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花の鳥籠  作者: 白基支子
14/23

聖女の初夜 捌

 文芸部を出て直ぐ、お千代は「警察に用向きが出来た」と言い置き、後の捜査一切を俺と兎に任せて立ち去った。残された俺と兎は顔を見合わせたが、お千代の思い付きはいつもの事、さして慌てず冷静に相談を進め、俺が文化部、兎が運動部と、手分けして聞き込みする事に決めて、夕日照る廊下にて別れたのだった。

 其の際、校内見取り図が一枚しかない事にこそ俺は戸惑った。何処でどの活動をやっているか判らなければ、捜査に支障を来す。其れを示す為の見取り図が一枚しかなく、俺達は二手に分かれなければならない。

 これを相談すると、兎は平気な顔で、

「なら其の見取り図は先輩が持って行って下さい。あたしは全部暗記してますから」

 と、事もなげに言い切り、本当に行ってしまった。見取り図に書き込まれた細かい文字をじっくり眺めるだけの猶予もなかった筈だが、兎は全て覚えたと宣ったのだ。何という記憶力!兎の才能はほぼ把握している積もりだったが、いざ眼前に突き付けられると底の深さを改めて思い知らされる。

 凡人、これといった取り柄のない俺は、せめて地道を辿るべしと、早速文化部の調査に赴いた。

 ……さて、其れで、学院内を渡り歩いてみると、聖柳風女学院は、持ち前の格式からか、文化部への力の入れ様が一方(ひとかた)でない事が直ぐ判った。殊に、茶道部や華道部等は、其の道の先生を外から招いて、生徒に習わせていた程だ。

 そういった本格式の部活に、俺の様な男が、しかも殺人事件の取り調べとは、野暮も野暮、故に聞き込みは至難を極めた。茶道部を訪ねた時など、どうもお茶立ての途中を邪魔したらしく、酷く先生に叱られてしまったくらいだ。

「唯でさえ、寮の門限迄という短い間を預かっているのです。聞き込みなどと、そんな俗事に割く時間は御座いません」

 如何にも師範代といった姿勢の良いお茶の先生にこうも凛と叱り付けられては、俺など一溜まりもなく、忽ち茶室の外に退散させられてしまった。

 加えて、苦労の末やっと聞き込んだ結果が、これ又取り上げるものが一つもないという事実が、疲労感に輪を掛けた。見えて来るのは、果たして、里見健一の静けさと、竜胆霞の温かさくらいなもので、犯行動機は勿論、未だに事件を信じていないといった旨の供述さえあった。

 地道な作業に徹すると決意したばかり。有力な証言を期待することこそ間違い、ひたすら足で稼ぐ他ない。己にそう言い聞かせる。

 ……正直しんどいけれど……。

 日は山の陰に沈み、俺は星空を背負って歩いていた。外気は凍り付いた様に静かで、宵闇はしんっと音もしない。砂利を払う自分の跫音だけ聞きながら、俺は本日最後の聞き込みへ向かっていた。

 第二文芸部。

 此の見取り図を作成した時から、此の部活動名が頭の片隅にズット引っ掛かっていた。

 第二文芸部は、生徒会から頂戴した部活動一覧の末尾に記され、しかも部員数一名という、ともすれば正式な部活動かどうかも疑わしいものだった。

 何より気になるのは、頭に冠した「第二」の文字だ。未伽が部長を務める「文芸部」は、「第一文芸部」ではない。「第一」と戴いていないのに、「第二」があるのは変な話だ。

 更に、部室のある場所も、奇怪である。

 俺は今、校庭の外周を歩いている。屋外は寒さが首元に纏わり付くので、コートの襟はしっかり立ててある。見取り図に因れば第二文芸部は体育館の裏手に配置されている。が、普通、体育館裏には倉庫があるのではないだろうか。

 此の思考はある意味で当たっていた。木造体育館の裏手に回ると、其処には叢に紛れるようにしてトタンの倉庫が建っていた。ボールやハードル等が仕舞われたあれにしか見えない倉庫の入口には、しかし確かに「第二文芸部」の札が掛かっていた。

 夜の体育倉庫、元い部室は陰気に、然も然も曰くあり気な、怪談めいた雰囲気に沈んでいた。が、躊躇っては話が進まない。俺は覚悟を決めて取っ手を掴み、横に引いた。

 扉は重く、又レールが錆び付いてでもいるのか、ギ、ギッと、擦れ音を立てつつ何とか開く。

「失礼しまーす……」

 やっとの事で軋む扉を開き切り、声を掛ける……返事はない。誰もいないのだろうか。一足、倉庫に踏み入ってみる。

「ひっ」

 と、暗がりから短い悲鳴がし、俺は其方を向いた。埃っぽい室内は薄暗く、灯りと言えば、部屋の隅に置かれた小さな電気スタンド程度。其の白けた灯りの傍に其の子はいた。

 少女は隅っこで身を竦ませていた。もっと言えば、マットやハードルの狭間で立ち尽くしていた。広い倉庫は他に誰もおらず、たった一人、其の少女だけである。

 彼女は黒いセーラー服を着ていた。という事は、彼女も此処の生徒なのだろう。彼女のセーラー服には沢山の埃が着いていた。清潔な、上品な御嬢様学校には似付かわしくない。

「あの」

 俺は用心深く彼女に声を掛けた。相変わらず返事はない。少女は唯肩を震わせて怯えている。これでは俺が脅かしているみたいだ。

「えっと……そうだ。ほら、俺はこういう者で、別に怪しい者じゃないんだ」

 懐から探偵免許証を取り出して見せる。が、少女が免許証を判読してか判らない。少女は分厚い丸眼鏡を掛け、其の長い前髪で顔の上半分を隠していた。

 俺は辛抱強く声を掛け続けた。

「誰かに聞かなかった?探偵が捜査してるって。噂になってると思うんだけど」

「あ……う……噂は……聞いた事、あり……ます」

 ようやく少女が言葉を返す。俺はほっとして、少女にゆっくり近付いた。

「そうか、良かった。其れで少し、話を聞きたいんだけど」

 俺が少しでも近付くと、少女は自分の肩を抱いて震え出してしまう。こんな反応は学院に来てから始めてだ。勘弁して欲しい。

「や、別に危害を加えようとか、供述を強要しようとかではないんだ。唯、知ってる事を聞きたいだけで……ええっと、其れに、此の部活にも興味があって」

「え……?」

 俺がそう言うと、少女は少し緊張を和らげたらしかった。

「此の部活に、興味……あるん、ですか?」

「そうそう、『第二文芸部』に興味があって。さっき『文芸部』の方に立ち寄って、櫻井さんから色々と話を聞いてきたトコロなんだけど」

「未伽様から……」

 未伽、様?

 随分仰々しい。未伽が生徒達に持て囃され、君臨しているのは察していたが、まさか此処迄露骨に、様付けされる程とは、度が過ぎている。

 が、俺の怪訝も知らず、少女は未伽の名を恍惚と口にした途端、俄に警戒心を解いた。

「そういう事なら……少しだけなら……」

「有り難う、助かるよ」

 やっとだ。心を開いた直接の切っ掛けが、部活に興味があると言ったからか、未伽の名を出したからか、判らないけれど、其れは今、然して重要な問題ではない。

 俺は愛想笑いを浮かべ少女の許へ向かった。電気スタンドの灯りの届くトコロ辺りで、改めて彼女のなりを見る。

「名前は何て言うのかな?」

「名前……?」

「君の名前。不便だから」

「あ、其の……」

 少女は酷くモジモジしていた。こう近付いて見ても印象の乏しい子だ。丸眼鏡と伸ばした前髪で、俯いた顔は詳しく見えない。電球の白い灯りが、制服に付いた埃を浮かび上がらせるばかりだ。

「あの……あたし、は、三叉(みつまた)……加世子(かよこ)と、言います」

「三叉さん」

 教えられた名で呼んでみる。と、加世子は耳迄赤く染まり、更に顔を俯かせた……忙しい子だ。

「其れで三叉さん、此処『第二文芸部』って、一体どんな部活なの?」

 笑顔を忘れずに訊く。と、加世子は益々赤くなり、口をモゴモゴ動かした。

「あ……其れは……これ、見て……下さい」

 加世子は徐に電気スタンドを掴み、電球の灯りを壁へ向け放った。白い光線がコンクリートの壁を浮き上がらせる。と、埃がキラキラ舞い、其の奥に幾つもの本棚が現れ、電球が丸く照らし出す中に、原色の背表紙が浮き上がった。

 これは漫画か。

 俺は壁際に並ぶ本棚に近付き、其の中の一冊を抜き取った。矢張り漫画だ。夥しい量の漫画が本棚に詰まっている。

「えーっと、此の本は全部、三叉さんの私物?」

 漫画を本棚に戻しつつ振り返る。加世子は小さく頷いた。

「そっか。だから『第二文芸部』ね……」

 たった其れだけの事で、様々な内状が見透かされた。第二文芸部の部室が辺鄙な場所にある理由も、文芸部が、「第一文芸部」ではない理由も、部員が加世子だけである理由も。

 だが其れらの事情は、今、どうでもいい。

 俺は愛想笑いに戻って、

「じゃあ、早速で悪いんだけど、三叉さん、俺に色々教えてくれないかな?」

 と、加世子の目を覗き込んだ。加世子は、モジモジ、無意味に指を動かしながら、其れでも訥々と此方の質問に応えてくれた。

 ところが、加世子にしても他の生徒と異なる証言は寄越さず、どころか、一般の生徒が話してくれた里見や霞の人柄についてすらまるで知らなかった。どうも加世子は人付き合いが得意でないらしく、里見は授業で偶に見る程度、霞に至っては、

「教会には行った事がないから……シスターの性格は、一寸……判らない、です」

 と言う始末であった。

 最早溜息も出ない。が、加世子が悪い訳ではないので、此処で落胆の色を見せては失礼になる。俺は加世子に供述を続けるよう頼んだ。

「竜胆霞さんとは全く面識ない?」

「済みません……其の……シスターについては、何度か、耳にした事はあります、けど……あたしは……はい……顔も、知りません」

「そっか。じゃあ、質問を変えるけど」

 俺は何の期待もしていなかった。そろそろ聞き込みを切り上げよう、と、内々勘定していたくらいだった。だから無用心にこう言った。

「最近、生徒間のトラブルとか、事件とか事故とか、何か知らないかな?揉め事、悪事、問題行動、何でも良いんだけど……実は此の質問をすると生徒さんは決まってはぐらかすから、『共通の秘密でもあるんじゃ?』なんて俺達は疑ってるんだけど」

「秘密……秘密……い、言えません、そんな……未伽様、に、御迷惑が掛かってしまうから……」

「え?」

 此の時、俺がどんなに驚いたか。

 加世子は遠慮勝ちに、しかし薄ら笑いを、しかも作り物でない心からの笑みを浮かべて、未伽の名を口にしたのだ。

「櫻井さん?どうして櫻井さんの名前が出て来るの?三叉さんは何か知ってるの?」

「そんな!い、言えません……未伽様の御迷惑になったら……あたし……生きて行けません……」

 加世子が俯く。長い前髪に隠された顔は、明らかに不気味な笑みを浮かべている。

「其処を何とか、教えて欲しいんだ。頼むよ。ね?俺達探偵には守秘義務があるから安心して、どうか、話して貰えないかな」

「駄目、です。だって……未伽様に失望されたら……あたし……死んでしまう……」

 生きるの死ぬのと、一々物騒な子だ。そんな風に煽られては、益々知りたくなるのが人の常。

「櫻井さんにも黙っておくよ……三叉さんは櫻井さんを凄く大切にしてるんだね」

 俺は少し変化球を投げてみた。此の儘では埒が明かないし、恐らく、加世子はそう言って貰いたいのだろうと推察されるからだ。

 案の定、加世子は口角を吊り上げた。判り難いが、愉快に笑っているらしかった。

「其れは……勿論、です。未伽様は大切な人で……未伽様だけは……あたしの事を知ってくれて……其れに、あたしだけが……未伽様を……」

 其れは果たして本当に笑顔だったか、俺には自信がない。作り物の……仮面の笑顔ではなかったが、加世子の浮かべた表情は其れ以上に笑顔らしくなく、俺には頬の筋肉が痙攣しているようにしか見えなかった。

 ゾッとするが、此の機会を逃す手はない。俺は喰い下がって、

「お願いだ、三叉さん。後生だから、そんなに焦らさず、聞かせて欲しい。散々、他の生徒に振り回されて……こうして話してくれたのは、三叉さんが初めてだから」

 俺が拝む様にして迫ると、加世子は終に悩み始めた。彼女の口角は吊り上がった儘だ。俺は其の口が開くのを待った。必ず其の口は開かれると、確信していた。

「私、の口からは……とても、言え、ません……寮の門限も……近い、ですし……そろそろ、帰らないといけない、し……けど……」

 そうだ。俺は其の「けど」が聞きたかった。

「バレー部の……」

 加世子の声は小さく、闇夜に溶ける様で、俺は聞き漏らさないよう殆ど必死だった。

「バレー部の……阿佐々広見に、聞いてみて……下さい……」

「阿佐々広見」

 其の生徒は知っている。あの、髪の短い、スポーツ少女だ。

「有り難う三叉さん。本当に助かった。手間を取らせてゴメンね」

 俺は加世子に礼を言い、其の場を辞した。お千代の不在が悔やまれる。が、明日の朝には戻るだろうし、此の事は其の時報告しよう。

 そう思いつつ部室を出る。と、背後から奇妙な高笑いが聞こえた。其の声はトタン倉庫の天井から抜け出て、星空を突く程甲高かった。


「阿佐々広見?」

 お千代はコーヒーカップを手に其の名を復唱した。

 十二月二十二日、土曜日の朝。此処数日の間に定着した定例会議中、俺は三叉加世子から聞いた内容を其の儘伝えたのだった。

 黒いシュシュで一つに纏めた銀髪を撫でるお千代は、藍色のシャツ、藍色のズボン、黒いジレ、そしてポニーテールといった恰好で、男装の麗人然としていた。

「其れで、其の阿佐々とやらが、生徒達が揃って口を噤む事柄を話してくれる、と?」

「三叉さんはそう言ってたけどな」

 お千代は視線を上げて、金瞳を細めた。お千代の手許には「ファウスト」の文言を書き写したメモがある。里見健一が蛍光マーカーを引いた文章の抜き出したものだ。其れを俺も一瞥する。此方からだと文章は上下逆さになり、自分で書き出しておきながら其れは外国の文字みたいに見えた。

「阿佐々広見ねぇ……あの生徒か……話してくれるのなら、有り難い限りだが」

 お千代は身体を反らせ、天井を仰いだ。ギィと、椅子の背もたれが鳴る。

「所長」

 と、先に報告を終えていた兎……ダッフルコートを着た……が、ティーカップを置きながらお千代に声を掛けた。

「うん?」

 お千代は身体を反らせた儘、瞳だけで兎を見る。

「所長の方は如何でした?警察に用事があった様ですけど」

「其れか」

 お千代が身体を起こす。と、椅子が又ギィと鳴った。

「昨日、私が警察に連絡を取ったのは、ある事実の確認をしたかったからなんだが……」

 お千代は一旦言葉を区切って、

「しかし其の事実を打ち明けるのは、少し待って欲しい。君達を混乱させたくないし、何より竜胆の尊厳にも関わる問題だからね。事件に関係する情報だと確証を得られた其の時に、キチンと話すから」

 複雑な表情でそう言うと、コーヒーカップに口を付けた。苦り切った表情はコーヒーの所為ではない。こんなお千代は珍しい。俺と兎は言われた通り、其れ以上追及しなかった。

 其れから、お千代はカップをソーサに置くと、いつも通り不敵に笑ってみせた。

「これで幾つかの仮説は立てられた。其れで、兎、後で私の部屋に来てくれないか?渡す物があるから」

「渡す物?」

「そう。念の為と思い、私が事務所から持って来た物だ」

 お千代は其処で又コーヒーを一口飲んでから、

「仮説を証明する為に必要な物なんだ。其れを使えば、里見健一発見の手立てとなるやも……兎の聞き込みに因れば、里見健一が最後に目撃されたのは、あの渡り廊下なんだろう?」

「はい」

 兎が頷く。そう、其の兎の報告こそ、今朝の会議にて最も重要な情報だった。

 事件当日、即ち十二月十一日の夕方、竜胆霞が殺される数時間前の放課後、陸上部のとある生徒が、自主練中、本校舎と屋内プールとを繋ぐ渡り廊下を歩く里見の姿を見ている……其れが、里見健一最後の目撃証言であった。

「其れを聞いてピンと来てね。若し仮に、里見の発見されない理由が私の思った通りなら、事務所から持って来た物が必ず役立つ筈なんだ」

「判りました。後ほど、所長の部屋に伺います」

「よしよし……其れで、君だが」

 と、お千代が俺を見る。

「何だ?」

 俺は顔を上げて其の瞳を迎えた。推理の興が乗った時、お千代は必ずこんな風に瞳を輝かせる。静謐な知性に満ちた金色の瞳は、今こそ爛々と輝いていた。大きな宝石みたいだ。真実を照らす此の輝きを見る時、俺はいつも少しぼんやりしてしまう。

「君には今から、其の、阿佐々広見の聞き込みに向かって貰いたい。バレー部だったね?なら今頃は体育館か」

「了解。体育館だな?」

「うん」

 俺が席を立つと、お千代は机に置かれた「ファウスト」の文章を引用して、何か、思案に暮れていた。

「――どの美しい花をも自分の手に入れようとして、自分の手で摘み取ることの出来ない恋や情はないはずだと思う性ですね。ところがなかなかいつもそうは行きませんよ――本当に、悪魔の言う通りだよ」

 悪魔。

 其の一語が俺の耳に長く残った。


 朝の体育館は活気に溢れていた。

 練習に励む息遣いや掛け声が、アーチ型の広い天井に響き、ユニフォームを着込んだ少女が駆け、跳ね、ボールを宙に投げ、或いは宙のボールを追い掛けて、木目のコートでは、キュッ、キュッと、スニーカーの踵の擦れる音がよく滑っている。

 練習の張り詰めた空気は侵し難く、俺は入口近くで立ち尽くしていたが、運良く通り掛かった生徒を呼び止めて、

「あの、申し訳ないんだけど、阿佐々さんは何処?」

「彼処ですよ」

 体操着の少女はにこやかに「広見、探偵さんが呼んでるわよ」と呼んでくれた。途端、体育館中の生徒が此方を向く。少女達の視線に晒された俺は、取り敢えず会釈だけ返した。

 そうしている間に、バレー部のユニフォームを着込んだ少女が、不貞腐れながら此方にやって来た。俺は呼んでくれた少女に礼を言って、広見と二人切りとなる……其の際、少女は「広見も隅に置けないわね」と囁いたが、広見の不機嫌な顔を見ると素早く退散してしまった。

「練習中にゴメンね」

 居た堪れず俺が謝れば、広見は俯いて、

「別に……」

 と、言い捨てた。此の年頃が難しい事は散々痛感したけれど、これ又、随分手を焼きそうな相手だ。

「何か用ですか?」

「其の、少し訊きたい事があって」

 警戒心を越え、嫌悪感とも呼べる態度に怯みつつ、これも仕事と、俺は己を奮い立たせた。

「若しかしたら、繊細な問題に立ち入るかも知れないんだけど、其れでも捜査に協力すると思って話して貰いたいんだ……『生徒達の秘密』について」

 秘密。

 此の一語に、広見が顔を上げる。

「きっと他人には話せない事なんだろうけど……生徒間のトラブル、揉め事、其の他諸々について、話してくれないかな?阿佐々さんが喋ったって事は、決して口外しない。探偵の守秘義務に則って。だから、どうかお願い出来ないかな?」

「何でアタシなんですか?」

 俺は返事に詰まった。まさか加世子から勧められたとは応えられない。其れこそ守秘義務に抵触する。

「いや、特別な理由はないけど……ほら、一昨日の放課後、櫻井さんと一緒にいる君を見たから」

 苦しいながら割合に出来の良い言い訳を述べる。が、広見は納得せず、

「だからって、何でアタシなんですか?」

 と、又一歩詰め寄った。距離が近付くと、袖と裾の短いユニフォームから伸びた広見の四肢に触れそうになって焦った。鍛えられたしなやかな腕と足のハリが俺を脅かす。

「アイツ……」

 と、少女の強気に俺が気圧されている間に、広見はそう呟くと小さく舌打ちした。嫌な予感が背筋を伝う。俺は慌てて本題に戻った。

「そ、其れで、教えて貰えないかな?秘密について。話せる範囲で構わないんだ。少しでも協力して欲しい。事件解決の為に」

「…………」

 広見が黙り込む。もう一押し、俺は相手を見詰めて、

「駄目かな?俺にはもう、阿佐々さんしか頼れる人がいないんだけど……」

 と、弱音を吐いてみる。(たぶら)かす要領、昨日も此の方法で加世子から情報を引き出したのだ。果たして、広見は俺を見上げると、直ぐ顔を背けて、

「何でアタシが……」

 と、葛藤の呟き。板挟みの末、広見は反抗的な、けれど、俺の思い過ごしでなければ僅かに恥じらいながら、

「アタシから言える事は何もありません。アタシは何も見てませんから……けど、生徒会長なら……教えて貰うなら、アタシじゃなくて、生徒会長のトコに行って下さい。失礼します」

 其れだけ言うと広見は駈けて行ってしまった。

 ……今度は葵か……。

 たらい回しだ。何故こう別々の生徒の名が次々と出て来るのか、追及しても、もう広見は取り合ってくれないだろう。掛け声こだまする体育館を、俺は大人しく後にした。

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