「どうせ弾くなら要塞砲を狙え」とサイキックチームのシーモス大隊長が現場判断で指示を出したため、能動バリアでの攻防一体の壁が敵要塞の攻撃を無効化している。
「ひゅう! 敵に回したくないねぇ」
第二宙空艇部隊隊長のアウィンが、自身もアキレウスで要塞小砲を落としながらサイキックチームの攻防を目の当たりにして感嘆の意を述べる。機械兵器に匹敵する、あるいはそれ以上の戦闘能力を見せられては生身の人間としてやはり恐怖を感じずにはいられない。だが味方となれば頼もしい限りである。しかしいくら訓練を積んだところでこれだけの力を長く使い続けるのは不可能だ。彼らが力尽きる前に敵要塞表層の砲管をひとつでも多く落とす必要がある。
「サイキックチーム、そろそろ限界です!」
作戦執行から30分ほど経過した時、サイキックチームの限界値を計っていたテレパシストが無敵の攻防の終幕を伝えた。この先、前衛部隊は自機のみの力で残りの要塞砲を片付けなければならない。それでも無数にあった要塞砲は疎らになっており、敵艦隊が出て来ても混戦は避けられそうだ。
「前衛部隊、60秒で各自空間バリアを張り編隊を整えよ」
凰の指令が発せられ、前衛部隊に緊張が走る。ここからは安全保障のない戦いが始まるのだ。最前線にいるアキレウスのパイロットたちは空間バリアを張り、残りの要塞小砲にレーザー砲の照準を定めて操縦桿を握りしめた。戦闘艦もバリアを張りつつ、砲撃にアキレウスを巻き込まないよう主砲を固定する。
「サイキックチーム任務了。ゆっくり休んでくれ」
数秒の余裕を持って前衛部隊の編隊が整ったのを確認した凰がサイキックチームに任務完了を告げると、殆どの者がその場で倒れ込んだ。中には残り数秒の力が残っていないと思われる者もいた。だが自分の限界を超える事を可能としなければこの部隊で前線には出られない。それが最低条件であり最大の任務でもあった。
「これより作戦第二段階準備に入る。後続部隊、前衛部隊と合流せよ」
医療チームがサイキックチームの隊員をヒーリングルームに運び込んでいる中、凰の命により後続部隊が出撃し作戦第二段階の準備が始まった。前衛部隊にここまで被害はなかったが、バリアを切り替えるタイミングを見誤り被弾するアキレウスが出始めた。それでも後続部隊が合流する頃には敵要塞砲は無力状態にあり、残すは第一宙空艇部隊のトロイディーニセクションと第二宙空艇部隊のグラフィニーニセクションが『揚陸艦を着艦させるに適したゲート』を発見すれば、作戦第一段階は完了だ。そんな折、更なる敵が姿を現す。
「赤針より、艦隊出ます!」
オペレーターの声と共に敵の艦隊が赤針前部から顔を出す。要塞の左右面からはアキレウスとは似つかない戦闘艇がひしめき合いながら出撃して来た。総数は赤針側が上回っているが、すでに後続部隊も前衛部隊に連なり陣形の整っている近衛艦隊の方が遥かに有利である。
「なかなか、いい形じゃないか」
「アキレウスの方が上です!」
敵戦闘艇の形状を讃えた凰の言葉に、アキレウスのパイロットから抗議の通信が相次ぐ。凰の狙いだったのかどうかはわからないが戦闘への緊張は愛機への想いで吹き飛ばされ、パイロットたちは自慢の愛機の性能を示すべく自身最大の力を発揮出来そうだ。
「当然だ。アキレウス後続部隊、トロイディーニとグラフィニーニの援護をしつつ交戦開始。戦闘艦隊、左右梯形陣で敵艦隊を挟み込め」
元々アキレウス乗りだった凰は抗議の通信に同意してほくそ笑むと、全隊に戦闘を発令した。それに合わせるかのように敵艦隊からの砲撃が開始される。近衛艦隊の戦闘艦隊はすでに敵艦隊を挟んで梯形陣を取っているため、敵艦の主砲は回避出来ていた。側面からの副砲による砲撃を空間バリアで弾き、旋回して主砲を向けようとして来る敵艦に容赦なく主砲を撃ち込む。赤針の艦隊は数が多いだけではなく戦艦級の戦闘艦も複数あるが、陣形が整う前に側面から砲撃を受けてはひとたまりもない。敵もよもやここまで正確に出現地帯を読まれるなど思っていなかったのだろう。せめて艦隊戦に出なければ被害は少なかったと言うのに──。
アキレウスと敵戦闘艇との交戦は激戦となっていた。1機また1機と互いの戦闘艇が光となって消えていく。それでも近衛艦隊側の〝エネルギーが枯渇しない〟という状況がパイロットに安心感を与え存分に戦闘に集中させている。今戦闘に関わるETSからのエネルギー供給と外的システムコントロールはニグラインがグランディス・コンピュータで行っており、各機体のシステムに異常が発生しても即時に修復されていく。それは戦闘艦も同様でIT兵が暇を持て余している程だ。前線の兵士には預かり知らぬ事であるが、ニグラインの操作する全ての機器・システムは人為的に生まれた誤差すら流動的に修復され、グランディスやマイスターの性能を持ってしても感知出来ないくらいである。ニグラインの能力はまさに人知を越えるものであった。
◇
「予想はしていたが、半端ないな」
ニグラインの護衛をしているユーレックは漆黒に耀くグランディス・コンピュータに寄りかかり、前方に映し出されている同胞の戦いを見て呟く。ニグラインがおらずとも太陽系近衛艦隊は強い。しかし、エネルギーとシステムの安定がここまで戦況を有利にするとは。地球で同じ任務に就いている螢は、月艦隊の動きを見てどう思っているのだろうか。ユーレックがそう思ったまさにその時、寄りかかっているグランディスを通して螢の言葉が伝わってきた。
「くやしぃな~! もうっ!! ……でも、すごい」
螢は近衛艦隊地球本部艦橋で月艦隊の動向を見ながら悔しさを隠そうともせず、同時に悔しさを超える尊敬の念を顕す。システム管理においては、近年把握されている限りで彼女を超える者がいるとしたら太陽系を統べるL/s機関の者だけだろう──と螢を含めた誰もが思っていた。そしてそれは『ニグライン・レイテッド』という名で現実となり、目の前で力の差を見せられている。
「ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊・太陽系近郊宙域統括軍、総司令官」
そう口にした螢の脳裏に、藍碧い瞳のニグラインの穏やかな笑顔が浮かぶ。
「笑顔なら、負けないわよ!!」
聞く者がいたら、この状況下で何を言っているのだ……と呆れ果てるセリフの上に、残念ながらその自慢の笑顔は伴っていなかった。
「ぶ……くくく! 何、言ってんだか」
ユーレックは螢の問題発言を聞いて声を出して笑った。司令官に対して不敬な言葉だったが、気を紛らわすための言葉くらい許されるだろう。何しろ螢の言葉と共に、現状最前線である月よりも地球の方に緊張感を感じたのだ。むしろそれで平静が保てるのであればとニグラインは笑顔で受け取るに違いなかった。
「機体の性能はいいし、みんなの腕もいいし、ぼくは大したことはしないよ」
グランディス・コンピュータ内に入る前に、ニグラインが満面の笑みを浮かべて言った言葉だ。
「大したことしないで済むようにしたのも、自分だろうよ」
戦いに赴く前に勝利する。まさにニグラインはそれを実行しようとしていた。相手の将がニグラインと同等かそれ以上の者でない限り敵に勝ち目はない。地球から移民した人類ならばニグライン以上の者などいなそうだが──宇宙は、広い。まだ知らぬ地球型以外の知的生命体であればニグラインを凌駕するかもしれないとはいえ、そうであるならば迎え撃たれるような事はなかったはずである。
「予知能力だけは、ないんだよなぁ……俺」
未来が絶望的なものだった場合知らない方がいいと、予知能力がない自分はラッキーだとユーレックは思っていた。どんな未来でも変えようとは思っていなかったが、守りたいものがある今は弱くても欲しい能力だ。
「俺も、贅沢なのか」
ニグラインを羨む螢のように。同じ能力を持つ誰よりも大きな力を持ちながら、まだそれ以上のものを欲するとは。こんな能力などなければどれ程よかったかと思って生きていた時間が長くあったというのに。
「司令に負けない笑顔、見てぇな……」
ユーレックの小さな願いが叶うまで、あとどれくらいの時が必要なのだろうか。〝叶わない〟可能性を心の底から否定して、ユーレックは前方に広がる宇宙空間を見据えた。
◇
「こちらトロイディーニセクション・アサギ。揚陸艦着艦有力地点確認!繰り返す、揚陸艦着艦有力地点確認!!」
赤針表層を偵察していたアサギが揚陸艦を上陸させるに適した場所を発見し、通電する。敵艦隊が出撃してきたゲートは残存艦がある可能性もあり、また被弾による破損が大きくあるため使えないが、アサギが見付けた場所は輸送艦などを受け入れるゲートと見受けられた。アサギから通信と共に送られて来たゲートの座標を受け取った特能部の透視能力チームは、座標周囲を念入りに透視する。
「座標地点オールクリア! 着艦可能です!!」
「よし、アサギよくやった。バリュウス、クサントゥス帰投せよ。作戦第二段階始動」
クレヤボヤンスチームが座標地点の安全を確認し、作戦第一段階は完遂した。凰は初陣で功績を挙げたアサギを讃えると、任務の完了した戦闘艇部隊に月へ戻るよう伝える。作戦第二段階は敵艦隊を抑え上陸部隊を送り込む道を作る事だ。艦隊戦は始まりから優勢であり、第二段階完遂はさほど時間を要しない状況にあった。敵の戦闘艇部隊は戦い半ばで逃げ帰ろうとするアキレウスを追って来ようとしたが、死角のない近衛艦隊戦闘艦の副砲一斉射により数百機が一瞬で撃墜され、敵戦闘艇部隊は追尾を断念し戦意も失った。
「敵旗艦撃破!」
その直後、作戦の進行に拍車をかけるように敵艦隊の旗艦である戦艦撃沈の報が入った。戦力では下回っていた近衛艦隊だが、戦略が迅速かつ圧倒的な勝利をもたらしたのだ。残りの敵艦隊は拿捕されるか或いは無謀に突進して轟沈するかの二択となった。
「凰総隊長、停戦を申し入れろ」
これ以上無駄な血を流す必要はないと判断した凰が降伏を求めようとした時、ニグラインが凰に指令を出した。〝降伏〟ではなく〝停戦〟指示──あまりにもニグライン・レイテッドらしい指令に、凰だけではなくユーレックも失笑する。能力を解放されているユーレックには、敵味方関係なく命がひとつ消える度に傷を負うニグラインの心の痛みが伝わっていた。味方だけではなく敵の命すらも、ニグラインには尊重すべきものなのだ。そのニグラインの意思を告げるべく凰が口を開いた。
「私は太陽系近衛艦隊総隊長、ファル・ラリマール・凰だ。本艦隊司令官の意向により停戦を求める」
凰の言葉に敵艦隊の砲撃が弱まった。降伏勧告ではない事に不信感を抱きまだ抵抗する艦もあったが、近衛艦隊側が砲撃を止め防御に徹した事により停戦の審議に入ったと見て取れる。その数分後、敵艦隊は沈黙を持って受諾の意思を示し宙空による戦闘は終結。上陸部隊を乗せた揚陸艦の通る障害物のない道が作られ、作戦第二段階も完遂した。だが停戦したのは宙空に出ている艦隊のみで要塞バリアは張られたままであり、赤針内部の停戦意思は掴めない。敵艦隊副旗艦艦長が要塞艦橋に通信をしたが、何度呼びかけても連絡が取れないと言う。
「月、上陸地点に対バリア砲発射。上陸部隊は個別に特攻スーツの空間シールドを発動。瞬間移動チーム、揚陸艦を要塞内に送り込め」
作戦第三段階に当たる上陸作戦が凰の指示により開始された。要塞バリアが張られていては揚陸艦を送り込む事が出来ないため、月の対バリア砲が赤針に向けられる。敵要塞のバリアを中和したところに特能部のテレポートチームが上陸部隊を要塞内に送り込むのだ。中和されるとはいえ上手くいかなければ上陸部隊は要塞バリアで粉砕してしまう……大きくのし掛かる責任に、集中仕切れないテレポーターも少なからずいた。
「おいおい」
ユーレックはそんな部下たちの気持ちを理解しながらも、致命的な感情の揺れを放ってはおけずに身を起こした。だが、今自分が何か行動を起こすのはニグラインの護衛の手を緩める事になる。それでもこのままでは不味いとテレポートチームの大隊長に思念を送ろうかと思った時、凰の声がそれを遮った。
「自分の能力を信じろ」
ユーレックに3秒ほど遅れて凰もテレポートチームの欠けた集中力に気付くと、深く静かに唱えた。凰の言葉はテレポーターだけでなく、月・地球の両艦隊総員に染み入る。〝信じる〟事は言葉では表せないほど難しい。しかしそれが出来ないようであるなら戦場に出るべきではない。人の心は信じられなくとも、能力を認め信じる事が戦況を左右する場合もある。今がまさにその時であるように。
「失礼致しました、凰総隊長! バリュウス、クサントゥスとっとと還って来な! 揚陸艦の近くにいると一緒に要塞にぶち込んじまうぜ!? テレポートチーム総員集中! 5、4、3、2、1、Go!!」
テレポートチーム大隊長であるトープ中佐が自隊の至らなさを反省しながらもチームの士気が安定した事を確認し、作戦の続行を示唆する。切れのいい号令で彼らの能力が不可なく発せられ、上陸部隊を4部隊ずつ乗せた3隻の揚陸艦はアサギの見付けた上陸地点に無事に着艦した。
「速過ぎだって! 危ねぇよ! ラン、そっちは大丈夫か?」
アウィンはクサントゥスの末尾機がテレポート範囲間近にいたため僅か5秒のカウントダウンに毒づくと、ラン率いるバリュウスの安否を尋ねた。
「……アサギが、いない」
「なんだって? テレポーターの連中、マジでアキレウスごとやりやがったのか?!」
アウィンはトープの冗句を取り上げて叫ぶ。アサギのアキレウスは被弾する事もなく任務を終え、凰の帰還命令と共に月に向かって旋回した。ランは初陣であるアサギに気を配ってそこまで確認していたにもかかわらず、アサギは消えたのだ。最初は通信機の故障でもあったのかと思ったが、撃墜された戦闘艇の残骸と共に浮遊するパールホワイトの機体をランの目は捕らえた。機体識別番号は間違いなくアサギのものであった。
「違う。アサギだけが消えたんだ──コックピットから」
◇
「どういうことだ!?」
事の次第を終始見ていたユーレックが、自分にも見切る事が出来なかった事態に驚きの声をあげた。テレポートチームの隊員たちも皆顔を見合わせてミスや裏切りをした者がいない事を確認した。アサギの操縦していたアキレウスはパイロットを失って宙を漂っている。距離を考えても赤針へ飛ばされたとしか思えない。アサギは特殊能力者ではないため、確実に敵側の能力者に拉致もしくは手引きされたのだ。どちらにしても近衛艦隊の作戦に一筋の穴を開けた者がいる。
「カルセドニー少将」
解決策を見い出すために思案を巡らせようとしたユーレックに、グランディス・コンピュータから出て来たニグラインが声をかけた。碧藍の瞳から発せられる絶対光度の光が、彼の身体を気持ちごと引き締めさせた。
「アサギのアキレウス回収と解析を頼む。あと、凰総隊長を連れて来てくれ──すぐに、だ」
ユーレックは護衛を解く事に躊躇いはあったものの、この部屋からニグラインが出ない限りは大丈夫だろうと3秒後には艦橋で指揮を取る凰の横に瞬間移動していた。他の者ではセキュリティが張られている艦橋に飛び入る事は不可能であるが、能力を全解放しているユーレックには容易い。
「凰、司令がお呼びだ」
「ああ、ランが帰還して艦橋に到着するまで15分かかる。それまでここを任せていいか?」
突然真横に現れた僚友に驚きもせず、凰は席を立つ。作戦になかった事象が起こったのだ。ユーレックが来ずともニグラインの元へと向かうつもりだった凰は、すでに指揮権をランに引き継いでいた。
「わかった。俺もアサギのアキレウスを回収したらすぐに行く」
「すまんな──ランに前線から休憩もなしで代行をさせて悪い、と伝えてくれ」
ユーレックは凰をニグラインの待つグランディス・コンピュータ・ルームへと瞬間移動させると、いやに静まりかえっている艦橋を見渡した。皆能力を解放されたユーレックに心を読まれないように心を閉ざそうとしているのがわかる。こんな事を幾度となく繰り返され、ユーレックは荒んだ人生を送って来た。だがそれを変えてくれた僚友たち。能力がある事を〝誇り〟と思わせてくれた、若き司令官。妬み・嫉み・畏れを受け止めるだけの度量も培った。
「おまえら、俺のことなんか気にしてんじゃねぇ! 集中しろ! 集中!!」
ユーレックにどやされ、艦橋の面々は慌てて言われた通りに自分の任務に集中する。直属の上官でなくとも艦隊指揮権を持った将官に逆らうわけにはいかない。許されるとすれば、指揮者が戦況を読めない無能である時だけだ──5年前の戦争の時のように。今の近衛艦隊でそのような事が起こり得ないと誰もが確信しながら、月の部隊は作戦第三段階に移行を始めた。
◇
月艦隊が宙空で激しく戦闘を行っていた頃、リーシアは近衛艦隊地球本部を抜けて活気のない歓楽街に来ていた。夜ともなれば娯楽を楽しみに来た人間が途切れもなく歩いているのだが、まだ日の高いこの時間では店も開いていない。店を開けようとしていた者がいたとしても、リーシアの引き連れて来た後方支援部隊の2個中隊が白昼堂々の戦闘を繰り広げ始めたのを見て諦めただろう。疎らに見える人影も巻き添えを喰わないようにビルに隠れて興味本位で見ているだけである。
後方支援部隊の相手は以前ニグラインを襲った〝ツカイ〟どもであった。危惧していた通り手薄になった近衛艦隊本部に襲撃をかけようとしていたが、諜報部隊の情報により艦隊本部に攻め入られる前に捕獲する事に成功したのだ。
「オーナーは誰?」
リーシアは、拘束ベルトを全身に巻かれて足下に転がっている洗脳から覚めた男を爪先でこづきながら問う。ツカイでいる間は話しも通じないが、洗脳が解けた今なら聞き出す事も出来る。
「────」
「『彼』じゃなくて、その彼のオーナーを聞いているの」
こづかれた者は呻くような声で答えたが、リーシアはそれは答えではないと額に銃を突き付け再度詰め寄る。答えを否定され、男は大きく目を見開いた。自分たちが〝オーナー〟だと思っていた人物が、他の誰かのツカイだったというのか──と。
「やっぱり知らないか……まぁショックよね。ただの駒どころか、駒が撒き散らすゴミでしかなかったんだから」
冷たい微笑みを浮かべながら、リーシアは愚かな選択をした者たちを一瞥する。〝ツカイのツカイ〟など、人としての底辺ですらない。
「『いくらでも人生をやり直す制度はある。〝オーナーのオーナー〟も必ず捕らえるから、報復は気にせず更生するように』って、総司令官からの伝言よ」
愚かな男は滅んでもかまわないのに……という自らの言葉は発せず、リーシアはニグラインに〝掃除〟を頼まれた時に伝えるよう言われた言葉を告げた。彼らは以前ニグラインを襲った時の事を思い出し、リーシア曰く見苦しい涙を流した。
「あぁ、あとね。〝この次〟はないわよ?」
リーシアは絶対光度を放つニグライン・レイテッドの碧藍の瞳を脳裏に浮かべ、愚かなる者たちに忠告する。もう一度刄を向けるならば、次は容赦なく滅せられるに違いない。二度も慈悲を見せるほど、碧藍の瞳のニグラインは甘くはないだろう。この言葉がリーシアが愚かな男どもに向けた唯一の優しさであった。
「テラローザ隊長、ビルの中にいた連中も全員捕獲しました」
「ご苦労様。この分だと『彼』もまさか自分がツカイだとは思ってもいないでしょうね。ひと先ず本部に戻るわ。諜報部が何か掴んだかもしれないし」
リーシアは面倒くさそうに軽いため息をついて、歓楽街清掃完了の報告をしに来た中隊長に次の行動を伝えた。真のオーナーの情報が得られないなら、ここにいても時間の無駄である。
「あ、このビルは潰しちゃって。地下も忘れずにね」
リーシアは時空間圧縮キットによる空間隔離を中隊長に言い渡す。これでこのツカイたちが巣くっていた拠点は時空間に圧縮されて確保される。何か重要なものが隠されているならば、後で時空間スキャナにかけた時に発見されるだろう。後方支援部隊は前線部隊が安心して戦闘に出ていられるように戦闘に乗じて内部から攻撃して来る者を排除する事が主な任務だが、諜報部隊と連携を取りながら隠密的な活動も行う。本人が知らぬ内にツカイにされた〝モグリ〟を炙り出すのも後方部の任務だ。それ故リーシアは時には味方すらも騙さなければならない──それがどれだけ信じている者であっても。
「さぁ『彼』が悪さをする前に、行かないと」
このツカイだった者たちが刑期を終え再び外界に出て来るまで数年あるとはいえ、それまで真のオーナーを野放しにしておく必要はないのだ。何よりも、おそらく自らの意思ではなくオーナーだと思い込まされている者が手を汚すのを阻止しなければならない。それを成すべくリーシアは胸元のきついボタンを外してターゲットへと向かった。
◇
小惑星型要塞『赤針』に侵入した上陸部隊は、ニグライン特製の空間シールドに守られながら要塞内部を目指して進んでいた。侵入した先には整備兵が数十人いたが要塞艦橋には殆ど人がおらず、それらの者たちは艦隊停戦の報を受けて呆然と立ち尽くしていただけであった。艦隊からの通信は艦橋に響いていたが、その場にいたのは指揮権の代行すら出来ない者ばかりであり、何も出来ずにいたようだ。そして抵抗する事もなく重装甲機キーロンに搭載されている転送カプセルに入れられ、揚陸艦に送り込まれた。
「くそっ! 無人じゃねーかよ!!」
手をかける事もなく艦橋を含めた要塞の半分近くを無力化した先には人影はなく、侵入者を阻むのはトラップだけであった。正面に待ち構えている大型トラップをキーロンが破壊し、その後ろで陸上戦闘部隊DLのドリテックが各所に張り巡らされているトラップを破壊しながらぼやく。多少のトラップからの被弾はキーロンと特攻服の空間シールドが防いでくれるおかげで、陸戦部の兵士たちは突進する足を止める事なく走り続けていた。しかしいくら進めど戦闘兵もいない、アサギの所在も分からない──ドリテックは嫌な予感を感じずにはいられなかった。
「シールド、便利ですね~」
第一中隊隊長のランディ・リューデス少佐が、ドリテックのぼやきにのんびりした口調で応えながら半歩後ろに続く。
「戦闘中くらい緊迫感を持って話せんのか!!」
「はぁ、すみません」
戦闘中と言いながらも敵兵と戦えないドリテックの不満を一身に浴びる形になってしまったランディだが、当人がまったく気にしていない上に、事実緊迫感のまるでないのんびりとした口調である。ドリテックの苛立ちはますます上昇し、しまいには武器を使わず壁から出てきた砲管をへし折るに至った。
「うわぁ、危ないじゃないですか~」
ドリテックが折った砲管をランディに向けて振り降ろしたが、ランディは陸戦部隊一の俊敏な動きでかわす。力一杯空振りしたドリテックは怒りの矛先を再びトラップに向けるしかなく、次々に破壊していった。
「すごいなぁ、ドリテック隊長がいればキーロンいりませんね~」
「やかましいっ!!」
疾走しながら交わされる二人のやり取りを「よく息が切れないものだ」と感心しつつ、同隊の白兵戦兵は彼らの後ろを黙って付いて行った。何しろ人体を感知して現れるトラップは殆どドリテックが破壊し、空間を超えて出現するようなものはランディが瞬時に消してしまうのだから、やる事がないのだ。
「部長、後ろが暇そうですよぉ? 少しは手加減したらどうですか~?」
「部長と呼ぶな!」
ランディの部下たちへの気づかいも更にドリテックの破壊行動を増長させただけだった。小惑星型と言っても要塞としては十分な大きさであり、戦闘兵以外にも多くの乗務員がいて然るべきであるのに艦橋付近にしか人がいなかったのはどういう事なのか。
「それにしても~……」
「今度は何だ?!」
トラップに邪魔をされて考えの纏まらないドリテックは、のんびりと意見を述べようとするランディに苛立ちを顕に急かす。
「人影もないしぃ、どこに誘導されるんでしょうね~?」
トラップが延々と仕掛けられているこの通路を赤針の乗務員が使っていたとも思えない。ランディの意見はドリテックの感じるところでもあったが、道が一本しかないのであるから進むしか方法はなかった。
『第一部隊前方30メートル先、右側壁に扉あり!』
更に10分ほど進んだ時、艦隊本部からドリテック率いる第一部隊に通信が入った。目に見える扉などないが、他のルートに繋がる扉が隠れているらしい。
「行ってみますか?」
「はっは! やっとやる気になったか!」
ランディが間延びしない口調で問いかけるとドリテックは豪快に笑い、ランディの後頭部をまたもや力の限り叩こうとした。
「ちょっ! 俺の首、もげちゃいますって」
ランディはトラップからの攻撃を避けるよりも真剣にドリテックの手から逃れる。ドリテックもランディが避ける事を前提としての行動だろうが、実際に当たったとしたら後方に転がるトラップの残骸と同様にランディの首も転がる羽目になるのは否めない。
「レイテッド司令のシールドがあるんだ、もげやしないさ!」
どこにその保証が記されているのかわからないが、ドリテックは自信満々に言い放つ。ランディはニグラインに直接会った事がないため8人のDLが認めた……という理由でしかニグラインを知る事が出来なかった。司令官として、システムエンジニアとして、メカニックとして──あの華やかな笑みを絶やさない少年の外見からそれらすべてを認めるには無理がある。だが、ドリテックのニグラインに対する信頼度にも驚きを隠せない。そして何よりあの凰総隊長が一歩下がって従っている。若い司令官についてはこれから知るしかないが、全てはこの戦争が終わってからだ。
「ここです、ぶっ壊してください!」
ランディの言葉を合図にドリテックは見えない扉を開くべく、壁に向かって拳を振り上げた。
◇
「ははは……太陽系も、面白いことになって来たようだな」
赤針の内部で、老いた青年がしわがれた声で愉しげに言った。〝愉しい〟と感じたのは、いつ以来だろうか? ……と彼は思い苦笑する。〝苦しい〟と思うようになってからは、確実にない。
「太陽を手にすれば、もっと愉しくなれるのだろうか……」
彼は自軍の艦隊が停戦し要塞内が制圧される事など何とも思っていないようであった。もはや太陽系近衛艦隊に勝利する術などないというのに。
「早く、来い。いつまでも隠れていないで……僕は、もう、動けない」
青年の肉体は、見かけ通りに朽ち果てようとしていた。絶え絶えの呼吸と共に漏れだす言葉も、実際に音になっているのかどうかは聞く者がいないため、わからなかった。
Illustration:切由 路様




